« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月

2019年1月26日 (土)

あさ爺の徒然日記(989) 1月26日(土) 初場所が面白い

昨夜は鶴見区民文化センターでのミュージカル「Hospital Hospital」(医者を治す病人たちの物語)を鑑賞。ミュージカルは久しぶり。病院を皮肉って、笑いで病気に打ち勝とうという物語。佳境に入った大相撲初場所はそういう訳で、13日目をテレビ桟敷で観戦することが出来なかった。白鵬が3連敗を喫し、関脇玉鷲が単独トップに。優勝争いは俄然面白くなった。あさ爺は先日のヒーローインタビューで玉鷲と隠岐の海が対白鵬戦に勝ちたいと頼もしいことを云っていたので、ひそかにこの2人に期待していた。隠岐の海は簡単に負けたが、再出場の御嶽海、玉鷲、貴景勝が見事に打倒白鵬を実現してくれた。昔、打倒双葉を叫んだ出羽三羽烏と呼ばれた若武者たちが、安芸ノ海を筆頭に双葉山を破り、3連敗を負わせる「事件」があった。あさ爺の生まれる前の古い話だが、白鵬はそれだけ無敵に近い存在だったわけだ。彼には気の毒だが、白鵬嫌いの相撲フアンは多い。優しい稀勢の里と対極の存在だったから。

2019年1月25日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(557) 1月24日(木) 江の島道の下見

EFGの下見で江の島道を歩く。参加者は12名。本番は梅の季節の2月末。タイトルも梅を見るのを目的にしているが、新林公園とゴールの片瀬にある常立寺にあるだけで、やや寂しいのが難。湘南モノレール江の島駅の改修工事が終わり、完成したルーフテラスからの展望を楽しむ。富士山、箱根、丹沢の雄大な景色が新鮮。皮肉にも目の前の江の島はビルに遮られて見えない。午後は鎌倉でガイドがあり、江ノ電で移動。参加者は6名。宝戒寺では初地蔵の縁日で僧侶の読経があり、参列者の末席でご本尊の経読子育(きょうよみこそだて)地蔵尊を拝む。般若心経を唱和するが、宗派によって微妙に節回しが異なる。先日は曹洞宗のお寺さんで、今日は天台宗。七福神の毘沙門天に拝礼して、八幡宮境内の旗上弁財天に廻り、小町通りを南下して仕立屋小町店での新年会に臨む。会社のOBの集まりなので、仲間の消息が酒の肴に。その内、今度は自分が肴にされるわけだ。

2019年1月23日 (水)

あさ爺の徒然日記(988) 1月22日(火) 怖い未熟な政治家

今、読んでる本にこんな一節がある。「文学書を読まない、政治書、良識的な啓蒙書も読まない。いわば人間形成が偏頗(へんぱ)なのである。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点を持つ。精神論が好き。妥協は敗北。事実誤認は当たり前。この三つの性格をそのまま実行に移してゆく」。著者は現総理のことを言ってるのではない。東條英機のことなのだ。しかし、それはマッタク今のA総理と同じではないか。更にこんな一文もある。「能野(ゆや)という著名な能のタイトルを東條さんは読めなかった」。これには今の副総理を思わせる。漫画やアニメには滅法強いA副総理。しかし、少し難しい漢字や熟語には平気で誤読する。ま、ナントも見事なAAコンビである。かの東條さんと似通ってるとは背筋が寒くなる。それぞれの祖父はどうだったか?吉田茂さんは英語に堪能なだけでなく漢学にも造詣が深かった。岸信介さんも東大法科を首席で卒業しているから多少は常識があっただろう。その岸さんは東條内閣の閣僚だった…。怖い話だ。

2019年1月21日 (月)

あさ爺の徒然日記(987)  1月20日(日) 大相撲初場所

横浜の孫たちに会いに出かけた。母親の実家に里帰りしたお正月、本来なら楽しかった筈だが、下の男の子が入院する騒ぎがあって大変だったようだ。しかし、無事退院出来て横浜に戻ってきた。ところが今度は小学校が集団風邪で学級閉鎖。今のところ孫たちは大丈夫だが、この冬は大流行の兆しがあって油断ならない。中日を迎えた初場所は、平成最後の天覧相撲。両陛下のご負担を考慮されてか、幕の内の後半戦だけを観戦された。御前掛かりと呼ばれる幕の内力士の土俵入りが見られなかったのは少し残念。それ以上に今場所は大関陣も不振を極め、休場明けの白鵬一人が全勝。早くも独走態勢だ。ご説明役の八角理事長も頭が痛かったに違いない。

あさちゃんの鎌倉日記(556) 1月18日(金) 野鳥研修

EFGの野鳥研修に参加。冬はバードウオッチングに適した季節。渡り鳥が多く姿を見せる。藤沢市西部にある大庭の裏門公園から大庭城址公園、更に引地川親水公園と鳥を求めて歩く。11名が参加。それぞれに双眼鏡やカメラ、野鳥図鑑を携えて…。今回は30数種の鳥を観察でき、まずまずの成果か。大相撲初場所がなんとも締まらない場所になっている。中日には天覧相撲も予定されている今場所だ。稀勢の里の引退は残念ながら想定の範囲内。しかし、鶴竜が今日から休場。栃ノ心に続いて看板?力士が姿を消し、早くも白鵬の独壇場と云う、一番イケナイ内容になりつつある。白鵬の力は認めるが、この不人気の横綱では相撲フアンが泣くのではないか?今更ではあるが、ハワイ勢に続くモンゴル勢の入門を安易に認めたのは、日本古来の伝統競技にとってマイナスしかなかったのではないだろうか?

2019年1月20日 (日)

あさちゃんの鎌倉日記(555) 1月16日(水) 稀勢の里引退

閻魔さまのご開帳に当たる縁日。藤沢の西俣野にある花應院にガイドの下見を兼ねて出かける。本番は4月に予定されているが、ここで小栗判官照手姫にまつわる絵巻の絵解きをガイドがすることになっている。普段は芝増上寺で執務されておられるご住職が、今日の縁日で地獄の絵解きと小栗の物語の解説を本堂でなさる。曹洞宗のお寺さんで、ご本尊とご開帳されている閻魔大王にまず手を合わせ、全員で般若心経を唱える。ご住職はパソコンに詳しく、テレビの大画面に映し出された凄惨な地獄図絵に目を向けたり背けたり…。ところで、とうとう稀勢の里が引退した。3日目も敗れて、横綱として不名誉な連敗記録を更新。最後の対戦相手は同年配の栃煌山。どうせなら今日の錦木と対戦して、新旧交代を演出してくれても良かったが、これ以上の金星献上は許されなかったのだろう。本音はいつまでも好きな相撲を取り続けたかったに違いない。横綱はそれが許されない。最後まで愛された横綱だった。お疲れさまでした。

2019年1月17日 (木)

あさちゃんの鎌倉日記(554) 1月15日(火) 鎌倉七福神めぐり

EKB(江の島鎌倉勉強会)で鎌倉七福神めぐりに。今日は鎌倉ガイド協会のAコースが同じ内容なので、バッティングしないよう逆コースを選ぶ。江ノ電長谷駅で集合して御霊神社(福禄寿)を皮切りにスタート。13名が参加。以前おられた女性の宮司さんが亡くなられてから社務所は若い女性がなさっている。ご朱印の受付や宝物殿の鍵開けとバタバタされていた。長谷寺(大黒天)は厄除け阿弥陀さまの脇侍が如意輪観音と十一面観音という珍しい組み合わせに。前に拝んだ時は弥勒菩薩と勢至菩薩だった。時々変わるのかな?バスで下馬まで移動し、本覚寺(恵比須)から妙隆寺(寿老人)へ。ここで鎌倉ガイド協会のご一行様と遭遇。狭い境内が人で溢れる。宝戒寺(毘沙門天)、旗上弁財天(弁財天)とお詣り。八幡宮前のバス通りの電線にゆりかもめの大群が止まっている。当初、白鳩かと勘違いしたが、数が多すぎた。丸山稲荷にも参拝し、「kamakuraさくら」で新年会を兼ねた食事会。看板娘の彩子さんが笑顔をふりまいてくれる。食事中は本降りの雨になり最後の布袋さんは諦めかけたが、午後のスタート時には青空に。新年早々、七福神の御利益に預かる。無事、予定通りに浄智寺(布袋)と廻り終えた。新春はやはり七福神めぐりをしなければ、落ち着かない気がする。

2019年1月14日 (月)

あさ爺の徒然日記(986) 1月14日(月) 稀勢の里

案の定、稀勢の里が連敗した。一度は勝ち名乗りを挙げさせたいと願うは誰しも同じだと思うが、素人目にも勝てる予感がしないのだ。逸ノ城は平幕に落ちてるから、これは不名誉な金星献上だ。プロのスポーツマンが同情されるようではまずい。ましてや大相撲の世界では横綱は雲の上の存在である筈だ。もう休場は許されないと云うことらしいので、どうするつもりなのか?話は変わるが、新年になってから著名人の訃報が相次ぐ。今日は哲学者の梅原猛さんが亡くなったと云うニュースが。あさ爺は藤沢の時宗総本山遊行寺本堂での講演会を聴いたことがある。仏教に造詣が深く、瀬戸内寂聴さんのことをあの人は化け物だと云って、笑いを誘ったのが印象に残っている。寒い季節は、年寄りには辛い。ましてや入退院を繰り返していたそうだから、これは天寿を全うしたということだろうか。女優の市原悦子さんも82歳は今の時代では少し早いとは思うが、盟友の樹々希林さんも75歳で先に逝ってしまったので、あの世で再会しておられるやもしれぬ。ご冥福をお祈りしたい。合掌

あさ爺の徒然日記(985) 1月13日(日) 嗚呼、稀勢の里

嗚呼、稀勢の里よ、君を泣く。与謝野晶子の詩が頭に浮かぶ、稀勢の里の初日黒星。横綱になって初日に敗れた場合、100%途中休場と云う実績を残した彼のこと。もう奇跡は起きまい。勇み足でもない堂々たる負け相撲。最後の仕切りで見せた半泣きの表情は痛々しかった。もう、例の怪我は治ってる筈だ。だから誰も(横綱審議委員会も)同情はしてくれなくなった。相撲勘が戻らないと云うのは我々素人にはわからないが、致命的なことなんだろう。名横綱になるのを期待した(多くの相撲フアンも)が、これ以上汚点を残すのはまずいだろう。過去に横綱で一度も優勝できなかった人も何人かいる。大関、横綱で一度づつ優勝した彼はまだ幸運だったと思う。もう、今更日馬富士を恨んでも仕方ない。怪我をしないことも一流の証なのだから。あさ爺は初日の結果で、即引退を決めるのではと思ったが、夜になってもそのニュースは流れていない。明日の逸ノ城は更に難敵だ。今の稀勢の里にとって、楽な相手はもう一人もいない。引き際を大事にして欲しい。

2019年1月 9日 (水)

あさちゃんの鎌倉日記(553) 1月8日(火) 藤沢七福神

EFG主催の藤沢七福神めぐりに一般参加する。以前は新春恒例の定番としても人気が高かった。しかし、最近はそうでもないのか参加者は半減している。あさちゃんとしては基本的にクラブの実習に参加し、本番に参加費を払ってまで参加することはしていないが、何らかの事情で実習に参加出来ない時は、今回のようにお客さまにまじって、自らがお客さまになる。とりわけ、この七福神はスタンプラリー(ご朱印ではない)で完歩すると縁起物の七福神手拭(カレンダー)を半額の100円で入手できる。みみっちいと云うなかれ、これでも励みになるものだ。同時に8.5キロを歩く。運動にもなる。途中でバスを2回、電車(江ノ電)1回の助けを借りるが、それでも朝から夕方までかかった。今年はまだ始まったばかりだが、江の島へは既に2回も出かけたことになる。折角だから廻った順に紹介しておきたい。皇大神宮(恵比須)、養命寺(布袋)、白旗神社(毘沙門天)、常光寺(福禄寿)、感応院(寿老人)、諏訪神社(大黒天)、龍口寺(毘沙門天)、江島神社(弁財天)。そう、正確には毘沙門天絡みで8ヶ所となります。

2019年1月 7日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(552) 1月5日(土) 葉山を下見

5月下旬に予定している葉山のガイドの下見に出かける。雲一つない快晴で風もほとんどない。穏やかな新春の風景。南北に連なる葉山町の海岸線を北から南へ辿った。まだコースは決めていない。頭の中ではいくつかのルートを描いているが、実際に可能なのかを確かめる必要がある。特に大型バスを利用する予定なので、狭い海岸沿いの県道(大型車は通行許可が必要)と駐車場の問題がある。それらを確かめながら歩いた。逗子との境に近い鐙摺(あぶずり)漁港から葉山マリーナ、森戸神社、真名瀬漁港、海洋生物のメッカ芝崎海岸、日本画家の山口蓬春記念館、県立近代美術館葉山館、一色公園、そして葉山御用邸の裏手にある浜辺と南下。右手には富士山や江の島を借景とした相模湾がキラキラ光る。大正から昭和へ即位の践祚が行われたのが旧葉山御用邸の付属邸。今度、我々が歩く時には平成から新しい年号に変わっている。時代を眺めてきた御用邸である。案内する箇所には事欠かないが、課題は大型バス。まだしばらく検討が必要のようだ。

あさ爺の徒然日記(984) 1月4日(金) 蕗谷虹児展へ

正月休み最後の日、孫たちは婆と畑へ。幼い時から畑に親しませるのは婆の願い。これはいいことだ。特に都会の下町暮らしの兄弟に、土をいじる機会は少ない。小学校で鉢植えの花を植えるのが精一杯。大根やニンジン、芽キャベツの収穫に嬉々として興じている。大きな大根を土の中から引き抜くのが面白いらしい。獲り過ぎだと婆がぼやいていた。母親と2人の兄弟に応援添乗の爺が加わって、午後都内に帰った。母親の意向で三味線を親子は習い始めた。ちゃんと子供用の稽古三味線もある。3人がそれを背負って電車に乗り込む。どう見ても旅芸人の一座だ。吉永小百合の「伊豆の踊子」の場面を思い出す。帰り、爺は有楽町で途中下車。相田みつを美術館に初めて入り、企画展の「蕗谷虹児展」を見る。昔、新潟県新発田市にある記念館を訪ねて以来、この少女挿絵画家が好きになった。本来は洋画家を目指し、渡仏して藤田嗣治にも目をかけられていたが、家族の窮乏で帰国。生活の為に元の挿し絵画家に戻った。吉屋信子の作品には欠かせない人でもあった。童謡「花嫁人形」の作詞家としても知られる。

あさ爺の徒然日記(983) 1月3日(木) 賑わう江の島

孫たちを連れて新江ノ島水族館へ。お正月で混雑していたが、ここはちびっ子兄弟のペースに合わせて見物。見飽きたら「次へ行こう」と催促してくる。ついつい大人のペースを出しそうになるが、ここはグッとこらえる。時間が決まっているイルカショーとイルミネーションのカウントダウン(17時)にうまく合わせるのが、爺の大事な役目であった。エスカーも入場制限をしている。江の島神社(辺津宮)の参拝客の行列がつかえているようだ。脚の衰えが目立つ老夫婦とまだ脚が成長過程にある幼い子どもたちは、何の躊躇もなくこの有料エスカレーターに頼る。コッキング苑(植物園)ではチューリップが見頃で花好きの弟はご満悦。これもこの寒い時期に咲くように球根を冷凍保存したりして、これは植物虐待かもしれぬ。イルミネーションは文句なく美しい。冬の夜空によく映える。参道の弁財天仲見世通りでは手が離れぬよう力が入る。歩き疲れたか、下の子は帰りのバスやタクシーの中では眠りこけた。小学1年生のお兄ちゃんはけなげにも、家まで頑張っていた。冬休みの楽しい想い出として残るだろうか。

2019年1月 2日 (水)

あさ爺の徒然日記(982) 1月2日(水) 辻堂海岸

新年あけましておめでとうございます。正月2日目は恒例の箱根駅伝の観戦。孫たちと小旗を振った。応援する大学は、日大、明治、早稲田、国学院、中央学院となかなか忙しい旗振りだった。観戦後は辻堂海浜公園へ。昔、連れて行った子どもたちが親となり、そのまた子どもたちと出かけることになった。文字通り、海にほど近い県立公園。園内は正月らしく凧揚げの家族連れが多く、駅伝から流れてきた子どもたちが、小旗をツールにして遊び戯れている。砂浜は都会の下町暮らしの孫たちにとっては、遊び飽きない世界だ。押し寄せる波と鬼ごっこしている。青空に紺碧の海、江の島、えぼし岩に加えて伊豆大島や箱根、伊豆、丹沢、三浦半島の山並み。富士こそ正月にふさわしいのだが、あいにく雲がかかっている。紅白で大トリのサザンがこの風景を読み込んだ歌を熱唱していた。また、叙情歌「浜辺の歌」ゆかりの海岸でもある。孫を遊ばせたつもりの砂浜だったが、ジジババの相手をしてくれたと云うのが実態か?おだやかな平成最後の新年を迎えた湘南の浜辺だった。

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

無料ブログはココログ
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30