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2015年1月27日 (火)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(229) 1月14日(水) 初ガイド

新年になって初めてのガイド。云わば初ガイドです。例年ですと初ガイドは鶴岡八幡宮への初詣のグループを案内するのが、ここ数年の習わし。今年も10日にリクエストがありましたが、所用で引き受けることが出来ませんでした。

今日は先月に下見をした鎌倉の十二所(じゅうにそ)の寺社めぐりです。そこから金沢街道や滑川(なめりがわ)に沿う形で、鎌倉駅まで約7kmの道のりを歩いていただきました。集合は鎌倉駅14時で、また駅前に戻ってくるのが16時半。結構、ハードなウォーキングです。

まず、バスで十二所神社へ。ここで初詣。お客さまは男性7人。お楽しみは新年会ですが、その前にカラダを清めていただくべく、神社仏閣を廻っていただきます。光触寺、五大堂明王院とここまでは去年の秋から、下見を含めて何度か訪れることとなりました。

浄明寺の静かな路地裏を歩きます。この辺りは室町時代には足利公方屋敷がありました。鎌倉公方と呼ばれ、関東を抑えていたのですが、内紛が絶えず上杉管領(かんれい)との度重なる戦い。そして、京都の足利本家にあたる室町将軍との対立。いずれも内輪もめみたいなもので、結局自滅して最後は鎌倉から追われて、古河に逃げます。

この鎌倉幕府や室町幕府が反面教師となったのか、徳川の江戸幕府は極力内輪の争いを避けます。家光の異母弟との後継争いや御三家、特に紀州と尾張の争いはありますが、しかし、幕藩体制を揺るがすような大きな事件にはなりません。やっぱり、タヌキおやじ呼ばわりをされていますが、家康はたいした大狸だったことになります。

ところで、鎌倉公方が滅亡した後は、鎌倉は寒村になってしまいました。今風に云えば、消滅自治体。わずかに鶴岡八幡宮が徳川幕府の庇護を受け、英勝寺などが水戸家の支援を受けたりして、鎌倉の空白の歴史を生き抜きます。建長寺や円覚寺も荒れ果て、大仏の胎内は盗賊のネグラになったとか。小さなお寺はスポンサーや後ろ盾を失って、明治の廃仏毀釈の前に既につぶれて痕跡すら残っていません。

その鎌倉が本格的に息を吹き返すのは明治になってから。江戸後期に物見遊山の地として、要するに観光地として、それもどちらかと云えば江の島弁財天や大山詣で、金沢八景へのルートの中に途中下車みたいな形で登場します。幕末には横浜に居留していた外国人も大勢訪れます。

そして明治22年の鉄道開通で別荘地としての人気が高まり、多くの鎌倉文士も登場。今の鎌倉の原型が出来上がりました。そんな話を散りばめていたら、いつのまにか新年会の会場に到着です。ここ数日、風邪に苦しんでいたあさ爺はアルコールは遠慮、ソフトドリンクのお代わりでお腹がいっぱいになってしまいました。このグループは、こうした歴史散策を趣味とされるアカデミックなお客さまなのです。

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