旅行・地域

2014年8月21日 (木)

asataroおでかけ日記(140) 7月28日(月) 小田原を歩く

小田原へ買い物を兼ねてお出かけです。駅前からお堀端通りへ入り、小田原城のお堀の横に出ました。春ならば桜の並木が美しいところです。

小田原城は江戸時代、関東屈指の大きな城郭でしたが、明治以後は県庁所在地から外されたことや東海道本線が御殿場廻りになり、交通の要衝からも外れたことが重なり、街は衰退してゆきます。巨大城郭もどんどん取り壊され、堀も埋め立てられて、かっての面影が少なくなりました。現在では復興天守、本丸、二の丸跡と内堀やいくつかの城門が残されています。

かっての三の丸などには公共の建物が建ち並んでいます。明治新政府は広大な敷地を持つ城郭や武家屋敷を接収して、そこに役所や学校を建ててゆきます。天守閣は地元の豪商に売却されました。お堀に面した小学校は「三の丸小学校」で、建物はお城の雰囲気を損なわないように白壁造りになっています。幸田口門・大手門・箱根口門などの門跡が市内の官庁街や繁華街の中にあり、相当の規模だったことが偲ばれます。

アンパンで人気の「柳屋ベーカリー」で幾つかのパンを求めます。続いて薬の「ういろう」で評判の高い薬を買い求めました。元々、京都の朝廷に仕えていた五代目を北条早雲が招いたのが小田原での外郎(ういろう)家の始まりだそうです。秀吉が小田原北条氏を滅ぼした時にも、特例で小田原に残されて代々一子相伝で薬の製造が伝えられました。

お菓子のういろうは名古屋が発祥かと思っていましたが、認識不足でした。外国使節の接待用に菓子を作ったのが始まりとか。お菓子のういろうが市販されたのは明治以降のことだそうです。ういろうの名前が広く世間に知れ渡ったのは、二代目市川団十郎の歌舞伎十八番「外郎売」の台詞によるものと、お店でいただいた資料に出ていました。

ここから少し歩いた先に「清閑亭」がありました。最後の福岡藩主黒田長知の長男だった黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸とその庭園が保存公開されています。この付近は小田原城三の丸の一角で、天神山と呼ばれ見晴らしが良く、宮家や実業家の別荘が多く建てられ、北原白秋などの文化人も住んでいたそうです。ここにはカフェもあり、まずは一服します。広大な庭の向こうには海が広がり、涼しい風が吹き抜けます。国登録有形文化財になっていて、現在は小田原市の所有になっています。数寄屋造りの和風建物を見学してから、近くの報徳二宮神社を参拝。天守閣を迂回するように歩いて、小田原駅へ戻りました。

お昼に家を出て、夕方にはもう戻ることが出来ました。カミさんと手軽に楽しんだ小さな旅でした。

2013年12月 6日 (金)

asataroおでかけ日記(126) 11月21日(木) 生田緑地

会社のOB会のハイキング部会の行事に参加しました。春と秋の年2回、行なわれています。今回は川崎市の多摩区にある生田緑地に出かけました。

小田急の向ヶ丘遊園駅で降ります。学生時代に寮の仲間3名で、向ヶ丘遊園で遊んだことがあります。どこで何をしたか、ほとんど覚えていませんが、誰と行ったかだけはスナップ写真が残っているのではっきりしています。5浪もして執念で郡部の高校からT大に入ったY元氏、W大生だったF西君はその後大企業K製作所の常務まで勤め上げた。みんな若くエネルギーがあった。

その遊園地も今は無くなりましたが、駅名だけは残っています。そして、現在では日本民家園・岡本太郎美術館・宙と緑の科学館・ばら苑等がある生田緑地の最寄り駅になっています。

向ヶ丘遊園もそうですが、横浜ドリームランドも観覧車があったりして戦後の高度成長期に賑わった遊園地でした。その後、ディズニーランドを筆頭に多くのテーマパークが出現したため、相次いで閉鎖に追い込まれました。テーマパークそのものも過当競争の波に呑み込まれて、規模の小さなものはいつの間にか消えてしまいました。

生田緑地へは初めて入りました。中でも民家園は国重文に指定された古民家も多く、全国から移築された民家が建ち並んでいます。たとえば白川郷の合掌造りの民家のように、ホントはその地方にあってこそ価値があるのではと考えたりしますが、現実にはこうして移築保存でもしなければ、朽ち果ててしまう運命なのかもしれません。横浜の三渓園や明治村も同じような考えから、生まれたものでしょう。

時間があればもっとゆっくり見たかった民家園でした。緑地の芝生公園で配られた豪華な特製の弁当を広げます。食後は、広い緑地を思い思いに散策します。中には入りませんでしたが、岡本太郎美術館にも行ってみました。芸術は爆発だ!と叫ぶ彼の作品は、どうもasataroには理解が難しく馴染みが薄いのですが、それでも万博会場に聳えていた太陽の塔は、瞼に焼き付いて消えることはありません。

午後は科学館でプラネタリウムを見学します。地元の湘南台(藤沢市)にあるプラネタリウムに入ったことがありますが、多分10年以上昔のことです。ここでは1万2千年後のシドニーにおける星空を眺めました。でも率直な気持ちとしては、そんな気の遠くなるような未来のことより、今現在の宇宙の神秘をもっと解説して欲しかった・・・と。

太陽系とか銀河系とか、アイソン彗星だとか知りたいことは一杯あるのですが・・・。これは今日の参加者26名が異口同音に漏らしていた感想でした。先のない爺さんたちが知りたいのは、外国の未来の星空よりも、まもなく向かう予定の天国のことだったのかもしれません。

あまり歩くことの少なかった今日のハイキングですが、この歳になっても初めて訪れる場所には興奮します。ぶつぶつ文句は言っても、本気で聴く必要はなさそうです。

2011年9月 8日 (木)

あさ爺の鎌倉観光ガイド(39) 9月7日(水) 巡礼古道を歩く

54日ぶりで鎌倉駅の東口に戻ってのガイドです。蒸し暑さは和らいだとは言え、まだまだ日差しは真夏のそれです。夏の延長みたいな気候ですから、こんな暑い中、ガイドを依頼されることもないだろうとは思いましたが、シーズンに向けてのソフトランニングは必要です。顔見世と助走を兼ねての駅前ガイドです。

北鎌倉の静寂と濃い緑に慣れ親しんだ身には、鎌倉駅前のざわつきと厳しい日差しは、しばし苦痛にさえ感じます。リポーターの迫文代さんにも、久しぶりの再会です。小笠原でのバカンスは、グルメリポーターとして世界60ヶ国(あさ爺の倍です!)を飛び回った彼女が、最後に見つけた南海の楽園のようです。すっかり日焼けしています。これからはギアを入れ替えて、お店を切り盛りされる覚悟のようです。10月からお昼の旅番組(12ch)に出演が決まっているそうです。

ガイドを終えてから、その彼女のお店「copepe」でビーフカレーのランチをしました。まだオフシーズンの平日ですが、それなりにお客さまがお見えです。彼女のキャラクターもプラスしているのでしょう。来週の水曜日に、予約のガイドが入っていますので、ちょうど1週間前に当たる今日、午後からほぼ同じ時間帯で下見に入ります。下見は、可能な限り、1週間前の同じ曜日に実施することに決めています。

バスで逗子市との境に位置しているハイランドに向かいます。ここから、巡礼古道を下ります。住宅街からいきなり山道に入ります。耳をつんざくような蝉しぐれです。残り少ない夏を必死に生きているのでしょう。坂東三十三観音巡りの1番札所杉本寺と2番札所岩殿寺(がんでんじ)を結ぶ古来の巡礼みちですが、明治以降、草に埋もれていたのが昭和に入って発見され、整備されたそうです。

下ってから華頂宮邸に入ります。名残の秋のバラが咲いていますが、ここが美しく映えるのは12月初旬の紅葉の時期です。特に正門脇のイチョウが色づくと、一幅の絵画になります。洋館ですから、絵も洋画がいいかな?・・・と。

当日は浄妙寺、杉本寺を巡るプランにしていますが、下見の結果、いくつかの課題も出てきました。幹事さんと相談しなければと思います。

バラに加えて、サルスベリ、フヨウも名残の仲間入りでしょうか?  蝉同様、逝く夏を惜しむかのような咲き方です。もうすぐ、萩やコスモス、彼岸花が主役になる季節を迎えます。

2011年9月 1日 (木)

あさ爺の鎌倉観光ガイド(38)  8月28日(日) 男のおやつ

10日ぶりでしょうか? 一日中、晴れの天気になりました。8月最後のガイドに出ました。今日は、同じ北鎌倉でも定位置の明月院通りの所で、ガイドします。大きく枝を張っているツバキの木がありますが、その下は格好の木陰になります。なにやら、頭の上で気配を感じます。見上げると、リスと目が合いました。

外国人、それも欧米系の方たちが多くなりました。中国人や韓国人も、震災以前の水準に戻りつつあるような気もしますが、会話に耳をすまさないと日本人との区別がつきませんから、はっきりしたことはわかりません。服装、化粧、持ち物(スマホ等)、どれを取っても、それだけではよくわからなくなりました。外見だけは一足早く、「東アジア共同体」です。

渋澤龍彦のお宅はどこか?と尋ねられました。異色のフランス文学者で、一般にはサド裁判で広く名前を知られていました。深谷の渋澤一族の出で、かの渋澤栄一もその一人。最初は、腹切りやぐらの近くにある東勝寺橋のたもとに住んでいましたが、後に明月院の近くに移ります。59歳で世を去り、浄智寺で眠っています。お宅はすぐわかったらしく、帰りがけにお礼の報告をしていただきました。40歳前後の男性の方でした。

ガイドを終えてから、佐助にある大根料理のお店「福来鳥(ふくどり)」に向かいます。「男のおやつ祭」の案内状をいただきました。メニューに新しく「佐助のおやつ」なる料理?が加えられています。まんじゅうセットをオーダーしてみました。アツアツの饅頭の中に、大根の葉や切干大根が入っていて、このお店らしい仕上がりになっています。大根スープもつきます。なかなかの美味です。

小笠原近海には台風12号が接近しています。今週は、どうやら天気が崩れそうです。

2011年8月22日 (月)

あさ爺の鎌倉観光ガイド(37)  8月14日(日) 北鎌倉のカフェ

お盆はお寺さんにとっては、当然のことながらとても忙しい時期。今日も北鎌倉の駅前では、普段見かける雲水さん(禅寺で修行中の僧)とは違って、檀家さん廻りをされておられる雰囲気のお坊さんが、急ぎ足で駅へ向かったり、電車から降りて来られたり・・・。

関東地方は、今日も猛暑の予報。実際、カンカン照りの日差しが、真上から降りそそぎます。でも、北鎌倉には木陰が多く、円覚寺の門前も緑陰の中にあります。電車から降りてこられた観光客の皆さん、一様にこの木陰を通り抜ける爽やかな風に、救われた表情でカマクラ歩きをスタートされます。

円覚寺は駅前にありますが、その木陰に邪魔されて入口がわからずにウロウロされて、挙句、別の路地に入り込む方が多いのにオドロキました。シーズンだと、人の流れで迷うことはなさそうですが、お客さまの少ない季節だと、このような「想定外」のことがあるようです。

門前には、観光地図とは別に文学案内板があります。円覚寺に所縁のある夏目漱石や島崎藤村をはじめとする作家や文学者が紹介されています。その案内板には、なぜか太陽(?)に向かって飛ぶ白鳩が描かれています。理由はわかりませんが、シーズンには黒く日焼けした人力車の男たちと共に、この付近には美しい白いハトが飛んで来て、目を楽しませてくれます。それを意味しているのでしょうか?

向かいの池には、カワセミも飛んで来ると言うウワサがありますが、残念ながら、あさ爺はここでは見たことがありません。

ガイド終了後、建長寺に向かう手前に「さくら」と言う名前のカフェがあり、立ち寄りました。目の前にある長寿寺の公開日と同じ、金・土・日の週3日だけの営業です。無欲と言うべきか、優雅と言うべきか・・・。ただし、その長寿寺も夏場はお休みなのです。

このお店、やはりママのWさんが得意の料理を、自宅を開放してお客さまに楽しんでいただければと言う、鎌倉でよく見られるスタイルのカフェレストランです。場所がいい(北鎌倉から鎌倉へ向かう途中にあります)のと、垢ぬけたお店の雰囲気、名物のカレー、ドリア、チーズケーキが人気で、あさ爺も時々ランチします。

看板ムスメの彩(あや)ちゃんが、奥から出てきて挨拶してくれました(o^-^o)。本業は女優さんですから、モチロン美人です。彼女目当てのお客さん(男性でしょうね)も多いと聞きます。このお店を紹介して下さったのは、人力車と皇潤で有名な青木さん。ママさんに彼の消息を尋ねたら、今年はお盆にも鎌倉へ帰らずに、草津温泉で出稼ぎに励んでいるらしい・・・と。

人力車のオジサンがいなくても、このお店の美人母娘は元気にガンバっていますよと、お伝えしなくちゃ・・・。

あさ爺の鎌倉観光ガイド(36) 8月13日(土) 北鎌倉界隈

8月に入って初めてのガイドに出ました。お盆の週末と言うことで、個人的には地域の夏祭り準備でバタバタと何かと忙しい合間をぬっての、北鎌倉です。お盆ですから、お墓参りの方々が、お花を抱えて次から次へと目の前を通り過ぎます。しかし、観光客は例年少ないキタカマです。顔見世と割り切っての、駅前ガイドでした。

昔馴染みの会社の先輩が、バイクで通りかかりました。ヘルメットを被ったままで声をかけられたので、最初は誰だろう?と・・・。明月院墓地へのお墓参りだそうです。

「一軒家のような民家で営業している和風のお食事処が、北鎌倉にあると聞いたが、どこですか?」、お店の名前は、ご存じありません。また聞きによるご質問です。知ってる範囲内で心当たりのお店の名前を並べてみましたが、元々、店名は知らないわけですから、お客さまのご婦人も首をかしげるばかりで・・・。

北鎌倉界隈の美術館巡りに来られたと言う、中学生くらいの息子さんと一緒のお母さん。最初に訪問した北鎌倉美術館が閉まったままだけど・・・と。そう、あの美術館は大手ゼネコンのオーナーが収集した美術品(衣装関係のコレクションで有名)を展示していましたが、場所が悪いのと、バブルがはじけたこともあって、いつの間にか閉館状態なのです。一応、休館としているようですが。

仕方なく、次に訪ねた小瀧美術館がどこを探しても見当たらない・・・と。お気の毒なことでしたが、そこは数年前に閉館しましたとお答えしました。私設美術館の運営は、難しいのだと思います。近くの北鎌倉古民家ミュージアム(旧鎌倉古陶美術館)や雪堂美術館は、夏場の閑散期はお休み中ですし・・・。きっと、息子さんは美術に関心があるのでしょうが、明月院通りにある美術館は、余りお呼びじゃなかったようです。

ガイドを終えてから、東慶寺と浄智寺を訪ねました。花は端境期で、ちらほらです。お客さまも少なく、静かな境内です。その後に通り抜けた小町通りとは対照的な雰囲気です。

やはり、禅寺の古刹が多く緑あふれる北鎌倉は、蝉しぐれの賑やかな真夏にこそ、その底深い良さが味わえます。「寶所在近」と書かれた、浄智寺の門の額が、それを教えてくれています。

2011年8月 6日 (土)

asataroおでかけ日記(20) 8月5日(金) 神奈川県水道記念館

先月来、親しい方々が相次いで亡くなりました。先月は、元の会社の上司で、公私共にお世話になったM氏を偲ぶ会が、四十九日の法要に合わせて開催され、浦和まで出かけてきましたし、今月に入ってからもご近所の奥様が、闘病生活の末に亡くなられました。葬儀はキリスト教式で行なわれました。

著名人では小松左京さんが亡くなられました。実はasataro、今から約30年近く前になりますが松山市でのパーティで、挨拶を交わしたことがあります。ご本人は、モチロン記憶にないと思いますが、その時いただいた名刺は大事に保管していました。しかし、身辺整理を進めている中で、その他大勢の名刺と共に、先日、処分したばかりです。こんなことなら、記念にとっておくべきだったか・・・と、思いましたが後の祭りです。

今日は寒川のわいわい市場に出かけました。例によって、お弁当を買い込み、近くにあってまだ行ったことのなかった県の水道記念館を訪ねました。手元にあったパンフレットによると「水の広場」と言う名前の日本庭園があって、弁当を広げることができることがわかりました。夏休みなので、ファミリーグループがたくさん見えています。川のせせらぎはちびっこたちの歓声に包まれています。ここにきて、蝉しぐれも全開です。

横浜や川崎などの政令指定都市は、それぞれの市営水道を持っていますが、その他の市町村は県が運営している水道を利用しています。その県営の水道記念館です。館内は、主に小中学生向けの学習施設になっていて、水道の仕組みを、模型や遊具を使って説明しています。夏休みですから、館内も賑やかですが、普段はどうなのでしょう?

庭園には県下の市町村の木が植えられていたり、木陰にベンチを設けたり、立派な東屋もあって、なんだか穴場の公園を見つけたような感じです。ここから、相模一之宮の寒川神社の参道を通ります。大きな樹木に覆われ、いい日陰を作ってくれています。

帰りには、再びasataro農園に立ち寄り、収穫を待ってくれていたお野菜を摘みとりました。ここでも、蝉が短い命を懸命に生き抜くかのように、鳴き続けています。

2011年8月 1日 (月)

asataroおでかけ日記(19) 7月29日(金) 茅ヶ崎里山公園

寒川にJAさがみが運営している「わいわい市場」があり、asataroたちは毎月のようにでかけています。寒川神社の近くです。昨年、藤沢の善行(ぜんぎょう)にもオープンしましたが、適度なドライブが楽しめることもあって、相変わらず、行きつけの寒川の市場通いです。

鎌倉のレンバイは観光客にも人気ですが、わいわい市場は地元密着です。広大な駐車場も備え、木の香りが漂うような山小屋風の建物もお気に入りですが、ナント言っても産地直売、新鮮な野菜や果物が廉価で手に入ります。大きな寒川中央公園もお隣です。よく、買い物がてら公園で、買ったばかりのお弁当を開いたり、寒川神社へ参拝したりと、周辺のお散歩も楽しみです。

今日は、茅ヶ崎里山公園でお弁当をいただきました。途中の寄り道ですから、便利です。曇り空ですが、外はやはり暑いので、パークセンターと呼ばれるビジター用の建物に入り、テラスのテーブルでお弁当を広げました。オープンした頃は、芝生ばかりがだだっ広く感じる公園でしたが、花壇も充実してきて、更に植栽された木々も大きく枝を広げてきました。

地形をそのまま生かした、文字通りの里山公園です。その大きな斜面を利用して作られた長い滑り台もあって、ちびっこたちの人気の的です。公園の中に、古い民家を移築した一角があり、そこの庭に赤々とした紅葉の木を、カミさんがめざとく見つけました。asataro、「ノムラカエデかなあ?」と知ったかぶりで答えます。果たして、ぶら下がっていた名札に「ノムラ紅葉(モミジ)」と書いてありました。恐らく、同じ意味だと思います。時々植物に詳しいことがあるasataro、大いに面目を果たしました(*^-^)。

公園を出て、少し車を走らせます。善谷寺(ぜんこくじ)へお参りします。曹洞宗のお寺さんです。境内の大きな観音像が目を引きます。石段の両側には、南無観世音菩薩の赤い幟が風にはためきます。ここから、慶応のキャンパスを横目に見ながら、asataro農園に到着しました。これから、小作人の農作業が始まります。

2011年7月22日 (金)

あさ坊のぶらりハマ歩き(10)7月22日(金) ワーグマンが見た海

今朝は台風一過の天気になりました(゚ー゚)。同時に昨日からの涼しさは、今日も続いています。雨の降った後で、天気が良くなれば「カマクラ」となりそうな我が家のダンナさん、今朝、向かったのは方角が正反対の「あさ坊農園」です。気になっていた草むしりをします。農園は、大山をはじめとして丹沢連山や富士山も望める風光明媚な所にありますが、残念ながら観光名所ではありません。しかし、すぐ目の前には慶応大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の建物が丘の上に見えます。

今朝はトマトの大収穫がありました。小作人のあさ坊は、たっぷり2時間かけて草を抜きました。でも、さわやかな気候です(◎´∀`)ノ。気持ちの良い汗をかきました。

午後からは、地下鉄で関内へ向かいます。あさ坊の住んでる街から、横浜の中心部に地下鉄で一直線です。いつもながら、これは便利だなと思います。馬車道商店街を抜けて、県立歴史博物館へ入ります。ここで、特別展「ワーグマンが見た海」が開催されています。終了が近づいてきたので、慌てて出かけた次第です。

あさ坊は、幕末の歴史に興味があります。ですから、NHKの大河ドラマも幕末ものだけは欠かさず見ますが、たとえば今年のような場合はパスしています。ワーグマンは、その江戸時代末期の幕末騒乱の時代に、日本を訪れた報道画家です。展示されたものの中には、既に出版物で目にしたものもたくさんありますが、大半は初めて見る「作品」でした。

その中に、あさ坊が釘付けになった絵があります。「鎌倉の宮(八幡)」と題した絵です。恐らく太鼓橋のあたり、三の鳥居を背にして、本宮を望んだ風景です。左手前の大きな石灯ろうは現存しています。しかし、その向こうに「仁王門」が描かれていますし、右木立の向こうに「大塔」の屋根が聳えています。

同じく幕末に、日本の貴重な風物を撮り続けたベアトの写真で、仏教建築が破却される前の八幡宮の写真は見たことがありますが、ワーグマンのこのアングルでの絵画を目にしたのは初めてです。鎌倉でガイドをしているあさ爺にも報告しなければ・・・と思います。

夕方近くになって、飛び込んだ博物館です。常設展示はパスです。鎌倉関係の展示も豊富ですから、じっくり見るには昼頃から入る必要があります。この後、関内で買い物とお食事・・・。馬車道でもそうでしたが、さすが国際都市ヨコハマ、いろんな国の言葉が飛び交います。時々は、こんな雰囲気にも浸っておかねば・・・と思う、あさ坊の横浜での半日でした。

2011年6月19日 (日)

asataroおでかけ日記(18) 6月15日(水) 箱根湯本温泉郷

箱根の夜は爆睡で更けてゆきました(o^-^o)。そして朝は鳥たちのコーラスで、asataro起こされました。今度は大浴場(と言ってもこじんまりしていますが、やはり露天風呂は立派です)に出かけます。湯船につかりながら、箱根のオゾンをカラダいっぱいに吸い込みます。

朝食は昨夜と同じ文化財の建物ですが、お部屋は変わりました。食が進みます。asataro、おかゆを頼みましたがおかわりをしました。宿での朝は、たいてい、おかゆをオーダーさせていただきます。でも、おかわりは初めて?

食後の散策は、翠松園の自慢の庭を歩きます。オープンしてからまだ3年、中庭の樹木は若木が多いようです。文字通り年輪を重ねると、この宿にふさわしい大木に育ってくるでしょう。反面、広大な敷地全体では杉をはじめ多くの大木が茂っています。asataroは再び大浴場に向かいました。温泉では3度は湯に浸からないと忘れ物をしたような気になる、重症のビンボー性です。

小涌谷駅へ向かう道路は、国道1号線。あの箱根駅伝山登りの難コースです。かなりの坂です。登りも下りも、走るのはホントに難しそうです。登山電車で箱根湯本に向かいました。温泉街を散策します。湯本橋を渡り、平賀敬美術館を訪ねました。実は、今日は休館日だったのですが、ご好意で入館させていただくことができました。

この建物も文化財に指定されているのでしょうか、井上馨、犬養毅、近衛文麿ら元老、重臣たちが逗留した別荘を、現在は美術館として公開しているようです。平賀敬は異色の洋画家ですが、asataro、不勉強であまり存じ上げておりませんでした。数年前に他界され、奥様が遺作を美術館に飾り、守っておられます。休館日に押し掛けたにもかかわらず、奥さま自ら快くご案内してくださいました。座敷や廊下、蔵に作品は展示されています。酒を愛し、夜の街に生きる女性たちに温かい眼差しを注いだ画家でした。

近くの熊野神社にお参りして、お昼にします。「知客茶家(しかぢゃや)」と言う名前のお店にしました。豆腐・山芋料理のお食事処ですが、以前は温泉旅館で、10年前に建物を改造して和風レストランにしたそうです。平日にもかかわらず混んでいて、少し時間をずらしてお店に入りました。asataro、最近は豆腐づいています。噛む力の退化した年寄りには、適切な選択のようです。

土産店をひやかしながら湯の街を散策、箱根湯本駅に向かいました。数年前にこの温泉街とは川を隔てて対岸にある名刹早雲寺を訪ねたことがあります。後北条氏ゆかりのお寺です。箱根の玄関口、湯本温泉郷には他の見どころがまだまだあるようで、今度はゆっくりお湯に入りたいと、asataro、また未練を残しての箱根の旅でした。

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