2017年8月17日 (木)

あさ爺の徒然日記(631) 8月17日(木) 核の傘による恩恵?

戦後72年もの長い間、日本に平和をもたらした要因。平和憲法の存在も確かにある。それが右派の暴走を食い止めてきた。大半の国民が戦争を嫌ったことも大きい。そして日米同盟、とりわけ米国の核の傘にあったことだろう。

代々の自民党政府は、日米安保は片務契約だと云ったきた。問題の駆け付け警護の容認はその延長線上にある。あさ爺もこれまではそれも一理あるかなと思っていた。しかし、米軍による第二次世界大戦における日本への無差別爆撃は、重大な戦争犯罪であろう。戦勝国だから不問に付されただけの問題。

軍需工場でもなければ、モチロン軍事基地でもない都市への焼夷弾攻撃と究極の原子爆弾。兵士ではなく、幼い子どもや女性、年寄りたちが百万人前後犠牲になった。この不問に付された戦争犯罪の代償として、日本はそのアメリカによる核の傘を受け入れたとも云える。

制空権を失った日本の上空をB29が絨毯爆撃し、大都市を焼き尽くした後は地方都市に広げ、グラマンで逃げ惑う市民を狙い撃ちした。しかし、戦後になっても敗戦国は、米国への追及や損害賠償請求も出来なかった。

従軍慰安婦や徴用工どころの被害ではなかったが、日本国民は未来志向で封印し、敢えて核の傘に甘んじたのではないだろうか?

2017年8月16日 (水)

あさ爺の徒然日記(630) 8月16日(水) 五山の送り火

テレビの中継映像ではあるが、京都五山の送り火を見る。昨年は大雨にたたられてご先祖様も極楽浄土へ戻るのに苦労されたらしいが、今宵は好天に恵まれて美しい送り火が見られた。

古い話で恐縮だが、あさ爺20代最後の年の今夜、京都鴨川の川床で東山如意が岳の大文字送り火を見物した。鴨川べりの老舗旅館のご主人や女将さんたちも交えての、記憶に残る一夜だった。45年前の話だ。

この年は戦後の日本にとって大きな政治的出来事が相次いだ節目の年でもあった。沖縄返還が実現し、中国との国交正常化も実現した。前者は佐藤栄作、後者は田中角栄と云う傑出した首相が主導したものだった。世は空前の列島改造ブームに沸いた年であり、上野公園に到着したパンダ見たさの大行列も記憶に残る出来事。

とりわけ沖縄戦で多大の犠牲を強いられた島民やひめゆり学徒隊らの悲劇、日米双方の夥しい戦死者の魂を鎮魂する五山の炎でもあった。沖縄が戻らない内は、まだ日本の戦後は終わらないと云われていた。この年にグアムから元日本兵の横井庄一さんが生還したが、小野田少尉が帰還したのはその2年後。中韓やロシアとの戦後処理は、いまだに揉めている。

まだまだ戦後は終わっていないのだ。

2017年8月15日 (火)

あさ爺の徒然日記(629) 8月15日(火) 72年目の終戦記念日

正午、戦没者追悼式に合わせて黙祷をする。直接の戦争体験はないものの、映画やテレビで見た戦争映像がフラッシュバックされる。1分間、手を合わせている間に、空襲下を逃げ惑う女、老人、子どもたちやソ連兵に銃を向けられた、満州や朝鮮からの引揚者の怯えた表情等々。

沖縄戦で白旗を掲げた裸足の少女、終戦後も樺太で絶望的な状況下に置かれた女性たち。浮かんでは消えるその情景は、すべて一般人だ。いわゆる銃後の人たちであり、逃げ惑う開拓者や新天地で夢見た本土からの移民たちである。

そしてその後に現れる光景は終戦直後の街角風景。義手や松葉杖でアコーディオンを弾いている白衣の傷痍軍人や派手な衣装でタバコをふかせ、進駐軍兵士と戯れる女、靴を磨かせてくれと叫ぶ少年たち。そしてボロをまとった母親に手を引かれて歩く3、4歳のみすぼらしい男の子、それはあさ爺の幼き日の姿であった。

そこまで浮かんだところで黙祷終わりの合図が聞こえた。あさ爺の脳裏をよぎったのは、パールハーバーでもなければ、セレベスに降下する美しい落下傘部隊でもなかった。銃後で逃げ惑う市井の人々なのだ。

戦後生まれの政治家もせめてこの位の想像力は持って欲しいものだ。超党派(自民・維新・民進)の靖国議員団が集団参拝している。残念ながら、彼ら彼女らに平和を切望する表情は汲み取ることができなかった。

2017年8月14日 (月)

あさ爺の徒然日記(628) 8月14日(月) 戦争の記録映像

終戦記念日を前にして、テレビでは戦争と平和を考える番組が放映されている。余りテレビと仲良く暮らすのはいいことではないと分かっているが、見たい番組を見逃すととても後悔するような気がして、ついつい録画をしてしまうことになる。

家でゴロゴロしていると家族からも疎んじられるし、5月までは家でマイペースの日常を送っていたであろうカミさんはきっと鬱陶しいのではないか?体調が良ければ散歩に出かけたり、些細な用事を見つけてスーパーに買い物に出かけたりして、それなりに気を遣っているつもりだ。

ところでそのテレビで見る戦争映像だが、あさ爺自身、戦争体験があるわけではない。引揚げの過酷な記憶もない。親にしてみれば、この子は何も覚えていないなんて・・・と嘆きもすれば、覚えていなくて良かったとも云う。もうその親もいない。

子どもや孫に戦争体験を伝えるスベはない。だからこうした番組は貴重なのだが、NHKを中心に放映される映像を若い人たちは余り見ていないのではと気がかりである。同じ時間の他のチャンネルでは、お笑い芸人たちがスタジオで大口を開けて笑いこけている。

17歳で特攻に散った少年兵もいたそうだが、彼らは祖国や家族の為に命を捧げたのだ。

あさ爺の徒然日記(627) 8月13日(日) 阿波踊り

高知のよさこい祭りに続いて、徳島の阿波おどりも昨日から始まった。東北と同じく四国も、4都市の祭りが日にちをずらして続く。トリが阿波おどりだ。全国的にもこれが最も有名であるし、高円寺のように各地に広まってもいる。

そして今日からは岐阜の郡上おどりが始まった。郡上八幡は憧れの街だが、まだ行ったことはないし、もう行く機会はないのだろう。先日、藤沢「遊行の盆」に本場から郡上踊りの一行が招かれて、目抜き通りを踊ってくれた。地元のケーブルテレビが中継したのを録画で見る。ゆったりした踊りで、見物客も一緒に踊った。

見る阿呆で踊らにゃソンソンと唄われる阿波踊りだが、これは簡単に見えても実際には飛び入りで踊るのは難しい。あさ爺は20代の時に、お客さまと一緒に阿波踊りに「参加」したことがある。京都の方々で一つの連を作り揃いの浴衣を着た、やや本格的なものだった。あさ爺も一番後ろにくっついて、男踊りの真似事をやった。きっと、一人だけタコ踊りかネズミ踊りに見えたのではないか?

後年、今度は徳島に住む親せきの家族と一緒に桟敷席で見物した。幼かった子どもたちは覚えているだろうか?さだまさしの原作を映画化した「眉山」で、松嶋菜々子が阿波踊りの群舞の中に立つ映像が印象にも残っている。

2017年8月12日 (土)

あさ爺の徒然日記(626) 8月12日(土) 航空には魔の日

日航機が墜落した大惨事から32年になる。いまだに鮮明に記憶している事故の映像だが、20代以下の若い人たちにはもう歴史上の一コマとなってしまった。

この日のことでは、あさ爺は更に古い航空機事故の記憶がある。偶然にも全く同じ日に起きた惨事だった。昭和33年に起きた全日空のダグラスDC3型旅客機の下田沖墜落事故だ。乗客乗員33名全員が死亡した。

極東航空と日本ヘリコプター(日ぺり)が合併して、純民間航空としての全日本空輸(全日空)が誕生して間もない頃の時代だった。あさ爺はもう高校生だったから、よく覚えている。当時は飛行機に乗る人は裕福な階層か、春や秋なら新婚旅行に利用する人たちが一般的だった筈。ニュースには惹きつけられたが、あさ爺が飛行機に乗る等は想像もできないことだった。

日航機以降は国内の大事故は起きていない。整備が進化し、安全基準が厳しくなったためであろう。だが、格安航空会社が増え、あさ爺も現在のドメ(国内)のキャリア(航空会社)名はスラスラとは云えない。

過当競争が招く整備の手抜きが起こらぬことを願うしかない。

あさ爺の徒然日記(625) 8月11日(金) 山の日

今日が祝日になったのは、昨年からだったかな?何故この日が「山の日」なのかは知らない。恐らく「海の日」があるから、公平にと云う発想か?それもお盆休みに引っ掛けて、経済活動や学校現場に影響の少ないこの日を選んだに違いない。

それならついでに8月15日を「平和の日」として祝日化して欲しいところだ。実際、これはあさ爺の思い付きではなく、以前から提唱されてきたことであったと思う。民主党政権時代に制定すべきであった。そうすれば、さすがは平和を愛する民主党だと国民の一人として喝采を送ったのに・・・。

今の安倍政権ではあり得ない夢の話。彼なら仮に制定しても、祝日名は多分「靖国の日」か「英霊の日」。そして12月8日も祝日化して「戦勝記念日」か「東亜の日」と命名されるだろう。

ところで本題の「山の日」、テレビで日本百名山等の山番組が人気だ。あさ爺も弱った脚をさすりながら、映像の中で山行きを味わっている。今年も高校時代の仲間たちが、大挙して上高地と乗鞍に出かけた。毎年、信州を中心に山歩きをしている。

療養中のあさ爺は指をくわえて、ネットで送られてきた河童橋や乗鞍山頂での楽しそうな集合写真を眺めている。

2017年8月11日 (金)

あさ爺の徒然日記(624) 8月10日(木) ミュージカル鑑賞

新聞社の招待で、都内荒川区の「ムーブ町屋」に出かけた。郡司企画のミュージカルファンタジー「真夏の夜の夢」を鑑賞する。シェイクスピアの作品は、題名だけはよく知っているつもりだが、ストーリーは不勉強でほとんど知らない。

この著名な作品も、今日のミュージカルであらましを知ったような次第。モチロン、脚本により原作とは必ずしも一致したものではないだろう。しかし、歌とダンスで舞台を跳ね回っている躍動感は、若さの素晴らしさも堪能させていただいた。

王様を演じた郡司行雄は130本以上の作品をプロデュースしているベテランで、飯塚恵子、原田真帆、京香、井上果歩と云った女優陣が可憐な、或いは妖艶な、更には情熱的なヒロインや夢の中の妖精を演じている。

ところで、この町屋は余り縁のない場所なのだが、よく出かけている北区の王子とは都電荒川線で結ばれているし、あさ爺の住んでる町からは小田急とメトロ千代田線で簡単に行くことができた。このルートだと、JR利用よりも半額近い運賃。

時間を別にすれば、私鉄をフルに活用することにより、かなり遠くまで「近鉄(ちかてつ)の旅」を楽しめそうだ。暇はあるが、お金はない鉄道ファンのあさ爺にはぴったりの乗り鉄だ。

あさ爺の徒然日記(623) 8月9日(水) エドワード・モース展

EFGの研修で、日本大学生物資源科学部の博物館(小田急六会日大前駅下車)に出かけた。ここでエドワード・モース来日140年を記念した「モースと相模湾の生き物」展が開かれている。

江の島を活動の舞台にしているガイドクラブとしては、モースは馴染みの人であり、ガイドとしても更に深く知っておきたいところでもあるわけだ。1877年(明治10)にモースは東洋初の臨界実験所を江の島に設けた。西南戦争の年であり、まだ維新後10年しか経っていない時期だった。

江の島にはモースに関する案内板や記念碑も設置されているが、一般には余り知られていない。彼の場合は何と言っても大森貝塚の発見者として名前が知られている。しかし、最近は中高の教科書から記述が消えつつあるそうだ。何故だかはわからない。お雇い外国人や来日した欧米の学者によって、日本の近代化が始まったことを快く思ってない人たちが多いのだろうか?

そう云えば、現在の崇高な理想を掲げた日本国憲法も、日本人の手による「自主憲法」に早く変えたいと騒いでいる昨今のニッポンである。

あさ爺の徒然日記(622) 8月8日(火) 64年前の甲子園

甲子園の高校野球が開幕した。夏の大会は今年が99回大会。ほぼ1世紀の歴史を刻んだことになる。途中、戦争による中断もあった。今回は珍しく台風の影響でスタートから出鼻をくじかれ、一日遅れの開会式に。

最近の選手宣誓は立派なもので、いつも感心する。それに引き換え、大会会長や文科相の祝辞などは退屈なものだ。大人も原稿は見ずに、選手や観客を見つめながら話が出来ないものか?特に文科相は大臣ではなく、副大臣が祝辞を代読した。欠席なら代理は必要ない。選手も炎天下、早く終わって欲しいと思ってる筈だ。

あさ爺の甲子園デビューは64年前の決勝戦の観戦だったと思う。小学5年生だったか。優勝したのは松山商業で、記憶に間違いがなければ決勝戦の相手は土佐高校。つまり四国勢同士で真紅の大優勝旗を争った。そのためにわざわざ四国から駆けつけたわけではなかったが、兄と従兄弟の3人で内野席に座った。優勝投手は空谷と云ったが、プロに進んだ後は姓が変わっていたように記憶している。

今年の開幕戦は彦根東が公立同士の戦いを制した。進学校で田原総一郎や細野豪志、鳥越俊太郎らの母校でもある。目が離せない大会になりそうだ。

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