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2017年7月

2017年7月29日 (土)

あさ爺の徒然日記(609) 7月26日(水) 内閣改造の見どころ

安倍首相が変身した。リオの閉会式に見せた変身術を再現して見せている。今までの高圧的な、「国民」をバカにしたような言い草を封印して、彼の信条でもある「丁寧な」説明を心掛けておられる。多くの国民は感激して涙を流している筈だ。

ところで、来月早々にでも内閣改造があると云う。防衛大臣や法務大臣は、出口調査の前から、既に当確だ。あさ爺は、厚生労働相に注目している。塩崎氏はかつて第一次安倍内閣の官房長官に抜擢された。それまでは無名の存在だったから、メディアはお友達内閣のシンボルと噛みついた。

そして今回の注目点は、泣いて馬謖を斬ることができるか?である。理由は、自民党内の彼に対する不満が爆発寸前にある為だ。国際的な潮流を受けて、飲食店での全面禁煙を断行したい大臣と、業界の猛反発を背に受けて、うやむやに煙にまきたい自民党愛煙議員団。

国民の健康を守ろうとする厚労相と、健康よりも業界団体の票を守りたい守旧派の対立だ。恐らく、首相は塩崎氏を更迭するだろう。業界団体の人たちは、首相にとっては決して「こんな人たち」ではないのだ。あさ爺は、父親の秘書をしていた時の塩崎さんと、松山で一緒にお茶を飲んだことがある。当時から、なかなかの好青年だった。

あさ爺の徒然日記(608) 7月25日(火) 白鵬の勝ち星に疑問

もう旧聞に属するが、大相撲名古屋場所はナントも締まりのない場所となった。モチロン、元凶は稀勢の里の途中休場である。どうして、2場所続けて同じことを繰り返すのか?同じ横綱の鶴竜も同罪であるが、特に稀勢の里の罪は大きい。

それでも本場所の切符を前売りで購入したお客さんは、紙くず同然?となった高額の入場券を捨てるわけには行かないから、連日の満員御礼で協会は喜んでいる。

ところで、白鵬の通算勝利数が千代の富士、魁皇と云う2人の人気力士を抜いて、史上最高を記録したと云う。しかし、あさ爺には合点がゆかない。本来、横綱とはどっしりと受けて立つのが当たり前だが、ご存知のように白鵬は相手を威嚇するようなかちあげ、張り手、左右への変化なんでもござれの小結相撲だ。

平幕や小結が、横綱に挑むにはどうしたら良いか頭を捻ったうえでの立会を、大横綱が格下の相手にやることではない。日馬富士もそうだが、モンゴル相撲を日本では禁じるべきだ。少なくとも横綱には・・・。

従って、白鵬の勝ち星の内、少なくとも横綱在位中の100勝は、そのような卑怯な白星が含まれていると見ている。魁皇や千代の富士には、そんな見苦しい相撲は殆どなかった。早く、引退して欲しいものだ。

あさちゃんの鎌倉日記(499) 7月24日(月) 鉢の木カフェ

建長寺の門前に「鉢の木カフェ」があった。過去形にしたのは、6月末で閉店したから。このお店の北条弁当は美味しかったし、お値段も手頃だった。特にご婦人の多いグループには喜ばれた。それだけに残念至極としか言いようがない。

鉢の木グループの、かつては本店でもあり50余年の歴史があった。話を知った時ににわかには信じられず、今日、建長寺の総門を出て、改めて確認したほどだ。張り紙が揺れていた。

お昼は駅西口に近い「マッチポイント」のカレーにする。先日も入ったばかりのお店。逗子のお店にも何度か入ったことがる。このお店も比較的長い歴史があり安心して落ち着けるし、味もあさちゃん好みだ。同行のカミさんが幹事をしているグループの秋の下見で、鎌倉歴史文化交流館を再び覗いた。

そして出口の前にある甘味処「雲母」(きらら)に入る。何年ぶりか?入店に40分待たされたが、それでも夏場の平日なので早く入れた方かもしれない。宇治白玉クリームあんみつを注文。カミさんは2度目だが、最初の時の感激は、今回はなかったようだ。味や雰囲気にうるさいご婦人なので、恐らく、もう行くことはないのだろう。夏休みなので家族連れや若い女の子ばかり。あいかわらず観光客に人気の店だ。

2017年7月28日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(498) 7月24日(月) 建長寺開山忌

数年前から建長寺の開山忌は、1ヶ月前倒しされて7月23,24日に行われている。開山忌の日時が変更になると云うのもおかしな話だが、8月のお盆の超繁忙期との兼ね合いかもしれない。

大本山としてもこの行事の準備には追いまくられると思うが、末寺はもっと大変に違いない。一山挙げての開山大覚禅師の法要である。言葉は悪いが、末寺に総動員がかかる筈である。準備期間がもろにお盆とぶつかり、末寺の住職は檀家さん回りで猫の手も借りたい時期だ。悲鳴があがったのではないか?

あさちゃんは何度か拝観したことはあるが、今年は2日目の法堂での法要と大覚禅師の御輿行列を合わせて見物することが出来た。介護の付き添いとしてカミさんに同行して貰う。時間つぶしに庭園を鑑賞。涼しい風が心地よいが、この場所もまもなく立ち入りできなくなる。方丈で僧侶たちの御膳が用意される時間だ。

法堂では法要の一部始終を見届けることがかなった。禅師、即ち蘭渓道隆像が最上段に安置されておられる。写真家のH先生や旧知のE氏とも顔を合わせる。そして御輿行列を山門前で見物。可愛らしい小僧さんが、ナントも微笑ましい。大勢の僧侶が行列する様は圧巻だ。南無釈迦牟尼仏・・・。

2017年7月26日 (水)

あさ爺の徒然日記(607) 7月23日(日) 訃報に接して

日野原重明さんと平尾昌晃さんの訃報が相次いだ。日野原さんは105歳、職場の聖路加国際病院で亡くなられたのかと思ったが、意外にご自宅で息を引き取られたそうだ。あるがままに生きるを最後まで貫かれた生涯だった。平尾昌晃さんは79歳。

お二人には共通点がある。「生涯現役」、「生涯青春」をモットーとされておられたことだ。このフレーズを聞くと、半病人のあさ爺は反省しきりだ。現役はとっくに退き、青春時代はもう思い出せないくらいの大昔だ。お二人の気力、体力には脱帽以前の神々しいものを感じる。しかし、これも神から与えられた人生だったのだろう。

日野原さんは京都帝大医学部の出身だが、あさ爺はこの学歴を耳にすると、若くしてガンで亡くなった高校時代の同期生S君を思い出す。秀才の彼とはクラスは別だったが、一学年の時に生徒会活動のサークルで何度か話をする機会はあった。それだけに母校京大の教授か、高名な医学博士にとの期待があったので、彼の訃報に接した時の衝撃は今も記憶している。

医師でも病に勝てなかったのかとの思いだった。この時のサークルでの記念写真の中に、満面笑顔の彼がいる。これもまた、神の思し召しだったのかもしれない。お二方と共に、ご冥福をお祈りします。

あさ爺の徒然日記(606) 7月22日(土) 血圧の推移に一喜一憂

かかりつけの先生に勧められて、血圧計を購入して1週間が経った。前から欲しいなと思ってたところなので、ま、いい機会でもあった。その測定結果に振り回されている。神経質に一喜一憂することはないのだが、どうしても数値が気になって仕方がない。典型的な小心者のあさ爺である。

最初に処方していただいた血圧を下げる薬が効いたのか、確かに数値は改善した。しかし、同時に副作用とみられる症状も現れて、気力も失せることがあった。その旨、先生に申告したところ、薬の中から血圧下げは外した。だが、副作用はなくなったが、値は再び上昇に転じた。内閣支持率とは正反対。

正しい測り方をキチンと守って、朝夕の2回、それも各2,3回測る念の入れよう。それでも、高いものは高い・・・で、高水準を維持する有様、トホホである。あさ爺のような75歳前後の血圧は、145/85以下がいいらしい。高齢者は高いのが一般的らしいので、この数値なんだろう。

家族は、血圧下げを薬に頼ることに、極めて警戒心が高い。あさ爺も、その意向を組んでサントリーの胡麻麦茶を飲んだりしているが、お医者さんはあっさりと薬を出した。高血圧によって発症する恐れのある、目の前の危険を回避する為であろう。墓場の手前まで、飲み続けることになりそうな予感がする。

2017年7月24日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(497) 7月21日(金) レポの更なる続きです

交流館レポを続けます。観光客は当てにしていないだろうことは、日祝日が休館であることからも窺える。月曜休館が一般的な中での、特異な判断。理由があるかも知れない。市が運営しているので、入館料は300円と安い。

最近、再建開館した横浜の俣野別邸が400円、しかも建物を見せるだけで展示があるわけではなさそうだ。それに比べると入りやすい。現実に、近代建築を調べている在野の研究家が、その入館料で断念したと云う悲しい話も耳にしたことがある。

ところで、八幡宮境内の旧近代美術館の用途は決まったのだろうか?あさちゃんは、あそここそ八幡宮が運営するのであれば、仮称「源氏三代歴史館」とすれば、場所柄も申し分ないし、観光客は外国人を含めて人気が沸騰するだろうと確信する。

そして、ゆくゆくは清泉小学校には移転願って、その跡地を発掘調査し、国指定の史跡に。更に鎌倉幕府の建物を国の手で復元して、鎌倉のシンボルとすれば、子々孫々にも伝えられ、念願の世界遺産への道も夢ではないだろうに。

ここは地方創生に熱意ある?山本大臣に引き続き内閣にしがみついていただき、実現への道筋をつけてもらいたいものだ。

あさちゃんの鎌倉日記(496) 7月21日(金) 交流館レポ続き

鎌倉歴史文化交流館のレポート続きです。あさちゃんが工事現場を覗いた時には、既に鎌倉市に寄贈され、利用方法も決まって整備工事が進められていたと云うことだろう。市議会等のごく一部の関係者には知らされていただろうが、一般には公表されていなかったので、あさちゃんもマッタク知らなかった。

市内の発掘調査で発見された埋蔵文化財が、倉庫代わりに利用されていた旧野村総合研究所の建物に溢れていたことは、ガイド仲間の噂で聞いていた。一時はその野村総研の建物を博物館として使われると云う話もあったが、場所が不便なので立ち消えに。モチロン、そこも市に寄贈された建物だった。

ところで、想像していた通り、埋蔵物の展示が中心で、いわば考古学の博物館。観光客向けとは言い難い。山本大臣得意の「学芸員は(観光面)すべてのガン」と云われそうな内容。観光客が喜びそうな頼朝や義経、静御前は殆ど無視?。源氏三代や北条執権政治の物語性もない。

肝心の鎌倉時代に関するスペースがマッタク少ない。佐倉の国立民俗博物館や横浜の県立歴史博物館にある鎌倉の展示が、はるかに充実している。スタンスが違うから否定はしないが、ガイドとしては案内しにくい施設であることは事実。

あさちゃんの鎌倉日記(495) 7月21日(金) 鎌倉歴史文化交流館

今年の連休明けにオープンした、鎌倉歴史文化交流館を初めて見学した。早い機会に見ておこうと思ったが、例の救急車搬送事件で延び延びに。漸く症状も落ち着き(薬のお陰だけど)、一人歩きも不安が少なくなってきたことにより実現。

場所は鎌倉駅西口の扇ガ谷1丁目。地元ではかつて無量寺谷(むりょうじがやつ)と呼ばれた山の麓にある。因みにこの谷戸の名前はあさちゃんの勉強した鎌倉検定のテキストにも出てこない地名。

この一帯は三菱村とも呼ばれていたように三菱財閥或いは創業者岩崎家ゆかりの地であり、この交流館も岩崎家から2000年にセンチュリー文化財団に売却。2013年に土地・建物・整備費用含めて鎌倉市へ寄贈された。

文士や実業家から別荘や本宅の寄贈をされることが多い鎌倉市だが管理ができずに殆どを断ってきた。今度は公開施設として使えると算段したのだろう、珍しく引き受けた。因みにこの財団は旺文社で知られた出版実業家の赤尾家の居宅を管理していた。有名な建築家ノーマン・フォスター設計なので、建物を殆どそのまま転用し、埋蔵文化財の展示を中心に開館。

工事中に覗いた時に、奥に「やぐら」も多数見られ、個人邸宅内にあることを残念に思ったことがあった。更に、このレポートは次回にアップします。

2017年7月20日 (木)

あさ爺の徒然日記(605) 7月20日(木) 世界一の建物は?

今日、手元に届いた雑誌の表紙に目を奪われた。世界一の超高層ビルである。ビルの名前は「バージュ・カリファ」と云い、ドバイにある高さ828mだそうだ。砂漠に咲くヒメノカリスが建物のモチーフとされているが、上空からでないと花の形は確認できないとか。

アラブ首長国連邦(UAE)のドバイは今なお進化を続ける未来都市だそうだ。あさ爺は足を踏み入れたことのない「未開」の地。歴史の舞台となった古い街を歩くのが性に合ってるあさ爺である。こんなハイテク都市には興味はないが、それにしても桁外れに高い。

あさ爺世代は何と言っても「エンパイアステートビル」であり、ニューヨークのマンハッタンである。幼い頃、西宮球場で開かれた「アメリカ博覧会」に連れられて行った。そこではアメリカの眩いばかりの巨大な展示で溢れていた。因みに生まれて初めてテレビなるものを見たのもその時で、迷子になってワンワン泣き叫んでいた苦い思い出も。

GHQによる占領政策のPRだったのだろう。迷子になったくらいだから、大混雑だった。70年前の話である。後年、そのエンパイアの最上展望階に入って、ニューヨークの街を見下ろした。そのビルの倍以上の高さのドバイのビル。因みに我が「東京スカイツリー」は高さ634mの電波塔(ビルにはあらず)。

あさ爺の徒然日記(604) 7月19日(水) 雷雨、そして梅雨明け

昨日の午後、あさ爺の居住せる藤沢市にも、猛烈な雨が降りつけた。耳をつんざくような落雷の音が間断なく鳴り響き、空けていた窓からも容赦なく雨が暴風に乗って吹き込んだ。この経験したことのないような激しい雷雨は、テレビで全国にも放映されたので、特に我が住む街はひどかったと云うことなのだろう。

すっかりお天気カメラのおかげで有名になった江の島海岸や江の島灯台(展望塔として人気が高い!)から、稲妻がこの湘南の町にギザギザの光の帯となって、天地を結ぶ様が映像にもとらえられていた。しかし、この雨は1時間足らずで去った。ニュースで報じられた雨量は32ミリとか・・・。

いかに九州北部豪雨の雨量が桁違いだったかを思い知らされる。何時間も特定の地域に豪雨が続く線状ナントやらの怖さだ。激しい雨と見慣れぬヒョウで見通しが悪くなり、昼間なのに夕暮れのような暗さに。街路樹も髪を振り乱した若い女や老婆のような気味の悪さ。映画の中の嵐のワンシーンを見るような光景であった。

そして少雨で気を揉んでいた気象庁も「一安心」したのか、今日、関東から四国までの梅雨明けを高らかに宣言した。3日前に、あさ爺夫婦が神社で雨乞いをした結果のトンデモナイ大雨だったことは、お釈迦様でも知らぬホトケのお富さんである。

2017年7月18日 (火)

あさ爺の徒然日記(603) 7月18日(火) 山麓会

「山麓会」と云う会がある。登山かハイキングを思い浮かべる名前だが、直接は関係ない。高校を昭和36年に卒業した同期会の名称。名付け親は山岳部の顧問をしていたN先生。卒業した年を好きな山に引っかけて命名したものらしい。と云うのはN先生、若くしてバイク事故で命を落とされた。だから、我々の間では、いつまでも若々しい。

英語教師の彼には、苦い思い出もある。授業中に私語していたあさ爺たちに向かって、白墨が鋭いスピードで飛んできた。直球であったが、顔をめがけず手元に当たった。目を上げると教壇の手前から睨みつけられた。大勢の生徒の中から、見事なコントロールでハクボクを投げつけてきたことに妙に感心したものだ。

事実、野球にも熱心だった。新米教師は教え子たちに慕われた。あさ爺も山岳部の末席を汚していた。当時、広島大を卒業したばかりの先生だったから、年齢も余り変わらない。若くして未亡人となられた夫人は、我々の同期生でもあった。

その教え子の内35人が、今日から乗鞍岳と上高地の山行きに出かけた。お誘いがあったが、こんなカラダであることも重なり辞退。それにしても、全員が74,5歳(内、14人は女子)。壮観だが遭難するとみっともないことになる。無事の帰還を祈っている。

2017年7月17日 (月)

あさ爺の徒然日記(602) 7月17日(月) 真夏のウグイス

「海の日」は、それにふさわしい真夏日に。列島各地では猛暑日にもなっている。朝倉や日田でも猛烈な暑さの中、大勢のボランティアも加わって後片付けに追われている。怪我を防ぐために長袖や作業ズボン、ゴム手袋を着用しているから、汗まみれの筈だ。災害ボランティアの経験がないだけに、いつものことながら頭が下がる。ましてや半病人になってしまった不甲斐なさ、何もすることが出来ない。

豪雨被害の方たちには申し訳がたたないが、あさ爺たちは昨日、神社に出かけて「雨乞い」のお願いをした。農園が深刻な水不足に襲われている。少しでも降ってくれれば有難いとのささやかなお願い。

ところで、1ヶ月ほど前から団地にウグイスがやって来て、美麗な鳴き声を聞かせてくれている。余りの見事さと声の大きさに、こう云う事例があり得るのかどうか知らないが、誰かが飼っているのか、或いはスピーカーかしらんと思ったが、去る日、電線に止まって鳴いているのを目撃した。

声はすれども姿は見えずが、森の中での一般的な鶯の生態だと思ったので、珍しい光景にしばし見とれた。近くに野鳥公園があるので、そこから出張してきたのかもしれぬ。そして止まっている蝉も目撃。今年の初セミだ。蝉とうぐいすの競演は、滅多におめにかかれぬ光景だ(と思うが)。本格的な夏到来である。

2017年7月16日 (日)

あさ爺の徒然日記(601) 7月16日(日) 梅雨明けはまだ?

連日、真夏日の暑さが続く。藤沢の週間予報を見ても、傘マークは見当たらない。梅雨明け宣言してもおかしくない天気だが・・・。梅雨前線が消えない限りは気象庁も踏ん切りがつかないのだろう。

昨夜は風もなかったから、この夏になって初めての「熱帯夜」に見舞われた。風通しの良い4階に居住しているので、ほとんどクーラーを必要としない夏を過ごしているが、それだけに風が吹かないと辛いものがある。

子どもの時、瀬戸内沿岸に住んでいたが、瀬戸の朝凪、夕凪と云われる現象に悩まされた。海風と陸風がぶつかり合うか、マッタク吹かないのか、風がピタリと止まってしまう。あの時の暑さには閉口した。

今日はぼんの送り火でもある。昨日は博多祇園山笠があり、明日は京都の祇園祭の山鉾巡行が行われ、日本の夏は最高潮に達する。各地の花火大会も始まるが、それは先祖の霊を再び送る儀式でもある。早く梅雨明けしてくれないと落ち着かないが、まだ雨が少ないままだ。豪雨被害の出た地域もあれば、日照りに頭を抱える地方もある。神さまは気まぐれだ。

あさ爺の徒然日記(600) 7月15日(土) 法務大臣の役割

2日間、死刑について愚見を述べた。世界の趨勢は死刑廃止に向かっているが、日本の世論はまだ圧倒的に制度維持を肯定している。また、被害者遺族も、裁判の始まる前から死刑を望んでいるケースが多い。何故だろうか?

あさ爺も死刑制度は「当然」と考えている。逆に、日本人で廃止論を唱えている有識者の神経を疑っている。人権活動家に多いが納得できない。それはそれとして、執行命令を下すのは法務大臣である。法律を作るのは国会であり、法に基づいてそれらを執行するのは行政であり、司法官である。

大臣が細かいことをやるわけではない。但し、死刑執行だけは法相がハンコを押さない限り、執行されることはない。過去の法相で、ハンコを押さなかった(押せなかった?)大臣が何人か見られる。大半は任期が短すぎて、その機会を逸した人たちである。しかし、己の意思で命令しなかった人も多い。旧民主党政権に見られる。

それは法相に就任したことと矛盾し、不作為を非難されてしかるべき大臣たちであろう。逆に鳩山邦夫元法相のように僅か1年で、歴代最高の13人の執行に踏み切った人も。自分の信念もあろうが、法相として真面目に務めを果たしたと云えるのではないか。民主党政権はいろんな意味で、失敗を重ねた負の遺産を抱えていることがわかる。

あさ爺の徒然日記(599) 7月14日(金) 死刑について更に考える

昨日の夕方、南の空に大きな虹がかかった。昔、ニュージランドの首都オークランドで、でっかい虹を見て感動したことがあるが、そのことを思い出させてくれた見事な虹。ご近所の奥様に教えたら、彼女も感動していた。

そして今日はパリ祭。フランスの革命記念日。話は変わるが、昨日の続き。死刑囚は自分の罪を悔い改めて、淡々と死に臨むものかと思っていたが、必ずしもそうではないと云うことだろう。それなら、本人も浮かばれないし、被害者もその遺族も気が晴れないのでは?

刑務所の日常や死刑囚の動向については、ほとんど情報公開されていないので疑心が募る。察するに、多くの死刑囚は裁判では遺族に謝罪したりしているが、本心ではなく減刑を期待してのことなのだ。実際は、被害者や世間に対して逆恨みしているのではないか?再審請求が多い一因でもあろう。

教戒師もいるのだろうが、もっと仏教やキリスト教の信仰に向かわせる努力が必要と思う。そして己が罪を認め、ホトケや神に救いを求める機会を与えるべきである。執行直前まで抵抗の限りを尽くした若い死刑囚も、過去にはいたと云う。悲惨な話である。

あさ爺の徒然日記(598) 7月13日(木) 死刑制度について考える

大阪と広島の拘置所で死刑が執行されたと発表があった。今の法務大臣は国会答弁で失態が続いているので、とても執行命令は出せないのではと思っていたが、しどろもどろの答弁とは違って果敢に決断したようである。

その内、一人は4人の女性を殺害して再審請求を繰り返していた61歳の男であり、もう一人は若い同僚女性の命を奪って遺体を損壊、遺棄し、裁判員裁判の一審で死刑判決を受け、弁護側の控訴を取り下げた34歳の男。かたや連続殺人の凶悪犯であり、かたや被害者一人の若い死刑囚(事件当時は28歳)。

最近、執行が少ないのは、再審請求が約7割に及んでいる事実があることも報道で知った。再審請求が行われている間は執行を見合わせると云う暗黙の了解があった為らしい。しかし、我らが法相はその弊害を断ち切るべく、断固決断した。英断?である。

それにしても、死刑判決を受けても、尚、生に執着して法を悪用する輩が多いのに愕然とする。確かに冤罪はあってはならない。その為の再審制度である。だが、その疑いのない凶悪犯にそれを活用して欲しくない。今の刑務所では、罪を悔いると云う教育はされていないのだろうか?このことについては前から疑問に思っていることなので、日を改めて考えてみたい。

2017年7月13日 (木)

あさ爺の徒然日記(597) 7月12日(水) 運動不足を懸念

自宅で療養を続けている身にとって、運動不足の解消が当面の課題。アルバイトをしている時には、ささやかでも収入が得られると云う気持ちは確かにあったが、それ以上に一日中カラダを動かしていると云う充実感があった。満足感と云っても良い。また、通勤電車に揺られることにより、今の社会とつながってもいると云う安心感もあった。それが今はない。

収入がなくなったことに対しては、節約をすれば解決できる。しかし、体を動かしていないことからくる運動不足だけは、負の遺産となって蓄積されそうだ。実は30年以上続けてきたラジオ体操を先月末からやめて、既に20日になる。

家族がアンチラジオ体操派で、百害あって一利なしの論法で家庭内批判を浴びてきていた。それもあるが、あの体操でさえ息切れをするようになってきたことが止めた原因でもある。不整脈を感じる症状に臆病になってしまったのである。

体力が落ちれば、気力も衰えてくる。仕事の日には朝から緊張感もあったし、気の進まない現場へ出かける時は気分も晴れなかった。そうした心の負担も失せ、モチベーションの維持も難しくなってきた。今は室内でのストレッチ体操を試みているが、やはり「歩く」のが一番と痛感する。

ウォーキングは最良の薬に違いないと思うのだが・・・。

あさ爺の徒然日記(596) 7月10日(月) 烏帽子岩遊覧

Y会の例会で、茅ヶ崎海岸の沖合にある烏帽子岩を周遊船に乗って見物した。自宅療養中の身なので最後まで参加に迷ったが、薬の効果もあって症状が安定してきているので思い切って出かける。

烏帽子岩は茅ヶ崎サザンビーチの沖合1.4kmに点在する大小30以上の岩礁群。形が昔の烏帽子に似ていることから、そのように呼ばれてきた。長い砂浜が特徴の湘南海岸にあって、江の島と共に目立つ存在でもある。

戦後は米軍の砲術訓練の標的にされて、形状が崩れる等の受難の歴史も刻んでいる。あさ爺も海岸から眺めて楽しむものと思っていたが、幹事の計らいで周遊船に乗って岩礁を一周する40分の遊覧が実現した。

普段は釣り客を運ぶ小型船なので、波をかぶったり上下に大きく揺れる中、島を廻る。なかなか得難い体験であった。正式名称は姥島(うばじま)。昔は神社の鳥居もあって、姥母神社と云う海の神様も祀られていたようだ。釣り客以外は原則として上陸はできないので、岩礁に生息する生き物などを観察することはできないが、資料によると様々な生物がいるらしい。

梅雨の合間の炎天下、楽しい体験であった。

2017年7月 9日 (日)

あさ爺の徒然日記(595) 7月8日(土) 都議選の波紋

都議選の最終日、安倍首相が秋葉原で絶叫したのが、先週の土曜日だった。安倍辞めろコールに逆切れした、例の街頭演説である。その場に居合わせていなかった人たちまでに、報道によって広く映像が拡散されてしまった。

それまでは自民の獲得予想は35~41議席程度と思われていたらしいが、あれがダメ押しとなって急落し、誰もが予想できなかった23議席に落ち込んだ。公明党と同じ数をかろうじて確保し、共産党に抜かれずに済んだというのは絶妙な位置だったと云える。

それにしても、総理(総裁)自らが蒔いた種でバタバタと戦死者が出たわけだ。これがホントの戦争だったら、最高指揮官の軽率な命令で、死者は犬死となり浮かばれないところだった。防衛大臣の失言が前座だとすれば、下村都連会長の加計献金がトリを務め、そして安倍ちゃんによるオオトリ大失態。初戦の逆風が終盤には暴風となったと云うことだ。

小池百合子代表も想定外のファースト大勝利。彼女も戸惑っているのが表情でうかがえる。今後は国政分野での政局から目が離せない。

2017年7月 7日 (金)

あさ爺の徒然日記(594) 7月7日(金) 平塚七夕祭り

今日は「小暑」。そろそろ暑さが厳しくなる頃とされているが、イヤハヤもう十分に暑い。九州北部の豪雨は、北九州市に移動して更なる被害が懸念されている。

鶴岡八幡宮では七夕祭が行われている筈だが、今年はしばらくご無沙汰していた平塚の七夕祭りを見物することに。暑さが厳しくなる前に、しかも一番空いている初日の午前中を狙って一人で出かけた。それでも駅の構内は臨戦態勢で、七夕飾りの商店街は多くの人で混雑していた。

中心部で約500本、市内全域では約2,000本と云われる七夕飾り。今年は稀勢の里に高安、藤井聡太四段も登場している。曇ってる方がいいとは思ったが、青空の炎天下。自称半病人のあさ爺は、倒れても織姫さんが助けに来てくれる保証はないので早々に引き揚げる。それでもアーケード街の中心部の飾りは堪能でき、雰囲気は十分に味わえた。

今まで、仕事が入ったりして出かける機会のなかった地元の行事やイベントに、無理のない程度に行ってみたいと・・・。生きている間に見られるものは見ておきたい。遠方であれば諦めるが、せめて近くなら・・・。

あさ爺の徒然日記(593) 7月6日(木) 九州北部豪雨

4年前の晩秋、今度の集中豪雨に遭った地帯を旅行したことがあった。山間の清流や紅葉で彩られた渓谷を楽しんだ。こともあろうにあの日本の秋の原風景みたいだった美しい野山が、梅雨前線末期特有の線状降水帯と呼ばれる大雨に見舞われた。連絡のつかない集落が多く、被害の全貌はまだわからない。痛ましいことだ。

思えば、あの時の旅行で訪ねた阿蘇神社は熊本地震で楼門が崩れ落ちた。重要文化財の古建築で、門をバックににこやかな笑顔を見せているあさ爺一行の写真がアルバムにおさまっている。地震の時は被害を免れた辺りが今回の豪雨でやられたらしい。旅行中に遭遇しなくて良かったと、安堵している場合ではない。なんともやりきれない想いを抱く。

ただ、特別警報の発令のやり方には、いまだ納得できない部分がある。今度も、福岡県朝倉市と接している大分県日田市は同じ頃に豪雨が続いていたにもかかわらず、なかなか特別警報は出なかった。テレビで見ていてもおかしいではないかと思った。なんでも県単位の壁(広域)があるらしい。しかし、自然の地形と人間が決めた行政上の境界線とは必ずしも同一ではない。

まさか、気象庁もお役所だから、国土交通省や内閣府に忖度したとは思いたくないが・・・。

2017年7月 5日 (水)

あさ爺の徒然日記(592) 7月5日(水) 居場所が見当たらない

派遣のアルバイトとは云え、コンスタントに仕事の依頼があったのが先月の初めまでのあさ爺の日常。それが救急車事件以降は仕事も辞め、唯一の趣味と実益?を兼ねたガイドの仕事からもほとんど手を引かざるを得なくなってしまった。

これが病院のベッドに伏しているならまだしも、外見はどうも病人には見えそうにないあさ爺。これまで、仕事にかまけておろそかと云うか後回しに先送りしてきた諸々の雑用も片付いてくると、自分の居場所が、また当面の目標が見当たらない状態に。

リッチに語れば悠々自適の余生であるが、家族から見れば鬱陶しい存在に転落。74歳にして遂にホントの定年退職を体験することになった。ただ、もう齢であることは事実だし、健康不安をかかえているので、居場所がないことによる居心地の悪さはあまりない。モチロン、焦りがあるわけでもない。

しかし、短いか長いかわからぬ人生行路の途中。やりたいことがないわけではない。己のカラダの状態を見極めながら、前を向いて後期高齢者として恥ずかしくない?張りのある生活を送りたいものと思っている昨今であります。

あさ爺の徒然日記(591) 7月4日(火) 台風3号接近

コンパクトな台風3号が列島を横断、今夜遅くには関東地方に襲いかかった。日本の近くで発生、昨日長崎県に上陸、九州を横切って宇和島に再上陸。四国を真横に横切って和歌山県に再々上陸。更に東海沖を東進して夜になって藤沢にも猛烈な雨風をもたらした。

スピードも速いので、一挙に襲われた感じ。今はテレビやラジオで報道されるから心の準備ができるが、昔の人は不意打ちを食らったと思うだろう。元寇の艦船が「カミカゼ」にやられたのもこんな感じだったかも。

この台風以上の暴風、逆風に襲われた都議会自民党と安倍政権。一応、反省の態度は示しているが、憲法改正に向けてひるむことなく前に進むと。全然、反省していない。国会で自民、民進の中から、多くの議員が離党しそうだ。来るべき総選挙に向けて新党を結成する動きが出てくるだろう。台風の目になることは間違いない。

オリンピックの前後に、小池百合子はファースト・公明・自民の連立政権の首班に迎えられ、日本初の女性首相が誕生。老い先短いあさ爺が、それを目撃できるかは本人の養生次第。

あさちゃんの鎌倉日記(494) 7月3日(月) 7年目のFM放送

2011年7月にYさんに誘われて、スタートした「FMかまくら」の放送番組。ささやかなローカルメディアではあるが、それでも名前を冠した冠番組。まる6年が経過して、今日放送分から7年目に入った。

実はそのYさんが6月で降板され、心細い再スタートではあった。体調を崩した時でもあり、これまでパートナーとして支え続けてくださったYさんの引退に合わせて身を引こうかとも考えたが、ガイドの方はささやかでも継続することもあり、Yさんから強く勧められたこともあって、初心に返って頑張ることを決めた次第。ただ、今回からは相手役を専門に努めて下さるパーソナリティの方が不在となり、しゃべり方に工夫が必要となった。

ガイドのつぶやきの中では、鎌倉に国立博物館がないのが残念・・・と。東京はモチロン、京都や奈良など各時代の政治の中心地に設置されてきた国立の博物館。当然、鎌倉にあってもおかしくない。奈良の平城宮跡のように、鎌倉幕府跡地も国の手で復元して欲しいものと、マイクを通して訴えた。ま、犬の遠吠えではあるが・・・。

2017年7月 4日 (火)

あさ爺の徒然日記(590) 7月2日(日) 都民ファースト圧勝

今日は自治会の草むしり。しかし、カミさんの助言に従って自重し、あさ爺は不参加。しかし、外から皆さんの和気あいあいとした楽しそうな声が聞こえてきて、却って落ち込んでしまった。炎天下でもないので、出ても大丈夫ではなかったかと後悔する。

しかし、夕方になって断捨離で部屋の片づけをした後、急に具合が悪くなって30分ほど安静。屋内でこの始末だから、やはり草むしりは無理だったかと・・・。どうも薬の副作用もあるのだろう。血の気が引いたり、ふらつきが起こったり、動悸が激しく続いたりする。

ところで、都議選は予想通り小池百合子都知事の都民ファーストが圧勝した。都民が40議席を確保した時点で、自民はまだゼロの状態。カミさんの予想は都民は無理では?との予想だった。あさ爺は小池フアン。投票できないのが悔しいくらい。今度の選挙が安倍一強衰退への潮目に変わればいいが・・・。

有権者の批判票は受け皿さえあれば、ドッと票は流れることが改めて証明された。

2017年7月 2日 (日)

あさ爺の徒然日記(589) 6月30日(金) 寒川神社へ

今日は大祓の日。寒川神社へ出かける。先日、娘は後厄でお詣りしたそうだ。最先端の医療技術に接している彼女も、ホンネの部分は神頼みか縁起担ぎがあるのだろうか?

ここの神社では大祓式は午後2時からと定められ、それまではちの輪くぐりもできない。我々は簡略化して、本殿前で後半の無病息災を祈る。今月は神様のご利益がなかったのではと疑ったりしてみるが、最悪の事態にはならず入院も免れたのは、とりもなおさず神様のお陰ではあるまいか?と、今年前半のお礼も申し上げる。

JAのわいわい市で買い物をし、農園に立ち寄ってささやかな作物を収穫。近くのゴルフ倶楽部のレストランでお昼にする。ここはゴルフされないお客さんも多い人気のお店。東京の一流ホテルの直営レストラン。有名なプロゴルファーの生花がいくつか飾られていた。

こうして早くも、今年の前半が終了しました。

あさ爺の徒然日記(588) 6月28日(水) 久しぶりに健康診断

昨年もパスした健康診断、今年は受けなければと思っていた矢先に、救急車搬送事件が起こってしまった。数年前に同じような症状に襲われた時に、軽く考え専門医の受診を怠った代償を払うことになったわけだ。

そんなわけで今回は今のかかりつけ医で搬送手配をしてくださった、Nクリニックで初めての健康診断に臨む。今までは特に医院は決めていなかったが、今回は今の状況を把握されておられる先生に、診ていただいた方がよかろうと判断。

アンチ健診派のカミさんも今年は受診に踏み切る。彼女は数年ぶりではないだろうか?何年か前に、娘が勤務していたクリニックで人間ドックを受診して以来では?あさ爺も現役時代は夫婦で人間ドックに日帰り、又は1泊で診て貰ったが、リタイアした後は、高額の健診代がネックとなって・・・。

その内、市の健診すら受けたりサボったりのここ数年・・・。そして、今年はその天罰が下った次第。結果は後日だが、もとより合格点は期待できない今の状況と心境なのです。

2017年7月 1日 (土)

あさ爺の徒然日記(587) 6月27日(火) スタジオ ライフ

「スタジオ ライフ」の公演を観る。女性だけの劇団である宝塚歌劇団には、過去に何度か通ったことがあるが、男性だけの劇団の公演を観たのは今日が初めてだった。イヤ、正確には歌舞伎も男性だけだから、初めてと云うのは当たらないかもしれないし、他にもあったかも知れない。

しかし、イケメンの若い男優が演じる舞台は、あさ爺のような年寄り夫婦には場違いかなとも思った。場所は、新宿花園通りにあるシアターサンモール。作品は「スモール ポピーズ」と云う、オーストラリアのさる小学校での日常を描いたもの。ここにはカンボジアやベトナムからの移民や難民の子どもたちも通っている。その子どもたちの中での軋轢や、教師、親たちが織り成す物語。

背の高い母親や女教師は美人でも男優とわかるが、背の高くない子供たちの中の女の子は、最後までホントの女の子ではないかと疑ったくらい。でもこの劇団には、女性は演出家の倉田淳のみとなっているから、あの可憐なベトナムの少女も間違いなくみんな男優で、その為か、ホールには若い女性やそうでない女性も多く詰めかけている。

宝塚もフアンの大半は若い女性だが、この男性劇団も観客層は同じのようだ。この歳になっていいものを見せていただいたと思っている。

あさ爺の徒然日記(586) 6月26日(月) 藤井総太四段新記録!

小学生の時に兄から教わって、駒の動かし方を覚えた程度の、門外漢のあさ爺には縁遠い話だが、藤井総太四段の快進撃が止まらない。それもプロデビュー以後負け知らずと云う、とてつもない29連勝の大記録である。

迎え撃つ先輩棋士にとっては複雑な心境だろうが、おかげで注目されてと苦笑いされておられる向きもあるし、連盟の人たちは将棋を志す子どもたちが増えてありがたいと手放しで喜んでもおられる。確かにすそ野は広がるだろうし、対局中の将棋ソフトカンニング疑惑騒動で、会長が辞任する騒ぎがあった後なので、今回の藤井フィーバーは将棋連盟にとっても「神風」であることは間違いない。

偶然かも知れないが、史上最年長の加藤一二三九段の引退と重なり、しかもデビュー戦がその「ひふみん」との歳の差63歳対決だったことも話題を呼んだ。内閣の人気が急降下してしらけムードの世の中に、一輪咲いた大輪の花なのだ。号外が出るのもうなづける。そして、何よりもこの人気沸騰の原因は、藤井総太くん自身の謙虚さにある。

あの傲慢で誠意のかけらもない某総理とは、雲泥の差なのである。連勝記録はいつかは止まる。しかし、更にその先の高みを目指す藤井少年の今後に、目を離すことができない。

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