2018年5月23日 (水)

あさ爺の徒然日記(883) 5月23日(水) I君の思い出

今月、急死したI君を悼む声が途切れない。我々が57年前に卒業した高校は四国の玄関口と云われた高松市にある。宇高連絡船もなくなり玄関口として役目は終えた感じだが、今でも人口40万を超える中核市として存在している。そこにある創立110年を超える学校が母校だ。

高校時代はクラスが違い会釈程度の仲だったが、約10年前から始めた鎌倉と横浜の年2回の散策会で親しくなった。彼は常連メンバーとして参加し、その折に彼がリーダーを務める山の会にも誘われた。実は多くの同期生が、このような形で彼を知り、彼の魅力に惹かれていったのだ。霞が関の高級官僚、実業家、ノンフィクションライター、画家、地元の市長等々、我々の仲間は良く云えば粒揃い、別の言い方をすれば玉石混淆の進学校だったが、60代を超えて第一線を退いてから急速に団結を強めた。その要の役割を果たした一人がI君であった。彼の不機嫌な顔を我々は知らない。鉄人、冒険家であると同時に人格者でもあった。月末に親しい友人が横浜の野毛に集まり、感謝を込めて酒を酌み交わすことになっている。合掌

2018年5月22日 (火)

あさ爺の徒然日記(882) 5月22日(火) 久坂部羊「院長選挙」

愛媛県が新たな文書を国会に提出した。それにはシンゾー首相が初めて獣医学部の話を聞いたと述べた時期より、かなり前に親友のカケ君から説明があったそうな。国民の誰もが思っていたことが裏付けられたわけだ。普通ならこれで万事休すとなって内閣総辞職と云う運びになる筈。しかし、我らがシンゾー君はそんなことでへこたれるヤワナ総理ではない。相変わらず否定している。開き直って衆議院を解散すれば、再び圧勝できると踏んでおられる。つまり、国民は舐められているのだ。だから、強気で通している。スガ君と二階君が総理自ら否定しておられるので一件落着だと、こちらも国民を舐め切っておられる。日大アメフト監督のしらの切り方も安倍さんのマネだ。同じ穴の狢。

医師作家久坂部羊の「院長選挙」を読む。現役医師でもあり、舞台は大学病院。空席の院長に誰が座るのか?4人の副院長が立候補する。内科、外科、整形外科、眼科などをバックとして、し烈な争いを繰り広げる。殆どはドタバタの中傷合戦。バカげた、面白い巨塔だ。取材する主人公の女性記者アスカに対するセクハラは、財務省や狛江市長と同じ。浜の眞砂は尽きるとも、世にセクハラの種が尽きることはない。これもみな女性活躍を掲げるアベ君のおかげか?

2018年5月21日 (月)

あさ爺の徒然日記(881) 5月21日(月) 鍵っ子

大相撲夏場所が中日を過ぎて、大関を目指す関脇栃ノ心が一人全勝で快進撃。二桁勝利はモチロン、2度目の優勝もあり得る。ご丁寧に大関が不在となった。あとは白鵬らの対横綱戦がカギとなる。彼の本心は優勝にあるだろう。大関は結果として付いてくると。そこが肝っ玉の小さい日本人力士との違いだ。悔しいが・・・。

昨日、引越した孫の家を知りたがる男の子がいた。保育園にいた時の「友達」だ。下のチビもじゃれついたりしてふざけているので、爺もよほどの仲良しと勘違いしたが。新居のマンションの中にまで入り込もうとしたので、爺も驚いて「おうちの人が心配しているよ、早く帰りなさい」と追い返したが、何故か無視された。家の鍵も見せびらかして自慢している。変な子だなと思ったが、要するに帰宅しても誰もいない鍵っ子だったのだ。淋しいからみんなの家に入って遊びたがる子のようだ。たまたま、爺が孫と一緒だから事なきを得たが、孫兄弟だけでは彼の強引な「侵入」は防げなかったのでは。彼は淋しがり屋で友達が欲しいのだろう。親たちは問題児だと云うだろうが。鍵っ子だった爺の子ども時代を思い出した「事件」だった。

あさ爺の徒然日記(880) 5月20日(日) ママ友パパ友は若くていい

保育園のママ友パパ友の輪に入った。みんな若くて当然ながら元気いっぱいだ。殆どが30代だろう。従って、美人でもありイケメンでもある。眩いくらいだ。その中に白髪少なく殆ど禿状態の老人がちん入したのには、やむにやまれぬ事情があった。場所は東京北区の豊島公園。ここで第26回(それなりに歴史がある)カッパ祭りがあった。孫のチビ共にせがまれて爺一人で連れて行くハメに。彼らの両親は昨日今日は引っ越しの真っ最中。婆も手伝っている。足手まといの爺とチビ2人は追い出された。当初、祖父母は孫と4人で上野の動物園を考えていたが、チビはカッパを主張。

ナルホド、そこには彼らの仲良しのちびっ子たちが続々と登場。その保護者たちのグループの末席を汚したと云うわけ。下町の地域の祭りは面白い。孫の友達の親たちも仲良しだ。婆が朝早く起きて丹精込めて用意した手作りパンとおにぎりが役立った。動物園で4人で食べるつもりだったが多めに準備して良かった。H君のおばあちゃん手作りは人気の的になった。保育園、幼稚園、小学校以外の場所で、こんなにたくさんの子どもたちを見たのは久しぶりだった。美しいママ友たちと、走り回る孫の相手もしてくれたパパ友たちに乾杯。

2018年5月19日 (土)

あさ爺の徒然日記(879) 5月19日(土) 曽野綾子の人生相談

初夏の陽気だが天候は不順だ。大気は相変わらず不安定。しかし、昨夜からの雨予報は外れた。カミさんが雨を期待して植え付けた野菜の苗が、空振りに終わってぼやいている。

「曽野綾子の人生相談」を読む。浅田次郎の人生相談と違って、非常にマジメだ。相談者の気持ちに寄り添ったり、励ましたりと女性らしい細やかさがある。これは「いきいき」と云う女性向けの雑誌に連載されたものの単行本化。次郎さんの「週刊プレイボーイ」とは違うのだ。でも、もう少し曽野綾子独特の言いたい放題があるのかとも期待していたが、この雑誌自体が主婦向けの生活密着型雑誌だ。人生相談は語弊があるかもしれないが面白い。他人の不幸は己の幸せなんて言葉もある。老人から見て若者の悩みは、かつて通った道でもある。しかし、相談の半数以上はやはり近づく老いや病気の悩み。こればかりは回答者としても辛いところだ。どう答えていいものか、逆に相談したいくらいだろう。著者は老人向けの新作も多く、相変わらず人気も高い。今度は誰の人生相談を読もうか?

あさ爺の徒然日記(878) 5月18日(金) 新しい生きがい

来月6日で1年を迎える。体調が急変して救急搬送されてからの話だ。それまで7年近く続けていたアルバイトを辞め、複数の旅行社とタイアップしていたガイドの仕事も辞退。これも7年目のかまくらFMの出演も漸く今年に入って放送終了となった。ひたすら療養に努め、投薬治療も欠かさずの毎日だった。かかりつけ医は日常生活には支障もなく、できるだけ歩くことがリハビリにもつながると。そこで4月からは休会中だったガイドクラブにも復帰。徐々に活動を再開したところだ。

今までサンデー毎日の状態が続いていると、出歩くことが殆どなくなり足腰が弱ってきていることがよくわかる。今のぎっくり腰もそれが原因だろう。ハードな山歩きなどは今後も無理だが、常に何人かの仲間とメールのやり取りをしたり、鎌倉や湘南を歩くのを楽しみたいと思っている。その意味でも兄弟分のあさちゃんが始めた鎌倉勉強会(AKB48)は、遊び心満載の新しい生きがいになりそうだ。人生、前向きに楽しく生きなきゃ・・・。

あさ爺の徒然日記(877) 5月17日(木) 友の死を考える

高校同期で急逝したI君のことが頭から離れない。先月24日、一緒に横浜の低山ハイキングで歩いたばかりなので、いまだに信じられないと云うか変な感じなのだ。その2日後に出発して米大陸を自転車で横断。ゴールのシカゴで自転車を頭上高く掲げ、満面笑顔の写真が仲間から流れてきた。亡くなる3日前の最期の姿。脚だけでなく全身を極限まで酷使した結果ではなかったかと思う。それでもツーリング中ではなく目標を達成させ、長い飛行機の中ではなく成田から埼玉に帰宅し、その2日後の就寝中の死。彼を守り続けた女神がいたのではないかとも思う。

同期の仲間たちに衝撃が広がったのは容易に想像できる。メールが飛び交っている。誰も口には出さないが、彼らしい最期ではなかったか?世界を巡った冒険人生と多くの仲間を得て、大満足ではなかったか?それにしてもあんな死に方ができるなんて・・・。ピンコロ以上の壮絶な最期であり、あっけない幕切れでもある。我々は呆然としつつも、あっけにとられたような想いだ。今年一杯、予定が詰まっていた。きっとまだ走り続けているのだろう。合掌

2018年5月17日 (木)

あさ爺の徒然日記(876) 5月16日(水) 或る鉄人の死

高校同期の仲間で、鉄人とも冒険家とも呼ばれたI君が急逝した。アメリカ大陸を横断するルート66を自転車で走破して目的地シカゴから成田に帰国して、2日後に急死。死因は大動脈瘤乖離(かいり)と伝えられる。山仲間を中心に衝撃が走った。病気知らずの鉄人であった。国内の山はモチロン、世界各地の山や渓流下りにも挑戦を続けた。最後の最期まで冒険家人生をまっとうした男だ。13日間の大陸横断を無事終え、彼の地ではなく日本の自宅に戻り就寝中に帰らぬ人となったそうだ。たとえ2日間といえども奥様と無事の帰国を祝えたのではないか?

郷里高松の同期の登山グループを編成し、関西でも同様に仲間を集め、東京の仲間と合わせて、毎年夏に合同ハイキングを主宰した。あさ爺も誘いを受け、信州の山々を歩くことができた。7月には京都の山を3日間にわたって歩く予定だと云う。体調を崩したあさ爺はここしばらく参加していないが、今でも約30名が集まる。彼の魂は、今、世界各地の山を巡っているのではないか。冥福を祈る。合掌

あさちゃんの鎌倉日記(526) 5月15日(火) 勉強会を始めました

鎌倉は知れば知るほど奥が深い。鎌倉検定の1級を取った位で有頂天にはなっておれない。しかもあれから何年も経った。折角の知識も試験終了のチャイムと同時に、雲散霧消した。加えてしのび寄る認知症との闘い。錆びついたまま放置しておくわけにもゆかず、この度勉強会を始めました。一人では長続きしないから親しい鎌倉好きに呼びかけた。今日、その第1回目の勉強会で西御門(にしみかど)の来迎寺を訪ねる。更にハイキングコースを抜けて建長寺塔頭の回春院にも足を延ばした。

あさちゃんを含めてオンナ4人、オトコ3人の7人のサムライだ。今日は参加できなかったが、何人かが手を挙げてくれている。ただの散歩に終わらせない為に、会の名前を付けた。「あさちゃん鎌倉勉強会」で1回当たりの勉強会は最小催行人員4名、定員8名とした。頭文字をとって「AKB48」だ。踊ったり跳ねたりは出来ないが、気分は青年将校だ。その意味では「5・15事件」か。今日が縁日の阿弥陀如来さま、客仏の如意輪観音さまと地蔵菩薩さまも応援してくれました(と思っています)。

あさ爺の徒然日記(875) 5月14日(月) 元気のない百合子さん

東京都知事の小池百合子さん。ひと頃は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、すっかり影を潜めた。モチロン、都知事としての職務は果たしておられるだろう。しかし、彼女を支持した多くの都民が望んでいるのは、そんな彼女ではあるまい。今の知事なら誰にでも務まりそうだ。百合子さんしかできないかつてのパワー溢れる姿を今一度見てみたいものだ。それにしても政界一寸先は闇とはよく言ったものだ。希望の党を立ち上げて、創立メンバーで拳を振り上げたまではまだ良かった。それが排除宣言を境に潮目が変わり、衆院選で惨敗。盟友と云うより側近でもあった元高検検事さんはあえなく落選。彼が立ち上げた塾も泥まみれで解散に追い込まれた。

それだけにシンゾーさんのずぶとさはノーベル賞ものだ。早く彼の在任中に、「日本国憲法第9条と日本国民(授与式には代表して総理が参列)」にノーベル平和賞を渡して欲しい。お二人とも東京オリンピック・パラリンクのひな壇に揃ってお座りになりたいのだろう。ニッポンの暗黒時代はまだまだ続く。

«あさ爺の徒然日記(874) 5月13日(日) 科学博物館

無料ブログはココログ
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31