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2017年5月

2017年5月31日 (水)

あさちゃんの鎌倉日記(488) 5月17日(水) 大人の遠足

5月16日(火)、逗子市小坪の仕事場に通う。この日は曇り空で富士は見えなかった。

5月17日(水)、やはり、雲の多い空模様で、いつ降りだしてもおかしくないような黒い雲が朝比奈の上空にかかっていた。今日は「大人の遠足」と銘打ったご婦人方のグループをご案内する。春と秋の年2回で、今回で10回目となった。

先日、F旅行社で廻った金沢街道のコースに多少の色付けをして、ガイドさせていただいた。食事場所も同じ「カフェレストランGEN」で、予想通り、女性には好評だった。11名だが、それでほぼ満席に近い状態になる、こじんまりとしたイタリアンのお店だ。

午前中は大佛次郎旧宅跡、若宮大路幕府跡、文覚上人屋敷跡、報国寺、旧華頂宮邸を廻る。華頂さんちではお庭のバラがきれいで、テラスをお借りしての記念写真もサマになった。午後は浄妙寺と石窯ガーデンテラスのベーカリーにもご案内。杉本寺、大倉幕府跡、頼朝の墓、鶴岡八幡宮と廻る。

茶話会は小町通りの中ほどにある「くるみ」で。お昼のデザートがケーキだったこともあり、午後のおやつはあんみつ系を皆さんオーダーされた。

今日は朝のニュースで眞子さまのご婚約が流れて、全国に明るい話題が拡散。しかも、お相手の青年は江の島の「海の王子」を経験されたとかで、地元藤沢も大騒ぎだ。旧宮家出身の男性ではなかったので、さぞや保守派の論客は落胆されておられるだろう。詳しいお話は、週刊誌が競って教えてくれる筈だ。

あさ爺の徒然日記(565) 5月15日(月) 天童よしみショー

5月14日(日)、この日は団地の管理組合総会に出席。話題の中心は第2回目となる大規模修繕工事について。誰だって余計なお金は払いたくはないが、一方で着実に建物の劣化は進行している。調査だけでもかなりの費用はかかるし、本体の工事費は不足が懸念されている。

管理組合の理事には誰もなりたくはないので、抽選に外れるとあさ爺も含めてホッとしているのが現状。それでも、理事の皆さんは苦労しつつも、現状を訴え積立金の改定をなんとか実現せねばと頑張っておられる。

5月15日(月)、今日は秦野市文化会館での天童よしみショーにカミさんと出かけた。カミさんは初めてらしいが、あさ爺は2度目の再会。モチロン、こちらが思っているだけで、彼女はあずかり知らないわけだが、歌唱力も度胸も抜群の彼女の歌は、安心して聴くことができる。

中にはプロの歌手でも危なっかしい人もいて、お客がハラハラ心配することもあるが、天童よしみや例えば中村美津子、島津亜矢などは見ていても、歌うのが楽しくてたまらないと云った表情が読み取れて、聴衆の方も自然にのってくる。

前から3列目の中央に着席していたので、あの大きなつぶらな瞳でいつもあさ爺たちの方を見てくれているような錯覚があった。隣のカミさんもクラシック鑑賞の時とは打って変わって、手拍子やらで乗りまくっている。今、売り出し中の新曲は「夕月おけさ」だそうだ。今年の紅白はこの歌で決まりなんだろう。

帰り道、秦野名物の落花生菓子を仕入れる。

2017年5月21日 (日)

あさちゃんの鎌倉日記(487) 5月13日(土) 雨の中のガイド

明け方から降り始めた雨が、明るくなると共に強さを増してきた。こんな日は予約の仕事さえなければ、家に引きこもっていた筈だ。あさちゃん自身の企画募集であれば、雷雨の予報が出た時点で延期なり中止を考える、そんな降りようの雨だった。

F社の募集旅行なので、台風でもなければ中止はあり得なかったが・・・。結論を云えば、無理してやって結果的には良かった。お客様の反応が予想以上に良かったからである。今回も女性が多く、ご夫婦も2組おられた。13名と云う人数もちょうど良かったのかもしれない。

午前中は東慶寺と浄智寺をご案内し、建長寺門前にある老舗の「鉢の木カフェ」でお昼をいただく。雨が更に激しくなったこともあり、様子見をしながらたっぷり時間を過ごす。雨の日のガイドの決まり文句、「静かな鎌倉を味わえますよ」の言葉通り、いつもは混雑するこのお店も閑散としている。おかげで、ガイドがここでいろんな鎌倉のお話をしても、お店や他のお客様に迷惑をかけると云うことがなかった。

同じように午後の建長寺でも方丈の縁側から、雨に煙る禅宗庭園をじっくりと眺めることが出来たし、土曜法話の終わった山門の下を借りて、建長寺の歴史をお話しすることもできた。唯一、公開されている塔頭寺院の回春院でもご朱印を集めておられるお客様のご期待にお応えすることもできた。想定外だったのは音楽イベントの為に、法堂(はっとう)に入れなかったのが残念ではあった。

解散後の段葛を歩いていて、前後を振り返ったらあさちゃんひとりだけだった。シーズンの5月第2土曜日の午後3時過ぎのこと。災い転じて福となすことができた雨の鎌倉でのガイドでした。

あさ爺の徒然日記(564) 5月12日(金) 三毛子(ひとり芝居)

三越劇場で今日が千秋楽の、源川瑠々子(みながわるるこ)によるひとり文芸ミュージカルを、カミさんと観に出かける。この劇場は過去に2度ばかり入った記憶があるが若い頃の話で、最近は縁がなかった。三越本店に入ったのも久しぶりだ。時間があれば、今、話題のギンザシックスにも行きたいところであったが・・・。

歌もあるからミュージカルには違いないが、要するにひとり芝居だ。あまり馴染みのない分野なので、どのように演じられるのか興味もあった。漱石生誕150周年記念公演で、「吾輩は猫である」をモチーフにしたオリジナル作品だ。主人公は三毛子と云う名前の三毛猫(だろうと思う)。三毛どころか、華やかな着物をまとったきれいな猫ちゃんだ。飼い主の二弦琴のお師匠さんと、下女つまりお手伝いさんの三役をこなしている。

漱石は「坊ちゃん」やこの吾輩の時代には軽妙洒脱なユーモア作品が中心だった。明治前半の時代風景を皮肉を交えて書き上げた。しかし、後半生の作品は一見暗く重い印象になる。同じ作家とは思えないが、どちらも夏目漱石だ。あさ爺が暮らした松山では、坊ちゃんはいまだに英雄だ。田舎町とこき下ろされても、松山人はニコニコとして受け入れている。

今日のお芝居、ベテランの女優さんによる円熟した演技が光った。思わず、漱石に思いを寄せた一日でもあった。

2017年5月18日 (木)

あさちゃんの鎌倉日記(486) 5月11日(木) 北鎌倉下見

5月2日(火)、5日(金)、8日(月)、10日(水)と数日おきに逗子市小坪の仕事場に通う。

5日は境内特別公開最終日の壽福寺を再び訪問。この日は少し多かったが、それでも20人程度。特にPRしているわけではないから、知らない人も多いのだろう。亀ヶ谷切通しを歩いて山ノ内側へ抜けたが、この長い坂道が息切れするようになった。老いをひしひしと感じる。

連休中だが、「鎌倉サクラ」は混んではいなかった。壽福寺に向かう途中で小町通りを少し歩いたが、ラッシュアワー並の大混雑と長蛇の行列を見た後なので、改めて北鎌倉の静けさを有り難いと思う。レストランなどには辛いことだが・・・。

そのキタカマを今日11日に再び歩いた。明後日のガイドの下見。当日は東慶寺と浄智寺、建長寺、八幡宮と案内する予定だが、午前中のポイントとなる東慶寺&浄智寺に絞り込んで下見をする。花の寺として名高い縁切り寺の今は、十二単衣(じゅうにひとえ)がたくさん見られた。花しょうぶも咲き始めている。

墓地を改めてじっくりと廻る。探墓はあさちゃんの隠れた趣味だ。自分の墓もないくせに呑気なものだ。前田青邨の筆塚がご夫妻のお墓とは別の場所にあることを今まで知らなかった。それも相当に立派な層塔。ただ、至る所でトカゲに出逢った。爬虫類が苦手だと辛いだろう。

国鉄鶴見事故で不慮の死を遂げた哲学者で、鎌倉アカデミアの学長でもあった三枝博音の場所も初めて確認。そう云えば今日は、昭和30年に起きた国鉄宇高連絡船紫雲丸の沈没事故で、160名余の人命が失われた命日でもある。中一だった時の強烈な記憶、郷里で起きた大事件だった。

歩き慣れた場所でも下見は欠かせない。今回も、浄智寺駐車場に完成した立派な公衆トイレ、これはガイドの立場では文句なく有り難い。午後、藤沢駅前でEFGの9期生歓迎会に顔を出す。休会中だが、新人と会う機会が少ないので。

2017年5月 9日 (火)

あさ爺の徒然日記(563) 5月9日(火) 子どもが被害者の事件

今朝のラジオで、子供が巻き込まれる犯罪に関する統計が報じられていた。抵抗するすべのない幼い子を、手にかける犯罪者の心理はどのようなものだろうか?まことに想像しがたい。

ベトナムの少女を誘拐し殺害した事件、保護者会会長が犯人だった。しかも、見守り活動で被害者の女の子と顔見知りだった可能性が高い。どのような言葉で誘拐に及んだか、これは防ぎようのない事件だ。見知らぬ人から声をかけられたら・・・、この注意が通じないのであるから。

もう少し大きくなった中学生の場合でも、千葉大生の男に誘拐され、2年間行方不明だった少女がいた。あの場合、弁護士を名乗る男に親が交通事故?だったかで、車に乗せられたとか聞いた。心の準備のない精神状態で、突然に聞かされたら気が動転するのは当たり前と思う。これも防ぎようのない事件と思うが、少女がパソコンで自身の事件が報じられていることを知って、逃走に成功し犯人は逮捕された。

あさ爺の県内でも、数年前に小学生が誘拐され、数日後に解放された事件があった。これは小学生が監禁されている間に聞こえた市内の放送チャイムのメロディが決め手となって犯人が捕まった。こうして生還できた事件もあれば、悲惨な結果になった痛ましい事件も多い。

もう一度繰り返すが、子どもをおのれの欲望の対象にする心理、これがあさ爺にはホントに理解できない。児童ポルノの摘発件数が過去最高と聞き、これは刑罰が軽いのが原因ではないのかと考えてしまう。とにかく、みんなで守ることしかできない現代のニッポンである。

2017年5月 8日 (月)

あさ爺の徒然日記(562) 5月8日(月) フランス大統領選

今朝4時半にテレビのニュースを見る。果たして、フランスの大統領選でマクロン氏が勝利をおさめた。フランスの大統領選挙に、これほどの注目が集まったのは記憶にない。マクロン候補と比較するのは失礼だが、かつてドゴールが勝利をおさめた熱気を思い出した。

しかし、今回はEU絡みでの注目。トランプはイヤだが、クリントンも嫌いと云った、アメリカ国民の意識が今回も重なって見えた。マクロンとルペンのどちらがマシか?と云った選択選挙。それにしても、EUの理念は崩壊しつつあるのではないか?

時代が変われば、国際情勢は大きく変貌する。あのソ連が崩壊するとは思わなかったし、かつて植民地で埋め尽くされていたアフリカが、独立後にこれほど大混乱することも予測できなかった。今の時代、先行きを見通すことがホントに難しい気がする。後世、歴史を振り返ってみてはじめて、流れが説明できるカオスの時代に入ったようだ。

敵味方が入り組んだシリア情勢も読めない。日本の中世の応仁の乱みたいだ。中国も北朝鮮もよくワカラナイ国だ。共通しているのは、共に共産主義(社会主義?)国で核保有国。モチロン、一党独裁国家だが、特に中国は訳が分からない。毛沢東以降の権力争いがまだ続いているように見える。中国が義勇軍を組織して、マッカーサー国連軍と戦った朝鮮戦争はまだ終結してない。あくまでも休戦状態。

アメリカにトランプが現れ、韓国の大統領は不在。今の時期に北が本当に戦争を起こすかもしれないと思う。北にすれば核の放棄は絶対に譲れない筈だ。日本も追い詰められて、「やむなく?」真珠湾を攻撃した。今の北朝鮮・金王朝を、当時の日本の軍部(特に陸軍参謀本部)と同一視するのは間違っているだろうか?

あさ爺の徒然日記(561) 5月7日(日) 戦災孤児を思う

過日のNHKテレビの特集番組で、戦災孤児のその後が取り上げられていた。当時の記録映像をはさみながらではあるが、明日ならぬ昨日の我が身もそうなっていたかもしれぬ身である。あの頃、戦災孤児なんて言い方はあまりされず、すべて「浮浪児」と呼ばれていた筈だ。

子どもには何の罪もないのに、両親を戦争で失った幼子や少年少女がどうやって生きてゆけばいいのか。その子どもたちをまるで汚いものでも見るような目つきで、追い払ったり目をそむけてきた日本人である。映像を見ているだけでも、胸が締め付けられる。

自国民の子供たちにすら、救いの手を差し伸べようとしなかったほとんどの日本人。アフリカの難民の子どもたちを助ける気持ちは、あまりないのではないか?あさ爺自身もそうだ。ユニセフ募金にどれだけ協力したのか?日本の戦災孤児は推定で12万人いたそうだ。そして、そのほとんどの人が多くを語りたがらないと云う。

余りに悲惨だった境遇を後世の為にも語れと云っても、それは無理な話だろう。その万分の一例かもしれないが、野坂昭如の「蛍の墓」は貴重な作品だ。自伝小説だが、主人公は浮浪児のまま栄養失調で亡くなる。幼い妹を守ることが出来なかった責任で、自らを責めるが誰が咎めることができようか?映画化もされた。

同じように、引揚者の苦難を描いた藤原ていの「流れる星は生きている」も涙なしには読めなかった。こちらは幼い3人の子供を連れて、内地に引き揚げることができた物語。満州からの悲惨な逃避行だ。今の時代こそ、こうした体験を顧みることをしなければならない時ではないだろうか?憲法改正は時代の流れで、止むを得ないかもしれない。しかし、9条は断じて変えてならない。

2017年5月 6日 (土)

あさ爺の徒然日記(560) 5月6日(土) 神社とお寺

最年少の孫Gくんにまつわる笑い話。椅子に上がって机の上を覗き込みながら、「キンタ○はどこ?、キンタ○はどこ?」と何かを捜している風。爺は「え?、キンタ○?」と驚き、婆は「Gくんにくっついてるでしょ?」ときわどい返事を返す。しかし、Gは納得せず、何度も同じ質問を繰り返す。

ここでハタと爺は気づいた。「わかった! けん玉だ!」。その場所にけん玉が2個あるのをちゃんと記憶していたのである。それが証拠に、1個だけ与えると、「もう、ひとちゅ~」とねだってきた。Gに限らず、他の孫どももおもちゃのありかを実によく記憶している。たまにしか来ていないジジババの家なのだが。

話は変わるが、日本人の成人で神社とお寺の区別がつかない人間はいるのだろうか?鎌倉のお寺で、修学旅行や遠足の子どもたちが、本堂に向かってパチパチと手をたたいる風景は見慣れている。先生は教えないのか?今、グループ行動なので、先生は同行していないからか?それとも、宗教に関する作法は教えにくいのか?ま、いずれにしてもそれは子どもの話。

しかし、大人でもわからない人は意外に多いかもしれない。若い男女の参拝を見れば、結構いい加減なものだ。そしてあさ爺の身近にもいるのだ。以前から、同じ質問をよく受けるので、簡単にわかる方法として、鳥居があるのが神社、ないのがお寺と、教えている。

同じようにパチパチと手を叩きながら、二礼二拍手一礼するのが神社と・・・。お寺は手を合わせて静かに合掌する。これは息子と娘の家族がお墓に関する話で、「盛り上がった」時に、娘がお寺(正確には商売気丸出しの坊主?)に偏見を持ち、神社に好意を抱いている感じがして、その話題を老夫婦で交わしてから、話がその区別に発展した。さて、他の人たちはどうなんでしょう?

2017年5月 5日 (金)

あさ爺の徒然日記(559) 5月5日(金) 一族の話題は「お墓」

昨日の一族が揃ったお話の続き。大人たちの会話は、老い始めた両親つまりあさ爺夫婦の話題。介護は飛び越えて、お墓をどうするか?と云う、タブーもそっちのけのあけっぴろげで遠慮のない話が飛び交う。さすがに婿さんと嫁さんは進んで議論には入り辛いのか、上目遣いで様子伺い。

こんな話が「議題」に上るのも、あさ爺の怠慢でまだお墓を建てていないことにある。息子や娘にすれば、お墓位は自分たちで決めておいてくれと云うのがホンネなんだろう。余計なお金を出したくないと云うことか。あさ爺は次男坊なので、親の墓には入れない。しかし、その両親は郷里四国の風光明媚な公園墓地で眠っている。

あさ爺の本音は、そこの墓地の一角でも悪くはないなと。郷里に縁者が生存中は、未亡人となったカミさんも、彼女の親戚と一緒に墓参りも可能だ。しかし、首都圏に住む子供たちは誰も来ないのだろう。それにふるさとは遠きにありて思うものと、郷里をはるか昔に去った人間が、お墓だけを建てるのもいかがなものか?

と云うわけで、今住んでる町の公営墓地を希望しているが、これは遺骨を保持していることと、年1回程度の公募による抽選が条件。あさ爺は更にロッカー式の納骨堂よりも、芝生墓地に憧れている。つまり、死後はマンションではなく平屋でも戸建ちがいいと思っている。しかしながら、そもそもカミさんは海への散骨を希望してる。ロッカーはともかく海は苦手だ。残された遺族がお詣りのしようがないではないか。

昨日は結論がでないまま、つまり議論はハカバカしいものではなかった。これを機会にマジメに考えてみよう。ボチボチと・・・。

あさ爺の徒然日記(558) 5月4日(木) 孫、全員集合!

昨日の午後に到着した都内在住の娘夫婦は、子ども2人を親に預けてテラスモールへ出かけた。育児に追われて夫婦でお酒を飲みに出かけることもままならず、実家へ帰った時は羽根を伸ばす貴重なチャンスなんだろう。孫2人も心得たもので、祖父母にべったり甘えて過ごす。まだ2人とも、保育園児だ。

一夜明けて3連休の中日の今日は、横浜に住む息子一家が到着。しかし、その前に朝、食べたパンにアレルギー性物質が含まれていたらしく、5歳半の兄のHくんが急に具合が悪くなり、嘔吐を始めたりしてゲンナリしてしまった。爺はオロオロするばかりだし、婆やも食べさせた責任感もあって孫の背中をさすったりして懸命に看病?する。

彼が横になっている間に、気をきかして息子の家族のお姉ちゃんであるMちゃんと弟のMくんは両親に連れられて、近くの公園に出かけた。2人は小学生(3年と1年)だ。ここの滑り台が変わっていて面白いらしい。後からやってきた娘一家の弟Gくんもハマってしまった。まだ3歳未満なのだが・・・。

大人は尻込みしそうな急で短い滑り台、見ていても子どもと滑った父親が地面にしたたかにしりもちをついて顔をしかめていた。最初の内は少し遠慮がちだった子どもたちも漸く本来の遊び好きな少年少女になって、家に戻る。すっかり吐いてしまって、元気を取り戻したHくんも交えて、家の中はいつもの大騒ぎとなった。

あさ爺夫婦の一族10人が揃うのも、首都圏で暮らしながら、なかなか難しい。子どもたちも元気になったところで、婆や自慢の手料理でランチを楽しむこととあいなった。今日のメインはさまざまなオハギがテーブルいっぱいに並んだ。一日早い端午の節句を祝う。

2017年5月 4日 (木)

あさ爺の徒然日記(557) 5月3日(水) 自転車転倒

4月28日(金)、藤沢鵠沼の現場に入り仕事。住所は鵠沼だが、藤沢の都心に近い賑やかな街の一角にある。

午後、いつもなら車で出かけるスーパーだが、あさ爺が月末でやらねばならない仕事がたまっていて、カミさんが仕方なく自転車で出かけた。例の盗難事件の被害(車)である。その彼女から自転車が転倒し、「大怪我」をしたとの一報が入った。携帯を持たずに出かけ、途中の公衆電話を捜したらしい。気が動転したが、本人は両脚から血を流しながらも気丈にペダルをこいで帰ってきた。

買い物の荷物が重く、バランスを崩したらしい。骨に異常はないとの自己診断で、自宅で応急手当をしていたが老人の自転車は矢張り危ないと実感。自転車に関する限り、あさ爺よりも技術も経験も、彼女の方が数段上なのだ。あさ爺は荷物がなくてもフラツイテいる。ま、大怪我と云うより、全治1週間程度の負傷で済んだのは、不幸中の幸いだった。

4月30日(日)、好天が続き、鎌倉や江の島はさぞ混んでるだろうなと思う。畑で水汲みなどの周辺業務?

5月3日(水)、今日は東京裁判が開廷した日だそうだ。朝のラジオで知った。最近読んだ倉本聡の本の中にも書かれていて、マッタク同感と思ったのが被告たちのこと。戦勝国による報復裁判と批判は根強いが、それは別にして武士道精神に欠けたと思える被告たちの態度。

中でも東条英機は自殺にも失敗し、生き恥をさらした。軍人勅諭で兵士に死を強要しながら、この帝国の最高指導者はピストル自殺にも失敗した。阿南陸相が割腹し、軍人ではない公卿出身の近衛元首相が覚悟の服毒自殺を遂げたのに・・・。かのヒットラーさえもベルリン陥落前に自決している。あさ爺には子供の時から謎のままである。

午後、娘の家族が泊りがけで帰省してくれた。明日には息子の家族も来てくれる。じいさんばあさんの楽しくも忙しい2日間になりそうだ。

あさちゃんの鎌倉日記(485) 5月1日(月) 扇ガ谷をガイド

4月29日(土)、祝日のこの日から列島はゴールデンウイークに入った。ガイドのご依頼が多かった4月の、最後のガイドは鎌倉の扇ガ谷を廻るもので、人力車の青木氏の夫人が主宰する清仙会古都鎌倉散策シリーズ。春と秋の年2回企画する恒例のミステリーツアー。少人数とは云え、行き先を告げずにお客様に集まって貰うのは考えてみれば難しい。

しかし、リピーターの方が多く、毎回、楽しい企画でお客さまの満足度も大きいように感じる。ただ、当日はコース内容を公表し、詳しい資料もご用意する。そうでないと混雑する鎌倉で、迷子になったら次の行き先がわからないのではまずいことになる。

巽神社、壽福寺、浄光明寺、薬王寺、岩船地蔵堂と廻り、お昼は小町通りの「ランズ カマクラ」。午後は小町通りと若宮大路を横切って雪ノ下の路地裏を案内し、鶴岡八幡宮を経て、最後は「茶房有風亭」で午後のお茶を楽しんでいただく。全部で15名。

5月1日(月)、FMかまくらに出演。ゴールデンウイークの混雑を受けて、お寺の墓地散策に関するお話をさせていただいた。探墓ツアーは根強い人気があり、著名人が多く眠る鎌倉の墓地は特に訪問者が多い。しかし、青山や谷中の感覚で墓地に入り込むには、事前の確認が欠かせないことを申し上げる。鎌倉のお寺さんでは非公開墓地が多い為。

午後は幹事さんと下見で浄明寺の昼食場所へ。今度は5月17日のガイド。午後、雷雨のため八幡宮の休憩所で雨宿り。古都を揺さぶる雷鳴が鳴り響いた。

2017年5月 3日 (水)

あさちゃんの鎌倉日記(484) 4月27日(木) 扇ガ谷の下見

4月24日(月)、25日(火)、26日(水)と3日連続で逗子市小坪の仕事場に通う。逗子と云っても最寄り駅は鎌倉駅で、材木座の先はもう小坪になる。漁港に面していて、トンビの集団が空を舞う。

25日は仕事の帰り道、鎌倉扇ガ谷の下見をした。29日の連休初日にガイドを予定の、清仙会の下見。茶道師範でもあり、茶房有風亭の女将でもある青木清仙さんが主宰する企画。今回はお茶に縁の深い壽福寺を中心に、新緑の扇ガ谷の古刹を訪ね歩く趣向。

27日(木)、EFGの実習に参加、藤沢の村岡と鎌倉の植木・岡本にまたがる区域で、村岡一族や小田原北条氏ゆかりの寺社を廻った。講師は地元にお住いのTさん。慈眼寺はシャクナゲやタツナミソウが満開で、立派な花の寺と云える。二伝寺、久成寺、貞宗寺を久しぶりに訪ねることができた。

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