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2017年8月

2017年8月31日 (木)

あさ爺の徒然日記(645) 8月31日(木) 生涯現役は夢のまた夢

暑いのか涼しかったのか、はっきりしなかった今年の夏。その8月も今日で終わり。大気の不安定な天候は最後の最後まで健在で、未明から荒れ模様の天気だ。

健康を害した為に、家でゴロゴロしてたこの夏でした。おかげで、特にすることもないために、ブログだけは6月以降から連日更新を続ける結果に。そうした中で、あさ爺よりも年長者が大勢働いて元気いっぱいの姿を見ると、己の不甲斐なさが身に染みる。

生涯現役は理想だが、これは健康とやる気にプラス運も欠かせないし、何より卓越した才能が備わっていればの話だろう。芸術家なんか特にそうだし・・・。高齢化社会で多くの年寄りが仕事を続けるのは、年金が少ないかマッタクない為の止むを得ないことで、生涯現役とは少し意味が違う感じがする。

あさ爺も健康を回復した暁には、何か生きがいを探さねばと瞑想しているところです。

2017年8月30日 (水)

あさ爺の徒然日記(644) 8月30日(水) 平和祈念展示資料館

昨日のことだが、新宿住友ビルの48階にある、平和祈念展示資料館を初めて見学した。企画展で「漫画でたどる引揚げ展」が開催されている。朝鮮半島からの引揚者70余万(軍人軍属を除く)の一人であるあさ爺としては、是非とも見ておきたかったものだ。

3歳未満だった為に、引揚げの過酷な記憶はない。それだけに親も余り語ろうとしなかった引揚げが、実際はどんなものだったか・・・と。内地生まれのカミさんにも、一緒に見てもらった。

親はもう亡いが、離れて暮らす姉や兄が健在の内に、更に詳しく聴いておきたいとも思った。館内のビデオシアターでは満州から引揚げた語り部たちの記録映画もあった。

ここは総務省の運営になるが、まず史実に忠実で、変な政府寄りの印象はなかった。ま、美化できるような話でもないし・・・。又、機会を見つけて再訪したいと思っている。

あさ爺の徒然日記(643) 8月29日(火) 平成の空襲警報

午前6時過ぎ、けたたましい音声で飛び起きた。北のミサイル発射で出された、「Jアラート」と呼ばれる政府からの緊急警報。しかし、内容は無責任極まりないシロモノだ。範囲は北海道、東北から関東甲信越のほぼ東日本全域。頑丈な建物に避難せよと叫び続ける。

余りに漠然としていて、避難のしようがないではないか?これは恐らく、被害があっても政府の命令に従わず、呆然と何もしなかったお前さんが悪いのであって、行政にはナンの落ち度もないと・・・。

でも、昔の空襲警報の方が、もっと地域限定で具体的だった(そうだ)。普段から、防空壕も作られていたし、防空ズキンもあった。バケツリレーの訓練も怠りがなかった。もっとも、実際には殆ど役に立たなかったそうだが。

今度の警報に際しての事前の訓練は、一切何もされてなかったからみんな戸惑ったに違いない。小学校の体育館があさ爺地区の避難場所だが、あの屋根がミサイルを弾き返すとは到底思えない。むしろ被害は拡大されそうだ。

そして政府の発表には苦笑した。「破壊措置は実施せず」・・・と。要するに間に合わなかったと云うことだろう。それを実施せず・・・とは。これでは大本営発表とおんなじだ。

そう云えばモリからカケに至る大本営発表は、ことごとくウソの上塗りだった(と思える)。歴史は着実に繰り返されている。

2017年8月28日 (月)

あさ爺の徒然日記(642) 8月28日(月) 民進党代表は?

茨城県知事選挙で、現職で7選を目指した橋本氏が敗れた。自公の勝利と陣営は大喜びだし、政府も一息ついたか。県の事情はよくわからないが、7選は長すぎる。自民(公明)が勝ったと云うより、オウンゴールみたいなものでは?

公明は都議選でぎくしゃくした自民との関係修復の為に、積極的にテコ入れしたそうだ。創価学会が力を入れると、それはそれは怖いものがある。茨城県民には迷惑な話だったろう。せめて自主投票してくれれば、橋本氏は負けなかったのでは?

ところで民進党の代表選挙の行方は?メディアがニュース価値なしとして、殆ど無視しているのでよくワカラナイ。国会議員票で前原氏が優勢らしい。でも、彼が勝てば共産党との連携は消える。小池百合子ファーストとの連携を模索するだろうが、彼女は民進党に冷たい人だ。

枝野氏が勝てば、保守系議員は雪崩を打って離党する。小池側近の若狭氏が面接をして受け入れを決めてゆくのだろう。いずれにしても、民進党は分裂するのでは?今から6年前の代表選挙では野田氏が海江田氏を破って、当時の民主党政権の代表、つまり首相になった。終わりの始まりだった。

翌年末の総選挙で壊滅状態に。あれから安倍一強の暗黒時代に入ったと、後世の教科書には出てくる筈だ。

2017年8月27日 (日)

あさ爺の徒然日記(641) 8月27日(日) 甲子園の戦い済んで・・・

この情報過多の時代、わずか4日前の話でも随分昔のような気がしてくる。夏の甲子園、埼玉の花咲徳栄が県勢として初めての優勝を飾った。準優勝は広陵。激戦地を勝ち抜いた我らが神奈川の横浜は、ナント初戦敗退。打力が看板で、全国制覇も視野に入っていた筈なのに。

相手は熊本の秀岳館だった。しかし、このチームには補欠の一人を除いて、全員が県外、それも監督が連れてきた大阪の生徒が殆どだそうだ。文句なく、野球の学校。

熊本と云えば、熊本工業や済々黌などがオールドファンには懐かしい。しかし、ここ数年は秀岳館が常連校だ。はっきり云って面白みがない。県民も冷めているのでは。

でも、お互い様だ。横浜も県外から広く集めている。かの松坂大輔も千葉の出身だ。相撲のモンゴルもそうだが、甲子園に出やすい地方を狙って多くの野球留学、興ざめだ。だからこそ、今年の三本松などが光って見える。

愛媛の済美もそうだ。昔は女子高だった。共学化して知名度を高める手段として、野球選手を広く集めて成功した。無知を承知で、花咲も広陵も似たようなものでは?違反ではないが、郷土の誇りとは言えないだろう。それでも応援しますか?

あさ爺の徒然日記(640) 8月26日(土) 花火で秋を感じる

秋田県の大曲花火大会、雄物川の氾濫で開催が危ぶまれたが、無事、日本一の花火を披露することが出来たようだ。花火師や関係者の執念の賜物だが、あさ爺ならとても無理でしょとすぐ諦めそうだ。

昔、逗子の花火大会の事務局をしていて、天気予報が不安な中、開催に踏み切ったことがある。不安が的中して、終了間際になって土砂降りとなった苦い思い出がよみがえる。でも、関係者の間では、強行して良かったと云う感想が多かった。

中止や延期をみんな嫌がっていたから。正直、関係者はあまり観客のことを考えていないものだ。確かに予報を承知で、傘を用意しているお客さまも多かった。桟敷席はともかく、ほとんどが無料で見物できる行事なので、自己責任と云う考え方なのだ。

今夜は、近くのスーパーの屋上駐車場から、隣町綾瀬市の花火大会を見物した。この夏は、厚木、茅ヶ崎、江の島、そして昨日の平塚と湘南の花火を楽しんだ。頭上で炸裂すると云う迫力には欠けていたが、いずれも自宅から徒歩数分で行ける見物場所。

今夜はご近所のご夫婦と4人で、宴会をしながら逝く夏を惜しんだのでありました。

あさ爺の徒然日記(639) 8月25日(金) 歯医者で肩凝る

1ヶ月くらい前になるかと思うが、むし歯治療で詰めていた金属が取れた。しかし、歯医者の予約が取れず、うがいや歯磨きの度に神経を逆なでしてくれて、鏡にしかめっ面の己が醜い顔をさらしていた。

今日の夕方にようやく「待望の」治療をしてもらった。老人となっても歯の中の神経は、何故か元気溌剌としている。麻酔注射を打たれてもへこたれない。大口を開けたままの俎板の鯉である。

苦しいから思わずのけぞったり咳き込んだりすると、鼻で息をしてください、口で息するから苦しいのですと諭されても、口を閉じてたら造作もないが、開けたままで鼻呼吸せよと云われても、そんな器用なことができない。「あ~、????」(先生、無理ですよ~の意)と、言葉にならない言葉を発する。

ここ数年の間、大腸ポリープの摘出手術、鼠径ヘルニアの手術、今年の救急車騒ぎと、お騒がせしてきたあさ爺ですが、今日の歯の治療が一番苦しかったですねぇ。おかげで後遺症なのか、肩がパンパンに凝ってしまいました。病院で出してもらっていた湿布薬を両肩にペタペタと張りました。これも応急措置でしょうか?

部品が取れたくらいで大騒ぎをして、またまた医療費の無駄遣いをしてしまいました。

あさ爺の徒然日記(638) 8月24日(木) 地蔵盆の思い出

今日は京都の地蔵ぼん。この風習は各地にあると思われるが、かつて住んだ京都での地蔵ぼんが懐かしい。町内にあるお地蔵様に着飾った子どもたちが集まって、お供えをしたりお遊びをして楽しく過ごすのである。

転勤で各地を渡り歩いたが、京都のように各地域で盛んに行われているのをあまり見た記憶がない。スマホゲーム全盛で、しかも夜の子どもの外出が物騒な時代になってきたが、今でもこの古き良きニッポンの風習は続いているだろうか?

「新日本風土記」と云う長寿番組がある。今ハヤリの旅番組ではなく、その地に根付いている様々な行事や風習を映像に捉えている番組だ。モチロン、それを見て旅心をそそられることもある。戦前、或いは昭和30年代まではそうした伝統行事が各地に当たり前のように存在していた。

しかしながら、高度成長期からバブルへと移り、やがてそれがはじけて急速に進んだ過疎化、少子高齢化でニホンは様変わりしてしまった。それを掘り起こしたり、昔の映像を見せてくれるのがこの番組の持ち味で、対象は広く各地に及んでいる。

大規模で有名なお祭りもいいが、こうした地域の小さな風習もナントか後世につないでいって貰いたいものだ。

2017年8月24日 (木)

あさ爺の徒然日記(637) 8月23日(水) 再び「モース展」へ

日大博物館の「モース展」を再び見たくなり出かけた。今日は「処暑」で暑さも次第におさまり、秋の涼気がしのびよる日だそうだ。しかし、これまでの涼しい夏がおさまり、一転厳しい残暑に見舞われた一日となった。

あさ爺の棲家からだと日大藤沢キャンパスへは歩けない距離ではないが、この炎天下、しかも療養中の半病人には不可能なので車で出かける。幸い、このキャンパスは緑がいっぱいで木陰の中を散策できる。

時折、冷房の効いた建物で涼んだりしながら、まずは図書館棟の中にあるレストランでランチ。今日はカミさんに付き添いを頼んだが、2週間前に入ったばかりのレストランの場所がわからず、ボケがひどくなっていると叱られて、ひどく落ち込んだ。

最近、勝手に間違った思い込みがインプットされて、後でナンデあんな間違いを・・・と後悔することが多い。認知症は忘れた頃にやって来るのではなく、どうやら間違いなく現在進行形のようだ。

夏休み期間中でも、熱心な学生は勉学に励んでいる。ここは生物資源科学部と云うこともあり、緑が溢れていて夏場の散策には助かる。午後は博物館でじっくりと江の島ゆかりのモースの足跡を辿った。ボケても知識欲旺盛なあさ爺なのです。

2017年8月22日 (火)

あさ爺の徒然日記(636) 8月22日(火) 高血圧

昨夜、テレビを見ていて急にカラダに異変を感じた。うつらうつらと居眠りをするのはいつもあることだが、そうではなくて急にフラフラし始めたのである。そこで椅子から立ち上がってみたら、まっすぐに歩けない。何かに掴まらないと崩れそうなのだ。

恐怖心が湧いてきた。このまま死ぬのかな?死ぬならともかく脳梗塞かなんかで半身不随状態になるのがもっと怖い。家族に助けを求めようかとも思ったが、動転されてしまうことになりかねない。なんとかこの危機を乗り越えようと、フラフラしながら考えた。

目まいとか貧血とも違う感じだ。これは不整脈か高血圧に違いないと、急いで血圧を測ってみた。案の定、かなり高い数値が出た。それを見て、今度は目まいが起きそうになった。救急車のピーポーが脳裏をかすめたが、「こんなことで」いちいち呼ぶのはいかがなものかと考えたら、少しばかり冷静になれた。

寝るのが一番と、床を敷いてひっくり返る。一瞬、朝を迎えられるかと不安になったが、寝てる間なら本人は楽かもなんて能天気なことを考える。そして、無事、朝を迎えた。しかし、後遺症なのか今日は一日血圧の高い状態が続いた。熱はなかったが、頭が少し痛かった。

フラフラはおさまったが、はっきりした原因がわからないので、まだまだ安静は必要なんだろうと観念したあさ爺です。

あさ爺の徒然日記(635) 8月21日(月) 72年後に知った事実

8月は戦争に関する番組が多いのは今までと同じだが、今年は新たに発掘された映像の公開が目立つ。恐らくNHKの会長が交代した影響もあるのだろう。前の籾井会長であれば、絶対に電波には乗せなかった筈だ。

ミスキャストと思える首相の友達で、NHKは政権べったりだった。今年は政権に具合の悪い当時の映像も、多く流されているように思える。従って、戦後72年経って初めて知った事実も多い。

米国が日本の戦犯容疑者を免罪にして、防共の任務を与えた事実には驚愕した。絞首台の露と消えた戦犯がいた一方で、進駐軍に取り入ってアメリカの手先となって暗躍した元戦犯がたくさんいたと云うのである。又、公職追放された政治家や実業家、文化人も追放解除されて進駐軍に積極的に協力したそうだ。

それだけならまだしも、米軍の放出物資や政府、軍が隠匿した物資が、その人たちに大量に流れた事実がある。戦後成金や元財閥が息を吹き返した理由がわかった気がした。巷には多くの餓死者が出た当時の日本において、一方では優雅な生活をおくった特権階級が存在していたとなると、引揚者として困窮のどん底にいたあさ爺はたまらない気持ちになる。

戦争と云うものはそう云うものなのだ。右翼や軍人だけが悪いのではない。それを利用した巨悪が群がった戦後だったのである。

2017年8月20日 (日)

あさ爺の徒然日記(634) 8月20日(日) 結果的に延命治療??

あさ爺が救急車で運ばれて、今日で75日が経過した。応急の措置を受けて、幸い入院することもなく今に至っている。ただ、運ばれた総合病院から地域のかかりつけ医に戻されて、投薬と経過観察のための通院は続いている。

症状が安定してきているので、診察の間隔は1週間後から2週間後へ、更に4週間後へと延びてきた。血液をサラサラにする為の(血流を良くする為の)薬、胃にかかる負担を軽減するための薬、そして血圧を下げる薬の3種類が処方されている。

今のところ、最初の頃に見られた副作用を少なくする薬に改められているので、日常生活は発症前よりもだいぶ落ち着いている。有難いことだ、しかし・・・。国保の自己負担額から逆算すると、医療費総額はバカにならない。75歳目前の老人に、これからエンドレスにこの医療費がかかるのかと思うと複雑な気持ちになる。

ひと昔前なら恐らく病名もはっきりせず、胸の苦しみをやわらげる薬を当座分だけ与えられて終わりだったろう。モチロン、安静に過ごすようにとのご託宣はあるかもしれない。緑内障予備軍として続けている点眼薬もしかり、完治する見込みはなく、症状が悪化するのを防ぐための治療であり服薬である。

つまり生きてる限りは・・・と云うわけ。これって延命治療では?高齢化社会でうなぎのぼりの医療費の片棒を担いでいる居心地の悪さ・・・。生かされていることに感謝して、何か世の中にお役に立てることが出来ればいいのだが、今は頭を抱えてうなだれているだけのあさ爺でございます。

2017年8月19日 (土)

あさ爺の徒然日記(633) 8月19日(土) インパール作戦と電通事件

唐突だが太平洋戦争で最も無謀な作戦と云われたインパール作戦、高橋まつりさんを死に追いやった電通事件、ここに共通した日本人の抱える精神構造を感じる。

NHKテレビのドキュメントの受け売りだが、インパールの前線基地で兵站がとても無理だと作戦の中止を進言した経理課長がいたそうだ。冷静に考えるまでもなく牟田口廉也司令官以下の幹部将校は、それが事実だと皆わかっていた。

しかし司令官は「貴様に大和魂はあるのか!」と一喝。他の将校もそれに疑義をはさまなかったそうだ。かくして、進言は無視され数万の日本兵が死んだ。しかも戦闘ではなく、大半は病死と餓死だった。

かたや、電通の社員に配布されていた「社員訓」、正式の名前は忘れたが、何せおっかない戦陣訓みたいな内容だったと聞いている。共通しているのは科学的な戦略・戦術ではなく、死んでも奪い取れ(敵陣地或いはライバル企業との競合)と云う精神訓。

兵も社員も一銭五厘の赤紙で集められたような軽い存在で、命の重みはまるでない。何もインパールや電通に限ったことではない。どの戦場、どの企業でもその考え方が土台になっているのだ。これは日本人特有の精神構造なのだ。

だから、現在も未来も、同じ過ちを繰り返すだろう。原爆慰霊碑の誓いの言葉が空しく思える。

2017年8月18日 (金)

あさ爺の徒然日記(632) 8月18日(金) 三本松高ベスト8へ

雨で2日間順延された甲子園、今日は3回戦であさ爺の郷土の学校三本松高校が二松学舎を破って、ベスト8に進んだ。今大会で3回目の出場だが、見事に初戦を突破した。更に東京の強豪校に勝ったのである。母校ではないが嬉しい。

公立高校として唯一勝ち残っている。単に県立高校と云うだけでなく、元々進学校としても知られている。あさ爺は学生時代の4年間を東京の三田にある、県人寮で暮らした。その同期生に三高出身の東大生が2人いた。

5浪し理一に入ったYさん、2浪で同じく理一に合格されたMさん。共に年長者と云うこともあり、先輩も一目置くし、我々からすれば頼りになるオッサンだった。みんなに慕われ、4年間を過ごした。Yさんとは2人で大菩薩嶺に登ったこともある。北海道一人旅の時に、大沼で東大ゼミ仲間と列車から降りて来られて、お互いに驚いた思い出も。

Mさんは数年前に他界された。愛知県知多での告別式に駆け付け、奥様と義母に当たられるお母様に再会した。学生時代からよく存じ上げた母娘だった。三本松高校のOBには元東大総長の南原繁さん、相撲解説で人気のあった神風正一さんがおられる。多士済々の人材を輩出した名門校でもある。

2017年8月17日 (木)

あさ爺の徒然日記(631) 8月17日(木) 核の傘による恩恵?

戦後72年もの長い間、日本に平和をもたらした要因。平和憲法の存在も確かにある。それが右派の暴走を食い止めてきた。大半の国民が戦争を嫌ったことも大きい。そして日米同盟、とりわけ米国の核の傘にあったことだろう。

代々の自民党政府は、日米安保は片務契約だと云ったきた。問題の駆け付け警護の容認はその延長線上にある。あさ爺もこれまではそれも一理あるかなと思っていた。しかし、米軍による第二次世界大戦における日本への無差別爆撃は、重大な戦争犯罪であろう。戦勝国だから不問に付されただけの問題。

軍需工場でもなければ、モチロン軍事基地でもない都市への焼夷弾攻撃と究極の原子爆弾。兵士ではなく、幼い子どもや女性、年寄りたちが百万人前後犠牲になった。この不問に付された戦争犯罪の代償として、日本はそのアメリカによる核の傘を受け入れたとも云える。

制空権を失った日本の上空をB29が絨毯爆撃し、大都市を焼き尽くした後は地方都市に広げ、グラマンで逃げ惑う市民を狙い撃ちした。しかし、戦後になっても敗戦国は、米国への追及や損害賠償請求も出来なかった。

従軍慰安婦や徴用工どころの被害ではなかったが、日本国民は未来志向で封印し、敢えて核の傘に甘んじたのではないだろうか?

2017年8月16日 (水)

あさ爺の徒然日記(630) 8月16日(水) 五山の送り火

テレビの中継映像ではあるが、京都五山の送り火を見る。昨年は大雨にたたられてご先祖様も極楽浄土へ戻るのに苦労されたらしいが、今宵は好天に恵まれて美しい送り火が見られた。

古い話で恐縮だが、あさ爺20代最後の年の今夜、京都鴨川の川床で東山如意が岳の大文字送り火を見物した。鴨川べりの老舗旅館のご主人や女将さんたちも交えての、記憶に残る一夜だった。45年前の話だ。

この年は戦後の日本にとって大きな政治的出来事が相次いだ節目の年でもあった。沖縄返還が実現し、中国との国交正常化も実現した。前者は佐藤栄作、後者は田中角栄と云う傑出した首相が主導したものだった。世は空前の列島改造ブームに沸いた年であり、上野公園に到着したパンダ見たさの大行列も記憶に残る出来事。

とりわけ沖縄戦で多大の犠牲を強いられた島民やひめゆり学徒隊らの悲劇、日米双方の夥しい戦死者の魂を鎮魂する五山の炎でもあった。沖縄が戻らない内は、まだ日本の戦後は終わらないと云われていた。この年にグアムから元日本兵の横井庄一さんが生還したが、小野田少尉が帰還したのはその2年後。中韓やロシアとの戦後処理は、いまだに揉めている。

まだまだ戦後は終わっていないのだ。

2017年8月15日 (火)

あさ爺の徒然日記(629) 8月15日(火) 72年目の終戦記念日

正午、戦没者追悼式に合わせて黙祷をする。直接の戦争体験はないものの、映画やテレビで見た戦争映像がフラッシュバックされる。1分間、手を合わせている間に、空襲下を逃げ惑う女、老人、子どもたちやソ連兵に銃を向けられた、満州や朝鮮からの引揚者の怯えた表情等々。

沖縄戦で白旗を掲げた裸足の少女、終戦後も樺太で絶望的な状況下に置かれた女性たち。浮かんでは消えるその情景は、すべて一般人だ。いわゆる銃後の人たちであり、逃げ惑う開拓者や新天地で夢見た本土からの移民たちである。

そしてその後に現れる光景は終戦直後の街角風景。義手や松葉杖でアコーディオンを弾いている白衣の傷痍軍人や派手な衣装でタバコをふかせ、進駐軍兵士と戯れる女、靴を磨かせてくれと叫ぶ少年たち。そしてボロをまとった母親に手を引かれて歩く3、4歳のみすぼらしい男の子、それはあさ爺の幼き日の姿であった。

そこまで浮かんだところで黙祷終わりの合図が聞こえた。あさ爺の脳裏をよぎったのは、パールハーバーでもなければ、セレベスに降下する美しい落下傘部隊でもなかった。銃後で逃げ惑う市井の人々なのだ。

戦後生まれの政治家もせめてこの位の想像力は持って欲しいものだ。超党派(自民・維新・民進)の靖国議員団が集団参拝している。残念ながら、彼ら彼女らに平和を切望する表情は汲み取ることができなかった。

2017年8月14日 (月)

あさ爺の徒然日記(628) 8月14日(月) 戦争の記録映像

終戦記念日を前にして、テレビでは戦争と平和を考える番組が放映されている。余りテレビと仲良く暮らすのはいいことではないと分かっているが、見たい番組を見逃すととても後悔するような気がして、ついつい録画をしてしまうことになる。

家でゴロゴロしていると家族からも疎んじられるし、5月までは家でマイペースの日常を送っていたであろうカミさんはきっと鬱陶しいのではないか?体調が良ければ散歩に出かけたり、些細な用事を見つけてスーパーに買い物に出かけたりして、それなりに気を遣っているつもりだ。

ところでそのテレビで見る戦争映像だが、あさ爺自身、戦争体験があるわけではない。引揚げの過酷な記憶もない。親にしてみれば、この子は何も覚えていないなんて・・・と嘆きもすれば、覚えていなくて良かったとも云う。もうその親もいない。

子どもや孫に戦争体験を伝えるスベはない。だからこうした番組は貴重なのだが、NHKを中心に放映される映像を若い人たちは余り見ていないのではと気がかりである。同じ時間の他のチャンネルでは、お笑い芸人たちがスタジオで大口を開けて笑いこけている。

17歳で特攻に散った少年兵もいたそうだが、彼らは祖国や家族の為に命を捧げたのだ。

あさ爺の徒然日記(627) 8月13日(日) 阿波踊り

高知のよさこい祭りに続いて、徳島の阿波おどりも昨日から始まった。東北と同じく四国も、4都市の祭りが日にちをずらして続く。トリが阿波おどりだ。全国的にもこれが最も有名であるし、高円寺のように各地に広まってもいる。

そして今日からは岐阜の郡上おどりが始まった。郡上八幡は憧れの街だが、まだ行ったことはないし、もう行く機会はないのだろう。先日、藤沢「遊行の盆」に本場から郡上踊りの一行が招かれて、目抜き通りを踊ってくれた。地元のケーブルテレビが中継したのを録画で見る。ゆったりした踊りで、見物客も一緒に踊った。

見る阿呆で踊らにゃソンソンと唄われる阿波踊りだが、これは簡単に見えても実際には飛び入りで踊るのは難しい。あさ爺は20代の時に、お客さまと一緒に阿波踊りに「参加」したことがある。京都の方々で一つの連を作り揃いの浴衣を着た、やや本格的なものだった。あさ爺も一番後ろにくっついて、男踊りの真似事をやった。きっと、一人だけタコ踊りかネズミ踊りに見えたのではないか?

後年、今度は徳島に住む親せきの家族と一緒に桟敷席で見物した。幼かった子どもたちは覚えているだろうか?さだまさしの原作を映画化した「眉山」で、松嶋菜々子が阿波踊りの群舞の中に立つ映像が印象にも残っている。

2017年8月12日 (土)

あさ爺の徒然日記(626) 8月12日(土) 航空には魔の日

日航機が墜落した大惨事から32年になる。いまだに鮮明に記憶している事故の映像だが、20代以下の若い人たちにはもう歴史上の一コマとなってしまった。

この日のことでは、あさ爺は更に古い航空機事故の記憶がある。偶然にも全く同じ日に起きた惨事だった。昭和33年に起きた全日空のダグラスDC3型旅客機の下田沖墜落事故だ。乗客乗員33名全員が死亡した。

極東航空と日本ヘリコプター(日ぺり)が合併して、純民間航空としての全日本空輸(全日空)が誕生して間もない頃の時代だった。あさ爺はもう高校生だったから、よく覚えている。当時は飛行機に乗る人は裕福な階層か、春や秋なら新婚旅行に利用する人たちが一般的だった筈。ニュースには惹きつけられたが、あさ爺が飛行機に乗る等は想像もできないことだった。

日航機以降は国内の大事故は起きていない。整備が進化し、安全基準が厳しくなったためであろう。だが、格安航空会社が増え、あさ爺も現在のドメ(国内)のキャリア(航空会社)名はスラスラとは云えない。

過当競争が招く整備の手抜きが起こらぬことを願うしかない。

あさ爺の徒然日記(625) 8月11日(金) 山の日

今日が祝日になったのは、昨年からだったかな?何故この日が「山の日」なのかは知らない。恐らく「海の日」があるから、公平にと云う発想か?それもお盆休みに引っ掛けて、経済活動や学校現場に影響の少ないこの日を選んだに違いない。

それならついでに8月15日を「平和の日」として祝日化して欲しいところだ。実際、これはあさ爺の思い付きではなく、以前から提唱されてきたことであったと思う。民主党政権時代に制定すべきであった。そうすれば、さすがは平和を愛する民主党だと国民の一人として喝采を送ったのに・・・。

今の安倍政権ではあり得ない夢の話。彼なら仮に制定しても、祝日名は多分「靖国の日」か「英霊の日」。そして12月8日も祝日化して「戦勝記念日」か「東亜の日」と命名されるだろう。

ところで本題の「山の日」、テレビで日本百名山等の山番組が人気だ。あさ爺も弱った脚をさすりながら、映像の中で山行きを味わっている。今年も高校時代の仲間たちが、大挙して上高地と乗鞍に出かけた。毎年、信州を中心に山歩きをしている。

療養中のあさ爺は指をくわえて、ネットで送られてきた河童橋や乗鞍山頂での楽しそうな集合写真を眺めている。

2017年8月11日 (金)

あさ爺の徒然日記(624) 8月10日(木) ミュージカル鑑賞

新聞社の招待で、都内荒川区の「ムーブ町屋」に出かけた。郡司企画のミュージカルファンタジー「真夏の夜の夢」を鑑賞する。シェイクスピアの作品は、題名だけはよく知っているつもりだが、ストーリーは不勉強でほとんど知らない。

この著名な作品も、今日のミュージカルであらましを知ったような次第。モチロン、脚本により原作とは必ずしも一致したものではないだろう。しかし、歌とダンスで舞台を跳ね回っている躍動感は、若さの素晴らしさも堪能させていただいた。

王様を演じた郡司行雄は130本以上の作品をプロデュースしているベテランで、飯塚恵子、原田真帆、京香、井上果歩と云った女優陣が可憐な、或いは妖艶な、更には情熱的なヒロインや夢の中の妖精を演じている。

ところで、この町屋は余り縁のない場所なのだが、よく出かけている北区の王子とは都電荒川線で結ばれているし、あさ爺の住んでる町からは小田急とメトロ千代田線で簡単に行くことができた。このルートだと、JR利用よりも半額近い運賃。

時間を別にすれば、私鉄をフルに活用することにより、かなり遠くまで「近鉄(ちかてつ)の旅」を楽しめそうだ。暇はあるが、お金はない鉄道ファンのあさ爺にはぴったりの乗り鉄だ。

あさ爺の徒然日記(623) 8月9日(水) エドワード・モース展

EFGの研修で、日本大学生物資源科学部の博物館(小田急六会日大前駅下車)に出かけた。ここでエドワード・モース来日140年を記念した「モースと相模湾の生き物」展が開かれている。

江の島を活動の舞台にしているガイドクラブとしては、モースは馴染みの人であり、ガイドとしても更に深く知っておきたいところでもあるわけだ。1877年(明治10)にモースは東洋初の臨界実験所を江の島に設けた。西南戦争の年であり、まだ維新後10年しか経っていない時期だった。

江の島にはモースに関する案内板や記念碑も設置されているが、一般には余り知られていない。彼の場合は何と言っても大森貝塚の発見者として名前が知られている。しかし、最近は中高の教科書から記述が消えつつあるそうだ。何故だかはわからない。お雇い外国人や来日した欧米の学者によって、日本の近代化が始まったことを快く思ってない人たちが多いのだろうか?

そう云えば、現在の崇高な理想を掲げた日本国憲法も、日本人の手による「自主憲法」に早く変えたいと騒いでいる昨今のニッポンである。

あさ爺の徒然日記(622) 8月8日(火) 64年前の甲子園

甲子園の高校野球が開幕した。夏の大会は今年が99回大会。ほぼ1世紀の歴史を刻んだことになる。途中、戦争による中断もあった。今回は珍しく台風の影響でスタートから出鼻をくじかれ、一日遅れの開会式に。

最近の選手宣誓は立派なもので、いつも感心する。それに引き換え、大会会長や文科相の祝辞などは退屈なものだ。大人も原稿は見ずに、選手や観客を見つめながら話が出来ないものか?特に文科相は大臣ではなく、副大臣が祝辞を代読した。欠席なら代理は必要ない。選手も炎天下、早く終わって欲しいと思ってる筈だ。

あさ爺の甲子園デビューは64年前の決勝戦の観戦だったと思う。小学5年生だったか。優勝したのは松山商業で、記憶に間違いがなければ決勝戦の相手は土佐高校。つまり四国勢同士で真紅の大優勝旗を争った。そのためにわざわざ四国から駆けつけたわけではなかったが、兄と従兄弟の3人で内野席に座った。優勝投手は空谷と云ったが、プロに進んだ後は姓が変わっていたように記憶している。

今年の開幕戦は彦根東が公立同士の戦いを制した。進学校で田原総一郎や細野豪志、鳥越俊太郎らの母校でもある。目が離せない大会になりそうだ。

2017年8月 9日 (水)

あさ爺の徒然日記(621) 8月7日(月) 真夏に雪が降った?

先月17日には藤沢でヒョウが降った。それは雷と共にやってきた真夏の異変。しかし、あさ爺は40年前の今日8月7日、札幌の街に「大量の雪」が降ったことを記憶しているのだ。

しかし、それは残業で眼が疲れていたことによる慌て者の勘違いだった。まるで、「雪の降る街を」の歌の情景そのままに時計台通りのオフィス街に、しんしんと降り積もっていたのは火山灰だった。一瞬にして我に返ったあさ爺青年?は、それが有珠山の大噴火によるものではと察知した。

実は1週間位前から、有珠山周辺で火山性地震が頻発しているとのニュースが流れていた。距離は離れているが、桜島の大正噴火や磐梯山の例もあるし、江戸に火山灰を降らせた富士山の宝永噴火のこともある。果たして、カーラジオは道央に大量の火山灰が降っていると伝えていた。

洞爺湖温泉街はポンペイのように壊滅したのではないかと恐れた。知己となっていた多くの温泉旅館のご主人や女将さんの、助けを求める顔が脳裏に浮かんだ。結果は幸いにして人的被害は免れたが、夏の稼ぎ時の洞爺湖温泉は1年ほどの休業を余儀なくされたのであった。

あさ爺の徒然日記(620) 8月6日(日) 平和を祈る

72回目の原爆記念日。テレビで式典の中継を見る。市長の話は長過ぎた。平和宣言ならば簡潔に心に響く内容にまとめて欲しいところだ。首相の話はもう国民の誰もが、この人は「平和主義者」ではないことを良く知っているから、初めからシラケムードだ。

しかも原稿の棒読み。総理も辛いところだ。6月23日の沖縄慰霊の日、今日の広島、9日の長崎、そして15日の戦没者慰霊式典・・・。本音のところはどれも出たくない。立場上出席するがたとえ役所の書いた原稿でも、自分の本心と大きく異なるからしゃべりたくはない。安倍さんがお気の毒で仕方がない。

核廃絶なんて市長のように気楽なことは、とても自分の口が裂けても云えないのだから・・・。稲田ちゃんのようにその日はどこかに外遊できれば、そんなにお苦しみになられることもなかろうに。

良かったのは、こども代表のスピーチ。市長も総理も頭はいいのだから、自分の言葉でしゃべれる範囲の短い演説をすればいいのだ。ココロの琴線に触れる、記憶に残るお言葉を・・・。あさ爺は気が短くなった。だから、テレビに向かって噛みついている。

しかし、原爆投下の時間は祈りの時間。出かかった愚痴はグッと呑み込んで、静かに合掌。何が起きたのか知らないままに、突然に命を奪われた20数万の犠牲者の御霊安かれと、お祈りをさせていただきました。

2017年8月 8日 (火)

あさ爺の徒然日記(619) 8月5日(土) 花火大会

花火大会は真夏の風物詩。特に週末の土曜の夜は、どこからかポンポンと音が聞こえる。今夜は厚木と茅ヶ崎の花火大会。横須賀も今夜だが、さすがにこれはここからは見えない。

と云うわけで、ここからでも見られる厚木と茅ヶ崎の花火見物に出かけた。それも一挙に同時見物が可能な、近所のスーパー駐車場(5階)へ。穴場だが、花火は10円玉くらいの大きさにしか見えないご愛嬌ものだ。今夜は近い方の茅ヶ崎が、恨めしい黒い雲が邪魔をして、上半分が欠けた状態の花火。

花火で家族の間で語り草になっているのが、松山での花火大会。地元民放の招待を受けて、家族ぐるみで見物した。豪華なお弁当もついて、頭上で絢爛豪華な大輪の花を咲かせるスターマインなどを堪能した。カミさんはお弁当付きの招待だったので、文句なくの高い評価をしたようだ。芝生ガーデンに家族やグループ毎に用意されたテーブルがあって、至れり尽くせりの宴でもあった。

30有余年前の懐かしい夜空に咲き乱れた、伊予の花火だった。

あさ爺の徒然日記(618) 8月4日(金) 内閣改造

第3次安倍第3次改造内閣と云う、複雑な読み方の内閣が生まれた。いかに長期政権となっているかを物語ってもいる。今度の目玉は野田聖子総務相、サプライズは河野太郎外相だそうだ。

野田さんは古巣の郵政大臣を経験しており、霞が関の省庁を担当させて貰えるので気分もいいだろう。いくら総理に直言すると息巻いても限度があり、あまり意見が対立すると閣内不一致となって、マスコミの格好の餌食となる。

河野氏も得意の語学力が発揮できる願ってもないポスト。アメリカだけでなく、ポーランドやシンガポールでも留学や駐在の経験がある国際派。彼もまたいい気分に違いない。父親が親中韓のハト派なので、早くも中国が歓迎の意向を示している。しかし、それは甘いかも。父親を反面教師として独自色を出したいのでは?

厚労相は案の定、交替した(させられた)。今回は珍しく東京六大学が勢揃いだ。慶応は表に出ていないが、河野太郎は中高から慶応経済に進んだ、根っからの慶応ボーイ。ただ、最終学歴はアメリカの大学になっている。彼の祖父は河野一郎。昔、羽田の全日空でバイトに励んでいた時、タラップを降りて、SPに囲まれて歩く当時の河野大臣を見かけた。

半世紀前の一コマである。

あさ爺の徒然日記(617) 8月3日(木) 東北の夏祭り

昨日の青森ねぶた祭に続いて、今日は秋田の竿灯まつり、6日は仙台の七夕まつりと東北の熱い夏が始まった。相前後して盛岡のさんさ踊り、弘前のねぷた祭り、山形の花笠まつりを加えて、東北は北から南まで祭り一色となる。あさ爺は残念ながら、花笠まつりを見る機会は持てなかったが、それぞれに特色があって興味深い。

個人的に好きだったのは、家族と暮らした盛岡での思い出。その家族の方は生まれたばかりの幼子もいて、祭り見物どころではなかったかもしれないし、あさ爺も八幡平のホテルに勤務していて、夏場の繁忙期でなかなか見物するチャンスはなかった。

その中で、1度だけ職場の仲間と街に繰り出し、太鼓のリズムを楽しんだ。若い男女の仲間が飛び入りで踊りに加わり、それが結構、絵になってウマいなあと感心した。だから今でもよく覚えている。引っ込み思案のあさ爺には勇気がなかったが、短い夏を精一杯謳歌する北国の人たちのエネルギッシュな激しい踊りと、太鼓のリズムがいつまでも耳に残っている。

詩情豊かな岩手路、市内を流れる北上川や中津川の水面、城下町盛岡の美しい思い出だ。

2017年8月 7日 (月)

あさ爺の徒然日記(616) 8月2日(水) フォレスタ

月曜日のBS日テレで、「BS日本こころの歌」と云う音楽番組がある。もう何年来かの隠れフアンだ。好きな童謡もあれば、日本の代表的な唱歌や歌曲を中心に歌っている合唱団だ。男女とも各6,7人程度のグループで、全員が音楽大学の声楽科を出た人たち。プロなんだろうが、スター性はあまり見られず、特に華も感じられない。家族はそれが素人っぽくて気に入らないようだ。だから殆どを録画でコッソリ見ている。

この「フォレスタ」と呼ばれる合唱グループも、年に何度か大ホールに出演。そのことに対して、あさ爺は大いなる不満を抱えている。曲目も演出もマンネリに思えるのだ。客席を埋めているのはあさ爺世代の高齢者ばかりで、老人ホームの招待者ではと思える位なのだ。

モチロン、そんなことはないのだが、気に入らないのは毎回、「麦と兵隊」を男性コーラスで歌う。その神経が理解できない。予科練や他の曲もあるが、中国侵略の象徴のような歌をナンデ・・・?個人的には決して嫌いな歌ではないが、歌詞はいただけない。複雑な思いになる。中国にも失礼ではないか?

軍歌や戦時歌謡を披露するなら、せめて厭戦気分の漂う歌とか、兵士の望郷の歌などに、多くの日本人の魂を揺さぶる名曲がいくつかあるのにと残念に思っている。

あさ爺の徒然日記(615) 8月1日(火) 引地川流域に避難勧告

午後から激しい雷雨となった。こんな予報ではなかったので仰天する。カミさんは所用で東京に出かけており、サテ、傘は持って行ったかな?日傘ではなかったか?

暴風を伴っているので、再び、空け放っていた窓を大急ぎで閉めるが、間に合わずにだいぶ降り込んでしまった。室内に置いていた防災ラジオが、突然、絶叫を始めた。藤沢市内の各地域に避難勧告が発令されたとのこと。引地川の水位が氾濫危険水位に達したのだ。こりゃタイヘン。急いで、テレビのスイッチも入れる。

上流の海老名では1時間に120mmの猛烈な雨が降ったと・・・。幸い、あさ爺の住処は勧告の出た地域でも川からは少し離れており、高台でもあるので避難まではせずに済んだ。ただ、市内で冠水の被害が出ているとのことで、駅まで車で迎えに行くのが、どうなるか心配だった。途中に冠水の恐れがある箇所があったのだが、幸い、激しい雨のなかではあったが、無事、駅まで往復することができた。

山の中や川の側だと、ホントに怖い思いをするだろうなと、ひとまず胸をなでおろした8月の初日でした。

2017年8月 6日 (日)

あさ爺の徒然日記(614) 7月31日(月) 全国童謡サミット

横浜市開港記念会館が建てられて今年で150年になる。それを祝して、NPO日本国際童謡館が「全国童謡サミット」を開催した。近代建築の走りともなった重厚な建物の中にあるホール。決して広くはないが、2階席もある欧風建築。

今年で9回目となるサミットだそうだ。初日に各団体が出演したらしいが、我々のチケットは2日目の今日。この団体の発祥は熊本だそうだ。主宰者は大庭照子さんでもう80歳近くにおなりだ。後半のプログラムでは寛仁親王妃信子殿下のご講演があった。お題は「耳を傾けて」。

そがみまこ(曽我実磨子)、梅田麻琴、プチDOYO組の皆さんが、大庭さんと童謡を熱唱。プチは横浜の童謡教室の皆さん、とても可愛らしい。歌手の皆さんは熊本のご出身で、まだ高校1年生の梅田さんは初々しい。AKB48やいろんなグループと違って、次代に伝えたい日本の童謡を歌ってくれるのが嬉しい。フィナーレは「故郷」。

あさ爺は童謡が好きだ。歌うのは恥ずかしいが、聴くのはちっとも恥ずかしくない。好きな童謡はとても両手の指ではおさまらない。後世に伝える使命を持って活動するグループ、団体があることは、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

あさ爺の徒然日記(613) 7月30日(日) 真夏の夜の夢

もうすぐ8月15日がやって来る。再び、そのことについて考えてみる。戦後教育の中では、日本が敗れたのは軍部が無謀な戦争に突入し、兵站の保証もない中で戦線を拡大していった参謀本部の愚かさを糾弾する内容か、それに近い話だったように思える。

いずれにしても、数百万の日本人を死に追いやり、塗炭の苦しみを味わせた政府の責任を問うものであったかと思う。確かにその通りで間違いではないのだが、戦争に至った原因と敗戦の直接的な要因は何であったかは、あまり教えられていない。

これだけの大戦争を始めるには、やむに止まれぬ事情があったのではないか?石油の禁輸、ABCD包囲陣などで追い込まれた日本が、窮鼠猫を嚙むのたとえで、真珠湾に先制攻撃を加えるに至ったのが通説にはなっている。

今の北朝鮮が、当時の日本によく似ているとも云われている。その論法で余り追い詰めると、核による奇襲攻撃もあり得るとか、イヤ、その前にトランプ政権が威嚇攻撃するのではと・・・。そうなると日和見を決め込んでいる中国やロシアを巻き込んだ大戦争になりはしないか?

あ~恐ろしい、真夏の夜の夢である。

2017年8月 4日 (金)

あさ爺の徒然日記(612) 7月29日(土) 漂流する国民

今年も暑い夏がやってきた。しかし、気候の話ではない。あと2週間余りで終戦記念日を迎える。この季節になると、マスコミは戦争の話題に時間を割く。モチロン、風化させていい話ではないから、これは大事なことだろう。

先に戦争を憎み恐れる日本人のことを書いた。そして、その72年にわたる平和を保持したのは、今の自民党に至る穏健な保守勢力であったことは疑う余地はない。それだけに今まで自民党に票を投じてきた多くの国民は、改憲に必死になっている現政権に戸惑っているのではないか?

党は支持するが、それとは別の話だと・・・。選挙でお灸は据えたいが、かと云って共産党と組む民進党には入れたくないし・・・。都議選で格好の受け皿政党が出現したことにより、雪崩現象が起きたことは必然の結果であった。

もし、国政レベルで同じ流れを汲む受け皿政党が出現したら、同じ現象が起きると思われる。この新興勢力が、9条改悪には反対だが足りない部分をつけ加える、いわゆる加憲には反対していないことから、公明党などと同じ保守中道勢力として、一大勢力となりうるのではないか?

漂流する国民を救うことになるかも知れない。

あさ爺の徒然日記(611) 7月28日(金) 戦後の平和

先の大戦が終わって今年で72年目。この年月が意味する長さを考えてみた。これはナント、昭和13年の年が大政奉還、王政復古の慶応4年から明治元年、つまり明治維新からの年月にほぼ匹敵する。これは戊辰戦争から西南戦争までの内乱、その後の日清・日露の対外戦争、そして泥沼の日中戦争の「戦争の時代」だった。

それと比較しても、この日本が奇跡的に平和を保持し、一発の銃弾も撃たずに、また撃たれることもなかった。これは奇跡でも偶然でもなく、日本人が如何に戦争の悲惨さ、愚かさを痛感したかと云うことだろう。戦争体験者が異口同音に発する言葉に、「戦争だけは絶対にすべきではない!」がある。そして、戦争に至る経緯も、終戦工作の困難さも、時間の経過と共に、更に犠牲が増え続けたことを後に国民は知ることとなった。

しかし、昭和30年頃に生まれた人が、戦後の平和や憲法を恥ずかしいものと受け止め、今や首相の地位に登り詰めた。彼の母方の祖父は、かの東条内閣の商工大臣で、戦後公職追放になりながらも、やはり総理に登り詰めた。その祖父を深く尊敬している今の総理。どんなに低姿勢をとろうとも、彼の本心を忘れてはならない。非常に恐ろしい人物であることに変わりはない筈だ。

2017年8月 3日 (木)

あさ爺の徒然日記(610) 7月27日(木) 辻堂諏訪神社例大祭

EFGの募集案内に一般客として参加する。真夏の企画である為半日コースであること、リハビリ中の身ではあるが徐々に慣らしてゆかねばとの思いもあって参加。あさ爺は休会中なので、もう半年近く会ってないメンバーがガイドをなさっている。

JR東海道線辻堂駅をスタートして、旧東海道一里塚跡、四ツ谷不動堂を廻り、明治郷土資料室を見学。ここには今から歩く予定の耕余塾跡等の資料が展示されている。この私塾は吉田茂が学んだことでも知られる。

ここからその耕余塾や羽鳥御霊神社を巡るコースは、勝手ながらお断りしてショートカット、東海道線の踏切を越えて真言宗の宝珠寺へ先回り。境内の菩提樹の木陰で、一行の到着を待つ。実がたくさんぶら下がっている。蝉が休みなく鳴き続ける。あさ爺は真夏のお寺の境内が、何故か好きなのだ。しかし、さすがに古稀を過ぎ、病を得てからは無理はできない。

辻堂には昔からの道路が入り組んでおり、その辻々にお寺やお堂が点在している。地名や駅名の由来でもある辻堂は、そこからきている。その辻堂の総鎮守が諏訪神社。今日は例大祭でもあり、住宅街の狭い道路にも、露店がぎっしりと並んでいた。名物の4つの町内会の山車も、午後には勢揃いする。鐘や太鼓の音がいつまでも、耳に心地よく残った。夏祭りは楽しい。

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