映画・テレビ

2018年2月 3日 (土)

あさ爺の徒然日記(784) 2月2日(金) わが青春に悔いなし

一昨夜のことになるが、赤銅色に染まった皆既月食を眺めることができた。昨夜は一転して雪空となり、冷たい雨が夜半には雪となった。一日違いで珍しい天体ショーを目撃できたことになる。

阪大に続いて京大入試でも出題ミスがあって、11人の追加合格者が出たとのこと。これは昨年の入試、つまり1年を受験生は棒に振ったことになる。あさ爺のような劣等生にはお呼びではないが、1点を争う秀才受験生にはたまらない話だ。当然、浪人をしたり他の大学や学科に不本意ながら進んだ人もいたであろう。

京大と云えば、最近2度も見た昔の映画で「わが青春に悔いなし」と云うのがあった。黒澤監督で原節子主演の作品。戦前の京大事件を描いた作品で、民主化を進めるGHQ推奨の映画でもあった。その映画の中で「逍遥の歌」が繰り返し流れる。♪紅もゆる岡の花♪~、三高寮歌としてあさ爺も好きな歌。大河内傅次郎、杉村春子等往年の名優が出ている。その映画の題名がわが青春に悔いなし。しかし、受験生にとっては悔やみきれない、灰色の青春となってしまったのではあるまいか?サクラサクが1年延びたのだから。

2018年1月 1日 (月)

あさ爺の徒然日記(755) 12月31日(日) 紅白歌合戦

正月休みで帰省した娘一家の孫たちと、茅ヶ崎の里山公園に出かけてキャッチボールの相手をした。爺が投げるボールもどこへ飛ぶかわからないが、保育園児の孫が打つ球もどこへ転がるかわかったものではない。幸い、公園は広い。爺も婆も行方定めぬ球を追いかけて走るのではなく、よたよたと腰をさすりながら歩くのである。

ところで、夜になって孫たちが遊び疲れて寝てくれた後に、彼らの母親たる娘に付き合って、「紅白」をほとんど通しで見ることとなった。何十年ぶりかの快挙?である。感想は、意外に面白かったと云うところか。若い、知らない歌手のオンパレードではあったが、娘の解説もあって今様の歌い手さんたちを観察することができた気がする。

これまで知らなかったことで最大の驚きは、○○○48や△△△46といったダンスをしながら歌うグループは、ほとんどが「口(くち)パク」だと云うこと。NHKの紅白では、まさかそんなことは・・・と信じられない気持ちだったが、常識なのだと云う。何も知らずにあの激しい踊りと歌を感心してみていたあさ爺は、化石的なおめでたい爺さんだと悟ったのであります。

2017年12月27日 (水)

あさ爺の徒然日記(751) 12月27日(水) NHKのバラエティー番組

今日もNHKの番組について一言。最近、特に気になるのが民放並みのバラエティー番組だ。視聴率が欲しいのは理解できるが、かと云ってタレントを出してきてお笑い番組みたいなことをやっているのには違和感がある。

「鶴瓶の家族に」や「ブラタモリ」はまだ真面目さや温もりが感じられるが、「日本人のお名前」や「偉人の健康診断」などは、最初の期待が裏切られた感じだ。スタジオにお笑いタレントを呼んでキャーキャー騒ぐのは、民放の得意とする領域であろう。NHKがマネをするのはいかがなものか?

受信料を徴収することが憲法違反ではないとのお墨付きを得た理由を、しっかりと受け止めて貰いたいものだ。たとえ、高い視聴率が取れなくとも、知的欲求を満足させる番組に特化して欲しい。それらはEテレやBSプレミアムの方でどうぞとなるのかも知れないが、総合テレビこそ国民に向けた責任ある番組を流して欲しい。

女子アナの中にはタレント並みの活躍が見られるが、その程度におさめて本物のタレントは遠慮していただけないかと思っている。

2017年12月26日 (火)

あさ爺の徒然日記(750) 12月26日(火) 明治150年とNHK

来年の大河ドラマは「西郷どん」。これで「せごどん」と読む。薩摩言葉だ。主役の男優をあさ爺は自慢じゃないが知らない。紅白の歌手もだが、知らない人のオンパレードだ。今年の大河は第1回と最終回だけを見た。総集編は見る気もない。

ところで、明治維新は正しかったか?との、歴史見直し論が盛んになってきた。特に保守派から出ている。確かに勝者の歴史観で教科書は作られてきた。おりしも来年は明治150年。長州出身の安倍首相は有頂天だ。薩摩の男(後の反逆者)ではなく、正統派の長州人脈を主人公にして欲しかったと思ってる筈だ。

あさ爺も山縣有朋、岸信介、安倍晋三の明治、昭和、平成を代表する反動宰相列伝をドラマ化して壮大な150年を描けば、視聴率は断トツ最低を記録したであろうに。陸軍、日米安保、改憲(未定)とそれぞれに代表的な功績がある。

それにしてもNHKは節操がない。「八重の桜」で会津を持ち上げたり、「新選組」や「坂本龍馬」等々。勤王なのか佐幕なのか、まさか、時の総理の意向を忖度しているのではあるまいか?

2017年10月 2日 (月)

あさ爺の徒然日記(671) 9月29日(金) やすらぎの郷

普段はテレビの昼帯ドラマは見ないのだが、家族が面白がっているのを見て覗いたのが「やすらぎの郷」。徹子の部屋に続いて放映されていた番組だが、本日、最終回を迎えた。

シニア向けのテレビドラマが少ないのを案じた脚本家の倉本聰が、書き下ろした作品でウワサにたがわず面白かった。テレビや映画で活躍した俳優や裏方さんの入居する老人ホームが舞台。

八千草薫や有馬稲子、浅丘ルリ子、加賀まりこに先頃急逝した野際陽子もレギュラー出演。錚々たる女優陣に加えて主演は石坂浩二扮する脚本家。老人が普段思っていることが次々と出てくる。考えさせられるセリフも多い。やはり、死にまつわる話が多いし、認知症が引き起こす悲喜劇も。

全体としては痛快な喜劇でもあり、真面目な物語でもあった。あさ爺は水戸黄門が好きだが、やすらぎが終わった後には武田鉄矢が6代目黄門さんとして復活登場する。これは楽しみだ。これもシニア向けの帯ドラに変わりはない。

2017年9月13日 (水)

あさ爺の徒然日記(657) 9月13日(水) 大河ドラマは必要か?

NHKの看板番組である大河ドラマ。これに苦言を呈したい。まことに長丁場をだらだらと流している感じだ。真田幸村は主演の男優に惹かれて、最後まで付き合ったが、途中どうでもいい話を織り交ぜて退屈した。

今年のおんな城主は、初めから今に至るも、マッタク見ていない。もう、役割は果たし終え、惰性で続けているとしか思えない。視聴料はもっと有効に使って欲しい。

1年間を退屈せずに放映できるのは、太閤秀吉の出世物語と赤穂浪士の討ち入りくらいだ。それ以外は無理。初回の「花の生涯」だけは、後に続く作品に期待を持たせてくれたが結局それで終わり。

ヒントは「坂の上の雲」。手を抜かず、重厚な作品だった。日本人は戦国物が好きだと云うが、それに迎合せず忘れてはならない近現代史を取り上げることだ。幕末から終戦に至る歴史は、風化させてはいけない貴重なものだ。それを茶の間に流しても、重苦しい感じを避け、ダイナミックに描き、あとは視聴者に考えさせる、そんな作品を期待したい。

2017年8月22日 (火)

あさ爺の徒然日記(635) 8月21日(月) 72年後に知った事実

8月は戦争に関する番組が多いのは今までと同じだが、今年は新たに発掘された映像の公開が目立つ。恐らくNHKの会長が交代した影響もあるのだろう。前の籾井会長であれば、絶対に電波には乗せなかった筈だ。

ミスキャストと思える首相の友達で、NHKは政権べったりだった。今年は政権に具合の悪い当時の映像も、多く流されているように思える。従って、戦後72年経って初めて知った事実も多い。

米国が日本の戦犯容疑者を免罪にして、防共の任務を与えた事実には驚愕した。絞首台の露と消えた戦犯がいた一方で、進駐軍に取り入ってアメリカの手先となって暗躍した元戦犯がたくさんいたと云うのである。又、公職追放された政治家や実業家、文化人も追放解除されて進駐軍に積極的に協力したそうだ。

それだけならまだしも、米軍の放出物資や政府、軍が隠匿した物資が、その人たちに大量に流れた事実がある。戦後成金や元財閥が息を吹き返した理由がわかった気がした。巷には多くの餓死者が出た当時の日本において、一方では優雅な生活をおくった特権階級が存在していたとなると、引揚者として困窮のどん底にいたあさ爺はたまらない気持ちになる。

戦争と云うものはそう云うものなのだ。右翼や軍人だけが悪いのではない。それを利用した巨悪が群がった戦後だったのである。

2017年8月14日 (月)

あさ爺の徒然日記(628) 8月14日(月) 戦争の記録映像

終戦記念日を前にして、テレビでは戦争と平和を考える番組が放映されている。余りテレビと仲良く暮らすのはいいことではないと分かっているが、見たい番組を見逃すととても後悔するような気がして、ついつい録画をしてしまうことになる。

家でゴロゴロしていると家族からも疎んじられるし、5月までは家でマイペースの日常を送っていたであろうカミさんはきっと鬱陶しいのではないか?体調が良ければ散歩に出かけたり、些細な用事を見つけてスーパーに買い物に出かけたりして、それなりに気を遣っているつもりだ。

ところでそのテレビで見る戦争映像だが、あさ爺自身、戦争体験があるわけではない。引揚げの過酷な記憶もない。親にしてみれば、この子は何も覚えていないなんて・・・と嘆きもすれば、覚えていなくて良かったとも云う。もうその親もいない。

子どもや孫に戦争体験を伝えるスベはない。だからこうした番組は貴重なのだが、NHKを中心に放映される映像を若い人たちは余り見ていないのではと気がかりである。同じ時間の他のチャンネルでは、お笑い芸人たちがスタジオで大口を開けて笑いこけている。

17歳で特攻に散った少年兵もいたそうだが、彼らは祖国や家族の為に命を捧げたのだ。

2015年8月26日 (水)

あさ彦の爺(じじ)放談(49) 8月14日(金) 日本のいちばん長い日

一昨日にチケットが取れず断念した映画は、「日本のいちばん長い日」でした。今日は早めに出かけて無事ゲット。結局と云うか奇しくもと云うか、この映画は70年前の今日、昭和20年8月14日の一日を追った大作です。

asajiroが学生の頃だったか、実は終戦の日に陸軍の叛乱があったと云う話は耳にしたことがあったが、映画化されるまでは詳しい経緯は知らなかった。漸く知ったのは、前作の東宝映画(1967)を見た時。今でも阿南陸相の自決場面を印象的に覚えている。三船敏郎が演じた。

今回の松竹作品では、それを役所広司が演じている。登場人物が多いので、誰が主役とは云い難いが、やはり本土決戦を叫ぶ陸軍を束ねていた陸軍大臣の動きを中心に描いている。

前作と今回の大きな違いは、昭和天皇がほとんどお姿を見せず、強いて云えば後ろ姿とか白い手袋をはめた手だけが映されていた前作に対し、今回は本木雅弘が主役に近い形で登場したこと。当時は陛下が御存命だったことで、恐れ多かったのだろう。

当時の映画を後に昭和天皇がご家族でご覧になっていたことが、最近判明している(昭和天皇実録)。どのような感慨をお持ちになったのだろうか?それこそ恐れ多いことだが、知りたいところであった。

それにしても陸軍の青年将校らは、国民の命なんぞ虫けらと同じ程度にしか発想できなかったようだ。佐官、尉官クラスで中枢の参謀本部に入ってた連中は、陸士から陸大を出たエリートだったろう。もっと遡れば陸軍幼年学校からかも知れない。

多感な少年時代に教条主義的教育を洗脳の形で徹底的に叩き込まれてきたわけだから、ポツダム宣言受諾と決まって急に新しい自由主義的な考えに発想転換できるわけがない。海軍が或る程度英米を知っていたのに対し、敵性言語として英語の使用を禁止したのは他ならぬ陸軍と云われている。

リベラルなお考えをお持ちと伝えられる昭和天皇が、東條英機を信頼されたと云うのがasajiroには不思議である。前作では登場していなかったと記憶している東條英機が、今回は終戦に大ブレーキをかける黒幕的な存在として描かれている。

阿南陸相が古武士然として終戦の日の朝に切腹したのに対し、東條は最大の責任者として断罪されるのが判っている筈なのに、自決しなかったのも以前から疑問に思っていた。A級戦犯として逮捕されそうになって漸くピストルで自殺しょうとしたが、頭ならともかく外れてもおかしくない心臓を撃って未遂に終わると云う醜態を演じている。同じように戦犯容疑で出頭命令を受けた近衛元首相が、覚悟の服毒自殺を遂げているのにである。お公家さんの方がよほど立派であったと思う。

東京裁判を勝者による裁判と批判する一部の保守論客(自民党議員にも多い)がいるが、仮に日本人自身の手で裁けたかどうかは疑問だろう。靖国神社にA級戦犯を合祀した日本人である。絞首刑は1名も出なかったかもしれない。せいぜい公職追放か禁錮10年程度でお構いなしだったのではないか?

今日の映画は、そんな後日談には触れていない。あくまでも14日から15日にかけての1昼夜の出来事をドラマティックに描いている。玉音放送が流れた裏に、こんな重大事件があったことを国民が知ったのはずっと後のことだったのである。

開戦は事前段階で用意周到に準備されて緒戦の成果は挙げたが、終戦(敗戦)は追い込まれてから1億玉砕を平然と唱える軍とのせめぎ合いの末に、漸く決まったと云うことが改めて判った。昭和天皇が極めて良識ある決断をされたので、国民はこれ以上の犠牲を出さずに済んだ。たとえ遅かったにせよ・・・である。

映画館には若い人たちや女性の姿も多かった。戦争体験者はホトンドおられなかったに違いないが、皆さんどのような感想を持たれたかが気になります。

2015年8月24日 (月)

asajiroの湘南日記(127) 8月12日(水) 海街diary

猛暑の夏は、外出も億劫になる。仕事をしていれば別だが、ヒマな老人は外へ出るのも命がけの今日この頃であります。昔は熱中症と云う言葉はなかったように思う。もっぱら「日射病」だったと記憶している。カラダの弱かったasajiro少年は、日射病の常連さんだった。

そのせいか古稀を過ぎた今も夏には弱い。でも、冬と比べると夏の方が好きだったことも事実。冬はよく風邪をひいて学校を休み、おかげで小学校の6年間で皆勤賞は一度も貰えなかった。要するにどちらもダメなのであるが、老人となってからは好きだった筈の夏が怖くなってきたのである。

と云うワケで涼しい映画館へ行きたいのだが、夏休み期間中はアニメ映画にホトンドのスクリーンを占領されてしまっている。8月は平和について考える季節でもあるが、大人向けの映画が少なくて寂しい。そこで今日は、映画「海街diary」を見ることとなりました。

これも種を明かせば、お目当ての映画が満席でチケットがとれずに、第2希望の映画をとなった次第。舞台が鎌倉なので、一応見ておきたいと云うアヤフヤな理由です。主演女優はasajiroの好みの人ではないが、ストーリイは面白そうと・・・。

ホームドラマ的内容だが、見慣れた鎌倉の風景が出て来て、それなりに楽しむことは出来ました。ベテラン女優が脇を固めて、青春ものと云うより大人の映画に仕上がっていました。大竹しのぶや風吹ジュンと云ったかってのアイドルも、今や婆さん役がよく似合ってきた。

最近、映画を見ることが多い。劇場と云うかシネマズで見ることもあるが、ホトンドはテレビでかっての名作を上映してくれるので、それで済ませることが多い。特に8月は各局ともそうだが、ケーブルテレビで戦争物を終日放映している。中でも「戦争と人間」は良かった。3部作で8時間近い長編ものだが、以前に映画館で興奮した記憶がある。

今と違って、当時は演じる俳優さんたちも兵隊帰りが多かった。つまり、戦争体験者でもあるので、演技も真に迫っていたように思う。この映画の豪華俳優陣もホトンドの方が故人となってしまった。中学生を演じていたasajiroよりもはるかに若い中村勘九郎(当時)までが亡くなってしまった。

いい映画は何度でも飽きずに見られる。感銘を受けた映画に「人間の条件」もあるが、これももう一度観たいものと願っている。共に原作が五味川純平で、この映画も長編。学生時代に映画館で徹夜上映したのを見たと記憶しているが、今はその記憶もあやふや。

日本の夏は戦争と平和について、静かに想いを寄せる季節である筈だが、今年の夏は極めて憂慮すべき暗い雰囲気が漂ってきている。アベノミクスの3本の矢を語っている内は頼もしくも見えたが、今のお顔はかっての東條英機と重なって見える。

そう云えば彼の母方の祖父は東條内閣の商工大臣として開戦に尽力した人物。しかし、彼を総理に押し上げたのは他ならぬ大多数の国民自身であり、メディアも委縮したり自己規制を始めたりと、戦前以上の暗い世相になりつつあるようです。その内、特高や憲兵が復活されては、もう既に時遅しになります。その時は恐らくasajiro老人、もうこの世にはいませんが、子や孫たちが戦争に巻き込まれることが本当に怖い。クワバラ、クワバラ・・・。

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