スポーツ

2017年4月18日 (火)

あさちゃんの鎌倉日記(186-1029) 3月26日(日) 稀勢の里涙の優勝

2月22日(水)、KGKの史跡巡りで藤沢を巡る。鎌倉のガイド協会だが、時折近隣の町に足を伸ばすこともある。モノレールで片瀬に下りて、丘陵地帯を梅を求めて歩いた。ガイドは旧知のUさん。

3月6日(月)、かまくらFMの生放送に出演。この日は冷たい雨になった。

3月24日(金)、逗子市小坪の仕事場へ。大相撲春場所、横綱同士の対決で全勝を続けていた稀勢の里が日馬富士の一気の寄りに倒された。こともあろうに土俵下に転落した際に負傷してしまった。日馬富士にはこう云う場面で力を出すことがあり、イヤな予感はしていた。このまま休場に追い込まれたら、相撲人気は一気にすぼんでしまうだろう。

3月26日(日)、この日も雨。桜の開花が間近な休日の鎌倉もひっそりとしているだろう。稀勢の里は強行出場を続け、千秋楽で本割、決定戦と照ノ富士を連破。逆転優勝した。国技館はもとより日本中が沸き返った筈だ。特に照ノ富士は大関復帰に命を賭けた琴奨菊に、卑劣極まりない取り口で勝った力士である。悪役極まれり、と云った感じで日本中を敵に廻していた。

2017年1月 8日 (日)

asajiroの湘南日記(142-1006) 1月4日(水) 箱根駅伝

今年のお正月は、終始穏やかな天気だった。初日の出も、満足なさった方が多いことだろう。新年早々に体調を崩したので、恒例の箱根駅伝沿道応援は見合わせた。今年も青学が強かった。年末の高校駅伝もそうだが、これだけ番狂わせがないところを見ると、いかに強豪選手を集められるかと云う資金力の闘いなんだろう。それにプラス指導者の力量か?

今日4日は、昨秋に手術をしてリハビリ中のM氏を訪ねて、茅ヶ崎へ出向いた。一日五千歩を目標に歩いている彼に協力しながら、茅ヶ崎中央公園、御用始めの市役所新館、電源開発、第六天神社など駅周辺を彼の案内で散策。駅伝選手が走り抜けたのは海沿いの国道134号線。今日歩いたのは国道1号線、いわゆる一国と呼ばれる道をはさむ市街地。

こちらの風邪をうつさないよう気をつかってマスクしたままだったが、マスクなしのM氏の方がはるかに元気だった。まずは彼の為にも一安心した茅ヶ崎散策となった。

2016年9月26日 (月)

asataroおでかけ日記(158) 9月16日(金) 秋場所観戦

大相撲人気が回復してきている。不思議なもので、人気が低迷している時は、asataroもほとんどテレビをつけない。その日の勝負がどうだったのかを最後にチラッと見るだけである。実際、見ようと云う意欲も余り湧かなかった。

しかし、人気が出てくると幕内の後半戦あたりはテレビをつけることも多くなった。モチロン、家に居ればの話だが・・・。今場所は、ひいき力士が前頭の下の方に下がってしまったので、つい前半戦も観るようになった。

大相撲とのかかわりは小学生の頃からだったと思う。相撲好きな兄の影響で、力士の名前を覚えたり、相撲雑誌を見せてもらったりしていた。江戸の大関より地元の三段目で、郷土出身力士の成績に一喜一憂して育った。asataroの郷土愛は筋金入りである。

香川県出身者であれば、成績や顔の良し悪しは度外視して声援を送る。政治家であればその人の主義主張も関係なく、応援したくなる。だから好きな政治家は大平正芳、三木武吉、成田知己、西尾末広が子供時代の大政治家であった。保守も革新もごちゃまぜである。

それはともかくとして郷土の力士を応援したくなるのは今も健在である。幕内に琴勇輝と天風と云う関取がいる。天風に至っては新入幕だったこともあり、今日まで知らなかった(これは単に自分の勉強不足だが)。

今日、両国国技館に足を運んだ。久しぶりのことだし、カミさんと二人で観戦するのも初めてなら、枡席に座るのも初体験ですっかり興奮してしまった。今はチケットの確保自体が困難だそうで、これは娘がチケットまるごとプレゼントしてくれた。敬老の日を前にしてのなによりの贈り物であった。

学生時代に内掛け名人だった大関琴ヶ浜の引退相撲を観に行ったことがある。子ども時代からあこがれのお相撲さんだった。蔵前国技館の時代で断髪したばかりの大関と握手できたことが忘れられない。モチロン、郷土出身である。

柏鵬時代の名勝負と記憶されている柏戸・大鵬の全勝横綱同士の千秋楽の結びの一番も蔵前の2階椅子席から観戦した。前場所休場していた柏戸が全勝優勝、涙の優勝と称えられた。芥川賞作家の石原慎太郎があれは八百長だと雑誌に投稿して物議を醸した対戦でもあった。

今場所は白鵬が休場しているが、序盤から熱戦が続いているし、国技館も満員御礼の垂れ幕が下がっている。テレビ桟敷のように力士の表情までは汲み取れないが、館内の熱気はもろに突き刺さる。いい思い出となった。まさかこの年で、再び国技館に入れるとは思っていなかったので、素直に娘の好意に感謝している。

2016年1月18日 (月)

asajiroの湘南日記(131) 1月18日(月) 白鵬よ引退せよ!

皆さん、今日の白鵬の相撲をご覧になってどう思われますか?がっかりと云う段階を越えてしまいました。同席していた解説者は、困惑しながらも「あれも相撲の一手ですからねえ」と述べてはいましたが、相撲フアンのasajiroとしては許せるものではない。

ここ1、2年の白鵬はすっかりオカシクなってきている。功成り名を遂げた一代の風雲児として、一つの大相撲の時代を築いてきたと評価していた。しかし、目指していた目標に到達してからの彼は、優勝欲しさだけのガリガリ亡者となった感がある。

これまでの名横綱と謳われた人たちは、体力が衰えてくるとそれを自覚して、自分なりの引き際を模索していた。しかし、白鵬は横綱の対面とかはお構いなし。どんな手段でも勝てばそれでいいと云う力士になり下がった。関取になりたい一心の幕下力士がやるならまだ判る。稀代の横綱白鵬はすっかり晩節を汚すこととなってしまった。

小学生の頃から相撲を見続けてきて、今日ほど国技館の客席がブーイングの嵐に包まれたのは記憶にない。朝青龍もひどい横綱だったが、同じレベルになってしまい彼の為にも残念なことである。相撲協会や横綱審議委員会はなんらかの対策を打つべしと考えるし、asajiroがもし文部科学大臣なら直ちに引退すべしと発言する。政治問題化し、自らの進退問題に波及することは承知のうえで・・・。

勝てば白星一種類しかないため、後世の人たちにはこの中に卑怯な取り組みが存在していたことはわからない。asajiroは、裁判員制度のように勝負審判と並んで一般人が取り組みを審判して、怪しく見苦しい相撲には新たに△印をつける方策を考えてもいいのではと思う。そうすれば八百長問題も早くに片付いていたと考える。

八角新理事長は土俵の充実を訴えているが、この元横綱は今日の一番をどう捉えたか知りたいところだ。是非、問題が大きくなる前に白鵬には潔く引退の決断をして欲しいと願っている。もし、飛んだり跳ねたり叩いたり、張り手を連発、猫だましをやったりするのがモンゴル相撲の特徴なら、彼らは祖国に帰ってそちらで活躍されたらいかがだろうか?

もうそろそろ、大相撲本来の伝統を取り戻す時が来ているように思われてならない。

2015年9月 6日 (日)

asajiroの湘南日記(128) 8月22日(土) 巡回ラジオ体操

夏休み期間中に全国を巡回しているラジオ体操が、今朝はasajiroの住んでる街にやって来ました。全国に流れるのは6時半からですが、6時までに会場に集まるようにとのお達しです。

モチロン、参加は自由で申し込みも必要ありませんから、怠け癖の強いasajiroとしては雨ならば自宅でラジオから流れる我が街の情景を楽しむつもりでした。実際のところ、猛暑が去った途端に急に天候が不順になりました。各地を廻ってる巡回ラジオ体操も、屋外で出来ずに体育館に場所を移して行なわれることも度々です。

当市でも、秋葉台球技場(普段はサッカーやラグビーが主体)でやるわけですが、雨天の場合は体育館に変更で入場制限がありますとのとことでした。幸い、今朝は青空の広がる好天になりました。この秋葉台運動公園は各種の運動施設が集中し、毎年大相撲の巡業もやってきます。体育館も観覧席が広く、建物全体が近未来的な斬新な設計になっています。遠くから眺めると宇宙基地のような感じ・・・。

asajiro農園から徒歩圏内にありますので、車はそこに停めて会場入りしました。最初は市長さんや来賓、NHKの局長さん等による挨拶が続きます。それからやおら体操のT先生が登場。約20分間に渡って本番前のリハーサルが繰り返されます。

今日22日は「夫婦の日」なんだそうで、asajiroも老夫婦でなかよく参加しました。まだ、子どもたちが小さい頃、四国の松山で暮らしていましたが、そこにもラジオ体操がやって来ました。しかもその時はテレビとラジオの同時中継による全国中央大会。会場となった堀の内の松山球場(当時)いっぱいの参加者でした。各地から貸切バスを仕立てて、揃いのユニフォームに身を固めた愛好者が張り切って手足を動かしていました。

あれから30有余年、まだ若かったasajiro夫婦はじいさん、ばあさんになりましたが、こうして2度目の巡回ラジオ体操に元気で参加できたのです。ありがたいことです。運動オンチ、スポーツ門外漢のasajiroですが、唯一ラジオ体操だけは続いています。

特に時間がたっぷり用意されている現在は、多い時は一日3回ラジオのスイッチを入れて、手足をバタつかせています。今年のような猛暑の日は、外でのウオーキングも命がけとなりますが、室内での10分間の体操なら心臓が止まることも息が出来なくなることもなく続けられています。

今日は約2千人余の市民が集まりました。指導のTさんの街の紹介の中で披露がありましたが、久し振りの好天でさわやかな湘南の風が吹き抜けています・・・と。放送が無事終了した後も更に20分程度、正しいラジオ体操のやり方が指導されます。お盆の最終土曜日と云うこともあり、家族連れが目立ちました。

ヘトヘトになったものの、それこそいい汗をかいて爽やかな気分になりました。おなかもペコペコに。会場前の「コメダ」でモーニングをいただきます。時ならぬ早朝からの行列で、気の毒にも店員さんはてんてこ舞い。

asajiro達は、農園に戻って農作業です。今日は朝から1ヶ月分の運動をしたような気分になりました。さあ、明日からはゆっくり寝ようっと・・・。

2015年1月25日 (日)

asajiroの湘南日記(117) 1月3日(土) 箱根駅伝

この年末年始は最大で9連休が可能とかで、成田や羽田から海外へ出かける人が例年になく多いそうだ。円安で海外旅行には不利にもかかわらず、そんなことより休める時に行かなきゃ・・・と。さすがに欧米よりもアジアが多いとか。

しかし、正月に限らないが、海外旅行に出かける元気がなくなってしまった。昔のように、胸をときめかすこともなく、これが老いというものだろうか。おカネがないこともある。リッチに海外へ出かけるお年寄りもいるが、全体から見れば一部の富裕層だろう。よほどの財産がない限り、年金生活者が海外旅行できるワケがない。

余生をオーストラリアなどの海外に移住する高齢者も多い。その方が安くあがるそうだが、asajiroはお寺や神社もない、そんな外国で生活したいとは思わない。お年寄りのささやかな楽しみは、散歩で近くのお寺や神社に行ったりすることがある筈だが、移住する人たちにはそんな趣味はないのだろうか?

豪華船によるクルージングもasajiroには性に合わない。船の中で、三食のご馳走や毎晩のダンスパーティをして何が楽しいのだろうか?途中の港に寄って、街を見学できる楽しみは否定しないが、それにしても・・・。でも、そんな抹香臭いお年寄りではダメなんでしょうね。常に好奇心に溢れて、ナンデモ見てやろう式でないと若々しさは保てないと云うことなのか?

お正月でも海外どころか、国内の温泉にもカミさんを連れて行くこともできない哀れな爺さん。それではと、箱根駅伝の復路の応援に重い腰をあげます。以前は、ナント大手町や日比谷あたりまで応援に出かけていました。それがいつのまにか大磯や藤沢市内での応援に。今年は最寄りの辻堂駅から徒歩30分くらいの所で声援を送ります。場所はあの有名な松下政経塾の近く。息子が卒業(卒園)したS幼稚園のそばです。

ここで21人のランナーに小旗を振っての応援です。今年は初出場の創価大学の大量の幟が新鮮でした。応援も組織だってやったのでしょうか?沿道の応援が終わってからは、家でテレビ観戦。結局、青山学院が初の総合優勝を飾りました。区間賞を次から次へとかっさらってのダントツ優勝。タイムも新記録でした。アッパレ!!

2014年8月14日 (木)

asataroおでかけ日記(139) 7月17日(木) 白馬を満喫

2泊3日の高校同期の仲間との山歩き、早くも最終日となりました。今日は当初の予定では白馬五竜高山植物園を散策する予定でしたが、ゴンドラに不具合が生じ、運休となってしまいました。途中で宙づりになってはタイヘンですから、それはそれで致し方ないものと諦め、行き先を白馬岩岳ゆり園に変更しました。

隊長のI君が交渉して臨機応変に対処してくれます。ゴンドラリフト「ノア」に乗ること約8分。標高1289mの岩岳山頂から林間の散策路を歩きます。ネズコの森と名づけられたこのルートで、思いがけずも白馬三山の稜線が姿を見せてくれました。この岩岳はマウンテンビューとも呼ばれています。その通りの絶景が、最後の最後に現れてくれました。

山頂のレストハウスでお弁当を広げます。愛知から参加のH岡さん、高松からのI上さん、東京組のU君とテーブルを囲みます。高校時代から才媛で鳴らし、秀才の誉れ高かった彼女ら、彼らです。古稀を過ぎた老人にはとても見えません。いつまでも我々の間では、若かった高校生の時の面影を残しています。来年もぜひ逢いたいなあと、お互いに再会を約束します。

ゴンドラで下り、いよいよ高松・関西組の仲間たちとお別れです。全員、固い握手で無事の帰宅を祈りました。四国までバスで帰りますから、かなりの長距離です。我々東京組は多少の時間的余裕がありますので、「白馬三枝美術館」に立ち寄りました。これもS原さんの提案です。彼女は単なる山ガールと云うより、立派な添乗員でもありました。

楽しいことはアッと云う間に時間が過ぎるもの。夜にはネオンが不夜城のように煌めく新宿高層ビル街に到着して、総勢35名の懐かしい仲間たちとの山旅は終わりました。

2014年8月13日 (水)

asataroおでかけ日記(138) 7月16日(水) 白馬八方尾根

怪しい雲行きの朝になりました。山の天気は変わりやすいので、雨対策だけは万全を期すように、我らが隊長殿より厳命されています。ビギナーのasataroは昨年の経験から、登山用雨具上下とストック、デイパック(20L)は新たに購入・新調しました。登山靴だけは昨年の出発前の自主トレの体験から既に用意していました。

幸い、雨は降ったりやんだりですが、心配なのは眺望がどうかと云う問題。北アルプスは事実上、生まれて初めてですから、是非とも、その雄姿だけは拝みたいものと大きな期待をしています。

ホテルからバスで移動して八方駅(770m)へ。運転開始を待ちます。ここから6人乗りのゴンドラリフトに乗り込み兎平駅(1400m)へ。3分ほど歩いて今度は4人乗りのリフトで黒菱平駅(1680m)へ。高山植物が目を楽しませてくれます。ひんやりした冷気を肌に感じます。雨は完全に上がりましたが、白馬岳の稜線は雲に隠れています。八方池の湖面に映る山々が見られるかどうかは微妙・・・。

最後の4人乗りのリフトで八方池山荘駅(1830m)に降り立ちました。ここで隊長I君の掛け声で準備体操を入念に行ないます。いつのまにか通りすがりの登山者も加わって、50人くらいの規模に膨れ上がっていました。ま、同じ山仲間です。

ここから本格的な登山開始。asataroは自信がありません。今回は人数が多いこともあり、登山中は5人づつのグループ編成で行動することになっています。ごつごつした尾根道を登り、八方池(2060m)に到着しました。やはり、白馬岳・杓子岳・鑓ヶ岳の白馬三山は稜線を雲の中に隠しています。我々も途中で雪渓を越えてきましたが、前方には白馬の大雪渓が見えます。

実は数年前に同期生のKさんがここで命を落としています。雪渓で落石事故に遭ったのです。八方池の湖面に映る雪渓に、彼女の無念な想いをみんなで偲びました。池の畔でお昼にしました。今は亡きKさんも賑やかなことが好きな女性でしたので、みんなで明るく談笑します。

今回の最高地点である第3ケルン(2080m)から下山開始。下りは岩場を避けて木道を歩いて下ります。リフトを乗り継いで麓に無事降りました。予定よりも早く着いたこともあり、S原さんの提唱で、長野オリンピックのスキージャンプで金メダルに輝いた白馬シャンツェを見物することになりました。上から見下ろして、あの可憐な高梨さらちゃんもこんな高い所から滑り、飛ぶのかと感心します。

ホテルでは連夜の懇親会で盛り上がりました。最後は恒例の校歌斉唱ですが、今回はこの白馬で眠るKさんに届くようにと全員で心を込めて歌い、彼女の魂に捧げました。応援団長だったE君の音頭でエールを送ります。彼女のはにかんだような笑顔が見えた気がしました。astaroの3年の時の同級生でもありました。Kさん、ありがとう!

asataroおでかけ日記(137) 7月15日(火) 白馬樅ノ木ホテル

早朝、新宿駅西口の高速バスターミナルに高校同期の山仲間が集まりました。女子3名、男子10名の東京組です。8時発のハイウエイバスで白馬に向かいます。お昼に終点の白馬八方に無事到着。

ホテルの迎えのバスに乗り込んで、今日からお世話になる「白馬樅の木ホテル」に入りました。名前もステキですが、建物もロケーションも申し分ありません。宿を決めていただいたのは、東京からご一緒したS原さん。

まずは隣接のレストランでお昼にします。今度の山旅は四国(高松)から14名、関西から8名が夕方に到着して総勢35名となります。高松・関西組はバスの中で多分おにぎりでも食べてる頃でしょうが、我々はリッチにイタリアンです。午後は和田野の森を散策します。珍しい蝶が高山系の花々に群がっています。

温泉で汗を流している時に、貸切バスを仕立ててきた高松組(途中で関西組が加わり・・・)が無事到着しました。再会を喜び合う仲間たちでロビーは一挙に賑やかになりました。それぞれの地区で活動していた山のグループが、年に1回、合同でハイキングを楽しもうと云うことになり、今年で3度目の企画。ベテランのI君がリーダーとなって、1年がかりで準備が進められました。

毎年、参加者が増え続け、今年は30名を突破。卒業して53年、当時の生徒で存命中のメンバーの1割近くが、この白馬の地に集まったわけです。企画の素晴らしさ、I君の人柄とリーダーシップ、そして各地区のまとめ役、みんなの明るい性格が、この会を楽しいものにしてくれています。

とりわけI君のことを、仲間たちは親しみを込めて「隊長」と呼んでいます。世界各地の山に登り、コロラド川の渓流をカヌーで下る鉄人I君にとってはホントのハイキングでしょうが、彼の素晴らしさは70歳を過ぎた仲間たち、とりわけビギナーでも登れるコースを選んでくれているところでしょう。それが、評判になって毎年、初参加のメンバーが加わる要因になっています。

夜の懇親会は自己紹介や近況報告で盛り上がります。女子は全部で14名、男子は21名。中には卒業以来53年ぶりに、あこがれの女子に再会して感激に涙するオトコも・・・。

さあ、いよいよ明日は白馬の尾根を目指します。

2014年8月 2日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(161) 7月8日(火) 大仏ハイキングコースを縦走

山行きのトレーニングを再開しました。再び、北鎌倉駅で下車します。先日の六国見山とは反対側に進みます。鎌倉五山第4位の古刹、浄智寺の脇を進みました。

小津映画のワンシーンのような風景が続くこの付近は、あさちゃんも好きな場所です。実際、小津安二郎監督はこの付近の谷戸に住んでおられたそうです。余談ですが、女流画家で日本画の大家だった小倉遊亀(ゆき)さんもほぼ同じ場所にお住まいでした。100歳を超えて尚、精力的に絵筆を握っておられました。

ここから登るルートは葛原ヶ岡(くずはらがおか)ハイキングコースと呼ばれていますが、ほぼすべてが浄智寺の境内でもあります。昨年のトレーニングで歩いて以来ですから、1年ぶりと云うことになります。源氏山公園の葛原岡(くずはらおか)神社の前の木陰にあるベンチで休憩。水分の補給をします。

更に大仏ハイキングコースに入ります。尾根道を歩いているのですが、夏は樹木の葉っぱが繁っていて、冬場のような眺望が見られないのは残念です。梅雨の時期でもあり、陽の当らない道には至るところ水たまりやぬかるみがあり、足元が油断なりません。外国人のハイカーが多いのも、このルートの特徴でしょうか。やはり大仏がスタート地点になったり、ゴールにもなりますので、人気があるのかもしれません。今日は日本人よりも多いような気がしました。

無事、山のルートを踏破し、大仏前を通過して、何度か入ったことのある中華のお店に入り、お昼にしました。そして、午後、今度は下の道を歩いて北鎌倉を目指します。

小町通りで人力車有風亭の青木さんにお会いしました。急にかき氷が食べたくなり、夫人がやっておられる「茶房有風亭」に吸い込まれます。このお店は、北鎌倉に向かうルート上にあり、無視して通過するのはなかなか困難です。あさちゃんにとっては茶房ではなく関所・・・。

近くのバス停で待っておられた女性に声をかけられ驚きました。鎌倉ガイドのTさんです。自宅が大船の先なので、バスを待っておられたわけですが、山を歩いて今度は下を歩いてます、と言ったら目を丸くしていました。熱中症に気をつけてと云われましたが、先ほど宇治金時を食べたところなので、まず大丈夫でしょう。

最後の難所、巨福呂坂の洞門を通り抜けて、出発地点の北鎌倉駅に戻ってきました。ジャスト、5時間のトレーニングになりました。本当は、天園を全ルート踏破したかったし、衣張山(きぬばりやま)にも登って足馴らしを続けたいところですが、今年はガイドの仕事が入って時間がとれません。どうやら、このまま本番を迎えることになりそうで、一抹の不安が残る白馬訓練になりました。

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