心と体

2017年8月27日 (日)

あさ爺の徒然日記(639) 8月25日(金) 歯医者で肩凝る

1ヶ月くらい前になるかと思うが、むし歯治療で詰めていた金属が取れた。しかし、歯医者の予約が取れず、うがいや歯磨きの度に神経を逆なでしてくれて、鏡にしかめっ面の己が醜い顔をさらしていた。

今日の夕方にようやく「待望の」治療をしてもらった。老人となっても歯の中の神経は、何故か元気溌剌としている。麻酔注射を打たれてもへこたれない。大口を開けたままの俎板の鯉である。

苦しいから思わずのけぞったり咳き込んだりすると、鼻で息をしてください、口で息するから苦しいのですと諭されても、口を閉じてたら造作もないが、開けたままで鼻呼吸せよと云われても、そんな器用なことができない。「あ~、????」(先生、無理ですよ~の意)と、言葉にならない言葉を発する。

ここ数年の間、大腸ポリープの摘出手術、鼠径ヘルニアの手術、今年の救急車騒ぎと、お騒がせしてきたあさ爺ですが、今日の歯の治療が一番苦しかったですねぇ。おかげで後遺症なのか、肩がパンパンに凝ってしまいました。病院で出してもらっていた湿布薬を両肩にペタペタと張りました。これも応急措置でしょうか?

部品が取れたくらいで大騒ぎをして、またまた医療費の無駄遣いをしてしまいました。

2017年8月22日 (火)

あさ爺の徒然日記(636) 8月22日(火) 高血圧

昨夜、テレビを見ていて急にカラダに異変を感じた。うつらうつらと居眠りをするのはいつもあることだが、そうではなくて急にフラフラし始めたのである。そこで椅子から立ち上がってみたら、まっすぐに歩けない。何かに掴まらないと崩れそうなのだ。

恐怖心が湧いてきた。このまま死ぬのかな?死ぬならともかく脳梗塞かなんかで半身不随状態になるのがもっと怖い。家族に助けを求めようかとも思ったが、動転されてしまうことになりかねない。なんとかこの危機を乗り越えようと、フラフラしながら考えた。

目まいとか貧血とも違う感じだ。これは不整脈か高血圧に違いないと、急いで血圧を測ってみた。案の定、かなり高い数値が出た。それを見て、今度は目まいが起きそうになった。救急車のピーポーが脳裏をかすめたが、「こんなことで」いちいち呼ぶのはいかがなものかと考えたら、少しばかり冷静になれた。

寝るのが一番と、床を敷いてひっくり返る。一瞬、朝を迎えられるかと不安になったが、寝てる間なら本人は楽かもなんて能天気なことを考える。そして、無事、朝を迎えた。しかし、後遺症なのか今日は一日血圧の高い状態が続いた。熱はなかったが、頭が少し痛かった。

フラフラはおさまったが、はっきりした原因がわからないので、まだまだ安静は必要なんだろうと観念したあさ爺です。

2017年8月20日 (日)

あさ爺の徒然日記(634) 8月20日(日) 結果的に延命治療??

あさ爺が救急車で運ばれて、今日で75日が経過した。応急の措置を受けて、幸い入院することもなく今に至っている。ただ、運ばれた総合病院から地域のかかりつけ医に戻されて、投薬と経過観察のための通院は続いている。

症状が安定してきているので、診察の間隔は1週間後から2週間後へ、更に4週間後へと延びてきた。血液をサラサラにする為の(血流を良くする為の)薬、胃にかかる負担を軽減するための薬、そして血圧を下げる薬の3種類が処方されている。

今のところ、最初の頃に見られた副作用を少なくする薬に改められているので、日常生活は発症前よりもだいぶ落ち着いている。有難いことだ、しかし・・・。国保の自己負担額から逆算すると、医療費総額はバカにならない。75歳目前の老人に、これからエンドレスにこの医療費がかかるのかと思うと複雑な気持ちになる。

ひと昔前なら恐らく病名もはっきりせず、胸の苦しみをやわらげる薬を当座分だけ与えられて終わりだったろう。モチロン、安静に過ごすようにとのご託宣はあるかもしれない。緑内障予備軍として続けている点眼薬もしかり、完治する見込みはなく、症状が悪化するのを防ぐための治療であり服薬である。

つまり生きてる限りは・・・と云うわけ。これって延命治療では?高齢化社会でうなぎのぼりの医療費の片棒を担いでいる居心地の悪さ・・・。生かされていることに感謝して、何か世の中にお役に立てることが出来ればいいのだが、今は頭を抱えてうなだれているだけのあさ爺でございます。

2017年7月26日 (水)

あさ爺の徒然日記(606) 7月22日(土) 血圧の推移に一喜一憂

かかりつけの先生に勧められて、血圧計を購入して1週間が経った。前から欲しいなと思ってたところなので、ま、いい機会でもあった。その測定結果に振り回されている。神経質に一喜一憂することはないのだが、どうしても数値が気になって仕方がない。典型的な小心者のあさ爺である。

最初に処方していただいた血圧を下げる薬が効いたのか、確かに数値は改善した。しかし、同時に副作用とみられる症状も現れて、気力も失せることがあった。その旨、先生に申告したところ、薬の中から血圧下げは外した。だが、副作用はなくなったが、値は再び上昇に転じた。内閣支持率とは正反対。

正しい測り方をキチンと守って、朝夕の2回、それも各2,3回測る念の入れよう。それでも、高いものは高い・・・で、高水準を維持する有様、トホホである。あさ爺のような75歳前後の血圧は、145/85以下がいいらしい。高齢者は高いのが一般的らしいので、この数値なんだろう。

家族は、血圧下げを薬に頼ることに、極めて警戒心が高い。あさ爺も、その意向を組んでサントリーの胡麻麦茶を飲んだりしているが、お医者さんはあっさりと薬を出した。高血圧によって発症する恐れのある、目の前の危険を回避する為であろう。墓場の手前まで、飲み続けることになりそうな予感がする。

2017年7月13日 (木)

あさ爺の徒然日記(597) 7月12日(水) 運動不足を懸念

自宅で療養を続けている身にとって、運動不足の解消が当面の課題。アルバイトをしている時には、ささやかでも収入が得られると云う気持ちは確かにあったが、それ以上に一日中カラダを動かしていると云う充実感があった。満足感と云っても良い。また、通勤電車に揺られることにより、今の社会とつながってもいると云う安心感もあった。それが今はない。

収入がなくなったことに対しては、節約をすれば解決できる。しかし、体を動かしていないことからくる運動不足だけは、負の遺産となって蓄積されそうだ。実は30年以上続けてきたラジオ体操を先月末からやめて、既に20日になる。

家族がアンチラジオ体操派で、百害あって一利なしの論法で家庭内批判を浴びてきていた。それもあるが、あの体操でさえ息切れをするようになってきたことが止めた原因でもある。不整脈を感じる症状に臆病になってしまったのである。

体力が落ちれば、気力も衰えてくる。仕事の日には朝から緊張感もあったし、気の進まない現場へ出かける時は気分も晴れなかった。そうした心の負担も失せ、モチベーションの維持も難しくなってきた。今は室内でのストレッチ体操を試みているが、やはり「歩く」のが一番と痛感する。

ウォーキングは最良の薬に違いないと思うのだが・・・。

2017年7月 2日 (日)

あさ爺の徒然日記(588) 6月28日(水) 久しぶりに健康診断

昨年もパスした健康診断、今年は受けなければと思っていた矢先に、救急車搬送事件が起こってしまった。数年前に同じような症状に襲われた時に、軽く考え専門医の受診を怠った代償を払うことになったわけだ。

そんなわけで今回は今のかかりつけ医で搬送手配をしてくださった、Nクリニックで初めての健康診断に臨む。今までは特に医院は決めていなかったが、今回は今の状況を把握されておられる先生に、診ていただいた方がよかろうと判断。

アンチ健診派のカミさんも今年は受診に踏み切る。彼女は数年ぶりではないだろうか?何年か前に、娘が勤務していたクリニックで人間ドックを受診して以来では?あさ爺も現役時代は夫婦で人間ドックに日帰り、又は1泊で診て貰ったが、リタイアした後は、高額の健診代がネックとなって・・・。

その内、市の健診すら受けたりサボったりのここ数年・・・。そして、今年はその天罰が下った次第。結果は後日だが、もとより合格点は期待できない今の状況と心境なのです。

2017年6月15日 (木)

あさ爺の徒然日記(577) 6月14日(水) 再び、かかりつけ医へ

6月13日(火)、救急搬送されてから1週間後のこの日、再び市民病院で検査と診察を受ける。採血は4本とられて目が回りそう・・・。心電図の波は規則正しく波打って、運び込まれた時のような滅茶苦茶な波動ではなくなってきた。

担当の先生も、N医院に戻っていいでしょうとの話。市民病院通いを覚悟していたので、それほどの重症にはならなかったものとホッとする反面、もうしばらくは大病院で診てもらってた方が良かったのにと云う気持ちも。

そして、今日、そのクリニックへ報告に出向いた。これからは息の長い「闘病生活」が始まる。同時に、何年続くかわからないが、人生最終版の余生を生きることになるわけだ。目の前の仕事にかまけて、何も考えていなかった人生の締めくくりについて、いろいろ思いを巡らすことになりそうだ。

2017年6月14日 (水)

あさ爺の徒然日記(575) 6月9日(金) 自宅で静養

救急搬送されて、その日の夜に帰宅してから3日経った。やはり、病院で適切な治療を受けたおかげで、諸々の数値も下がり、心電図の折れ線グラフも規則正しくなってきた。

3年半前に、同じような症状で倒れかけたことがあった。真夏の仕事中での出来事、熱中症ではと思い小康状態となったので、自分の判断で医院には行かなかった。しかし、その為かしばらく「後遺症」が続いた。軽い麻痺もあった。大事には至らなかったものの、その時のことが今度の伏線になったに違いないと思っている。素人が過信することの怖さを、今回思い知らされたと反省。

処方されたお薬は「治る」まで、飲み続けなければならないシロモノだ。加齢が原因で、そもそも完治を目指すと云うより、最悪の事態を予防することにあるので、結局は生涯飲み続けることになるのだろう。何のことはない、血圧を下げるのと同じようなもの。薬には頼りたくないと思ったが、その効果はテキメンであることは確か。

老人に医療費がかかることに、ホントに申し訳ない気持ちが先に立つ。しかし、もう先は長くないとわかったようなもの。先延ばししてきた身辺整理に、精を出そう。

2017年6月12日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(490) 6月6日(火) 救急搬送される

F旅行社の紅葉の時期に企画するツアーの下見で、永福寺跡から獅子舞の入口辺りを歩いた。お客様の反応を代弁していただく形で、いつものようにカミさんに同行して貰った。結果的にそれが良かった。いや、ガイドの話ではない。

鎌倉宮を出たあたりから急にカラダに異変を感じた。ふらつく感じがあり、車の道を避けて急ぎ永福寺旧跡への道に入った。どうにもおかしくカミさんに告白。休憩したくとも木陰はない遺跡である。しばらく見ない間に、随分と整備されて案内板も増えたが、じっくり読む余裕はなくなった。

タクシーを勧めるカミさんに「大丈夫!」と見栄と我を張って、バス・電車・バスと乗り継いで、自宅まで無事辿り着いた。1時間ほど横になってから、かかりつけ医を訪ねる。それからがタイヘンだった。

医師の診断で、緊急を要する事態と判明。帰宅したカミさんを呼び戻して医院が緊急手配してくれた救急車で、総合病院に搬送されてしまった。まだ、パトカー、救急車、霊柩車には乗ってないあさちゃんが、74歳にして初めて救急車に。医師も救急隊員も病院との連絡の中で、「74歳男性、意識あり」と連絡するのを聞いて、ま、どこの爺さんかと思ったが・・・。

救急外来で応急措置が施され、夜遅く、帰宅が許された。とにかく生きて帰れた。昼から、付きっ切りのカミさんには感謝の言葉しか浮かばない。

2016年3月 8日 (火)

asajiroの湘南日記(132) 3月8日(火) 全快宣言

年末に手術をしてから今日でまる3ヶ月が経過しました。本日、高らかに全快宣言を発します。

一番リハビリが遅れていた山歩きも、桃の節句の今月3日に湘南国際村から子安の里を経て立石海岸へ、更に浄楽寺~淡島神社を巡る約7kmのコースを踏破できました。全体的には下りですがアップダウンの繰り返しもあって、リハビリの成果を測るバロメーターにはなりました。時折、脇腹がチクチクと痛みはしましたが、その程度で収まり翌日に持ち越すこともなく、今日の空のように晴れて全快を確信するに至ったわけです。

古稀を過ぎてからの生まれて初めての開腹手術。手術は外科の一般的な手術で命に関わる恐れは少ないが、手術を先送りして手遅れになった場合は救急車で運ばれ緊急手術になり、最悪の場合命に関わる恐れがある。この医師の一言で手術を決断。師走に入って世間さまは慌ただしく走り回っておられるのに、asajiroは「快適な?」入院生活を6日間送らせていただきました。

この歳になって手術をしてまで、お前は長生きしたいのかと自問自答することもなく、手遅れになって激痛に襲われる恐怖感がまさり、あっさりと手術台に登る体たらく・・・。カミさんがこんなに優しい女性だったのかと、必死になって身の回りの世話をしてくれたことにオドロキと感謝。逆の立場になった場合、果たして自分には出来るだろうか??

日本が今日世界一とまで云われる長寿大国になったのは、乳幼児の死亡率が減ったのと同時かそれ以上に、高齢者への手厚い医療と介護のせいだと思っているasajiroです。それが悪いとまでは云わないけれど、何かがおかしいと内心思っていることは事実。そのあげくに寝たきり老人や5人に一人が認知症になると云う恐ろしい現実。

ニュースが伝える老人を取り巻く悲惨な事件や悲しい結末。中には介護者による悲しい事件も後を絶たない。asajiroはもう少し生きてみたいと未練たらたらで手術に踏み切ったが、このように自分の明確な意思で判断できる場合はまだいい。しかし、そうではない場合、深刻な事態になっているのではないか?

現在、わが国の法律制度では安楽死は容認していないし、災害時も本人の意思に関係なく救命が最優先。だけど、asajiro爺さんは、多分瀕死の重傷ならそこまでして助けていただかなくともOK。近くに子どもや若い女性が助けを求めているならそちらを先にと叫ぶ(声がでればの話)だろう。でも、救助隊員には老人は見捨てよとの倫理観はモチロン無い。イノチの重さは等しい・・・と。

たいした重病ではなかったasajiroが無責任なことを云ってるとは思うけど、病気、災害を問わず、まずは無抵抗な幼い命を助け、更に子どもたちを助ける。老人が穏やかに施設で余生を送る。モチロン悪いことではないし、むしろ理想社会と言える。asajiroも好むと好まざるとに関わらず、そのような終末期を迎えるのだろう。でも、老人の一人として複雑な気持ちもかかえているのであります。

今度の手術・入院で医療従事者の素晴らしさも知ることができました。医師も看護師も皆さん懸命でした。疲れていても笑顔を絶やさず・・・。医療現場が過酷な状況の中で、現場の人たちは崇高な精神で日々働いておられることは、今さらながらよくわかった・・・と。asajiroの長女も医師の一人としてガンバってくれている。生まれてくる新しいイノチの為に全力を傾けて・・・。

全快宣言が、いつもの悪い癖で四方八方話が飛んでしまいました。申し訳ない。リハビリ中は出来るだけ控えていた「あさちゃんのブログ」。その中でむずむずしているメンバーの為にも、これからはちょくちょく「啓蟄」の虫のように、春を求めて顔を出すことと思います。よろしくね。

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