鎌倉

2017年10月24日 (火)

あさちゃんの鎌倉日記(506) 10月24日(火) 佐助稲荷神社

総選挙と同時に実施された鎌倉市長選挙、現職の松尾市長が三選を果たした。もう12年前になろうか、あさちゃんが鎌倉駅西口でガイドをしていた折に、彼の方から話しかけてくれて、それ以来の知り合いとなった。当時は市会議員で県議に挑戦をしょうかとしていた頃。

又、その後になるが、逗子勤務時代に取材を受けて知り合った早稲田さんと再会したのも西口の時計台広場だった。まだ、市会議員になる前だったかと思う。その彼女が、今度の総選挙で激戦の神奈川4区を勝ち抜いて、初挑戦・初勝利となった。

西口でのガイドを始めて5周年の謝恩パーティーを近くのレストランを借り切って、3回にわたって主催したことがあり、お二人とも駆けつけて下さった。政治家としての義理ではなく、鎌倉の観光について真摯に語り合える関係に。

その西口で今日、Y会のメンバーが集まり、佐助稲荷神社を参拝。更に鎌倉歴史文化交流館での「甦(よみがえ)る永福寺(ようふくじ)」展を見学。貴重な出土品等を拝観。12月9日まで開催される。一見の価値があると思いましたので、興味がおありなら是非どうぞ。

2017年9月18日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(501) 9月18日(月) 面掛行列

今日は「敬老の日」。知らなかったが今日とは別に、15日は老人の日となっている。以前の敬老の日はたしか15日だった。そしてその日から老人週間が制定されているそうな。更に云えば今週はシルバーウィークでもある。これは5月のゴールデンウィークに対してのもので、要するに旅行にお出かけになって下さいなとの意味。

台風一過の抜けるような青空に誘われて、鎌倉御霊神社の面掛行列を見物した。3度目だが、じっくりと見物したのは初めてだ。付添人のカミさんがいるので、安心して福禄寿、ひょっとこ、鬼、鼻長、異形、翁、烏天狗、女、更にあさちゃん夫婦のような爺とおかめの面を被った行列が、神輿などと一緒に町内を練り歩くのを見る。

妊婦に扮した女(実は男性)の大きなお腹に触ると、安産間違いなしと・・・。しかし、出産不可能と見られる婆さんや爺さんまでが触って喜んでいる。

江ノ電の車窓から見る七里ヶ浜は台風の余波で、大きな波が押し寄せていた。鎌倉に本格的な秋が訪れたようだ。

2017年7月29日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(499) 7月24日(月) 鉢の木カフェ

建長寺の門前に「鉢の木カフェ」があった。過去形にしたのは、6月末で閉店したから。このお店の北条弁当は美味しかったし、お値段も手頃だった。特にご婦人の多いグループには喜ばれた。それだけに残念至極としか言いようがない。

鉢の木グループの、かつては本店でもあり50余年の歴史があった。話を知った時ににわかには信じられず、今日、建長寺の総門を出て、改めて確認したほどだ。張り紙が揺れていた。

お昼は駅西口に近い「マッチポイント」のカレーにする。先日も入ったばかりのお店。逗子のお店にも何度か入ったことがる。このお店も比較的長い歴史があり安心して落ち着けるし、味もあさちゃん好みだ。同行のカミさんが幹事をしているグループの秋の下見で、鎌倉歴史文化交流館を再び覗いた。

そして出口の前にある甘味処「雲母」(きらら)に入る。何年ぶりか?入店に40分待たされたが、それでも夏場の平日なので早く入れた方かもしれない。宇治白玉クリームあんみつを注文。カミさんは2度目だが、最初の時の感激は、今回はなかったようだ。味や雰囲気にうるさいご婦人なので、恐らく、もう行くことはないのだろう。夏休みなので家族連れや若い女の子ばかり。あいかわらず観光客に人気の店だ。

2017年7月28日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(498) 7月24日(月) 建長寺開山忌

数年前から建長寺の開山忌は、1ヶ月前倒しされて7月23,24日に行われている。開山忌の日時が変更になると云うのもおかしな話だが、8月のお盆の超繁忙期との兼ね合いかもしれない。

大本山としてもこの行事の準備には追いまくられると思うが、末寺はもっと大変に違いない。一山挙げての開山大覚禅師の法要である。言葉は悪いが、末寺に総動員がかかる筈である。準備期間がもろにお盆とぶつかり、末寺の住職は檀家さん回りで猫の手も借りたい時期だ。悲鳴があがったのではないか?

あさちゃんは何度か拝観したことはあるが、今年は2日目の法堂での法要と大覚禅師の御輿行列を合わせて見物することが出来た。介護の付き添いとしてカミさんに同行して貰う。時間つぶしに庭園を鑑賞。涼しい風が心地よいが、この場所もまもなく立ち入りできなくなる。方丈で僧侶たちの御膳が用意される時間だ。

法堂では法要の一部始終を見届けることがかなった。禅師、即ち蘭渓道隆像が最上段に安置されておられる。写真家のH先生や旧知のE氏とも顔を合わせる。そして御輿行列を山門前で見物。可愛らしい小僧さんが、ナントも微笑ましい。大勢の僧侶が行列する様は圧巻だ。南無釈迦牟尼仏・・・。

2017年7月24日 (月)

あさちゃんの鎌倉日記(497) 7月21日(金) レポの更なる続きです

交流館レポを続けます。観光客は当てにしていないだろうことは、日祝日が休館であることからも窺える。月曜休館が一般的な中での、特異な判断。理由があるかも知れない。市が運営しているので、入館料は300円と安い。

最近、再建開館した横浜の俣野別邸が400円、しかも建物を見せるだけで展示があるわけではなさそうだ。それに比べると入りやすい。現実に、近代建築を調べている在野の研究家が、その入館料で断念したと云う悲しい話も耳にしたことがある。

ところで、八幡宮境内の旧近代美術館の用途は決まったのだろうか?あさちゃんは、あそここそ八幡宮が運営するのであれば、仮称「源氏三代歴史館」とすれば、場所柄も申し分ないし、観光客は外国人を含めて人気が沸騰するだろうと確信する。

そして、ゆくゆくは清泉小学校には移転願って、その跡地を発掘調査し、国指定の史跡に。更に鎌倉幕府の建物を国の手で復元して、鎌倉のシンボルとすれば、子々孫々にも伝えられ、念願の世界遺産への道も夢ではないだろうに。

ここは地方創生に熱意ある?山本大臣に引き続き内閣にしがみついていただき、実現への道筋をつけてもらいたいものだ。

あさちゃんの鎌倉日記(496) 7月21日(金) 交流館レポ続き

鎌倉歴史文化交流館のレポート続きです。あさちゃんが工事現場を覗いた時には、既に鎌倉市に寄贈され、利用方法も決まって整備工事が進められていたと云うことだろう。市議会等のごく一部の関係者には知らされていただろうが、一般には公表されていなかったので、あさちゃんもマッタク知らなかった。

市内の発掘調査で発見された埋蔵文化財が、倉庫代わりに利用されていた旧野村総合研究所の建物に溢れていたことは、ガイド仲間の噂で聞いていた。一時はその野村総研の建物を博物館として使われると云う話もあったが、場所が不便なので立ち消えに。モチロン、そこも市に寄贈された建物だった。

ところで、想像していた通り、埋蔵物の展示が中心で、いわば考古学の博物館。観光客向けとは言い難い。山本大臣得意の「学芸員は(観光面)すべてのガン」と云われそうな内容。観光客が喜びそうな頼朝や義経、静御前は殆ど無視?。源氏三代や北条執権政治の物語性もない。

肝心の鎌倉時代に関するスペースがマッタク少ない。佐倉の国立民俗博物館や横浜の県立歴史博物館にある鎌倉の展示が、はるかに充実している。スタンスが違うから否定はしないが、ガイドとしては案内しにくい施設であることは事実。

あさちゃんの鎌倉日記(495) 7月21日(金) 鎌倉歴史文化交流館

今年の連休明けにオープンした、鎌倉歴史文化交流館を初めて見学した。早い機会に見ておこうと思ったが、例の救急車搬送事件で延び延びに。漸く症状も落ち着き(薬のお陰だけど)、一人歩きも不安が少なくなってきたことにより実現。

場所は鎌倉駅西口の扇ガ谷1丁目。地元ではかつて無量寺谷(むりょうじがやつ)と呼ばれた山の麓にある。因みにこの谷戸の名前はあさちゃんの勉強した鎌倉検定のテキストにも出てこない地名。

この一帯は三菱村とも呼ばれていたように三菱財閥或いは創業者岩崎家ゆかりの地であり、この交流館も岩崎家から2000年にセンチュリー文化財団に売却。2013年に土地・建物・整備費用含めて鎌倉市へ寄贈された。

文士や実業家から別荘や本宅の寄贈をされることが多い鎌倉市だが管理ができずに殆どを断ってきた。今度は公開施設として使えると算段したのだろう、珍しく引き受けた。因みにこの財団は旺文社で知られた出版実業家の赤尾家の居宅を管理していた。有名な建築家ノーマン・フォスター設計なので、建物を殆どそのまま転用し、埋蔵文化財の展示を中心に開館。

工事中に覗いた時に、奥に「やぐら」も多数見られ、個人邸宅内にあることを残念に思ったことがあった。更に、このレポートは次回にアップします。

2017年6月16日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(491) 6月15日(木) ベルグフェルド

体調を崩したのが鎌倉、それ以来の訪問。紫陽花見物で電車も混んでいた。鎌倉での用事をいくつか積み残していたので、カミさんを同行して出かけた。同行二人である。半病人のあさ爺には、彼女は四国巡礼のお大師さまのような存在。そう云えば今日は弘法大師さまがお生まれになった日。

お昼は岐れ道の近くにある「ベルグフェルド」の本店で。初めてスリランカカレーと云うのをいただいた。カミさんはここのベーカリーショップでさまざまなパンを仕入れる。彼女お気に入りのお店でもある。10日前も、最初はこの店を訪ねたが定休日だった。事前のチェックを怠ったのだが、その後に心臓に異変を生じた。暑い日でもあった。

今日も木陰が欲しい。バス通りや小町通りを避けて、雪ノ下の桜並木や線路際のタチアオイの咲く路地を歩いた。もう、これまでのように鎌倉を歩くことはないかもしれないと思うと、一抹の寂しさを感じる。

2016年12月23日 (金)

あさちゃんの鎌倉日記(179-997) 12月21日(水) 冬至

9月9日、アルバイトの仕事で由比ガ浜の現場に向かう。今日は重陽の節句。菊の節句とも云う。長寿をめでる日でもあるが、今や長生きしすぎる人も多く、心から祝ってくれる人は少ないのかもしれぬ。ディーラーに頼んでおいた車検が完了する。

9月11日、やはり仕事で小坪の現場に出向く。日曜日でも要請があればかけつけるのがおいらの仕事。なんて粋がってても仕方がない。ホントは休みたい。

11月7日はFM放送の日。鎌倉駅で史跡巡りのお客さんを案内しているガイド協会のTさんに会う。以前は交番の横で受付していたが、うるさくなって「きらら」(鎌倉市生涯学習センター)の前で集合するよう変更したそうだ。最近、あさちゃんはおさぼりで参加していない。彼女は新江の島水族館でもガイドをしておられる頑張り屋さんだ。

同じくガイドのM氏にもお会いする。ある旅行会社のツアーをお待ちしているそうだが、人数が減ってしまってとボヤイテおられた。あさちゃんのカミさんは、彼のフアンでもある。FMの方は、いつものようにYさんとマイクの前でおしゃべり。

11月24日、再び由比ガ浜の現場で仕事。でもこの日は大変だった。11月に季節外れの大雪(積もってるから鎌倉では大雪だろう)に見舞われた。なんでも関東地方では11月に積雪を記録したのは54年ぶりだと云う。未明から午後3時頃まで降り続いた。

帰りの江ノ電の車窓からとても珍しい現象を目撃した。七里ヶ浜沖の海面から、湯気がもうもうと立ち上がってる。まるで温泉のように。更に江の島が浮き上がってるのだ。上半分が見えないことは時々あるが、今日は下半分が見えないのである。呆然と見惚れるあさちゃんと乗客たち。これは海水の温度が外気よりも高い時に見られる珍しい現象。翌日の朝刊でニュースとして掲載されていた。但し、写真は横浜港。「蒸気霧」と云うそうだ。勉強になりました。

12月13日は小坪で仕事。お昼は小坪の海岸に面した公園で持参の弁当をひろげる。鎌倉歩け歩け協会の参加者たちが大勢昼食休憩をしていた。その中に混じっておにぎりをパクついていたが、出発時間になっても立ち上がろうとしないあさちゃんを見て、オバちゃん達が怪訝そうな顔をしていた。あの様子だと紛れ込んで一緒に歩いても、とがめられることはなかったかも・・・。

12月15日、再び由比ガ浜へ。この日はいい天気だった。そして今日、1年で太陽の高さが一番低く、昼が短く夜が長い「冬至」の日。お粥をいただいたり、カボチャを食べたりして健康を祈願する日だ。字は異なるが発音が同じの「東寺」。この京都の有名なお寺さんでは、境内で「終い弘法」の骨董市が開かれている筈だ。京都に住んでいた新婚時代に、二人で出かけた記憶がある。

息子の誕生日でもあり、札幌のホテルに泊まりこみで誕生日を祝ったりした。それも2年続けて・・・。窓の外はしんしんと雪が降り続くホワイトバースデイだったことを懐かしく思い出す。40年以上昔のことになってしまった札幌時代の話。

2016年7月16日 (土)

あさちゃんの鎌倉日記(177) 7月12日(火) 鎌倉のやぐら

鎌倉には他の地方ではほとんど見られない「やぐら」と呼ばれる、独特な中世の墳墓が点在する。山の横っ腹に防空壕みたいに穴を掘って、中に五輪塔などのお墓が収められている。中世横穴式(おうけつしき)墳墓とも呼ばれている。やぐらの名前の由来については諸説あってはっきりしていない。従って、充てる漢字も意味によって変わる。だから、通常はひらがなで書かれていることが多い。

子どもたちに「防空壕」と云ってもわかってもらえないと、ガイドをしているあさ爺から聞いたことがある。モチロンそうだろう。あさちゃんにしてもガイドのあさ爺にしても防空壕に身を潜めた怖い経験は、したのかもわからないが記憶がない。しかし、幼い頃にはよく見かけた。かくれんぼするには良かったが、あまり気持ちのいいものではなかった。

鎌倉のやぐらにもそんなイメージがある。こちらはお墓だから、怖いのが当たり前。中には観光名所みたいになって、立ち入りを許されている所もあるが、ほとんどは山の中に埋もれてしまっている。今から800年前の遺跡なのだから、もう少し保存の手が伸びないものかと思うが、あまりに数が多くて鎌倉市の手に負えないのだろう。国がやるべきと思うが、調査すら手つかずが多いようだ。

覚園寺の裏手の山に「百八やぐら」や「朱垂木やぐら」と呼ばれる文化財には指定されてはいるが、保存までは手が回らない多数のやぐらがある。今日、あさちゃんは仲間と山の中を歩いて巡ってきた。蛇(幸い出てこなかったが)、やぶ蚊、くもの巣と闘いながら、藪の中のけものみちみたいな山道を歩く。冬はいいが、夏はどうもやぐら見物以前の注意がタイヘンだ。今日も一人が滑落した。3mくらいの高さだが、手術後のリハビリを兼ねた男だったのでみんなが心配した。幸い、傷口がパックリ開くことはなかったようだ。

地元の歴史好きには知られたやぐら群だが、案内板も道の標識もないので、ガイドや知ってる人が案内しないと探し当てることすら難しい。ほとんどが被葬者の名前もわかっていないし、天井が崩れ落ちたものもあって痛ましい。夏はあまりお薦めできないが、秋から冬にかけては紅葉も見られて、いい山歩きにもなりそうな鎌倉のやぐら探訪である。

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