スポーツ

2019年3月23日 (土)

あさ爺の徒然日記(996) 3月22日(金) イチロー選手の引退

あさ爺はプロ野球は殆ど見ないのだが、それでもイチロー選手の名前はよくわかっている。記憶の原点は鈴木一朗からイチローに「改名」した時に、へえ~ナニコレ?と思った時。オリックスの当時の監督仰木さんの発案らしい。その後もマネするケースは相次いだが、実力があまり伴わなかったとみえて、イチローほどのインパクトはない。それはともかく、最後の試合になっても結局、ヒットは打てなかった。あれほど量産してきたマシンのような彼をもってしても打てないのだ。あさ爺はそこに稀勢の里を重ねてしまった。どうしても白星が取れない最後の数場所…。怪我の後遺症でイチローとは違うかもしれないが、何だか見てて痛ましい気がしたものだ。誰よりも一本のヒット、土俵での一勝が欲しかったに違いなかった筈だ。横綱とか大選手であっても、年齢と共にどうすることもできなくなるものがあると云うわけだ。まことに引き際と云うものは難しい。良く云えば生涯現役を目指す人もある。しかし、一方で晩節を汚す人もある。スポーツに限らず、芸能界でも政財界でもよく話題になることだ。昨今、総裁の4選もありとかで物議を醸している某幹事長がいる。願わくば、これ以上晩節を汚さないで欲しいと願う総裁と幹事長だ。イヤ、もう十分に嫌われている筈なのだが、根強いフアンも多いと云うから不思議だ。海の向こうの某大統領とホントよく似ている。

2018年6月 1日 (金)

あさ爺の徒然日記(884) 5月26日(土) 日大アメフト事件

連日のように世間を騒がせている日大アメフト事件。日本の国政の中枢で、政府自らがのらりくらりと逃げ切りを図っているのを反面教師にするのかと思いきや、それをそっくり真似てこちらもほとぼりが冷めるのを待って、それまではなんとか逃げ切ろうとしている日大の首脳陣。監督、コーチで収まらないと見るや、遂に学長が「謝罪」会見。とうとうトップがと思いきや、私立の場合はその上に絶対君主の理事長が君臨している。日大の場合は、学長は常務理事の内田監督よりも下のランクであるヒラ理事。これでは上司が出てきたのではなく、部長クラスが出てきたようなもので、しかも相変わらずの誠意の無さから藪蛇の態。火に油を注ぎ続けている有様。

記者団からは日大ブランドに傷がつきますよと忠告を受けているが、そもそもそんなブランドが存在するとは知らなかった。K大やW大ではあるまいに。繰り返しになるが、政府自ら逃げの一手を決め込んでいるから、みんなマネしたがるのだ。あ~、こんなニホンに誰がし~た♪  モチロン、誰がとは我らが宰相シンゾー君のことだ。日本国民が熱狂的に支持している党の総裁であらせられる。

2018年1月 7日 (日)

あさ爺の徒然日記(762) 1月7日(日) 星野さんの追悼記事

亡くなった星野仙一さんに関する新聞記事が今日も続いた。それもかなりの紙面を割いている。故人とかかわりのあった方々へのインタビュー記事も多い。他に大きなニュースがないことにもよるが、如何に彼の死が惜しまれていたか、衝撃的であったかとも云える。

彼は野球に恋していたと語ったらしいが、多くのフアンが彼を愛していたことは確かだろう。相撲界には耳をふさぎたくなるような事件が、力士や親方だけではまだ物足りないと見えて、今度は立行司式守伊之助さんまでが割り込んできた。それは暴力や非協力とは一味違った、みっともない事件のようだ。それだけに、野球界のこの出来事は悲しいことではあるが、星野仙一と云うたぐいまれな「さわやかな」男にまつわるニュースに、多くの国民は惹きつけられたのだろう。

高校時代の岡山東商の平松、大学時代は法政の田淵、山本、プロ野球選手時代では巨人の王、長嶋と常に良きライバル、好敵手に恵まれた。やがては、そのライバルたちと良き友になるのだから、これは誠に優れた人間性によるものとしか思えない。あさ爺も多少の縁があったことを嬉しく思うのである。

2018年1月 6日 (土)

あさ爺の徒然日記(761) 1月6日(土) 星野さんの生きざま

「燃える男」の形容詞がこれほどピッタリする人は珍しい。と云うより彼の為の言葉に違いない。モチロン、星野仙一さんのことだ。プロ野球の熱烈なフアンではないが、この人には好感を持っていた。ユニフォーム姿に限らず、NHKのスポーツキャスター時代のスーツ姿もきまっていた。何より、笑顔が良かった。お茶の間のフアンも多かったと思うし、女性にももてたはずだ。

だが、奥様に先立たれると云う不運に見舞われた。それでも気力を失うことなく、中日、阪神に続いて63歳で就任した楽天の監督でリーグ優勝のみならず、彼自身悲願の日本一にも輝いた。ただの制覇ではなく、大震災に打ちのめされた被災者に大きな勇気を与えたことでも、星野さんの功績は偉大だった。

人気と実力が兼ね備わった、絵にかいたような生きざまではなかったか。死を突然に発表するなど、最後まで彼らしかったと云われている。ご冥福をお祈りしたい。あさ爺より5歳も若い70歳。まだ、心残りはあったと思うが、羨ましい最期と云う気もする。奥さんと再会できたのでは・・・。

2017年12月25日 (月)

あさ爺の徒然日記(748) 12月24日(日) 高校駅伝に思う

日本人発案とも云われる「駅伝」が面白い。新春恒例の箱根駅伝も間もなくだ。それに先立って行われたのが、都大路を駆け抜ける高校駅伝。男子は佐久長聖が雪辱。このチームの素晴らしさは日本人選手だけで優勝を勝ち取ったことだ。その点、女子優勝の仙台育英にはアフリカからの留学生選手が含まれている。

上位チームにはこのような留学生が含まれていて正直興醒めだ。身体能力が格段に優れた他国の選手を入れてまで、勝ちにこだわる学校には共感が持てない。これは人種差別ではなく、日本人の大会に水を差すものだと思うからだ。古い人間と云われましょうが、駅伝に限らず、スポーツ全般に云えるものだ。両親のいずれかが日本人なら問題はないが・・・。

大相撲のモンゴル勢に辟易しているあさ爺である。黒人、白人、関係ない。100%譲って、日本国籍を持つことを最低限の条件にすべきだと思う。また、高校野球と同じで、郷土チームとは言い難い他県からの生徒も多く含まれているのでは?大学はともかく、都道府県別対抗のスポーツである以上、弱くてもいいからその県の生徒で堂々と戦って欲しいものだ。

2017年9月11日 (月)

あさ爺の徒然日記(654) 9月9日(土) 暁の超特急

東洋大の桐生祥秀が10秒の壁を突破した。「純粋」の日本人選手が、その偉業を成し遂げたことを先ず喜びたい。アフリカ出身で国籍変更した選手には悪いが、相撲のモンゴルと同じでどうも好きになれない。我ながら了見が狭いものだと、よく自覚しております。

ところで、あさ爺世代の一昔前には「暁の超特急」と呼ばれた名選手がいた。吉岡隆徳だ。惜しくもオリンピックでメダルには届かなかったが、肉薄したことで国民を歓喜させた。その日本記録は長い間破られなかった。

ところで、桐生選手。高校時代に彗星のごとく現れたが、重圧に弱いとかで、いつも惜しいところで大記録に見放されていた。しかし、リオ五輪の400mリレーは格好良かった。健在ぶりを見せてくれて安心したものだ。何故か、マラソンが低迷している中で、この短距離陣の層の厚さは頼もしい。

因みに運動オンチのあさ爺は、校内マラソンは云うに及ばず、100m競走も亀さんより遅かった。トホホ・・・である。

2017年1月 8日 (日)

asajiroの湘南日記(142-1006) 1月4日(水) 箱根駅伝

今年のお正月は、終始穏やかな天気だった。初日の出も、満足なさった方が多いことだろう。新年早々に体調を崩したので、恒例の箱根駅伝沿道応援は見合わせた。今年も青学が強かった。年末の高校駅伝もそうだが、これだけ番狂わせがないところを見ると、いかに強豪選手を集められるかと云う資金力の闘いなんだろう。それにプラス指導者の力量か?

今日4日は、昨秋に手術をしてリハビリ中のM氏を訪ねて、茅ヶ崎へ出向いた。一日五千歩を目標に歩いている彼に協力しながら、茅ヶ崎中央公園、御用始めの市役所新館、電源開発、第六天神社など駅周辺を彼の案内で散策。駅伝選手が走り抜けたのは海沿いの国道134号線。今日歩いたのは国道1号線、いわゆる一国と呼ばれる道をはさむ市街地。

こちらの風邪をうつさないよう気をつかってマスクしたままだったが、マスクなしのM氏の方がはるかに元気だった。まずは彼の為にも一安心した茅ヶ崎散策となった。

2015年9月 6日 (日)

asajiroの湘南日記(128) 8月22日(土) 巡回ラジオ体操

夏休み期間中に全国を巡回しているラジオ体操が、今朝はasajiroの住んでる街にやって来ました。全国に流れるのは6時半からですが、6時までに会場に集まるようにとのお達しです。

モチロン、参加は自由で申し込みも必要ありませんから、怠け癖の強いasajiroとしては雨ならば自宅でラジオから流れる我が街の情景を楽しむつもりでした。実際のところ、猛暑が去った途端に急に天候が不順になりました。各地を廻ってる巡回ラジオ体操も、屋外で出来ずに体育館に場所を移して行なわれることも度々です。

当市でも、秋葉台球技場(普段はサッカーやラグビーが主体)でやるわけですが、雨天の場合は体育館に変更で入場制限がありますとのとことでした。幸い、今朝は青空の広がる好天になりました。この秋葉台運動公園は各種の運動施設が集中し、毎年大相撲の巡業もやってきます。体育館も観覧席が広く、建物全体が近未来的な斬新な設計になっています。遠くから眺めると宇宙基地のような感じ・・・。

asajiro農園から徒歩圏内にありますので、車はそこに停めて会場入りしました。最初は市長さんや来賓、NHKの局長さん等による挨拶が続きます。それからやおら体操のT先生が登場。約20分間に渡って本番前のリハーサルが繰り返されます。

今日22日は「夫婦の日」なんだそうで、asajiroも老夫婦でなかよく参加しました。まだ、子どもたちが小さい頃、四国の松山で暮らしていましたが、そこにもラジオ体操がやって来ました。しかもその時はテレビとラジオの同時中継による全国中央大会。会場となった堀の内の松山球場(当時)いっぱいの参加者でした。各地から貸切バスを仕立てて、揃いのユニフォームに身を固めた愛好者が張り切って手足を動かしていました。

あれから30有余年、まだ若かったasajiro夫婦はじいさん、ばあさんになりましたが、こうして2度目の巡回ラジオ体操に元気で参加できたのです。ありがたいことです。運動オンチ、スポーツ門外漢のasajiroですが、唯一ラジオ体操だけは続いています。

特に時間がたっぷり用意されている現在は、多い時は一日3回ラジオのスイッチを入れて、手足をバタつかせています。今年のような猛暑の日は、外でのウオーキングも命がけとなりますが、室内での10分間の体操なら心臓が止まることも息が出来なくなることもなく続けられています。

今日は約2千人余の市民が集まりました。指導のTさんの街の紹介の中で披露がありましたが、久し振りの好天でさわやかな湘南の風が吹き抜けています・・・と。放送が無事終了した後も更に20分程度、正しいラジオ体操のやり方が指導されます。お盆の最終土曜日と云うこともあり、家族連れが目立ちました。

ヘトヘトになったものの、それこそいい汗をかいて爽やかな気分になりました。おなかもペコペコに。会場前の「コメダ」でモーニングをいただきます。時ならぬ早朝からの行列で、気の毒にも店員さんはてんてこ舞い。

asajiro達は、農園に戻って農作業です。今日は朝から1ヶ月分の運動をしたような気分になりました。さあ、明日からはゆっくり寝ようっと・・・。

2015年1月25日 (日)

asajiroの湘南日記(117) 1月3日(土) 箱根駅伝

この年末年始は最大で9連休が可能とかで、成田や羽田から海外へ出かける人が例年になく多いそうだ。円安で海外旅行には不利にもかかわらず、そんなことより休める時に行かなきゃ・・・と。さすがに欧米よりもアジアが多いとか。

しかし、正月に限らないが、海外旅行に出かける元気がなくなってしまった。昔のように、胸をときめかすこともなく、これが老いというものだろうか。おカネがないこともある。リッチに海外へ出かけるお年寄りもいるが、全体から見れば一部の富裕層だろう。よほどの財産がない限り、年金生活者が海外旅行できるワケがない。

余生をオーストラリアなどの海外に移住する高齢者も多い。その方が安くあがるそうだが、asajiroはお寺や神社もない、そんな外国で生活したいとは思わない。お年寄りのささやかな楽しみは、散歩で近くのお寺や神社に行ったりすることがある筈だが、移住する人たちにはそんな趣味はないのだろうか?

豪華船によるクルージングもasajiroには性に合わない。船の中で、三食のご馳走や毎晩のダンスパーティをして何が楽しいのだろうか?途中の港に寄って、街を見学できる楽しみは否定しないが、それにしても・・・。でも、そんな抹香臭いお年寄りではダメなんでしょうね。常に好奇心に溢れて、ナンデモ見てやろう式でないと若々しさは保てないと云うことなのか?

お正月でも海外どころか、国内の温泉にもカミさんを連れて行くこともできない哀れな爺さん。それではと、箱根駅伝の復路の応援に重い腰をあげます。以前は、ナント大手町や日比谷あたりまで応援に出かけていました。それがいつのまにか大磯や藤沢市内での応援に。今年は最寄りの辻堂駅から徒歩30分くらいの所で声援を送ります。場所はあの有名な松下政経塾の近く。息子が卒業(卒園)したS幼稚園のそばです。

ここで21人のランナーに小旗を振っての応援です。今年は初出場の創価大学の大量の幟が新鮮でした。応援も組織だってやったのでしょうか?沿道の応援が終わってからは、家でテレビ観戦。結局、青山学院が初の総合優勝を飾りました。区間賞を次から次へとかっさらってのダントツ優勝。タイムも新記録でした。アッパレ!!

2013年1月 3日 (木)

asataroおでかけ日記・湘南編(30) 1月2日(水) 箱根駅伝往路

今年の箱根駅伝は「戦国駅伝」とも形容されています。昨年までは、山登りの柏原選手がいる東洋大学が圧倒的な強さを誇っていました。しかし、彼が卒業したために、他校にもチャンスが巡ってきたと言うことです。

大磯で応援することにしました。電車には、応援の人に混じって駅伝関係者らしき人も乗っています。恐らく見送った後、電車で先回りしてどこかの中継所で待ち受けるのでしょうか?

東洋大がまだまだ強さを誇っていました。先頭で、我々の目の前をあっと言う間に通過しました。asataroは、W大・M大・K大・・・、他にN大・Y大等、今年の出場校の中に、何校かの応援するチームがあります。これらは、家族や親戚が卒業した学校ですが、結局はすべてのチームに声援をおくることになります。

往路は箱根の山登りで、日体大が東洋大を追い抜き、26年振りの往路優勝を飾りました。やはり、柏原クンの抜けた穴は大きかったと言うことです。

観戦を終えた後、高来神社に初詣に出かけました。旧東海道の松並木を通ります。神社の名前は土地の高麗(こま)、或いは背後の高麗山に由来しています。古代、朝鮮半島から帰化した高麗人が住みついた所と言われています。

ここから金目(かなめ)川を渡り、平塚駅まで歩きました。湘南の風と言えば聞こえはいいですが、今日は強風・・・。選手にとっては、恐るべき向かい風となり、箱根の山で、中央大と城西大の選手が体力を消耗して倒れ、襷をつなぐことができなかったことを、後で知りました。

他の仲間の悔しさもさることながら、当の選手の心中は察するに余りあります。