書籍・雑誌

2016年1月30日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(173) 1月30日(土) 大佛次郎敗戦日記

今、「大佛次郎敗戦日記」(草思社)を図書館で借りて読んでいる。20年前に出版された本。昨年は戦後70年と云うこともあり、戦中生まれとは云え、戦争の記憶のないあさちゃんもきな臭くなってきた現世に危機を感じ、いつもの年以上に戦争について考えることが多くなった。

考えると言ってもせいぜい本を読んだり、テレビに流れる当時の映像を眺めることしか能のない小市民である。図書館で借りる本も、自然と昭和20年を取り上げたものが多い。「わたしの終戦記念日」(新水社)は、当時10歳前後だった著名人にインタビューを試みたもので、子どもの目に終戦はどう映ったのか、玉音放送は記憶にあるのか等などが描かれていて興味深かった。

そして今読んでいる大佛次郎には、鎌倉に暮らす作家の日常を通して敗戦に至る日々が克明に記されている。同様の作品に「高見順敗戦日記」もあった。共に、多くの鎌倉文士と呼ばれることになる作家や知識人が登場する。戦時下で彼らは何を考え、どのように生き抜いてきたのか、行間に様々な情景が浮かびついつい引き込まれてしまう。

高見順もそうだったが、大佛次郎もかなり早い段階で日本の敗戦を予期していたことに驚かされる。戦時中でも鎌倉の作家たち知識人は、大本営発表や新聞報道を鵜呑みにはしていなかったことがわかる。川端康成は、はっきりと負け戦を公言していた。こんな話が外部に漏れれば、憲兵隊に引っ張られるのではと我々はすぐに心配してしまうのだが、作家たちはお互いに口が固く洩れ伝わることはなかったし、日記には赤裸々にいろんなことが書かれている。

特に大佛は外務省に勤めていたこともあり、多くの戦場での苦戦をかなり把握し日記に書いている。彼は多くの人脈があったと見え、連日様々な来客があった。中には軍人もいて、戦況を彼らからも聴いている。殆どの大衆はラジオから流れる大本営発表などの戦局に一喜一憂してたわけだが(あさちゃんの母親なんぞ、日本が負けるとは想定外のことだった)、大佛たちは終戦後のことにまで日記の中で言及し、朝鮮や台湾を失うことを予測している。ポツダム宣言の中身を或る程度知っていたことがわかる。

毎日の日記で欠かさず書かれているのは食糧事情の厳しさ。それでも二楽荘(現在も営業している老舗の中華料理店)での集まりに頻繁に出かけ、ビールもよく飲んでいる。

興味深いのはデマが飛び交っていること。筆者はそれもよく拾い集めている。20年の4月には鎌倉駅で「沖縄の敵軍が降伏した」とのデマがあり、わざわざ駅員が放送で伝え万歳万歳の声が広がっていったと・・・。逗子では敵機が撒いたビラに近く鎌倉と逗子を爆撃するとあったとか。これもデマだと筆者は見抜いている。

東海道線や横須賀線が空襲で度々ストップする中で、横浜や東京へわざわざ焼け跡の見物(と書かれている)に出かけているのにも驚く。大佛たちにはただの興味本位の野次馬的見物ではなく、出版社や新聞社を廻って編集者ら知人の安否を尋ね歩いていることがわかる。

いずれにしても悲惨な事態は日記の中からも伝わってくる。大佛次郎も冷静な態度を示しつつも、同時に暗澹たる気分に落ち込んだり、軍部や政府の対応を非難している。もう決してあの暗い時代に時計の針を戻すべきではない。

2013年3月22日 (金)

asajiroの湘南日記(49) 3月18日(月)  高倉健から曽野綾子まで

家族からうつされたのか、風邪に苦しんでいます。身の危険を感じて、家の中でもマスクをしていましたが、あまり効果はなかったようです。近所のクリニックへ出かける以外は外出自粛モードです。

こんな時は読書に限ります。最近読んだ本はと言えば、高倉健「南極のペンギン」・三木卓「鎌倉日記」・同じく三木卓の「K」・中山義秀「新剣豪伝」・浅田次郎「人間の縁(えにし)」・佐川光晴「山あり愛あり」・曽野綾子「この世に恋して」・・・。

その他に図書館から借り出してきた写真集や参考書、そして毎月手元に送られてくる会報誌や雑誌の類いにも目を通します。写真集で興味を惹かれたのは「ニューヨーク空中散歩」。もう何年も前の発行ですが、例の世界貿易センタービルのツインタワーが、その後の悲惨な運命を予見できずに堂々と聳えています。

asajiroがニューヨークへ行ったのは、更に昔ですからツインタワーそのものがありませんでした。摩天楼の代名詞的存在だったエンパイヤステートビルに上がったことや、船でマンハッタン島を一周した懐かしい記憶が蘇りました。

桜の開花が発表されました。もう今月下旬には満開になりそうな雰囲気。早過ぎる春の到来です。各地のさくら祭りも頭を痛めていることでしょう。

梅の満開を楽しんでいる余韻もない、桜花爛漫の競演が駆け足でやってきました。熱が出たくらいで、布団にくるまってる場合じゃなさそうです。

2012年8月 1日 (水)

あさ吉の思い出日記(25) 7月29日(日) 長崎の記憶

まだまだ日本国内にあっても足を踏み入れたことのない所はたくさんあります。一度は行ってみたいものだと思いつつ、とうとうその機会のないまま今日に至った心残りの地方も数知れずです。

同時に、何度か行ったものの、もっと時間を取って廻りたかった所もたくさんあります。そんな街の一つが長崎です。

昨日から長崎港まつりが行なわれています。2日間で8千発の花火が長崎湾で打ち上げられています。そのニュースを耳にすると、夜空に浮かぶ大輪の花火を想像することは出来るのですが、下の長崎の街を思い浮かべるには時間がかかります。

仕事で何度か訪れたこともありますが、ほとんど1泊だけの短い滞在でしたし、プライベートな旅は新婚旅行で泊まったくらいです。しかし、その短い滞在の中に濃密な思い出も詰まってる筈ですが、残念ながら記憶が薄れてきています。

今週、2冊の本を読みましたが、偶然にも共に舞台は長崎でした。さだまさし著「カスティラ」となかにし礼著「長崎ぶらぶら節」。共に本職が作家とは言えない著名人です。さだまさしは長崎に住む父親との死別を、悲しい中にもユーモアをまじえて描いています。なかにし礼は長崎で埋もれていた古謡を現代に掘り起こした物語を丸山の芸妓を主人公にして書いた力作で、直木賞の受賞作品となりました。

記憶の薄れた長崎の街が、あさ吉の脳裏にも鮮やかに蘇ってはきますが、誠に残念ながら丸山遊郭界隈は知らない(;ω;)ままです。どこからか、鐘の音が聞こえてきたような気がしました。

2012年3月 7日 (水)

あさ吉の思い出日記(7) 3月6日(火)  読書三昧

今日は菊池寛の命日です。戦後間もない、昭和23年3月6日に亡くなりました。61歳の若さでした。存命であれば、戦後の混乱期に一定の役割を果たしたであろうと思われ、惜しい死でした。

しかし、それまでに彼なりの偉大な業績を残しています。「父帰る」は郷里高松の、それも菊池寛通りと名付けられた通りに、その作品の登場人物の群像がモニュメントとして存在しています。

「恩讐の彼方に」や「藤十郎の恋」等すぐれた戯作も残しています。四国高松は銅像の多い街ですが、中心部の中央公園に菊池寛の等身大の銅像があります。あさ吉の高校の偉大な先輩(当時は旧制中学)でもあります。それらの小説もさることながら、彼の傑出した業績は文藝春秋社の創業と芥川賞、直木賞の創設。

親友2人の名を冠した文学賞は、日本文学の発展に大きな貢献をしていることは、よく知られた事実ですし、今年もいろんな話題を提供してくれました。

あさ吉が先月に読んだ作品、白石一文「ほかならぬ人へ」、楊逸「時が滲む朝」、北村薫「鷺と雪」、山本兼一「利休にたずねよ」、諏訪哲史「アサッテの人」、松井今朝子「吉原手引草」はいずれも授賞作品です。

あさ吉の読書テーマは、そう・・・、芥川賞をはじめとする授賞作品です。作家から見ればいい読者とは言えませんが、ビンボー老人ですので、図書館のお世話になっています。徒歩5分の所に、公立の図書館があると言うのは助かります。

今月も、「灯火親しむ弥生3月」になりそうです。

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