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2017年6月

2017年6月30日 (金)

あさ爺の徒然日記(585) 6月25日(日) 境川のアジサイ見物

藤沢市内を流れる境川の両岸を彩っているアジサイを見物する。EFGの実習や本番で、このコースを歩く機会がある筈だったが、体調を崩したおかげで参加できないままでいた。その企画は同期のY氏がリーダーを務め、あさ爺も知らない旧モーガン邸跡や復旧成った俣野別邸を紫陽花を愛でながら廻るコースで、その中にこの境川も含まれていた。

この付近は西富地区で大清水中学校や藤沢清流高校等が川沿いに連なっている文教地区でもある。小雨の降る中を歩いたが、川幅が広いせいか、同じ市内の小出川アジサイ散策路と比べて規模が大きいようにも見える。清流高校は統廃合で現校名になったが、珍しい名前をつけたものだと思っていた。しかし、現地を見て境川の「清流」に面していることが判って、妙に納得してしまった。

肝心のあじさいはややピークを過ぎた感はするものの、まだ十分に楽しむことができた。あさ爺夫婦共に初めて歩く道だったが、最近、すっかりお世話になっている藤沢市民病院のすぐそば。灯台下暗しだが、病院通いの身には、周辺を見渡す余裕はなかった。

今年のあじさい、鎌倉での機会はなかったが、地元藤沢で季節を感じることができた。やはり、雨がこの花には似合っていた。

2017年6月29日 (木)

あさ爺の徒然日記(584) 6月24日(土) 上中里駅周辺

孫の住んでる目の前に、大きなホームセンターが開業した。以前は工場があった場所だが、おかげで街の雰囲気がガラッと変わった。工業都市から商業都市への180度転換。夜は淋しかったので、明るくなったのは良かったが少々うるさくもなるのだろう。

以前から近くを走る明治通りの車の音は途切れることがないし、都電荒川線の電車の音は風情も感じられて悪くない。そして京浜東北線や高崎線、加えて東北、上越、北陸、山形、秋田各新幹線が色様々に走り抜ける。

今日は、王子から一駅の上中里駅で下車して周辺を孫たちと歩いた。お兄ちゃんのH君の太鼓の練習に合わせてのお散歩だ。弟のGちゃんは3歳になったばかりだが元気そのもので、ばあちゃんの手を引っ張って近くを歩き回っている。半病人のじいちゃんは、図書館の児童室の中で一人絵本を読んで時間つぶしをしている。

目の前の旧古河庭園は紫陽花がきれいだろうと思うが、あの傾斜のある庭園を歩く元気は今のところない。平塚神社や城官寺などの古い寺社もあって、下町と山手の境のような街だ。飛鳥山公園も近い。この子たちが小学生になったら、歩くスピードも早まるだろうから、爺はついてゆけるかどうか・・・。

2017年6月28日 (水)

あさ爺の徒然日記(583) 6月23日(金) 全国に感動広がる

歌舞伎俳優市川海老蔵さんの妻、小林麻央さんが2年間の闘病生活の末に亡くなられた。幼い子供2人遺しての旅立ちであった。それだけでとても悲しく、いたたまれない気持ちになるが、彼女は闘病生活をブログで発信することにより、多くの国民に感動と勇気を呼び起こしたと伝えられている。

あさ爺はそのブログを拝見したわけでもなく、生前、テレビに出ておられた当時の麻央さんをマッタク存じ上げていないのであるが・・・。海老蔵さんと婚約されたニュースで初めて知った次第だが、それもあの暴れん坊で親泣かせの歌舞伎役者によく嫁ぐ気になったものだと、そんな失礼な感想を抱いた次第。

しかしながら、ブログを通じてテレビで報道される闘病中のニュースには、感動もし、心配もした。掲載されているご自身の写真には笑顔があり、極端に痩せておられる風にも見えなかったので、こんなに早くこの日を迎えることになろうとは想像もできなかった。お堅いNHKもトップで扱ったことは、このニュースが国民に大きな関心と悲しみを、同時に言いようのない感動をもたらしたことによるものだろうと思う。心からご冥福をお祈りします。

2017年6月23日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(493) 6月22日(木) 運慶と鎌倉仏像

とうとう今年の鎌倉のアジサイを、直接見る機会がないままに過ごしている。家で静かに読書をして、鎌倉、それも本堂や仏殿の奥深くにおわしますホトケサマを思い浮かべている日々。

断捨離に逆行するので新しい本は買わずに、図書館で読みたい本があれば借りてくる。今、目を通しているのは「運慶と鎌倉仏像」(平凡社)で3年前に発行された本。写真中心の読みやすい本だ。副題に「霊験仏をめぐる旅」とある。鎌倉には様々な因縁話と云うか、エピソードに彩られた仏像が多い。ガイドとしては説明もしやすく、お客さまも興味を持って耳を傾けてくださる。

これだけのお寺があっても、本堂の中まで立ち入ることができるお寺さんは限られている。当然、ご本尊や中に安置されている仏像を間近に拝観できるとは限らない。寺院からいただけるパンフレットや、この類の書籍にどうしても頼ることが多い。その意味でもこの本は優れものだと思う。同時に、今までオモシロおかしく説明して、笑わせてきたことにも反省しきり。

本ではないが、テレビ番組で「五木寛之の百寺巡礼」も再放送されたりしている。巡礼番組には強く惹きつけられる。そんな毎日を過ごしています。

2017年6月22日 (木)

あさ爺の徒然日記(582) 6月21日(水) 嵐の一日

薬の効果と思うが、安定した状態が続いている。心臓系の疾患なので、胸に爆弾を抱えている感じだ。動悸が激しい状態になるのが、一番恐ろしい。今までなら、電車の時間が迫っていると改札口目指して小走りになるし、信号が変わりそうな時もダッシュする。そんな平気でやってたことを自粛しなければならない。

ウオーキングも少し早めに歩くのが基本とされているが、とても出来ない相談だし、今は自転車をこぐのが結構辛い。少しでも道が上り坂だと、心臓に負担がかかる。そんなわけで静かに暮らしているが、今日は嵐の一日となった。

雨がやんだ夕方になって散歩にでかけたが、至る所に街路樹や公園の樹木の小枝が落ちている。例によってゆっくり歩きながら、葉っぱをたくさんくっつけたまま落ちた小枝をよけている。孫たちは小学校から無事帰っただろうか?と、ジジババは心配になる。

将棋の中学生プロ棋士で14歳の藤井総太四段が28連勝となり、夕方の各社のニュースはトップの扱い。号外も出た。加計学園でうんざりした世間には、とてつもなくインパクトがある。10代のプロ棋士は2人しかいないそうで、次の対局はその10代同士(相手は19歳)。イヤ、調子に乗って余り騒ぐと心臓に悪いか・・・。

2017年6月21日 (水)

あさ爺の徒然日記(581) 6月20日(火) 総理迷走

国会が閉会し、総理が記者会見で珍しく謝罪した。しかし、口先だけの陳謝であることはいつもと同じ。現首相は憲法改正で、歴史に名を残すことに執念を燃やされておられる。しかし、名を残しても名声とは限らない。

戦後の長期政権を考えてみると、吉田茂はサンフランシスコ条約に調印して、西側の一員としての地位を確保した。佐藤栄作は沖縄返還を実現した。但し、非核三原則のノーベル平和賞は殆ど評価されていない。中曽根康弘は国鉄民営化を実現した。小泉純一郎は郵政民営化を実現したが、派遣法の改正は多くの国民を苦しめる結果となって今日に至る。

そして安倍晋三。アベノミクスは既に消え去り、仮に改憲が実現したとしても、後世に悪名を轟かせるだけの評価となりそうだ。それが本人にはわからない。祖父の岸信介も日米安保で混乱を招いた。評価は散々であるが、孫は祖父のおかげでニッポンの平和が保たれたと胸を張り、じいちゃんを尊敬している。

身内で尊敬するのは勝手だが、それにしても誠意の感じられない人だ。記者会見も、内閣支持率が逆転して目前の都議選に悪影響しそうだとの判断で、得意の口先だけの謝罪会見となった。モリかけ騒動も文科省も、総理のご意向もそんたくも、すべては安倍茶番劇と国民は思っているから、多くの人々は苦々しく思っていることだろう。それ以上に野党が寂しい。フランスが羨ましい。

2017年6月19日 (月)

あさ爺の徒然日記(580) 6月19日(月) 地元のアジサイを見物

カラダが重く感じる日と、そうでない日がある。重く感じる時には足の運びも覚束ない。だるい感じが抜けない。今日は調子が良かった。昨日、しこたま降った雨が夜半にはあがったことにもよるのかも。天候が左右しているとすれば、やや情けない。

その雨で、鮮やかさを取り戻したであろうアジサイを見物した。鎌倉や八景島ではなく、地元藤沢の小出川である。昨日、アジサイ祭のイベントをやっていた筈だが、テントはすべて片付けられていた。鎌倉などには及びもつかないが、あさ爺のような年寄り夫婦が何組か歩いている。

慶応大学のSFCにも足を伸ばした。午前の授業が終わって学生諸君がなだれこむ前に、我々は学食でランチする。このキャンパスは女子学生や留学生が多いので、雰囲気も明るくて洗練されているし、芝生広場が広がっているからアメリカの大学のような感じ(だと想像する)。

食事前後の約1時間ほど散歩をしたが、学内のスロープもさほどきつくは感じず、体調が安定していることが自分でもわかる。過信はヤバいが、不安がるのも良くない。救急車事件以来、外出はほとんどカミさん同伴。こう云うのを「ぬれ落ち葉」と云う。下駄にくっついて離れない、濡れた葉っぱのように何処までもついてくる。悪いことに、このヌレオチは半病人でもある。

あさ爺の徒然日記(579) 6月18日(日) 皇室報道について 

今日は「父の日」。デパートなどでは、今月に入ってから売り場を拡充したりしているが、果たして効果のほどはいかばかりか?あさ爺には娘からお祝いメールがあった。その後の体調も心配してくれている。

ところで、皇太子さまがデンマークを公式訪問中だ。即位が近づいたせいか、今まで余り報じられていなかった海外訪問のニュースが、最近になく目立って大きい。しかし、そこに雅子妃殿下の姿はない。これで、皇后になられてからも両陛下で海外にお出ましになられる可能性は薄くなったと思われるがどうだろうか?現皇后と比較されるのは酷だろう。

それはともかくとして、ニュースに皇室が取り上げられる頻度が少なすぎないか?つまらん芸能界のゴシップやスポーツニュースは大量に報道されるのにである。民放はともかく、NHKくらいは皇室の行っている「公的行事」くらいは可能な限り報道すべきだろう。退位表明をされたお言葉の中で、象徴としての活動にいかに心を砕いてこられたかを、多くの国民は初めて知ったのではないか?

皇族は、自らの人権を犠牲にしてまで、国民の為に尽くしておられる。メディアもきちんとそれに応えるべきではないだろうか?

2017年6月18日 (日)

あさちゃんの鎌倉日記(492) 6月17日(土) ピンチヒッター依頼

本来なら、F旅行の鎌倉散策のガイドを務める筈だった。しかし、10日前にカラダに変調をきたし救急搬送されたため、今日のガイドの予定をAさんにお願いした。そのAさんから夕方に、無事終了したとのご報告をいただいた。

長谷寺でのアジサイ眺望散策路が170分待ちだったそうで、結局大半のお客さまが断念されたとのこと。今日のような夏日の炎天下で待つのは苦痛だし、埼玉や群馬などからお見えの方々には、帰りの電車も気になることだから、止むを得なかったと思う。

急遽、ピンチヒッターをお願いしたこともあり、参加者からは「いつものガイドさんはいつ復帰するの?」とのお尋ねもあったそうで、心苦しい限りだ。今の状態だと年内の復帰は難しい気がする。年内どころか、もうガイド稼業そのものが無理だと覚悟している。仮にやっても、短い時間の軽い内容でしかダメでしょうと、自分に言い聞かせているところだ。

2017年6月17日 (土)

あさ爺の徒然日記(578) 6月16日(金) 野際陽子さん

女優の野際陽子さんが、3日前に亡くなられていたことが報じられた。テレビ画面でお目にかかる程度ではあったが、逗子時代に親族の方との接点があった。また、古代歴史研究家のTさんから、若い頃の野際さんの思い出を聞かされたことがあって、直接のかかわりあいはなかったものの、少々気になる女優さんであった。

Tさんは逗子から東京まで横須賀線で通勤されておられたが、若い頃、帰りはしばしばグリーン車に乗られたそうだ。それは役員をされていた上司のかばん持ちと云うか、ゴマすり的おつきあいか、とにかくその車両でしばしば野際さんと目が合ったそうだ。彼女の眼は、若造のくせに生意気にグリーン車に乗って・・・と、そんな目つきだったそうで、それがトラウマになったそうだ。

野際さんはもう女優として知られた存在。さすがにその話は親族の方には話せなかったが、テレビの中の女優さんが、身近に感じられて面白かったことを覚えている。最後まで現役を貫いた女優さんだった。ご冥福を祈ります。

2017年6月16日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(491) 6月15日(木) ベルグフェルド

体調を崩したのが鎌倉、それ以来の訪問。紫陽花見物で電車も混んでいた。鎌倉での用事をいくつか積み残していたので、カミさんを同行して出かけた。同行二人である。半病人のあさ爺には、彼女は四国巡礼のお大師さまのような存在。そう云えば今日は弘法大師さまがお生まれになった日。

お昼は岐れ道の近くにある「ベルグフェルド」の本店で。初めてスリランカカレーと云うのをいただいた。カミさんはここのベーカリーショップでさまざまなパンを仕入れる。彼女お気に入りのお店でもある。10日前も、最初はこの店を訪ねたが定休日だった。事前のチェックを怠ったのだが、その後に心臓に異変を生じた。暑い日でもあった。

今日も木陰が欲しい。バス通りや小町通りを避けて、雪ノ下の桜並木や線路際のタチアオイの咲く路地を歩いた。もう、これまでのように鎌倉を歩くことはないかもしれないと思うと、一抹の寂しさを感じる。

2017年6月15日 (木)

あさ爺の徒然日記(577) 6月14日(水) 再び、かかりつけ医へ

6月13日(火)、救急搬送されてから1週間後のこの日、再び市民病院で検査と診察を受ける。採血は4本とられて目が回りそう・・・。心電図の波は規則正しく波打って、運び込まれた時のような滅茶苦茶な波動ではなくなってきた。

担当の先生も、N医院に戻っていいでしょうとの話。市民病院通いを覚悟していたので、それほどの重症にはならなかったものとホッとする反面、もうしばらくは大病院で診てもらってた方が良かったのにと云う気持ちも。

そして、今日、そのクリニックへ報告に出向いた。これからは息の長い「闘病生活」が始まる。同時に、何年続くかわからないが、人生最終版の余生を生きることになるわけだ。目の前の仕事にかまけて、何も考えていなかった人生の締めくくりについて、いろいろ思いを巡らすことになりそうだ。

2017年6月14日 (水)

あさ爺の徒然日記(576) 6月12日(月) リハビリ外出

外出を控えていると、脚が弱ってくるのがいつものパターン。腹筋運動も自粛ムードになって、ますます体力も落ちてくる。幸い、カラダが動かせないわけではない。心臓に負担がかからないように注意すればいい(と自分で解釈)わけだから、落ち着いてきたところを見計らって、徐々に外出を試みている。

内心、不安を抱えながらではあるが、体力は維持しておかないと、病気に打ち勝つこともできない道理。そこで、6月10日(土)には高円寺にお芝居を観に出かけ、11日(日)には上大岡に音楽会を聴きに出かけた。とりわけ高円寺は遠い。行きは湘南新宿ラインで、帰りは小田急を利用したが、いずれにせよ新宿で乗り換えなければならない。

過信はダメだが、息切れもせずに帰り着くことができ、ちょっぴり自信につながった。モチロン、一人での外出は出来ない。介護人が付き添ってくれている。と云うより、お芝居(一風変わった3人芝居で、ピアノ伴奏付)もヴァイオリンコンサートも彼女の申し込みで、あさ爺が付き添いの筈ではあったが・・・。

あさ爺の徒然日記(575) 6月9日(金) 自宅で静養

救急搬送されて、その日の夜に帰宅してから3日経った。やはり、病院で適切な治療を受けたおかげで、諸々の数値も下がり、心電図の折れ線グラフも規則正しくなってきた。

3年半前に、同じような症状で倒れかけたことがあった。真夏の仕事中での出来事、熱中症ではと思い小康状態となったので、自分の判断で医院には行かなかった。しかし、その為かしばらく「後遺症」が続いた。軽い麻痺もあった。大事には至らなかったものの、その時のことが今度の伏線になったに違いないと思っている。素人が過信することの怖さを、今回思い知らされたと反省。

処方されたお薬は「治る」まで、飲み続けなければならないシロモノだ。加齢が原因で、そもそも完治を目指すと云うより、最悪の事態を予防することにあるので、結局は生涯飲み続けることになるのだろう。何のことはない、血圧を下げるのと同じようなもの。薬には頼りたくないと思ったが、その効果はテキメンであることは確か。

老人に医療費がかかることに、ホントに申し訳ない気持ちが先に立つ。しかし、もう先は長くないとわかったようなもの。先延ばししてきた身辺整理に、精を出そう。

2017年6月12日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(490) 6月6日(火) 救急搬送される

F旅行社の紅葉の時期に企画するツアーの下見で、永福寺跡から獅子舞の入口辺りを歩いた。お客様の反応を代弁していただく形で、いつものようにカミさんに同行して貰った。結果的にそれが良かった。いや、ガイドの話ではない。

鎌倉宮を出たあたりから急にカラダに異変を感じた。ふらつく感じがあり、車の道を避けて急ぎ永福寺旧跡への道に入った。どうにもおかしくカミさんに告白。休憩したくとも木陰はない遺跡である。しばらく見ない間に、随分と整備されて案内板も増えたが、じっくり読む余裕はなくなった。

タクシーを勧めるカミさんに「大丈夫!」と見栄と我を張って、バス・電車・バスと乗り継いで、自宅まで無事辿り着いた。1時間ほど横になってから、かかりつけ医を訪ねる。それからがタイヘンだった。

医師の診断で、緊急を要する事態と判明。帰宅したカミさんを呼び戻して医院が緊急手配してくれた救急車で、総合病院に搬送されてしまった。まだ、パトカー、救急車、霊柩車には乗ってないあさちゃんが、74歳にして初めて救急車に。医師も救急隊員も病院との連絡の中で、「74歳男性、意識あり」と連絡するのを聞いて、ま、どこの爺さんかと思ったが・・・。

救急外来で応急措置が施され、夜遅く、帰宅が許された。とにかく生きて帰れた。昼から、付きっ切りのカミさんには感謝の言葉しか浮かばない。

あさちゃんの鎌倉日記(489) 6月5日(月) 最後のお勤め

5月19日(金)、逗子市小坪の現場に。27日(土)と30日(火)は同じ小坪だが別の現場で仕事に入る。

明けて6月、いよいよ雨季、鎌倉は一年間で最も賑わうアジサイの季節でもある。5日(月)その鎌倉の由比ヶ浜の現場に。ここからは紫陽花見物で賑わう長谷寺が眺められる。目の前の由比ガ浜海岸は朝からサーファーの姿が多く見られる。あさちゃんとしてはお気に入りの仕事場の一つだった・・・。

実はこの日の時点では、予想も出来なかった想定外のことがこの後に起こって、5年余り勤めあげたこの仕事を、急遽辞めざるを得ないハメになった。詳しくは次回に報告させていただくつもりだが、人生、何が起きるかワカラナイ。

この仕事だけなく、ガイドの仕事にも大きくマイナス影響する、あさちゃんにとってはトンデモナイ事態を招いてしまうことになったのであるが・・・。

2017年6月11日 (日)

あさ爺の徒然日記(574) 5月25日(木) 新婚時代の旧居跡

折角の有馬のいで湯も、風邪気味で朝風呂は断念。後ろ髪を(そんな長い髪の毛は見当たらない)引かれる思いで、宿を発つ。

神戸電鉄有馬温泉駅から一駅の有馬口で乗り換えて、新開地へ向かう。この路線も初体験だ。大都市神戸の山の裏側で、緑あふれるローカル鉄道の趣き。新開地で阪急神戸線に乗り換え、更に十三(じゅうそう)で今度は京都線に乗り換える。関西に住んでいた頃は、一番お世話になった私鉄だ。

好天なら六甲山で展望を楽しむことも考えたが、あいにく小雨ぱらつく空模様。予定を変更して、昔住んでいた界隈を訪ねるノスタルジアウオークに。新婚時代だからざっと45,6年前のことだ。

当時は向日町(むこうまち)だったが、市制を敷いて向日市に。下車駅も西向日駅と名前が変わった。ホームも長く広く地下道も出来て立派にはなったが、駅の周辺は余り変わっていない。昔の記憶を頼りに鶏冠井(かいで)沢の西の住居表示を見つけ、ほぼ該当の建物を発見した。もう以前の建物ではなかったが、カミさんがお隣のYさんのお名前を記憶していて、その表札と番地が決め手となった。

近くには旧長岡京の遺跡もある。今回の西国巡礼の締めくくりにいい想い出ができた。京都から新幹線で、夕方無事帰宅。南無観世音菩薩。

2017年6月10日 (土)

あさ爺の徒然日記(573) 5月24日(水) 有馬温泉

その昔、江戸市民の大山詣ででの楽しみは、麓の温泉や江の島での精進落としと云われていた。それに倣ってあさ爺たちも旅の最後は、有馬のいで湯に浸かることになる。

花山院から下って、三田の駅前をぶらついて、神戸電鉄の電車で有馬温泉に向かう。有馬は初めてではなかったが、実は湯に入るのはお初。カミさんは有馬自体が初体験。到着が早かったので荷物を預けて、チェックインまでの時間を湯の町散歩に充てる。

坂が多い街で、途中の源泉が湧いている公園でおにぎりをほおばり、風情のある温泉街を散策。とにかく日本三古湯の一つ。歴史がある。途中の温泉寺と念仏寺に参拝。ここでもご朱印をいただいた。巡礼の時には、必ず納経帳を2冊携行し、札所以外のお寺さんでもご朱印がいただけるよう心掛けている。今回も最後になって役に立った。

名物の炭酸せんべいを売る土産店が多い。何軒かをのぞき、お土産に買い求めた。実は今朝あたりから少し風邪気味。巡礼の旅で体調を崩すなんて、信心が足りない証でもある。本来なら、温泉では最低3回はお湯に浸かるのだが、この日は1回だけにとどめた。前日までの2泊がホテルのベッドだったので、やはり和室はいいなぁと年寄りたちは天井の木目模様を眺めながら、眠りにつくのでした。

あさ爺の徒然日記(572) 5月24日(水) 西国番外札所 花山院

今回の巡礼で最難関の番外札所「花山院」に向かう。JR福知山線の三田駅で下車。この地の訪問も初めて。本数の少ないバスは出た後で、結局タクシーを拾う。ま、想定の範囲内。ただ、帰りもこのタクシーを利用するかどうかは、降りそうな空模様や疲れ具合と相談して決めるつもりであったが、運転手さんの勧めであっさりと往復利用に。

実は山の中にあるお寺さんまでが急坂の道なので、下りもタイヘンだし、少ないバスの時間に合わせるのも一苦労とは思っていた。ナルホド、車がひっくり返りそうな急な山道(参道)である。この日の登山に合わせてわざわざストックを持参したが、つまりは無駄になった。

真言宗花山院派の本山。花山法皇が27歳頃から41歳で亡くなるまでの14年間、隠棲生活を送られたと云う。玉垣を巡らした質素な廟所には苔むした宝篋印塔が立つ。展望台からは有馬富士が見え、遠く瀬戸内海も見えるらしい。この日は曇っててはっきりとは見えなかった。

境内は山中と云うこともあり、さほど広いわけではなかったが、それでも本堂でもある花山法皇殿の他に薬師堂、不動堂、荒神堂、鐘楼、庫裡などがあり、薬師堂も本堂とされている。今度の巡礼では最後となるご朱印を有り難くいただいて、待たせておいたタクシーで山を下った。

2017年6月 8日 (木)

あさ爺の徒然日記(571) 5月24日(水) 西国第二十四番 中山寺

出発前の予報から前倒しになって、今日は雲の多い空模様。雨は降らないと思っていたので、傘は持参しておらず途中のコンビニで買い求めるハメに。

大阪駅が新しくなってからは初めて。夫婦共に余りの壮大さに目をパチクリ。ここから福知山線で中山寺駅へ。この駅もロッカーがなかったが、幸いにもまだ雨は降っていなかった。

中山寺も大きなお寺だった。場所は兵庫県宝塚市。真言宗中山寺派の大本山で開基は聖徳太子。創建は推古天皇の御代と云うから凡そ1400年余の昔。参道に塔頭寺院が建ち並ぶ。境内の建物も多い。しかも石段に並行してエスカレーターが動いている。江の島のように有料ではない。古希を過ぎた老夫婦巡礼には有難い。

十二支のそれぞれの守り本尊が独立したお堂として存在。午年の夫は勢至菩薩の寿老神堂、酉年の妻は不動明王の総持院をねんごろにお詣りさせていただく。時間があればゆっくりしてみたいお寺さんであった。

昔むかしの若かりし頃、宝塚歌劇に通ったことがあり、中山寺のお名前だけは存じ上げていたが、当時は観音菩薩様よりも男役の甲にしきに憧れていた。結婚前の話である。再び、JRの駅に向かう。

2017年6月 4日 (日)

あさ爺の徒然日記(570) 5月23日(火) 西国第二十三番 勝尾寺

再び、総持寺駅から阪急電車に乗り、南方で下車。すぐ近くの地下鉄御堂筋線の駅の名前は西中島南方。ここから千里中央へ向かう。地元の人は縮めてカッコよく「センチュウ」と云う。

一日3本しかないバスには乗れなくて、タクシーを奮発。平地ならともかく山深く分け入るので、老夫婦で歩いて登るのは辛い。種田山頭火のマネはできない。

勝尾寺(かつおうじ)は家族にとっても思い出のお寺だ。23年前の元旦早朝に車で参拝した。また、あさ爺自身は会社の宿泊研修で何度か、ここの宿坊で寝泊まりした経験がある。

ここも高野山真言宗のお寺で、西国霊場のみならず、受験などの勝負事、厄除け、子育て、水子供養などでも知られ、境内には「○○時から○○のご供養があります。ご予約の方は本堂にお集り下さい」とデパート並みのアナウンスが響く。

勝ちダルマが境内の至る所に奉納されており、それにも増して春の桜と秋の紅葉で知られる。繁盛したせいか昔と違って、更に建物も参道や遊歩道も整備された。峠は過ぎたが、シャクナゲも美しかった。下山は本数の少ないバスの時間に合わせて退出。

拝観受付で荷物を無料で預かってくれたのには、境内が広く石段が多いので大変有難かった。

あさ爺の徒然日記(569) 5月23日(火) 西国第二十二番 総持寺

夫婦共に独身時代から京都で暮らしたり、勤務したりした経験があるが、この亀岡は初めてだった。カミさんは学生時代も含めて、10年ほど住んでいたにもかかわらずである。車窓から保津川下りの船を眺めながら京都へ。

山陰線は田舎と云うイメージがあったが、今や京都市内は高架化され、電車もスマート。意外と近かった。地下鉄と阪急を乗り継いで、大阪府茨木市にある総持寺を訪ねる。駅でロッカーを探したが見当たらず、結局炎天下荷物を背負うハメに。しかし、駅から徒歩10分足らずで到着。

穴太寺は天台宗だったが、ここは真言宗。境内に四国霊場八十八ヶ所のお堂もあったが、もう既に結願しているのでパス。納経所は立派な建物で、山門も本堂も朱色が鮮やかで壮大。参拝客が多いことが窺える。山蔭流包丁式の開祖とかで、料理関係者の信仰も篤いそうだ。高台にあるが周囲は市街地に取り囲まれているので、およそ鄙びた風情はない。ここを訪れた白洲正子も、このお寺の印象は薄かったようだ。札所巡礼だけでなく大勢の参詣者を集めているせいもあるのだろう。

あさ爺たちも次の札所目指して駅へ向かう。

2017年6月 2日 (金)

あさ爺の徒然日記(568) 5月22日(月) 西国第二十一番穴太寺

京都から山陰線に乗って昼過ぎに亀岡に到着。今日から3泊4日の日程で西国三十三観音霊場巡礼の旅に出る。駅近くのホテルに荷物を預け、駅前からバスで穴太口へ。のどかな田園風景の中を歩き、巡礼スタイルに変身して穴太寺(あなおうじ)の山門をくぐる。

境内はそれほど広いわけではないが、正面の本堂と左側の庫裡は大きい。拝観料を払って本堂内と庭園を拝観する。札所本尊は33年毎のご開帳で4年前に拝めたらしい。ご本尊は薬師如来でこちらは完全に秘仏だそうだ。更に札所の御前立観世音菩薩像もご本尊に数えられ、計三体のご本尊が並んでおられる。

本堂右奥に釈迦涅槃像が横たわっておられる。明治時代に住職が屋根裏で発見したと云う。お布団がかけられていて、撫で仏としても崇められているとかで、あさ爺は肩と腰を撫でる。庭園は府指定名勝。多宝塔を借景に、こぶりながらサツキの花とよく合っている。

近くに円山応挙生誕のお寺があり、足を伸ばした。金剛寺であるが、案内板はあるものの、特に内部を公開している風ではなかった。好天に恵まれた巡礼初日であった。モチロン、カミさんとの二人旅であります。

2017年6月 1日 (木)

あさ爺の徒然日記(567) 5月20日(土) 孫の体操教室見学

東京北区に住む娘の家族に会うため、王子に向かう。家族にと云ってもジジイの目的は末っ子のG君のお守り。お兄ちゃんのH君が体操教室に出かけている間の留守番を、Gと爺がやることになっていた。

2人が先に出かけた後、Gを連れて王子駅でカミさん、つまりGのおばあちゃんと待ち合わせ。都電荒川線で池袋四丁目下車。チンチン、ガタゴトと云うちんちん電車特有のBGMでGは爺の腕の中で熟睡。

メトロに乗り換えて小竹向原へ。駅から徒歩15分くらいの所に目指す体操教室はあった。ネットで探したらしいが、通うのは楽ではなさそう。アクロバットスタジオとやらの看板が出ていて、それだけで運動オンチの爺は尻込みする。

勉強は苦手だが、運動は更にダメ、と云うのが自慢じゃないがあさ爺の小さい時からの姿でありました。初心者クラスの中でも、目立ってチビちゃんのHが飛んだり跳ねたりして、お~可哀そうに・・・と思うのがジジババの感想。至って意気軒高の母親は、両親に似ることがなくて幸せだったのかも。

あさ爺の徒然日記(566) 5月18日(木) 野毛を徘徊

5月16日(火)、午後桜木町駅にU会のメンバー8人が参集。この日の幹事&ガイドは弘明寺在住のI氏。同じ横浜でも野毛はあまり詳しくはないと頭をかきつつ、街に繰り出した。

タンメンが美味いと評判のある「三幸苑」でまずはお昼を。午前中、仕事だったあさ爺は腹ペコで倒れそうだったので、まずは一息ついた。夜の部が待ちきれずに、もう昼日中からビールを飲み始めた連中を、憐れみと羨望の眼差しで眺めるのはあさ爺のテーブル。

成田山別院、伊勢山皇大神宮、掃部山公園、県立能楽堂、佐久間象山顕彰碑(野毛山公園)、そして最後は野毛山動物園。初めて入園したが、無料だった。

赤い灯、青い灯が瞬き始めると、みんなソワソワ・・・。野毛は横浜では古くからの庶民的な歓楽街。とある居酒屋になだれ込む。この会は会社のOBなので、どうしても話題が現役の頃の話に飛ぶ。あさ爺はそれがあまり好きではない。若い頃から会社と私的なことを分ける考えだった。社内結婚が当たり前の時代に、敢えて別の道を模索した。この癖は老いても変わらないところがある。

5月18日(木)、借りている自家菜園で野良仕事。雷が鳴りだしたので、慌てて引き上げる。

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