書籍・雑誌

2018年5月22日 (火)

あさ爺の徒然日記(882) 5月22日(火) 久坂部羊「院長選挙」

愛媛県が新たな文書を国会に提出した。それにはシンゾー首相が初めて獣医学部の話を聞いたと述べた時期より、かなり前に親友のカケ君から説明があったそうな。国民の誰もが思っていたことが裏付けられたわけだ。普通ならこれで万事休すとなって内閣総辞職と云う運びになる筈。しかし、我らがシンゾー君はそんなことでへこたれるヤワナ総理ではない。相変わらず否定している。開き直って衆議院を解散すれば、再び圧勝できると踏んでおられる。つまり、国民は舐められているのだ。だから、強気で通している。スガ君と二階君が総理自ら否定しておられるので一件落着だと、こちらも国民を舐め切っておられる。日大アメフト監督のしらの切り方も安倍さんのマネだ。同じ穴の狢。

医師作家久坂部羊の「院長選挙」を読む。現役医師でもあり、舞台は大学病院。空席の院長に誰が座るのか?4人の副院長が立候補する。内科、外科、整形外科、眼科などをバックとして、し烈な争いを繰り広げる。殆どはドタバタの中傷合戦。バカげた、面白い巨塔だ。取材する主人公の女性記者アスカに対するセクハラは、財務省や狛江市長と同じ。浜の眞砂は尽きるとも、世にセクハラの種が尽きることはない。これもみな女性活躍を掲げるアベ君のおかげか?

2018年5月19日 (土)

あさ爺の徒然日記(879) 5月19日(土) 曽野綾子の人生相談

初夏の陽気だが天候は不順だ。大気は相変わらず不安定。しかし、昨夜からの雨予報は外れた。カミさんが雨を期待して植え付けた野菜の苗が、空振りに終わってぼやいている。

「曽野綾子の人生相談」を読む。浅田次郎の人生相談と違って、非常にマジメだ。相談者の気持ちに寄り添ったり、励ましたりと女性らしい細やかさがある。これは「いきいき」と云う女性向けの雑誌に連載されたものの単行本化。次郎さんの「週刊プレイボーイ」とは違うのだ。でも、もう少し曽野綾子独特の言いたい放題があるのかとも期待していたが、この雑誌自体が主婦向けの生活密着型雑誌だ。人生相談は語弊があるかもしれないが面白い。他人の不幸は己の幸せなんて言葉もある。老人から見て若者の悩みは、かつて通った道でもある。しかし、相談の半数以上はやはり近づく老いや病気の悩み。こればかりは回答者としても辛いところだ。どう答えていいものか、逆に相談したいくらいだろう。著者は老人向けの新作も多く、相変わらず人気も高い。今度は誰の人生相談を読もうか?

2018年5月 9日 (水)

あさ爺の徒然日記(870) 5月9日(水) さだまさし「かすてぃら」

昨夜からの雨が明け方には嵐に。予定ではEFGの実習に参加する筈だったが、この荒天では治りかけの風邪とぎっくり腰がぶり返しそうで断念。予報では昼頃には雨もやむことになってはいるが。

さだまさしの自伝的小説「かすてぃら」を読む。父親の最期の日に至る家族の看病と、元気だった父の想い出をユーモアを交えて綴る。実話を元にしているのだろうが、周囲の人たちの名前や中に出てくるヤクザなどは多分実名ではあるまい。さだまさしの作品では映画化された「眉山」が印象に残っている。松嶋菜々子、宮本信子が演じ、舞台は徳島。何故、長崎の彼が徳島を描いたのかは知らないが、四国で育ったあさ爺には嬉しいことだった。それにしても岸恵子もそうだったが、さだまさしも文章がうまい。天は二物を惜しみなく与えて、彼ら彼女らの才能を更に花開かせ、世の人々に潤いを与えてくれる。

2018年5月 8日 (火)

あさ爺の徒然日記(869) 5月8日(火) 冬子の兵法愛子の忍法

ゴールデンウイークの山の遭難が今年はないのかと安心していたら、週末になって子どもの遭難が伝えられて驚いた。奥多摩の御岳山は22時間ぶりに無事発見救助されたが、新潟では父親と小学生の子どもがまだ見つからないと云う。どうも予定の山とは別の登山道もあまり整備されていない山に迷い込んだのでは。無事の発見を祈ろう。

上坂冬子と佐藤愛子の往復書簡集「冬子の兵法愛子の忍法」を読む。面白くて、口の達者なバアサンたちの言いたい放題に笑った。ノンフィクション作家と小説家の立ち位置の違いによる考え方の相違も興味深い。と云うより思想信条は似通っているが、性格の違いによるのだろう。方や根に持つタイプ、此方あっけらかんとしたタイプ。独身を通した冬子さんに対し、2度の結婚離婚をした愛子さん。彼女たちの作品を読んだことが少ないので、この往復書簡で考え方などがわかったような気がする。曽野綾子とはまた違った女流作家たちだ。時代を反映してか、今は保守派の論客の方が威勢いい。

2018年5月 5日 (土)

あさ爺の徒然日記(866) 5月5日(土) 瀬戸内寂聴対談集

ノーベル文学賞が今年は見送られることになった。選考委員(女性)のダンナさんがセクハラ疑惑を繰り返していたことに加えて、夫婦の間で授賞予定者の情報漏れがあったことが原因らしい。物理・化学・医学生理学と比較して文学賞や平和賞は選考基準でもめることが多い。選考委員の主観に左右されるからだ。大体、ノーベル賞に何故文学賞が存在するのか疑問だ。

瀬戸内寂聴とドナルド・キーンの対談集「日本を、信じる」の中に、三島由紀夫がノーベル賞から外れた理由らしきものに触れている。キーン氏の話で、デンマーク人の選考委員か関係者かわからないが、三島が有力候補になった際に猛反対したとのこと。彼が「左翼」だからと云うのが理由で、その代わりに川端康成が選ばれたと。川端文学は翻訳が難しいが、三島文学は翻訳も多く欧米人に人気があったそうだ。

三島が右翼ではなくて左翼と云う理由も不可解だが、三島はノーベル賞を非常に期待していて、以後、鬱屈状態に陥り自決事件に走ったのではと。結局、川端も三島も自ら命を絶ってしまったことになる。

あさ爺の徒然日記(865) 5月4日(金) 岸恵子「ベラルーシの林檎」

「みどりの日」は都立公園が無料開放される。これを機会に久し振りに浜離宮を歩き、水上バスで浅草へでも考えていたが、腰痛と連休の大混雑に恐れをなして断念。せっかくの好天を上目遣いに、家にこもる。

東京に限らず、鎌倉や江の島も賑わっているだろうし、TDLやUSJも混雑しているに違いない。こんな時に限って小田急のロマンスカーが線路脇の陥没で終日運休したり、USJでは宙づりでストップしたり、今日は東海道新幹線の沿線火災があったりする。小さな子ども連れはタイヘンだ。

岸恵子の「ベラルーシの林檎」を読む。女優にならなければ優れた女流作家として大成したのではと思う。それほどにいい文章を綴る。パリなどへは行かずに日本でもトップクラスの大女優になったであろうにと思うと惜しい気がする。歴史や人生に「もしも」は意味ないが、結果的には国際的な女優としての評価は得たであろう。

著書はNHKBSの同行取材で中東・東欧を巡ったドキュメントだ。知識も深く、聡明な著者の美しい顔が思い浮かぶ。テレビで「君の名は」が放映されている。数寄屋橋から佐渡へ、北海道へ、そして第三部へと。

2018年5月 4日 (金)

あさ爺の徒然日記(864) 5月3日(木) 佐江衆一「午後の人生」

マッサージの予約がとれたので、主治医のももこ先生を訪ねる。治療院は江ノ電の沿線にある。うっかりしていたが今はゴールデンウイークだ。駅までの通路に、警備のガードマンやガード嬢?が人波の整理をしている。そう云えば昔、鎌倉駅の西口でガイドをしていた時に目撃した、ゴールデンウイーク期間中の江ノ電の混雑ぶりは半端じゃなかった。

待ち時間30分は当たり前、ピーク時は1時間待ちだった。アジサイの季節もそうだったが、それでも皆さん辛抱強くお待ちになっていたものだ。長谷の大仏へは徒歩30分なので、欧米人は平気で歩き始めたが日本人は若者でも歩こうとはしなかった。江ノ電「乗り鉄」が目的のせいもあるのだろう。

片瀬の江ノ電沿線近くにお住いの小説家佐江衆一さんの「午後の人生」を読む。代表作は「黄落」で、ご自宅の場所も存じ上げてるが氏の本を読んだのは今回が初めて。老後の生活や日頃の想いをエッセイ風に綴ったもの。先日、講演を拝聴したばかりだ。立原正秋や阿部昭との交流も語られ、鵠沼文士の在りようも興味深いものがあった。

あさ爺の徒然日記(863) 5月2日(水) 世の中それほど不公平じゃない

昨日のぎっくり腰は簡単には治りそうにない。しかし、湿布薬を貼って静かにしていたら痛みはやわらいだ。少なくとも歩くことや階段の昇降には差し支えない。車の運転も大丈夫となり、農園の「手伝い」に出かける。農婦さんの足手まといにならぬよう水汲みに精出す。いつもならポリタンクだが、腰への負担を考えてペットボトルで泉から汲み出す。あさ爺農園では主役は農婦たるカミさんだ。周辺の家庭菜園では9割は男性なので、稀有な存在と云ってよい。

浅田次郎の「世の中それほど不公平じゃない」は週刊プレイボーイに連載した、著者が回答者の人生相談をまとめたもの。回答者も出版社も、それなりにひと癖あるから内容もユニークだ。人生相談ではありながら競馬の「相談」もあるし、下ネタの悩みも多い。答える著者も今や文壇の大御所だ。しかし、型破りでもある。圧倒的に男性の質問者が多いのは、女性誌ではないからだろう。

だからか、悩める相談者に優しく寄り添うなんてことはしない。痛烈に罵倒もしているから、相談者も余計に落ち込んでるんじゃないかとあらぬ心配もした。しかし、浅田次郎の考え方と云うか、信念は垣間見える。楽しい?人生相談だった。

2018年4月27日 (金)

あさ爺の徒然日記(856) 4月25日(水) 宮尾登美子はずれの記

昨日のハイキングは、終日曇り空ながら雨にも遭わず歩き易い日和だった。実は今日も歩きの予定が入っていた。EFGの実習で大磯に出かける予定だったのだが、未明からの雨が明けてからは嵐のような悪天候に。急きょ、イベントは中止された。

宮尾登美子の「はずれの記」を読み終える。著者のエッセイ集で最後にはクイーンエリザベスⅡ号の乗船記が。飛行機が苦手なので海外旅行も控えがちだが、船は性分に合うらしく小さい時から船酔いの経験もないと云う。昔は高知から京阪神へ行くのは船便に頼るしかなかった。大人たちが船酔いで苦しんでいる室戸沖でも、幼ない女の子のとみちゃんは平気だったとか。

カップルで申し込むのが条件とかで、船が苦手のご主人は逃げまくり、結局出版社の年下の男性と乗船。大勢の見送り人から花束をたくさんいただいたので、他の外国人乗客にはてっきり新婚さんと思われたらしい。最後に、夫婦ではなくしかも卑しい「物書き」の女とわかってヒンシュクを買ったとか。笑わせる話だが、モチロン、女史と男性相棒は別の離れた部屋で起居したそうだ。楽しい話だ。

2018年4月23日 (月)

あさ爺の徒然日記(854) 4月23日(月) 五木寛之著「嫌老社会を超えて」

五木寛之氏はあさ爺より10歳年長。従って現在は85歳になられる。講演会で一度お話をお聴きしたが、テレビの「日本百寺巡礼」でしばしばお見かけしている。作詞家であり作家でもあるが、親鸞研究家と云っても良い。その五木さんが嫌われる老人を正面から問題提起された。いわばタブーに挑戦されたのだ。

現在、既にその兆候が表れ始めているが、やがて日本は深刻な世代間対立が起き、又、一部豊かな老人と多数を占める貧しい老人の格差対立も起きると警告しておられる。それは特に若者世代からのヘイトスピーチを招くだろうと。団塊の世代が後期高齢者の年代に達した時、顕在化すると見る。深刻な少子高齢化社会は、老人を尊重する、いたわる時代から、「駆除する」時代へと。

もう、漫画の世界では老人駆除隊なる密命を帯びた青年が活動する世界が描かれているらしい。老人を見つけ次第、駆除してゆくのだ。今は潜在化している嫌老が顕在化する時代が遠からずやってくると。理由は年金財政の逼迫化であるが、政治は先送りをし続けている。老人問題は、大量の身寄りのない未婚の老人を含めてタイヘンな社会問題になりそうだ。

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