日記・コラム・つぶやき

2017年9月14日 (木)

あさ爺の徒然日記(658) 9月14日(木) 初物に弱い性格

初物と云うより新しいものが苦手なあさ爺である。心の内なる保守性と云うか引っ込み思案と云うのか、小さい頃からの性癖と云ってよい。

だから、これだけスマホが普及しても今だに変えようとしない。現状で困らないし、不自由もしていないから。洋式トイレが出現した時、大いに抵抗を感じた。しかし、今や和式では脚を曲げるのに難渋している。

コンビニが出現した時、スーパーがあるのに何故?と思った。しかし、今やコンビニのない過疎地が問題になっている。

写真機もそうだ。デジカメが出現した時、フィルムのないカメラなんてとバカにした。ましてや現像焼き付け引き伸ばしと注文してのDPEではないか?しかし、息子が見かねてデジカメをプレゼントしてくれて、今はそれにハマっている。

飛行機のボーディングブリッジも。タラップで見送りの人に手を振ってこその別れではないか?連絡船が消えて、別れのテープもなくなった。連絡船の中のうどんもなくなった。故郷も遠くなってしまった。

2017年9月13日 (水)

あさ爺の徒然日記(656) 9月12日(火) 不倫党に政活党・・・

旭山動物園ならぬ永田町動物園では、様々な動物の生態が観測できる。「バカヤロー、違うだろ!このハゲー!」はさしづめ暴言党。内輪の集まりで、つい本音をしゃべったら、誰かがリークして釈明に汗をかくのが「失言党」。

同じ汗でも下半身に汗をかいていたのが「不倫党」、今や時代の寵児だ。不倫にあらずんば議員にあらず・・・。

みみっちくも善戦しているのが「政活党」。政務活動費をせっせと私用に流用している。昔、「国民の生活が第一」と云う崇高な理想をかかげた政党が存在した。その流れを汲んでいるのかもしれない。正式の党名は「国民の血税による政活費は自分の為に使うが第一」だろう。

今や、地方議会にまで蔓延している花形だ。地方の議員で、全国的に知名度を上げる野心をお持ちなら、国会の女性議員にターゲットを絞って、自らに支給された政務活動費を、例えばホテルの宿泊費や休憩費用に充てる等すれば、一気に著名人への仲間入りだ。モチロン、男女は逆であっても問題ない。

結論としては、政治家はヒマとカネを持て余していると云うことだ。

2017年9月11日 (月)

あさ爺の徒然日記(653) 9月8日(金) 北海道旅行を終えて

久し振りに乗った飛行機だった。浦島太郎のようにまごまごするかと心配したが、9年前と大きくは変わっていなかった。強いて云えば、ネット予約が一般化した為か、カウンターでの手続きが殆ど無人化されている。

荷物の機内預けも係員は呼ばないといけない感じで、乗り慣れた人たちには便利そうだが、あさ爺のような人種はまごついて当たり前。よくJRや私鉄の券売機の前でオロオロしているお年寄りを見かけるが、空港版と云うだけでおんなじだ。

トマムのような山の中のリゾート地にも中国人観光客が押し寄せている。基本的にはみんな団体客なんだろう。彼らの存在がなければ、このような大規模リゾートホテルは立ち行かない。

オプションで出かけた観光地も十勝の農場を除いて、やはり北京語や広東語、台湾語で溢れていた。もっとも、あさ爺にはその区別はつかない。想像しているだけだ。鎌倉もそうだが、今やインバウンド客のいない観光地はやって行けないことは確かだ。有難いことなんだろう。

2017年9月 1日 (金)

あさ爺の徒然日記(646) 9月1日(金) 秋本番?

台風15号の影響か、涼しい風がかなり強く吹いている。今までタオルケットを巻いたままで寝ていたが、余りに寒い?ので夜中に薄手の掛布団を引っ張り出した。

あさ爺は夏の暑さは鬼門だが、冬の寒さはもっと苦手だ。花粉の飛びまくる春はマスクが欠かせないし、なんとか生きられるのは秋だけ。どうか爽やかな秋が長く続きますように。9月生まれだからかな?

市役所から後期高齢者医療保険の新しい保険証が届いた。昨日の新聞のコラムには、子どもや青少年にかける予算の10倍以上が高齢者にかかっているとの記事が。ホントに困った問題だ。どうすればいいのか?

世界に誇る医療水準、国民皆保険制度が生み出した長寿世界一の重いツケなのか?それとも元凶は少子社会に問題があるのか?政治家は自分の利益目当てに走り回り、面倒な問題は満場一致で先送りしてきたニッポンである。

そして今日は防災の日。これも待ったなしの喫緊の課題だ。

2017年8月31日 (木)

あさ爺の徒然日記(645) 8月31日(木) 生涯現役は夢のまた夢

暑いのか涼しかったのか、はっきりしなかった今年の夏。その8月も今日で終わり。大気の不安定な天候は最後の最後まで健在で、未明から荒れ模様の天気だ。

健康を害した為に、家でゴロゴロしてたこの夏でした。おかげで、特にすることもないために、ブログだけは6月以降から連日更新を続ける結果に。そうした中で、あさ爺よりも年長者が大勢働いて元気いっぱいの姿を見ると、己の不甲斐なさが身に染みる。

生涯現役は理想だが、これは健康とやる気にプラス運も欠かせないし、何より卓越した才能が備わっていればの話だろう。芸術家なんか特にそうだし・・・。高齢化社会で多くの年寄りが仕事を続けるのは、年金が少ないかマッタクない為の止むを得ないことで、生涯現役とは少し意味が違う感じがする。

あさ爺も健康を回復した暁には、何か生きがいを探さねばと瞑想しているところです。

2017年8月27日 (日)

あさ爺の徒然日記(640) 8月26日(土) 花火で秋を感じる

秋田県の大曲花火大会、雄物川の氾濫で開催が危ぶまれたが、無事、日本一の花火を披露することが出来たようだ。花火師や関係者の執念の賜物だが、あさ爺ならとても無理でしょとすぐ諦めそうだ。

昔、逗子の花火大会の事務局をしていて、天気予報が不安な中、開催に踏み切ったことがある。不安が的中して、終了間際になって土砂降りとなった苦い思い出がよみがえる。でも、関係者の間では、強行して良かったと云う感想が多かった。

中止や延期をみんな嫌がっていたから。正直、関係者はあまり観客のことを考えていないものだ。確かに予報を承知で、傘を用意しているお客さまも多かった。桟敷席はともかく、ほとんどが無料で見物できる行事なので、自己責任と云う考え方なのだ。

今夜は、近くのスーパーの屋上駐車場から、隣町綾瀬市の花火大会を見物した。この夏は、厚木、茅ヶ崎、江の島、そして昨日の平塚と湘南の花火を楽しんだ。頭上で炸裂すると云う迫力には欠けていたが、いずれも自宅から徒歩数分で行ける見物場所。

今夜はご近所のご夫婦と4人で、宴会をしながら逝く夏を惜しんだのでありました。

2017年8月19日 (土)

あさ爺の徒然日記(633) 8月19日(土) インパール作戦と電通事件

唐突だが太平洋戦争で最も無謀な作戦と云われたインパール作戦、高橋まつりさんを死に追いやった電通事件、ここに共通した日本人の抱える精神構造を感じる。

NHKテレビのドキュメントの受け売りだが、インパールの前線基地で兵站がとても無理だと作戦の中止を進言した経理課長がいたそうだ。冷静に考えるまでもなく牟田口廉也司令官以下の幹部将校は、それが事実だと皆わかっていた。

しかし司令官は「貴様に大和魂はあるのか!」と一喝。他の将校もそれに疑義をはさまなかったそうだ。かくして、進言は無視され数万の日本兵が死んだ。しかも戦闘ではなく、大半は病死と餓死だった。

かたや、電通の社員に配布されていた「社員訓」、正式の名前は忘れたが、何せおっかない戦陣訓みたいな内容だったと聞いている。共通しているのは科学的な戦略・戦術ではなく、死んでも奪い取れ(敵陣地或いはライバル企業との競合)と云う精神訓。

兵も社員も一銭五厘の赤紙で集められたような軽い存在で、命の重みはまるでない。何もインパールや電通に限ったことではない。どの戦場、どの企業でもその考え方が土台になっているのだ。これは日本人特有の精神構造なのだ。

だから、現在も未来も、同じ過ちを繰り返すだろう。原爆慰霊碑の誓いの言葉が空しく思える。

2017年8月15日 (火)

あさ爺の徒然日記(629) 8月15日(火) 72年目の終戦記念日

正午、戦没者追悼式に合わせて黙祷をする。直接の戦争体験はないものの、映画やテレビで見た戦争映像がフラッシュバックされる。1分間、手を合わせている間に、空襲下を逃げ惑う女、老人、子どもたちやソ連兵に銃を向けられた、満州や朝鮮からの引揚者の怯えた表情等々。

沖縄戦で白旗を掲げた裸足の少女、終戦後も樺太で絶望的な状況下に置かれた女性たち。浮かんでは消えるその情景は、すべて一般人だ。いわゆる銃後の人たちであり、逃げ惑う開拓者や新天地で夢見た本土からの移民たちである。

そしてその後に現れる光景は終戦直後の街角風景。義手や松葉杖でアコーディオンを弾いている白衣の傷痍軍人や派手な衣装でタバコをふかせ、進駐軍兵士と戯れる女、靴を磨かせてくれと叫ぶ少年たち。そしてボロをまとった母親に手を引かれて歩く3、4歳のみすぼらしい男の子、それはあさ爺の幼き日の姿であった。

そこまで浮かんだところで黙祷終わりの合図が聞こえた。あさ爺の脳裏をよぎったのは、パールハーバーでもなければ、セレベスに降下する美しい落下傘部隊でもなかった。銃後で逃げ惑う市井の人々なのだ。

戦後生まれの政治家もせめてこの位の想像力は持って欲しいものだ。超党派(自民・維新・民進)の靖国議員団が集団参拝している。残念ながら、彼ら彼女らに平和を切望する表情は汲み取ることができなかった。

2017年8月14日 (月)

あさ爺の徒然日記(627) 8月13日(日) 阿波踊り

高知のよさこい祭りに続いて、徳島の阿波おどりも昨日から始まった。東北と同じく四国も、4都市の祭りが日にちをずらして続く。トリが阿波おどりだ。全国的にもこれが最も有名であるし、高円寺のように各地に広まってもいる。

そして今日からは岐阜の郡上おどりが始まった。郡上八幡は憧れの街だが、まだ行ったことはないし、もう行く機会はないのだろう。先日、藤沢「遊行の盆」に本場から郡上踊りの一行が招かれて、目抜き通りを踊ってくれた。地元のケーブルテレビが中継したのを録画で見る。ゆったりした踊りで、見物客も一緒に踊った。

見る阿呆で踊らにゃソンソンと唄われる阿波踊りだが、これは簡単に見えても実際には飛び入りで踊るのは難しい。あさ爺は20代の時に、お客さまと一緒に阿波踊りに「参加」したことがある。京都の方々で一つの連を作り揃いの浴衣を着た、やや本格的なものだった。あさ爺も一番後ろにくっついて、男踊りの真似事をやった。きっと、一人だけタコ踊りかネズミ踊りに見えたのではないか?

後年、今度は徳島に住む親せきの家族と一緒に桟敷席で見物した。幼かった子どもたちは覚えているだろうか?さだまさしの原作を映画化した「眉山」で、松嶋菜々子が阿波踊りの群舞の中に立つ映像が印象にも残っている。

2017年8月12日 (土)

あさ爺の徒然日記(626) 8月12日(土) 航空には魔の日

日航機が墜落した大惨事から32年になる。いまだに鮮明に記憶している事故の映像だが、20代以下の若い人たちにはもう歴史上の一コマとなってしまった。

この日のことでは、あさ爺は更に古い航空機事故の記憶がある。偶然にも全く同じ日に起きた惨事だった。昭和33年に起きた全日空のダグラスDC3型旅客機の下田沖墜落事故だ。乗客乗員33名全員が死亡した。

極東航空と日本ヘリコプター(日ぺり)が合併して、純民間航空としての全日本空輸(全日空)が誕生して間もない頃の時代だった。あさ爺はもう高校生だったから、よく覚えている。当時は飛行機に乗る人は裕福な階層か、春や秋なら新婚旅行に利用する人たちが一般的だった筈。ニュースには惹きつけられたが、あさ爺が飛行機に乗る等は想像もできないことだった。

日航機以降は国内の大事故は起きていない。整備が進化し、安全基準が厳しくなったためであろう。だが、格安航空会社が増え、あさ爺も現在のドメ(国内)のキャリア(航空会社)名はスラスラとは云えない。

過当競争が招く整備の手抜きが起こらぬことを願うしかない。

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