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2017年1月

2017年1月31日 (火)

asajiroの湘南日記(143-1014) 1月22日(日) 漸く横綱へ

1月5日(木)、通院中の眼科で検査。10日(火)は正月明けから体調を崩していたカミさんが、本人も初めてのクリニックに出かける。かかりつけ医云々と云うことをよく云われるのだが、近所にこれだけたくさんの医院があっても、これはと云うお医者さんには出会えない。

この日に診てもらったのは、知人に教えていただいた所。親切な先生で、今のところ彼女の評価はよろしいようだ。口コミと云うのは正しいようで、狭い待合室がいつも混んでるらしい。13日(金)に再び、同院へ出かけたが、おかげさまで快方に向かっている。

14日(土)にはやはり体調不良のasajiroが彼女の勧めでそのクリニックの門をたたく。なるほど、温厚そうな医者で説明もわかりやすい。患者もイロイロなら、開業医もさまざまだ。

15日(日)は自治会役員会に出席。大相撲初場所は八日目。この日は娘が友人と国技館にいる筈。土俵は見ないで、テレビの中の観客席ばかり見ていたが、結局わからなかった。録画をチェックしてみよう。

17日(火)、所用で伊勢原まで車を走らせる。富士山や丹沢山塊が雪をかぶって美しい。18日(水)と20日(金)は今年の初仕事で、藤沢市内の現場へ出かける。早い年なら正月明けにも仕事が入るが、今年はあえて予定に入れなかった。体調を崩したので、結果的に入れなくて幸いだった。

21日(土)、稀勢の里が悲願の初優勝。幕下時代に既に期待の若手として名が知られ、asajiroも国技館で「ハギワラ~!」と声援を送った。しかし、もうずいぶんと昔のような気がする。一気に横綱まで駆け上がると信じていた。元々ホープだったから、大器晩成とは言えない。まずは、良かったとしか云えない。

22日(日)、稀勢の里のことだが、せっかく優勝を決めても千秋楽に白鵬に負けたのでは横綱は無理だろうと思っていたら、もう早々とその結果いかんにかかわらず、昇進の段取りが進められた。さすがにやり過ぎではと思ったが、その白鵬に逆転のすくい投げが決まり、ほぼ横綱が確定した。他の二人の横綱が途中休場し、楽日近くに平幕との対戦が組まれる等、盤石の横綱とは言い難いが白鵬に勝ったのがやはり大きい。明朝の仕事がなければ、祝杯をあげたいところだったが・・・。

2017年1月30日 (月)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(289-1013) 1月19日(木) 鎌倉4福神巡り

午後から鎌倉七福神の一部、即ちその内の4つの神様を案内して廻りました。鎌倉駅に集合された6人のお客さま。気心の知れた何年来の男性グループです。今では便利になって、資料もあらかじめメール送信しておきます。

以前のようにガイドが必要部数を印刷して、当日持参することは少なくなりました。モチロン、メール環境におられない方や気づかずに来られた方の為に、多少の予備は持参しますがぐっと省力化しました。

あさ爺企画のガイドツアーは、現在ほとんどそのスタイルで実施しております。リピーターの皆さんの有り難いところです。一般参加の場合でも不可能ではない筈ですが、資料もお客さんに用意させるとなると参加費が徴収しづらくなるとでも思ってるのでしょうかね?

今日はまず恵比須様の本覚寺へ。初えびすや十日えびすの跡片付けはほぼ終わったようです。続いて小町大路を北上して寿老人の妙隆寺へ。地味でこじんまりしたお寺さんですが、やはり七福神効果で1月はお忙しいようです。本覚寺も妙隆寺も、開山和尚よりも2代目のお坊さんが偉かった。2代目、3代目に人材を得ると、お寺さんに限らず隆盛の礎を築くことができるようです。

更に道を進めて宝戒寺へ入りました。毘沙門天が祀られています。拝観受付に係員がおられずしばらく待たされました。そのまま入ることもできたわけですが、やはりバチ当たりなことはできません。最後は鶴岡八幡宮境内の源氏池に鎮座されておられる弁財天をお訪ねします。旗上弁財天社です。冬場は池に多くの鳥が群れています。いい光景ですね。

この後、小町通にあるお店で新年会。毎回、ガイドも同席します。残りの七福神はちと場所が離れています。午後からの参拝では無理なので、各自セルフ参拝していただくことになりました。

2017年1月21日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(183-1012) 1月16日(月) 鎌倉七福神

ひさしぶりに鎌倉ガイド協会の史跡巡りに参加。史跡巡りと云っても今回は新年定番の七福神なので、お馴染みの寺社めぐりと云ってよい。北鎌倉での受付は旧知のCさんがお待ちしてくれていた。ガイドはG氏。これまでにガイドして貰ったことはないが、彼の方があさちゃんを知っていてくれて、江ノ電の車内で話しかけてきた。

北鎌倉で定点ガイドをしていた時に他のガイドさんから紹介してくれて知ったと云う。もう忘れかけていたが、そう云えばあの時の方だったかと思い出す。昨年も1度しか参加する機会がなかったので、新しいガイドさんとはほとんど面識がない。

あさちゃんも身内のあさ爺が藤沢で同じようなことやっているが、彼の話によると常連のお客様を覚えるには、それなりの時間もかかるらしい。ガイドはそこまで余裕のないことが多いから。G氏はお客さんとしてより、別の記憶で覚えてくれていたのだろうか。嬉しいことだ。悪い気はしない。受付名簿にあさちゃんの名前は一番最初に記載(50音順)されていて、事前にCさんからも「要注意人物」として話があったようでもある。これは有り難くない話だが。

今度の七福神巡りは半日コースで参加しやすい。途中は江ノ電を利用する。最後は長谷寺だったので、展望台で持参の弁当をひらいた。弁当とは名ばかりで、焼き芋とバナナである。焼き芋と云っても外見は、トンビの好きな油揚げと色が似ているので、チラチラとお空を見上げながらの昼食。

久米正雄の胸像がいつのまにかなくなっているので、観音ミュージアムの学芸員をなさってる方にお聞きしたら、下の境内に設置する「予定」とのこと。明後日は「初観音」。年の始めは、どこもお忙しい。

元旦以降、体調を崩していたこともあって、運動不足の身には境内の石段が結構きつかった。新しい年を迎えて、また、一つ歳をとったせいかもしれない。これで年明けから3度目の七福神巡りとあいなった。

2017年1月14日 (土)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(288-1011) 1月13日(金) 藤沢七福神

今年は願掛けすることがいくつかあって、七福神巡りに積極的に出かけるつもりだ。カミさんが正月以来体調を崩している。その早い恢復を願うのもその一つ。

また、あさ爺自身、今年は待ちに待ってはいない後期高齢者突入の年でもある。阿弥陀来迎図のように賑やかにお迎えが来て下さるなら、そのサダメに従うもよし。しかし、長患いは望むところではない。本人もそうだが、家族にとっては厄介だ。口に出せないだけに、共に地獄に陥りかねない。

だから、あさ爺は「長生きできますように」なんては、口が裂けても祈らない。家族の平安は祈るが、その中に自分は入っていない。それやこれやでの七福神めぐりである。先日はasataroが葛飾柴又の七福神を代参してくれた。

そして1月11日には、地元藤沢の七福神巡りに参加して、諸々のことをねんごろにお願いして歩いた。いつもは主催者側のガイドとして、お客さまをご案内させていただいてる身であるが、この日は参加者の一人として江の島、片瀬、藤沢宿の各寺社を詣でた。

担当リーダーは同期のSさん。リーダー役は初めてらしいが、クラブ内の研修では何度かリーダーを務めている頑張り屋さんだ。馬を乗りこなせると云う特技をお持ちだ。この日も、ホントは馬で引率したかったに違いない。あさ爺のグループのガイドさんは、やはり同期のY氏。堂々たるガイドぶりで、あさ爺は逆に落ち込んだ。たまには、お客さんに混じって参加するのも、いい勉強になる。

翌12日はそのガイドクラブの月例会と新年会があった。あさ爺は仕事との両立が体力的にも時間的にもハードになってきたので、しばらくクラブの方はお休みしょうかと考えている。今は仕事を優先しなければ、老後?の生活が心配だ。幸い、あさ爺の所属しているクラブには、休会が制度的に認められている。七福神の神さまたちにお伺いをたてたが、答えはマチマチだった。しかし、カミさんの方は霊験があったのか、祈りが通じたのか、徐々に快方に向かってくれている。

今日は13日の金曜日だったが、今宵の満月は煌々と照り輝いていた。

2017年1月10日 (火)

あさ吉の思い出日記(48-1010) 1月10日(火) 断捨離は難しい

年賀状には来年からの賀状を失礼しますとの断り書きが3通ほどあった。毎年のようにそれはあるのだが、急に増えてきた気がする。これは老いの準備もあるだろうし、出すこと自体が大変になってきたと云う証左であろう。また、中には今まで虚礼廃止主義を唱えて1通も出して来なかった人から、急に賀状が舞い込んで「一体、これは何?」と戸惑っている。ま、確かに年賀状の功罪はあるが、この歳になると生存(健在と云うべきだな)の確認にはなる。

ところで、断捨離がまことに難しい。本人以外に存在価値・利用価値のないものが実に多い。しかし、これが捨てられない。思い出の品もあれば、現に活用中のものもある。身内のあさ爺がため込んでいるガイド関係の資料とやら。これははた迷惑だ。第三者にはくその役にも立たない。でも最近、「遺族」のために少しづつ配慮し始めた。冊子のファイルに入っていたままでは、処分の際の分別が大変。そこで中身を抜き取って、A4の封筒に移している。イザとなれば封筒ごと、雑がみに出せばよい。どうせ千円札が挟まってる可能性は限りなくゼロに近い。

本の類もタイヘンだ。両親の遺品を整理していて呆れたことがあった。某航空会社の時刻表が大量に残されていたのである。残念ながら、今のところはナンの価値もなさそうだ。あさ吉の兄が勤めていた会社のタイムテーブルである。搭乗券も大量に出てきた。これはいずれもオヤジの遺品?だが、オフクロの方も負けてはいなかった。

スチュワーデスの人形が大小さまざま出てきた。郷土人形とか縁起物なら簡単には我々も捨てられなかったかもしれないが、いずれもあっさりと廃棄処分にしてしまった。両親にとっては出来のいい息子は、一族の誇りだったのだろう。パイロットならともかく地上職員、しかし、パイロットを世話する立場が長かった。その証拠に、結婚式の仲人は機長夫妻だった。

ま、そんな話ではなく断捨離のこと。時刻表のようにその月が終われば、一文の価値もない物であってさえ、別の意味での捨てられない理由もあったわけだ。あさ吉の「遺品」も遺された者から見れば、ゴミ屋敷のゴミとナンラ変わらない。着古した衣服、寝具類も処分に時間がかかるだろう。写真なんか、大量に処分してしまって、困り果てていた同級生を知っている。事務局から、昔の写真を提供するよう呼びかけられて・・・。

しかしながら、それでも時間を見つけて身辺整理はしてゆかねば、ガラクタに埋もれて肝心の通帳や保険の証書がわからなかったりでは、それこそ遺族から、爺ちゃん、どこにあんのよ~?と云われる。預金残高が限りなくゼロに近くてもだ。

「断捨離は冥途の旅の一里塚」(あさ吉)

2017年1月 9日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(182-1009) 1月9日(月) 初放送

新年最初のFM放送日。暦流に云えば初放送?か。1月は初観音、初天神、初大師、初不動に、夢を見れば初夢、荷物を運べば初荷、商売すれば初売り・・・。年の暮れから正月にかけてを、鎌倉ゆかりの俳人高浜虚子は「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」と詠んだ。同じような風景が続いていても、新年ともなれば「初」との枕詞がつく。その流儀で更に云えば、あさちゃんの今日は「初鎌倉」でもある。

パーソナリティのAさんが番組を降りられてからは、Yさんとの2人でのお喋りとなった。その分、口を開く時間、回数が増えて、これは決して楽ではない。また、以前のように毎日、鎌倉で定点ガイドや道案内、諸々のガイドをやってた頃であれば、話す材料にも事欠かないのだが・・・。

観光客の方は、ホントに全国各地から、世界各地からやって来られる。その一期一会の出会いがすべて面白いエピソードであり、物語にもなった。今は、そのようなスタイルからは身を引いて、月に何度かのガイドで余生を過ごしているものだから、そんなに面白い話が転がっているわけでもなく、スタジオに向かう道すがら、さて今日は何を中心にお話させていただこうかなと、結構アバウトな放送準備なのです。

だから生放送中もアドリブばかり。公共の電波にふさわしくない言葉を使わないよう、それなりの気遣いはしてますけどね。あさちゃんは小さい時から、あがり症で対人・赤面恐怖症。人前に立つとガタガタ震えるのが特技だった。それが嫌さに、人前に立たなければならない偉い人には決してならないことを肝に銘じて、気が付けばもう後期高齢者まで1年を切ってしまった。

要するに、完璧を期して準備すると、却って緊張してろくなことはない。だから、敢えていい加減な、不謹慎な態度で臨んでる次第。このアバウト放送も今年で足かけ6年目を迎えるようだ。ありがたいことではあります。ハイ

2017年1月 8日 (日)

あさ彦の爺(じじ)放談(60-1008) 1月8日(日) おんな城主百合子

小池百合子都知事の政治塾がいよいよ始動するそうだ。カミさんは、もうそろそろダメになるんじゃない?と冷ややかな見方をしているが・・・。確かに大阪城のアルジだった橋本某氏の消息はよくわからないし、かつての熊本城の殿様から日本国の将軍にもなった細川某氏が立ち上げた新党もどこかへ消えた。

その前には小田原城の城主でもあった河野某氏は、新党のブームが去るや諦めて古巣へ戻り、首相にはなれなかったが総裁を務め、衆議院議長まで上り詰めた。退役将軍は、それなりに功成り名を遂げた。橋本某氏も今は行方不明だが、浪速での成功を糧に東下りをする気だろう。

小池氏は現役である。過去の他人さまの成功例を見ていると、それ以上にしたたかな彼女が簡単に負けるとは思えない。敵と戦うことに喜びすら感じている様子。内田ドンから五輪ドンの森乱丸?へ、近い将来はシンゾー氏へ矛先を向けるに違いない。

メディアも面白がっている風だ。テレビを熟知している彼女は、情報公開を大義名分に常にカメラ目線である。都議選が終わるまでは、お酒も飲まないわよと、これも次に飲むときは祝杯と決めているようだ。

今日は、今年初めての冷たい雨となった。皆さん、正月疲れが出てるでしょう?お休みしなさいな・・・と。確かに、この三連休でまた海外へ、と云う元気な方は少ないだろう。

初場所も始まるし、大河ドラマ「おんな城主直虎」も始まる。稀勢さんは綱を締めるのが怖いようだし、堺雅人の出ない大河に余り興味はない。直虎さんと云う人も知らなかったし・・・。まして、イヤ実は男だったとかナントか巷が騒がしい。

後世、「東京城のおんな城主百合子」は、実はオトコであったなんて話が伝わるかもしれない。トーキョーもオリンピックも、当時、憲法改変を目指していた強力内閣もめちゃくちゃに潰してしまった豪傑として・・・。500年後ともなれば、決して考えられないことではない。

asataroおでかけ日記(160-1007) 1月6日(金) 柴又七福神

「藤澤地名の会」恒例の新春企画「葛飾柴又七福神めぐり」に参加。以前は同様の企画で谷中を巡ったこともある。考えてみれば寅さんの町にも久しく出かけていなかった。

京成高砂駅下車で寿老人の観蔵寺を訪ね、北総線新柴又からはひたすら歩く。恵比寿天の医王寺、大黒天の宝生院、福禄寿の万福寺を廻り、新年の平安を祈る。もう紅梅も咲いている。

谷中を廻った時にはカミさんと一緒だったが、元旦早々から風邪(と思われる)でダウンしたため今回は一人で参加。案内役は80歳を超えてからも益々衰えを見せずお元気なN氏。全部で32名が参加した。

案内氏から「お詣りする際は必ず住所氏名を名乗ること。そうしないと先方さんには伝わらない」とのご注意。ただ、七福神巡りは混んでるし、asataroの住所は長ったらしいので、後ろに並んでる方に迷惑がかかる。そこで「マイナンバーカード」をお見せすることで勘弁していただいた。それもポッケに入れたまま。手に握ってると、お賽銭と一緒に賽銭箱へ入れてしまいそう。

お昼は帝釈天参道の「やぶ忠」で温かいお蕎麦。当然のことながら草だんごなどもお土産に。午後は毘沙門天の題経寺、いわゆる柴又帝釈天です。寅さんはここの産湯にお世話になったらしい(自己紹介でいつもおっしゃってる)。弁財天の真勝寺、布袋尊の良観寺で無事結願。

それにしてもお正月とは云え、三が日も過ぎた平日なのにこの混みよう。寅さん映画の世界はあくまで架空で虚構の物語。しかし、実在した人物に思えてのこの人混みである。考えてみれば面白い。駅前に車寅次郎氏の銅像もあるから、歴史上の偉人となんら変わらない。いや、それ以上の国民的人気だ。国民栄誉賞を受賞しているんだもんね。

そして草だんご屋さんはモチロン、ウナギ屋さんも含めて今年も一年大繁盛すること間違いなしでしょうな。

asajiroの湘南日記(142-1006) 1月4日(水) 箱根駅伝

今年のお正月は、終始穏やかな天気だった。初日の出も、満足なさった方が多いことだろう。新年早々に体調を崩したので、恒例の箱根駅伝沿道応援は見合わせた。今年も青学が強かった。年末の高校駅伝もそうだが、これだけ番狂わせがないところを見ると、いかに強豪選手を集められるかと云う資金力の闘いなんだろう。それにプラス指導者の力量か?

今日4日は、昨秋に手術をしてリハビリ中のM氏を訪ねて、茅ヶ崎へ出向いた。一日五千歩を目標に歩いている彼に協力しながら、茅ヶ崎中央公園、御用始めの市役所新館、電源開発、第六天神社など駅周辺を彼の案内で散策。駅伝選手が走り抜けたのは海沿いの国道134号線。今日歩いたのは国道1号線、いわゆる一国と呼ばれる道をはさむ市街地。

こちらの風邪をうつさないよう気をつかってマスクしたままだったが、マスクなしのM氏の方がはるかに元気だった。まずは彼の為にも一安心した茅ヶ崎散策となった。

2017年1月 3日 (火)

あさ坊のぶらりハマ歩き(87-1005) 1月1日(日) 横浜薬科大学の展望ラウンジ

横浜薬科大学のキャンパスは戸塚区にあるが、隣接するドリームハイツの向こうはもう泉区になる。また、境川をはさんで対岸は藤沢市である。それらを一望できる高さ68mの図書館棟最上階にある「展望ラウンジ」が、正月三が日の間だけ一般開放された。

先日の下見の際は正門前で引き返したわけだが、めったにない機会でもあり午後に訪れた。車だと自宅から30分足らずで到着できるが、上がるのはモチロン初めて。実はあさ坊の自宅の窓からも遠望できる、とてもよく目立つ地域のランドマークである。

快晴の青空に雄大な富士山が、丹沢や伊豆半島、箱根連山を従えて聳え立つ。相模湾は陽に映えてキラキラと輝き、江の島やはるかに伊豆大島も見渡せる。みなとみらいのランドマークタワーや都心の高層ビル群もくっきりと眺められる。

この大学は横浜ドリームランドの跡地に建てられ、このタワーもかつての「ホテルエンパイヤ」を改装したもの。今年は元旦早々に雄大な景色に触れることができて、何かいいことがありそうな年になりそうだ。

近くにある春日神社に参拝し、奈良からやってきた神鹿の子孫の皆さまが群れ遊ぶ鹿苑にも挨拶させていただきました。

あさちゃんの鎌倉日記(181-1004) 12月31日(土) おおつごもり

12月27日、この日は強い南風が吹きつける荒れ模様の天気だった。鎌倉由比ヶ浜の現場で仕事。雨風との壮絶な闘いでもあった。

30日にも同じ現場で仕事。年の瀬もいよいよ押し詰まってきたが、鎌倉はもう既に混雑が始まっている。長谷駅はホームに人があふれている。この日は天気が穏やかだったことや年末年始の休暇がとれた人たちが、早めに参拝しているのだろう。江ノ島駅でも多くの乗降客が見られた。

そして今日は大みそか。最近では「おおつごもり」とはあまり言わなくなった。一年が経つのはまことに早い。今年も様々なことがあった。感慨は人それぞれだろうが、ま、家族が大病しなかったことでも良しとしなければならない。昨年暮れに、あさちゃんは生まれて初めての手術をして1週間近く入院した。今年もその再発にビクビクしながらも、ナントカ生きている。

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