« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月

2019年3月30日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(563) 3月29日(金) 野鳥研修とガイド下見

26日、雨の中、藤沢市川名地域での野鳥ガイド研修に参加。桜も木によってはほぼ見頃を迎えていたが、鳥はさすがに雨の中だと飛びにくいのか少な目。それでも柏尾川で多くの水鳥が目撃できた。これは濡れても影響ないわけだ。種類は22種でカワセミも。藤沢の中で深山幽谷の雰囲気がある川名谷戸の奥まで分け入ったのは初体験。27日は葉山の下見。ルートの確認の意味もあったが、森戸大明神(森戸神社)、葉山町立図書館、葉山町役場を訪ねる目的もあった。青空の広がるいい天気にはなったが、葉山特有の強い風に悩まされる。29日は藤沢市村岡地域のガイド下見。平氏の流れを汲む村岡氏の本拠地でもある。特に遺稿は残されていないが村岡城址公園もある。曹洞宗の天嶽院ではご住職の法話を拝聴。七堂伽藍の堂々たる寺院である。藤沢市内では時宗総本山の遊行寺、日蓮宗霊跡本山の龍口寺に次ぐ伽藍を誇る。その後、藤沢市役所本庁舎の見学を行なった。ガイドの企画としては異例の内容。他市からの参加者に果たして魅力ある企画なのかの懸念はあるが、本番の6月までに煮詰めてゆくことになる。冬と違って春先は天候も不順でガイド泣かせだが、やはり本番の時は晴れて欲しいものだ。

2019年3月25日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(562) 3月25日(月) 小栗判官ゆかりの里

4月に行われる藤沢西俣野を案内する企画の実習に参加。小田急善行駅からスタートして田園地帯を歩き、最後は同じく小田急の六会日大前駅までの約7キロの道のり。この地区は単なる田園ではなくて室町時代の小栗判官照手姫ゆかりの里でもある。この昔話は歴史上の物語かどうかはさだかでないし、舞台もこの地区で間違いないと云うものでもないのだが、藤沢では語り伝えられた場所とされている。説教節と云う昔語りや歌舞伎で広く江戸期の民衆に広まったものだろう。ただ、この物語の解説はガイド泣かせである。今の時代にそれほど流布されてるわけではなく、ほとんどの参加者は予備知識がない。そこをどのようにガイドするかなかなか難しいところがある。更に厄介なのは、稀に詳しいお客さんがいらっしゃると云うこと。ガイドよりもよくご存知の方は、いつのガイド案内にも存在する。あさちゃんもこれからじっくり勉強せねばと思ってるところだ。救いは春の花々が咲き始めてる季節と云うことで、今日の実習でも桜(ソメイヨシノ)が至る所で咲き始めていた。本番の時は、峠を過ぎているやも知れぬが、花粉症も終わりに近いのでしっかりと頑張らねばと思っている。

2019年3月24日 (日)

あさ爺の徒然日記(998) 3月24日(日) 平成最後の春場所

大相撲春場所が千秋楽を迎えた。やっぱりと云うか、白鵬が42回目の優勝、それもナント15回目の全勝優勝を遂げて、平成最後の場所の幕を閉じた。今場所の白鵬は、絶無ではないがかちあげや張り手といった横綱らしからぬ相撲は少なかった。また、懸賞金の受け取りの派手なガッツポーズのような態度も減ってきた。それだけ心技体が充実していたのだろう。嫌いなお相撲さんだが、このずば抜けた実力には脱帽だ。神の領域だった双葉山をも追い越したかもしれぬ。最後の取り組みは鶴竜が横綱の意地を見せて頑張ったが及ばなかった。その相撲で大横綱はどうも右腕を痛めてしまったらしい。願わくば、この死力を尽くした平成屈指の名勝負を花道に、引退されてはと思うのだが。そうすれば彼は更に伝説の横綱となる。そして日本国籍を取ることだ。協会は無条件に一代年寄の称号を与える筈だ。白鵬部屋を起こし、炎鵬ら若手の力士を育てて欲しい。白鵬の顔を見るのもイヤなあさ爺が、これほど親身になるのは珍しいことなのだ。それとも、無礼な!と一喝されるか。モンゴルで唯一応援していた玉鷲も、先場所を花道にしてても良かったのにと思ったりする。新旧交代の動きが目立った春場所だった。

あさ爺の徒然日記(997) 3月23日(土) 春はセンバツから

選抜高校野球が始まった。母校ではないが、故郷の高松商業が初戦を見事に突破。埼玉の春日部共栄から8点をもぎとり、投げては完封勝利だ。母校ではないと書いたが、付け加えるなら親爺の母校である。後輩に水原がいたと云うのが自慢の種だった。羽生結弦選手が怪我から復帰して2位になった。しかし、「勝利」を逃して悔しいと…。競技によっては1位にならないと、つまり優勝しないと勝ったことにはならないと云うから厳しい世界だと思う。たとえば、ゴルフやスキーのジャンプなんかもそのようだ。2位では勝ちにならない。松山がツアーで〇勝したとか、高梨が今シーズン、通算○○勝したとかは、すべて優勝した回数なのだから、これは凄いとしか言いようがない。昔、日本の政治が今ほど乱れていなかった時に、世界で2位じゃダメなんですか?と予算の仕分けかなんかで、官僚に食ってかかった元気な女性議員がいた。しかし、スポーツの世界じゃ2位ではダメなんだろうね。もっと昔のヘルシンキオリンピックで、戦後初めて日本の出場が認められた舞台で、1500m自由形で橋爪選手が2位になった。その時の表彰台でうなだれていた彼の姿が強烈な記憶として残っている。因みに優勝はアメリカのコンノ、3位はブラジルのオカモトだった。2人は共に日系人。子ども心に表彰台の3人にはすべて日本人の血が流れているのだ!と、慰めていたことを思い出した。

2019年3月23日 (土)

あさ爺の徒然日記(996) 3月22日(金) イチロー選手の引退

あさ爺はプロ野球は殆ど見ないのだが、それでもイチロー選手の名前はよくわかっている。記憶の原点は鈴木一朗からイチローに「改名」した時に、へえ~ナニコレ?と思った時。オリックスの当時の監督仰木さんの発案らしい。その後もマネするケースは相次いだが、実力があまり伴わなかったとみえて、イチローほどのインパクトはない。それはともかく、最後の試合になっても結局、ヒットは打てなかった。あれほど量産してきたマシンのような彼をもってしても打てないのだ。あさ爺はそこに稀勢の里を重ねてしまった。どうしても白星が取れない最後の数場所…。怪我の後遺症でイチローとは違うかもしれないが、何だか見てて痛ましい気がしたものだ。誰よりも一本のヒット、土俵での一勝が欲しかったに違いなかった筈だ。横綱とか大選手であっても、年齢と共にどうすることもできなくなるものがあると云うわけだ。まことに引き際と云うものは難しい。良く云えば生涯現役を目指す人もある。しかし、一方で晩節を汚す人もある。スポーツに限らず、芸能界でも政財界でもよく話題になることだ。昨今、総裁の4選もありとかで物議を醸している某幹事長がいる。願わくば、これ以上晩節を汚さないで欲しいと願う総裁と幹事長だ。イヤ、もう十分に嫌われている筈なのだが、根強いフアンも多いと云うから不思議だ。海の向こうの某大統領とホントよく似ている。

2019年3月22日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(561) 3月21日(木) 春分の日

ブログ更新の方法が大幅に変わってしまって、しばらく戸惑っている内に桜の開花宣言が出始める季節となってしまった。まだ今月に入ってガイドの報告はできていない。1日、5月の葉山散策の打ち合わせ。6日、横浜散策の下見で大岡川の桜コース(モチロンまだ咲いていない)。7日、藤沢西俣野地区の下見、これは小栗判官照手姫ゆかりの地を廻るガイド。12日、綾瀬と藤沢の境界付近の実習、花桃の里を廻るがこれも開花はまだ。13日、北鎌倉から台峰ハイキングコースの下見。16日、S会で北鎌倉の東慶寺水月観音の特別拝観。浄智寺、円応寺と廻る。この日はアシスタント、ランチは「kamakuraさくら」、午後のお茶は「茶房有風亭」で。そして19日は先日下見した台峰の本番。台峰への急坂を登り、富士山の絶景を楽しむ。途中、3ヶ所でビューポイントがあり、さしづめ「富嶽三景」。葛原岡神社、銭洗弁財天を廻り、ランチは「大根料理・福来鳥」。来週は西俣野の実習、野鳥の研修、藤沢村岡地区の下見を予定。このブログがうまくアップできたなら、また報告させていただきます。

2019年3月10日 (日)

あさ爺の徒然日記(995) 3月10日(日) 平和を祈る日の在り方

あさ爺が愛用している日記帳(高橋書店)の今日の行事欄に、東京大空襲の慰霊については何の記述もない。ついでに言うならば明日の欄にも3・11の東日本の記述もない。ま、天災は政治の責任がマッタクないわけではないが、しかし、人知の及ぶ所でもない。しかし、大空襲により命を落とした10万余名にとっては、政治の重大な過失による犠牲と云えないか?広島、長崎原爆の日は記載されている。東京都庁で追悼式はあったそうだ。小池知事の挨拶がニュースで報じられた。あさ爺は、これら戦争による多大の犠牲に対して世間はあまりに鈍感ではないかと云う気がしてならないのだ。モチロン、己の反省を込めての話だ。少なくとも、国会は臨時の本会議を開いてでも、国会議員全員で戦争犠牲者に哀悼の誠を捧げるべきと思う。武道館ではなく、国会の議場でやるべきなのだ。そして各政党の代表が追悼の声明を発表して非戦を誓う。自分たちの先輩が犯した過ちを詫びるのだ。3月10日、6月23日、8月6日、8月9日そして8月15日の少なくとも直近の太平洋戦争だけでも全国民の祈りの日とならなければ、英霊も、犠牲となった庶民も浮かばれないと思う。

2019年3月 5日 (火)

あさ爺の徒然日記(994) 3月5日(火) アポ電

アポ電なる単語が出てきた。電話でアポイントメントを取ることらしいが、別にデートの約束ではない。事もあろうに詐欺のアポなのだ。それも今、家にカネがどのくらいあるかを聞くらしい。モチロン、息子や孫を名乗ってのことだが、受け子と云われる現金の受け渡し役が警察に御用になるケースを防ぐため、主犯格が直接押し入るのだと云う。五右衛門ではないが、なぜこうした犯行は後を絶たないのか?それは深刻な不況と格差社会が招いたことだろう。カネはある所にはある、しかもだぶついて家の押し入れにしまったままだ。それを貧しい俺たちがいただくだけだと。どうせ貯めこんでるだけ、しかも年寄りだから消費にも貢献しない。要するに彼らの理屈はこんなところか?確かに、そんな大金をいとも簡単に用意できる人が羨ましい。あさ爺の想像では、不動産売却のあぶく銭ではないかと。大体が現金取引だ。持ち込まれた札束の段ボール箱を銀行に預けないで、タンスならぬ納戸預金だろう。だから悪い奴らは、多少のリスクと手間はかかってもやめられないのだ。これはもう、詐欺業と云う立派な職業だ。

2019年3月 3日 (日)

あさ爺の徒然日記(993) 3月3日(日) 皇室に思うこと

改元まで2ヶ月を切った。もう、識者の選考委員により有力候補は絞られてきているのだろう。ここへきて、メディアでは予想クイズみたいなのが大はやりだ。規制は出来ないだろうが、静かに見守られないものか?現憲法下でもその前の明治憲法の下においても、初のケースなので騒がれているのだが、大化から慶応までの千年以上にわたっては何も珍しいことではなかった。と云うより当たり前のことだった。それよりも感慨深いものは皇后さまの存在だ。今上天皇が象徴を模索されて今のスタイルを築き上げられたのは、ひとえに美智子皇后によるところが大きいと思う。従って、次の天皇には大きな負担がのしかかってくるものと危惧している国民は多いのではないか?口には出せないけれど、宮内庁はなんらかの手を打っているのだろうか?たとえば、成年皇族ではないが愛子さまの出番を増やすなどの対策だ。先般、公表された役割分担にはそれが見えない。総理の外遊に娘が代わりに同行する例は過去にもあった。検討すべきと思う。

2019年3月 1日 (金)

あさ爺の徒然日記(992) 3月1日(金) 孫のヘルプ、確定申告

下の孫がインフルエンザに。先日は孫の中で最年長のお姉ちゃんがインフルにかかって漸く学校へ行き始めたところだった。兄の習いごとに親が同伴できなくなり、緊急ヘルプの要請が久々にあったと云うわけ。しばらくはSOSもなく、みんな元気にやってるなと思ってた矢先のことだった。23、24の両日は東京での習い事に連れてゆき、藤沢の実家で預かった。小学校低学年の子どもには地下鉄の乗り換えや、交通量の多い都内の道を一人で歩かせるのはまだ無理だ。うまい具合にガイドの日程とぶつからなかったのが幸い。それが終わると大急ぎで確定申告の作業と提出。ちょこちょこと中身が変更になるので、脳みそが固まり目が見え辛い年寄りには頭の痛い季節だ。それが片付けば、今日は5月の歴史講座の打ち合わせで、市内の老人福祉サンタ―に車を走らせる。大先輩から高齢を理由に、後継に指名されてしまった。いささか荷が重い。今年は葉山の歴史がテーマ。改元と御用邸の存在が講座のポイントになる。

あさちゃんの鎌倉日記(560) 2月28日(木) 巡礼古道、江の島道

2月の後半は何かとバタバタした毎日。20日はEFG本番ガイドに備えて実習で江の島道を歩いた。同じ日に、ほぼ同じルートを鎌倉の史跡巡りと鉢合わせ。馴染みのガイドさん達と会釈を繰り返す。22日はかねて準備中のEKBの鎌倉巡礼古道をガイド。参加者は21名。EKBのメンバーだけでなく、学生時代の仲間たちにも呼びかけた。26日は先日、出逢った鎌倉の史跡巡りに2年ぶりに参加。今回は本番ガイドの直前下見を兼ねたものだったが、鎌倉のガイドも藤沢の案内には勉強不足や間違いが目立った。中には、なんであんな間違いを?と思えるものもあったが、裏を返せば我々も鎌倉を案内する際に、似たような過ちを犯しているのだろうか?そして今日はあいにくの雨の中を江の島道本番ガイドを務めた。当然のことながら、どた減りである。予報が冷たい雨だったからなお更である。久々に大勢の予約申込があったのだが。しかし、梅は満開だった。

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

無料ブログはココログ
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30