日記・コラム・つぶやき

2019年11月 5日 (火)

あさ爺の徒然日記(1602)令和元年11月5日(火)近況報告(10月分)

令和元年10月のあさ爺近況報告です。1日(火)高校同期散策会の下見で葉山へ。御用邸の海岸から江の島と富士山の絶景が。当日もこうあって欲しいと幹事3人が願う。3日(木)ガイドクラブの本番で第2グループ9名様のガイドを担当。片瀬の龍口寺をスタートして、江ノ電を利用しながら長谷の光則寺で解散。5日(土)勤務先から急な呼び出しを受けた娘のヘルプで、孫たちとお稽古事の教室へ。7日(月)ガイドクラブ養成講座実習の下見。現在、新人ガイドの研修中で、古参兵?3人で担当エリアを下見する。8日(火)来年1月に予定の募集案内の下見で6人参加。あさ爺がリーダーを務める。七福神巡りで今回は鎌倉まで足を延ばす予定。ただ、藤沢市のガイドクラブが市外を案内するのは課題も多く、まだ正式決定ではない。北鎌倉駅で解散。9日(水)運転免許の高齢者講習。先月の認知症検査では90点の高得点?をマークし、本日の実技も安定した?走りでパス。10日(木)クラブの月例会に出席。11日(金)最寄りの警察署で免許証の更新手続き。12日(土)超大型の台風19号が伊豆半島に上陸。関東は厳戒態勢に。藤沢市も広い範囲に避難命令。中継の全国放送で荒れ狂う鵠沼海岸の映像が何度も登場。13日(日)台風は多くの河川で氾濫、大被害を出した。全貌はまだわからず。15日(火)EKBで鎌倉材木座の浄土宗大本山光明寺へ。17日(木)新人研修のガイドで遠藤地区を廻る。18日(金)クラブの実習で善行及び大庭地区を廻る。20日(日)保育園児の孫の運動会で都内王子へ。午後は横浜の上大岡での音楽会へ。21日(月)通院。22日(火)即位礼正殿の儀で今年限定の祝日。台風20号接近の余波で荒れ模様の天気だったが、無事に終わった。パレードが延期されて不幸中の幸い。この続きの10月下旬から11月初旬は次回で報告します。

2019年9月29日 (日)

あさ爺の徒然日記(1599) 9月29日(日)近況報告(続き)

9月後半の近況報告を。17日、今年、2度目の京都旅行。西京区の善峯寺(西国第二十番札所)へ。かつて暮らした向日町が最寄り駅で山の中へ入る。夕方、鞍馬寺へ。出町柳からの鞍馬電鉄も初体験。18日、大津の石山寺(西国第十三番)へ。紫式部ゆかりの古寺だが、手入れが行き届いていない感じ。台風の影響かもしれない。東山の今熊野観音寺(西国第十五番)参拝。併せて泉涌寺と東福寺の名刹も訪ねる。19日、五条坂の六波羅蜜寺(西国第十七番)へ。今回廻った西国観音霊場はカミさんが若かりし頃に廻り、ご朱印もその時にいただいていたが、あさ爺は今回が初めて。昨秋に納経帖のうえでは結願を果たしていたが、漸くこれで夫婦で満願となる。昭和、平成、令和三代に渡る観音巡礼の旅であった。この日は河井寛次郎記念館と渉成園(枳殻邸)にも出かけた。京都と奈良の巡礼はエンドレスの旅になるのだろう。観音巡礼としては秩父が残るが…。20日は通院日。旅行の疲れか、不整脈の兆候が。22日、地元の小出川彼岸花祭へ。明日のお彼岸を前にしても、今年は一分咲き。主宰者は少ない来場客に頭を抱えていた。23日、台風17号が長崎を通過。15号で大被害を受けた千葉県は厳戒態勢。25日、満77歳の誕生日。数えだけでなく満年齢でも喜寿を迎えた。最晩年に突入。余生の過ごし方を真剣に?考えるべきなんだろう。26日、ガイドクラブの実習で江ノ電沿線の龍口寺、成就院、光則寺を廻る。本番は10月3日でガイドを予定。27日、高校時代の友人と4人で埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくだ)に彼岸花見物。開花遅れで予定も変更になっていた。見頃を迎えたが、それでも6分咲きか?28日は孫の運動会で王子へ。夜は娘家族が我々を招待してくれて新宿で「喜寿の祝い」を。29日、昨夜は神田のホテルに泊まり、この日は学生時代を過ごした街を散策。生まれて初めて、ニコライ堂を上空から見下ろした。

あさ爺の徒然日記(1598) 9月29日(日)近況報告(8月~9月前半)

8月~9月(前半)の近況を。8月5日から9日まで娘一家の孫2人を預かる。恒例の?実家への夏休み国内留学。近所の散歩で過ごす。猛暑で海浜散策は断念。10日は鎌倉覚園寺の黒地蔵縁日へ、ガイド仲間と10人で。13日、半月ぶりの雨に一息つく。15日の終戦記念日、台風10号が西日本を縦断。関東も大荒れの天気。16日、逗子での川嶋一成写真展へ夫婦で。毎年、ご案内をいただく。直近の著書「海浜の生きもの大探検!」(PHP研究所)を購入。青少年向けの環境問題を含めた力作。全国の図書館で購入してくれると有難い。18日、宿場講談会に。出演は一龍齋貞橘、田辺銀冶(ぎんや、女性講談師)。21日は通院日。22日、自動車学校で認知症機能検査を受ける。結果は後日。夕方、時宗総本山遊行寺での薪能へ夫婦で出かける。27日、茅ヶ崎の病院での医学公開講座へ。28日、3ヶ月振りで床屋へ。不思議に齢を取っても白髪は生える。30日、胃の内視鏡検査。異常なし。31日、多摩大学市民講座に。午後、団地でのお別れの会に(既報)。9月1日、浮世絵館の企画展へ。夕方、江の島灯籠の見物に。幻想的な光景。人出が多いのに驚く。5日、向井潤吉アトリエ館(世田谷区)へ。7日、多摩大公開市民講座。午後、上大岡でのコンサートに。8日、義妹が四国から上京。台風15号が関東に上陸。夜半、猛烈な暴風雨に。義妹は以前にも娘の結婚式で上京してくれて、東日本大震災に遭遇した過去を持つ。11日、孫発熱で看病できない両親に代わり、ヘルプに上京。12日、ガイドクラブ月例会。13日、マッサージ治療に。14日、多摩大講座最終日。修了証をいただいた。15日、交流館での浮世絵講座に。17~19日は初秋の京都へ。9月後半については続報でお知らせします。

2019年9月 7日 (土)

あさ爺の徒然日記(1597)令和元年9月7日(土)お別れの会

1週間前のことになるが、団地の集会所でささやかな「お別れの会」が催された。故人は8月のお盆帰省中に新東名高速道路での多重衝突事故で不慮の死を遂げられたTさん。喪主はご主人だが、自身も重傷を負われた。葬儀は事故のあった静岡県で、身内だけで慌ただしく営まれたそうだ。郷里は香川県だが、喪主も動けず親族が現地へ駆けつけ荼毘に付された。痛々しいご主人と遺された娘さんが気丈に応対されておられたが、なんともやりきれない想いにとらわれた。偶然のことだが、喪主はあさ爺の高校の12年後輩。つまり一回り年下となるが、それでも今年65歳になられた筈で、奥様はまだ50代の「若さ」であった。還暦を目前にして命を落とされたわけで、無念だったことだろう。団地のメンバーがお手伝いする手作りのお別れ会だったが、少し胸のつかえがとれたとの感想が、漏れ聞こえてきた。あさ爺もそんな感じを受けた。義理で大勢集まるような葬儀ではなく、葬儀はごく内輪で執り行い、後日少し落ち着いてから親しかった方向けのお別れ会を用意されたことに感動すら覚えた。最近は、喪中はがきでのお知らせや、或いはそれすらもなく、親しかった人たちは釈然としないこともあるものだが、このような小さなお別れの会なら遺族の負担も少なく、参列者も心からお別れができる。特に、故人に親交のあった人たちが多くいる場合は、このような地域のコミュニティーの場を借りるのもいいのではと思えた。故人は地元の有名ワインメーカーに20年も勤めておられたそうで、モチロン、職場の仲間も駆けつけて夏休み中の突然の別れと言う悲劇に、言葉もなく遺影に語りかけておられた。合掌

2019年8月 2日 (金)

あさ爺の徒然日記(1593)令和元年8月2日(金)近況報告

6月22日以降の近況報告を。長い梅雨とその後の猛暑で、家の中で静かに暮らす日々ではあったが、6月27日はガイドの下見で片瀬の龍口寺から鎌倉の小動神社、成就院、御霊神社を廻る。打ち上げは久しぶりに長谷の「三和楼」へ。30日は横浜上大岡での音楽会へ。ロシアのピアニストの演奏。7月2日は寒川神社参拝。5日は東京大田区の馬込文士村を会社のOB仲間9人と廻る。打ち上げは横浜駅東口の「北海道」。6日は慶応の七夕祭り花火大会を見物。やはり、近くで見る花火は迫力がある。7日は平塚の七夕祭りで雑踏の中を歩く。10日、初めて横浜市歴史博物館へ。企画展は太田道灌。常設展も見応えあり。夕方、会社OB仲間7人と中華街の「清香園」で暑気払い。11日はクラブの月例会に出席。久し振りにカラオケで下手な歌を4曲も。14日は平塚での千住真理子ヴァイオリンリサイタルへ。藤沢の片瀬山に兄博のアトリエがあり、よく家族で出かけていたと思い出話あり。次兄の作曲家千住明がゲスト。17日は初めて駒澤大学博物館へ。ランチは学食で。長谷川町子美術館へも足を延ばす。ここは2度目か?サザエさん一家は齢を取らないから羨ましい。21日には上野の都美術館と上野の森美術館へ。書道展と絵本展。孫ファミリーと。ランチは根岸の「笹乃雪」(豆腐料理)で。26日は銀座で国方房子画伯の個展へ。高校時代の級友。九段の昭和館へ初めて入り企画展見物。29日に漸く梅雨明け宣言が出る。昨年より1ヶ月遅れ。8月1日は初めて早稲田の歴史館と会津八一記念館へ。ランチはモチロン学食で。千住大橋の石洞美術館にも足を延ばした。規模は小さいが雰囲気は良かった。雨宿り中は伊集院静を7冊、他に川村元気、平野啓一郎を読んだ。直近40日間の近況報告でした。

2019年7月 3日 (水)

あさ爺の徒然日記(1584)令和元年7月3日(水)免許証返納すべきか迷う

来月、自動車学校で認知症機能検査と云う奴を受ける。モチロン、趣味で受けるのではない。カミさんは前後して高齢者講習を同じ学校で受ける。こちらはその終了証を貰って添付しなければ、免許証の更新が出来ない仕組みになった。タバコで愛煙家に対する締め付けが厳しくなってきたのに似ていて、高齢者への免許更新は日毎に厳しさを増している。「喜ばしい」ことだ。これで、世の中から悲惨な交通事故が少なくなれば、これはAちゃん(総理のこと)の更なる功績の一つとなる。同時に、あさ爺(立派な後期高齢者)は若者(とは限らないか)に対する「危険運転致死傷」の更なる厳罰化を進めて欲しいと思っている。今でも猛烈に腹の虫がおさまらないが、滝川で起こった信号無視による暴走事故。家族4人の内、3人が即死した悲惨なもので、「犯人」は車2台に分乗して、直線の国道(北海道には多いのだ)を止まらずにぶっ飛ばす遊びをやっていた。こんな奴らは法定の最高刑を超えて、死刑にすればいい。アクセルとブレーキを踏み違えた哀れな爺さん(モチロン婆さんも)による事故とは比較にならない。幸い?、池袋の母子死亡事故の加害者たる元通産省の高級官僚氏に対しては、警視庁も丁寧な聞き取りで穏便な対応をなさっている。理由は定かでないが、ドナタかへの忖度だろう。話は横道にそれた。これこそ危険な運転だ。要するにあさ爺は不幸にして認知症検査にパスした場合、自分で決めなければならないのだ。返納者には報償として、全国一律5年間はバス代無料としてくれたら、年金で暮らせない年寄りはもう迷わない。その財源は、トランプの戦闘機1機分で賄える筈だ。

2019年6月30日 (日)

あさ爺の徒然日記(1582)令和元年6月30日(日)終の棲家を考える

梅雨末期の豪雨とはよく聞く話だが、梅雨入りしたばかりの九州北部が大雨にさらされている。甚大な豪雨被害に襲われた朝倉などで警戒を強めている。昨夜のブラタモリでは阿蘇の大観峰が出てきた。数年前に朝倉付近と合わせて旅行した懐かしい地域だった。そのテレビだが「ポツンと一軒家」と言う人気番組がある。日曜夜の大河裏番組だが、この番組が予想以上に人気があって、おかげで「いだてん」に出ていたマラソンの勘九郎選手(金栗四三役)も失速した。あさ爺はたまたま郷里(香川)の山の中の農家が採り上げられていたのを見たことがある。日本一狭い県内にそんな人里離れた秘境があったのかと興味深く見た。今、あさ爺は旧公団がバブル末期に建てた5階建て長屋の4階に住んでいる。エレベーターがない。80歳まで秒読みとなってきた今、これからどうするか悩み始めた。購入時からわかっていたことだが、当時は住宅難で漸く抽選で手に入れたマイホーム。働き盛りで元気もあった。なにより緑が多く生活環境が良いし、JRや小田急、相鉄、横浜市営地下鉄の駅までバスが頻繁に出ている。4階で階段は昇らねばならないが、見晴らしは悪くない。頭だけだが富士山も拝める。ただ、この生活がいつまで続けられるかが不安。そんな中で見た秘境の家の番組。なんか、自分の悩みがちっぽけなものに思えてきた。こんな交通至便な土地で、数分の距離に大型ショッピングセンターがあり、飲食店もクリニックも多い。散歩では公園のハシゴも出来る。階段以外は贅沢な場所だ。実はこの階段のおかげで、多少なりとも足腰は鍛えられてきた。これが終の棲家でいいのか、故郷のカミさんの実家で田舎の空気を吸って余生を過ごすか、はたまたどこかで暮らすか?今、この悩みを楽しんでいる。

2019年6月24日 (月)

あさ爺の徒然日記(1579)令和元年6月24日(月)住みにくい日本の老後

沖縄の戦没者追悼式で挨拶に立った安倍首相に野次が飛んだ。毎年のことらしい。追悼の場でヤジをとばすのもいかがなものかとは思うが、それだけ県民と総理の間の溝が深いと云うわけだ。これは誰が見ても妙に納得できる話ではある。しかし、それでも総理就任以来、この追悼式に必ず参列しているのはエライ。逃げたくなるのが普通だろうが、その点は評価できる。昭和天皇はとうとう沖縄の地を踏むことさえかなわなかった。同じような意味で、上皇陛下、上皇后さまは韓国訪問が果たせなかった。皇太子時代に美智子さまと沖縄を初めて訪問された際に、過激派の火炎瓶を投げられた事件があった。韓国ではさすがにそんなことはなかろうが、韓国以上に日本の保守派の意向が妨げになったのではないか?特に安倍首相は保守派を裏切ることはできない。ところで、老後の生活に2千万とかイヤ3千万必要とか書かれた報告書が、政府に都合が悪いと云うことで闇に葬られようとしている。高齢者も二極化していて、優雅な約5%の富裕層と95%のそうでない層に大きく分かれているらしい。年金だけでは暮らせない高齢者が途方にくれている姿が浮かび上がってきている。あさ爺もそうだ。そもそも消えた年金から、この制度が破綻し始めてきている。日本人は長く生き過ぎた。生活が貧しいのに、平均寿命だけは世界でトップグループ。これでは国全体がおかしくなるのは当たり前だろう。その内、免許証の認知症検査に不合格の場合は、保険証も更新されなくなる時代がやってくるかも知れない。イヤそれだけではない。預貯金が2千万以下の場合も、保険証が取り上げられるかも。

2019年6月22日 (土)

あさ爺の徒然日記(1577)令和元年6月22日(土)令和元年50日の日々

平成から令和に改元して、50日余が経過した。即位された両陛下は言葉は適切でないが、てんてこ舞いの忙しさでしょう。秋篠宮殿下が兄の天皇が80代で退位された場合、自分は既に70代半ばであり、もう天皇を務めることは無理と本音を漏らされている。上皇ご夫妻は特例法で退位されたが、明らかに前例が作られたのである。20年以上先のことではあるが、いつかその日はやってくる。それまでに安定的な皇室制度が整えられているのだろうか。さて話は平民の末端たるあさ爺の日々に…。5月6日は葉山町へ下見。10日には茅ヶ崎市へ書道展。12日には再び葉山と鎌倉へ。20日にはガイドの実習で藤沢市村岡地区へ。22日は葉山へバスツアー40名のガイド兼講師。24日は鎌倉の十二所を13名のガイド。26日には音楽会で横浜へ。31日にはガイドの下見で藤沢の片瀬へ。6月4日は上野でオペラ鑑賞。6日はガイドの下見で村岡へ。7日はその本番でアシスタントとして同地区を廻る。38名参加。9日は王子での津軽三味線発表会へ。孫2人とその母親が出演。10日は所用で平塚市へ。11日はガイドの実習に参加し、藤沢遠藤地区を廻る。14日は再び下見で葉山へ。16日は鎌倉国宝館と開館してまだ日が浅い鎌倉文華館へ初入館。18日にはガイド仲間の勉強会で葉山へ。12名が参加し講師を務める。20日は日本橋の三井記念美術館へ初めて入り、円覚寺展を見学。日本橋周辺が様変わりしており、カルチャーショックを覚える。この50日間にいろいろ出かけているように見えるが、4月の救急車搬送事件以来、それまでの半分程度に外出を抑えている。何はともあれ、周囲に迷惑をかけぬようにが当面の心構え。

2019年6月21日 (金)

あさ爺の徒然日記(1576)令和元年6月21日(金)近づく沖縄慰霊の日

沖縄慰霊の日が近づいてきた。自分も含めてどれだけの国民が、このことを認識しているのだろうかと自戒を込めて思う。前にも何度か、このブログでこの日は祝日にすべきと提唱した。お祝い事ではないが、祈りの為の日としてはと。同じように終戦記念日や東京大空襲の日、原爆投下の日々も合わせて日本人なら、これらの日の意味を忘れないためにも、祝日法を改正してでもと思うのだが、今の政権にはこのような発想はまるでない。沖縄戦の悲惨な状況を耳にすれば、今、国民として沖縄にどう対峙すべきなのかが見えて来る筈。しかし、繰り返しになるが現政権にとっては、いい話ではないのだ。ただ、戦勝国である米国の事実上の支配下に置かれている実態がある。それを軽く(甘く)見た鳩山由紀夫政権は、打つ手が見つからず内閣を放り出した。仮に野党が政権を奪取しても、同じ失敗を繰り返すことになるだろう。アメリカが恐れるのは、日本全体が沖縄の基地撤去を叫ぶことにある筈だ。しかし、現状では沖縄はともかく日本全体では、基地反対は少数派と見ている。つまり、自民党政権が続く限り、沖縄から基地がなくなることはあり得ない。問題はそこからだ。あさ爺は全国民が沖縄戦の戦没者に深い祈りを捧げることをすべきと。あの戦で何があったのかを記録映像を総動員して訴えること。学校現場では教えられない悲惨な歴史を、政府の責任で全国民に知らしめるのだ。それだけで、多くの国民の意識は変わり、戦争を知らない若い世代にも戦争はダメだと伝わる。その世論をバックにして政治をする方が、どれだけ多くのことを得られるか計り知れないと思うのだが。

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