書籍・雑誌

2018年8月 9日 (木)

あさ爺の徒然日記(949) 8月9日(木) 檀ふみ、下重暁子

台風接近の予報で、クラブの例会とその後の暑気払いが中止となった。例会の方は来週に延期だが、結果的には今朝から雨も降らず風も心地よいものに変わって、予定通りでも実施は出来た。避難命令が空振りに終わったようなものだが、相手が自然現象だから致し方ない。檀ふみの「どうもいたしません」と下重暁子の「家族という病2」を読む。共に幻冬舎発行。ふみちゃんは日常をユーモラスに描いたエッセイ。吹き出しそうになるくだりも多い。女優が本業なのか、作家志望なのか?さすがは「火宅の人」の娘さんだ。暁子さんは理想の家族像にとらわれ、ストレスをかかえる日本人に、充実した人生の送り方を示唆する。しかし、肩の凝らないふみさんの後に読んだせいか、こちらは多少肩が凝ってきた。大塚家具のお家騒動に触れていたが、この部分はリアルタイムで興味津々。

2018年7月31日 (火)

あさ爺の徒然日記(942) 7月31日(火) 寂聴まんだら対談

まだ8月を前にして、もう夏を堪能?した感がある今年の7月だった。猛暑、豪雨、台風で熱中症と豪雨合わせて約300名の犠牲者が出た。偏屈親爺のあさ爺は、これもアベ政治が悪いからだと憤慨している。人災か、天災か?トランプの君臨するアメリカでは山火事が頻発。自然災害と政治不安は無関係ではない筈だ。尤も、順序は逆かも?瀬戸内寂聴の「寂聴まんだら対談」を読む。山田詠美、川上未映子、横尾忠則、花村萬月、河野多恵子、柳美里、酒井順子、島田雅彦各氏との対談を単行本化したもの。それぞれの作家の人となりが垣間見えて面白い。それにしても寂聴さんは老いて意気益々盛んだ。対談相手から、尚、エネルギーを吸収しているから凄い。

2018年7月30日 (月)

あさ爺の徒然日記(941) 7月30日(月) 満天のゴール

今月読んだ本の中に、藤岡陽子著「満天のゴール」(小学館)がある。星空が美しい京都丹後半島。医療過疎地で働くことになったシングル―マザーの看護師が主人公だ。彼女は人生どん底と思い、人生に責められ続ける医師、人生を諦めている老女の3人の出会いが人生を変えてゆくと云う物語。どん底から希望をもたらす人間味の溢れる医療小説だ。著者自身が京都の大学(文学部)を卒業し、東京の看護専門学校を出た看護師でもある。だから医療に携わる場面の描写は現実的だ。衝撃的な事件を起こした看護師が注目を浴びている時代だが、大半のナースたちは毎日、命と向き合い、神経をすり減らしている過酷な現場で働いているのだ。笑顔を絶やさずに・・・。

2018年7月 9日 (月)

あさ爺の徒然日記(920) 7月8日(日) 寂聴辻説法

広島、愛媛で特に大きな被害をもたらした今度の豪雨。昨年の朝倉市の時と同じように線状降水帯と呼ばれるものによるらしい。しかも、それが1ヶ所にとどまらず中国四国から近畿、東海へと長い帯となっている。だから、被害も広範囲だ。朝倉豪雨やその前の広島安佐北区豪雨被害を大きく上回る今回の大雨。しかも、同じような地域を再び襲った。やりきれない想いだろう。

瀬戸内寂聴の「寂聴辻説法」(集英社)を読む。これは2008年から続いていると云う携帯サイト「寂聴の人生相談室」を単行本化したもの。辻説法と云うと日蓮さんのそれをイメージしてしまうが、これは1対1の身の上相談だ。人生相談を断り続けたそうだが、出家した以上、坊さんが人生相談を断るのはおかしいとかで、以来、東北や四国、京都の寂庵などで悩みの相談に応じていると云う。お釈迦様の教えをもとに、いろんな話をされるところはさすがに宗教家だ。同じ、宗教でも居場所のない若者を惹きつけ、「相談にのった」教祖とはエライ違いだ。尤も、そちらは宗教とは名ばかりと云うか、似非(えせ)宗教だったのだ。そこまでゆかなくとも、世の中には怪しい「宗教」がはびこっている。自分の悩みを打ち明けるのに、相手をよく見てお願いしなければとんでもないことになる。寂聴さんもそれには注意しなさいよと諭している。

あさ爺の徒然日記(919) 7月7日(土) さだまさし「絶対温度」

西日本各地が豪雨災害に見舞われている。刻々と伝えられる被害が、大きさを増している。浸水被害も広範囲に拡大しているが、人的被害は土砂崩れによるものが多い。特別警報が同時にたくさん発令されるのも初めて。テレビやラジオでは、命の危険が迫っていると叫び続けている。当初は少し大袈裟なと思ったが、予想以上の死者、行方不明者数に暗然とする。ただ、肝心の被災者にこの報道が届いているのか疑問なのだが。不意打ちの地震はとても怖いが、一挙に水かさが増す洪水も恐怖だ。これ以上増えないでくれと神に祈るしかできないだろう。

ところで、その地震が夕方に起こった。あさ爺の地域では震度3。東日本大震災の余震並みの揺れに驚いた。震源は千葉で震度5弱、マグニチュード6.0。不謹慎だが、西日本でなくて良かったと思った。さだまさしを読む。自身の半生を、その時々の想いとユーモアをまじえながらエッセイにまとめたもの。いつもながら、この人の随筆は楽しく読める。やはり、個人情報まるだしで自分を語ってくれるまっさんは愉快な人だ。

2018年7月 5日 (木)

あさ爺の徒然日記(917) 7月5日(木) 曽野綾子「死の準備教育」

もどり梅雨と云うより、台風崩れの温帯低気圧の影響だろう、未明から久し振りに降りだした雨。風はここ数日強風注意報が出っ放しの状態。曽野綾子のエッセイ「死の準備教育」(興陽館)を読む。彼女以外にも上坂冬子、佐藤愛子と云った女流作家は老いてますます意気盛ん。自身の老いを作品のテーマに据えるしたたかさだ。モチロン、瀬戸内寂聴さんなどは大御所的な存在だが、さすがに尼さんだ。宗教家としての筆致で、保守派の論客的婆さんとは一味違うが。

その曽野綾子さん、彼女のこれまでの講演や雑誌に掲載した随筆から、抽出したものを再編集したもので、この作家の著書にはよく見られるスタイル。だからではないが、前後の話の筋は一貫していない。彼女のホンネや主張で埋め尽くされている。サブタイトルは「あなたは死の準備、はじめていますか」だ。題名が衝撃的な割には、今云ったように過去の話を寄せ集めたものだから、特に感動はしない。恐らく、出版社に強く勧められた類のものだろう。それにしても独身の冬子女史、未亡人の綾子女史、皆さん一人暮らしを堪能しておられる。オンナは強い。老いてますます磨きがかかっている。あさ爺は死の準備教育なんて、マッタクしていない。この本を読んでも、では早速と云う気持ちにはなかなかなれないでいる。

2018年7月 2日 (月)

あさ爺の徒然日記(914) 7月2日(月) 稲盛和夫「心と生き方」

財界の大御所として知られる稲盛和夫の講演集「心と生き方」。講演と云うより、自らが主宰する塾の講師として喋っている云わば講義録。だから、推敲を重ねた著作ではないので、文体も話し言葉だし同じ内容の話が再び出てくることがある。氏が一代で京セラを起ち上げ、KDDI創立に参画し、JALの再建を託される。これは既に知られたことなのだが、特に第二電電(後のKDDI)については随分悩んだと云う。この稀代の大実業家でも人間的な悩みはあったわけだ。

中小企業の経営者やベンチャー企業の人たちに向けた講義録だから致し方ないのだが、自分のこれまでの経歴、実績を繰り返し述べているのが気になった。ま、一流大学を出たわけでもない挫折の繰り返しだったこと、就職難で苦労したことが今の自分になっているのは理解できるが。在家得度して修業している姿は、テレビでも見た記憶がある。神(経営の神様として)のような存在と云われた松下幸之助氏に対し、稲盛さんはどう評価されているのか?再建の神様さまとまでは云えないし、氏が崇敬している郷土の大先達から「財界の西郷(せご)どん」と呼ばれた方が、ご本人も満足されるだろうが如何?

2018年7月 1日 (日)

あさ爺の徒然日記(913) 7月1日(日) 五木寛之「きょう一日。」

先日読んだ五木寛之の本。サブタイトルには「非常時を生き抜く究極の五木メソッド55」とある(徳間書店)。作家であり、作詞家でもあり、講演で全国を飛び歩く。もう80歳代半ばと思われるが、マルチに活躍され敬服する。その健康の秘密について独自の健康法を披露しておられる。以前から有名な話でもあるが、著者は人間ドックや健康診断を受けない主義だ。曽野綾子女史も同じことを述べておられる。女史は目を患ったり足を骨折したりと無病息災とはゆかないが、齢をとればどこか悪いのは当たり前。隠れている病源を見つけ出したところで、今更手術する気はないと云う点で共通したお考えだ。

五木寛之氏はあのふさふさしたヘアスタイルがトレードマークだが、ナント髪を洗ったことがないと云う。信じ難い話だが、痒くはないのだろうか?テレビの「五木寛之の百寺巡礼」などを見る度に、どうしても頭の方に視線が向いてしまう。市町村から健康診断を受診せよとの書類一式が毎年届く。これらも余計なお節介となる。こうした行政の方針が、この国を世界一の長寿国に押し上げ、その副作用として高齢者の莫大な医療負担で財政危機が深刻となっている。あさ爺は今年の健診を躊躇している。

2018年6月30日 (土)

あさ爺の徒然日記(912) 6月30日(土) 京都ぎらい

井上章一の「京都ぎらい」(朝日新書)を読む。著者に関して詳しくは知らない人だと思っていたが、NHKBSプレミアムの「英雄の選択」によく出演する人だった。急になんだかテレビの喋りが重なって親しみが湧いた。著者は京都の嵯峨で育ち、今は宇治に住む。これを洛中の人たちは田舎もんと蔑む。この洛中と洛外の意識が根底に漂う。お坊さんは舞子さんが好き、五山の送り火はホントは大文字焼きと呼ばないかんのどすえ、嵯峨の天龍寺は足利尊氏が後醍醐天皇の怨霊を鎮める為に建てたんや、それをちゃっかり利用したのが夢窓疎石で、結局は自分のツイの棲家を確保したと云うことや・・・と。

最後はその嵯峨への思い入れと後醍醐への親しみから南朝正統つまり大覚寺党を支持する。幼い時から洛中の人たちにバカにされ続け、その鬱屈した思いから「京都ぎらい」と題名にまで及ぶが、しかし、首都東京に対しては「京都人」の誇りを前面に出すのである。そう云えば、テレビでも京都弁まる出しの憎めない人なのだ。サテ、来月の鎌倉勉強会は瑞泉寺。天龍寺の前に鎌倉で夢窓疎石ハンが開山となった古刹だ。お堂の中の開山像は苦虫をかみつぶしておられるやもしれぬ。

あさ爺の徒然日記(911) 6月29日(金) 続・下流老人

関東甲信地方は今日梅雨明けした。これはまた、随分と早い梅雨明けだ。確かにこの地方では25日以降は晴天続き。昨日の鎌倉は雲が多くて日差しが弱く、おかげで楽しい散策だった。しかし、一転今日は真夏のギラギラした日差しだ。一日違いで助かった。

藤田孝典の「続・下流老人」を読んだ。実は続編の前の本は読んでいないのだが、サブタイトルは「一億総疲弊社会の到来」。著者はまだ若い。これだけの若さで、深く社会の問題点を探り当てている。自身、NPOの活動を通して貧困と向き合っている。大学の先生ではない。だから説得力もある。あさ爺は単純に、こんな貧困社会を到来させたのは、他でもないアベ政治と歴代の自民党政権と云うところだが、著者は一方的な政権批判はしていない。もっと、ニッポン社会が抱える病根について訴える。高級老人ホームに入居して、優雅な老後を楽しむごく一部の富裕層と、老後の先行きに多大な不安を抱える大半の下流老人。モチロン、あさ爺は正真正銘の下流老人である。スーパーでのお惣菜は中身ではなく割引のレッテルで選び、賞味期限切れ大歓迎、文化施設も無料が大好き、安い私鉄でのルート探しをする時は根っからの乗り鉄となる。富裕層の暮らしでは味わえない、江戸時代の長屋暮らしを堪能している。

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