鉄道

2017年10月19日 (木)

あさ爺の徒然日記(689) 10月19日(木) 発掘!鉄道記録映像

BS12トウエルビで放映されている「発掘! 鉄道記録映像」が興味深い。鉄道ファンにはたまらないお宝映像がシリーズで流れている。この映像自体が、一般向けのものではなく、鉄道関係者や業者向けに編集された専門性の高いものであることが特徴となっている。

従って、出てくる言葉は専門用語ばかりなので、今まで広く公開されることはなかったわけだ。秘蔵映像と云ってよい。新幹線岡山開業や赤字ローカル線の現状、事故防止のための列車防護とか、複々線工事の記録等々、撮り鉄、乗り鉄はモチロン、鉄道好きの小学生にも喜ばれそうな内容だ。普段は表には出てこない、裏方の鉄道マンが主役。機会があればご覧いただきたい。

今日は12月の寒さを思わせる冷たい雨の一日となった。22日には台風が接近する予報なので、夫婦で期日前投票を済ませてきた。誓約書を書かされるが、それを除けば当日の投票と特に変わりはない。

自公支持者でも今の首相にノーならば、それを実現できる方策を投票行動で示すべきだろう。内閣不信任案に与党議員が賛成するように・・・。

2016年12月22日 (木)

あさ鉄の車窓日記(44-993) 12月11日(日) 鉄道雑感

北陸新幹線の京都までの延伸ルートがほぼ決まった。報道によると小浜ルートのようで、琵琶湖の西岸つまり現在の湖西線に沿ったコースとなる。米原や舞鶴を経由するルートと比較してのことだが、初めから小浜ありきで進んだのではないか?常識的に考えても他の2ルートは無理があった。当て馬だったのだろう。京都から大阪までは未定だと云う。東海道新幹線に合流すると決めてはないようだ。過密ダイヤからなのか、理由は定かでない。

昭和39年の東海道新幹線開業に先立っても、国民世論は大きく分かれた。20世紀の万里の長城、つまり無用の長物だとする評論家も多かったが、今や新幹線は国民生活に欠かせないばかりか、世界の趨勢にまでなっている。将来の読みはまことに難しい。

路面電車もしかり。当時の世論は圧倒的に、廃止支持だった。中には自動車の交通障害になるとか、道路を電車が走ること自体がナンセンスだと。学生運動華やかなりしころで、なんでも「ナンセンス!」と叫べば通じる時代だった。しかし、今や路面電車は復活の兆しが見えている。車の公害にようやく世論が気付き始めた。

あさ鉄の学生時代、東京も京都も大阪も都電や市電が全盛だった。戦後復興の足となってきた。昭和30年代の後半から、一斉に姿を消し始めた。誰もその流れを食い止めようとはしなかった。今となっては後悔しきりである。しかしながら広島・長崎の両平和都市をはじめとしていくつかの地方都市で、辛くも生き残ってくれた街もある。

あさ鉄の暮らす町には「江ノ電」が走っている。路面走行は一部区間だけだが、この電車も廃止の瀬戸際に立っていたこともある。今や、観光のシンボルにもなっている愛すべき電車である。スピードを競う鉄道と、チンチン鳴らしながら走る電車、共に日本の風土には欠かせない存在と云える。

尤も路面電車は日本の専売特許でないことは申すまでもない。ヨーロッパでは今も街の景色に溶け込んでいる。サンフランシスコのケーブルカーも楽しい思い出だし、メルボルンの路面電車もノスタルジア溢れる乗り物だった。

室蘭にいた時は近くに機関区があって、蒸気機関車が昼夜を問わず出入りしていた。おかげで当時1歳児の長男はばい煙に苦しめられ、今もその後遺症?に苦しんでいる。高度成長期だったが、最後まで残っていた北海道のSLもやがて姿を消した。

因みにあさ鉄の好きな歌には鉄道ものが多い。中でも「あ~上野駅」は、聴くだけで今でも涙がにじんでくる。集団就職の経験はないが、貧窮のどん底でアルバイトと奨学金が命の綱だった貧乏学徒。下宿代が払えず、田町駅に近い格安の学生寮に4年間住み続けた。夜行急行の三等車で着いた品川駅が、今でも脳裏に浮かぶ。

2016年9月24日 (土)

あさ鉄の車窓日記(43) 7月24日(日) 新幹線「さくら」に乗る

西国巡礼の旅から戻っても、相変わらず疲れを知らないご婦人たちである。翌日こそ一日骨休みをして夕方に近くを散歩した。讃岐地方は至るところに溜池がある。その一つ船岡池の堤防を歩いた。息をのむような真っ赤な夕焼け空が水面に映えた。

幼い頃に見た夕焼けと同じであった。やはり、これはふるさとの風景だったのだ。子供の頃の心象風景かと思っていたが、実在する美しい光景だった。都会では見られないものだろう。

翌日には松山に墓参りをし、今治に美味しいお蕎麦屋さんがあると聞いて車を走らせた。観音寺でも墓参、すぐ近くの温泉施設に立ち寄り、瀬戸の夕陽を眺めながら湯に浸かる。

そしてこの旅の最終日である今日は、岡山から初めて新幹線「さくら」に乗った。九州新幹線の車輌で新大阪が終点なので、首都圏では見られない(と思う)車輌である。乗って驚いた。普通車なのにまるでグリーン車のようである。和風の内装も「さくら」の名に恥じない。最近は新幹線の車輌も豪華になってきた。新幹線もスピード主義から更にランクアップしたのかもしれないなと感心している内に、もう新大阪到着である。

この駅で乗り換えるとなると、つい「赤福」と目が合ってしまう。老夫婦の自分たちへのささやかな旅土産である。新大阪からは小田原に停まる「ひかり」で家路についた。8日間の夏の旅が終わった。

2016年3月14日 (月)

あさ鉄の車窓日記(41) 3月14日(月) ガンバレ! 北海道新幹線

道民待望の新幹線開業まで、いよいよ10日余りとなった。ただ、全国的なニュースバリューはイマイチの感が否めない。1年前の北陸新幹線開業が大いに賑わったのに比べると、よく云えば静かで落ち着いた雰囲気。

これは富山、金沢まで開通し、多くの温泉地をかかえる北陸に比べて、北海道新幹線の場合は函館までの開業。それも新函館北斗駅と云う知名度の低い新駅だからか?更に云えば観光地や温泉が乏しいのも一因?途中駅も2駅のみで、本州側が奥津軽いまべつ駅と云う舌を噛みそうな名前の駅と北海道側が木古内駅。木古内も小さな町だ。

大きな経済効果はあまり期待できないだろう。バブルはとっくの昔にはじけ飛び、今は不景気の真っただ中と云う不運も重なった。北海道と首都圏は空路の利用が昭和40年代から云わば常識となっており、もう半世紀近くの実績がある。

トワイライトエクスプレスや北斗星などの豪華列車で、むしろ観光路線化していた鉄路である。新幹線の得意とする大量輸送機関としての本領発揮ができるかどうか怪しいものだ。

加えて、JR北海道で相次いだ安全面の負のイメージもある。なにより新幹線では安全が絶対的な至上命題である。北海道のJRにそれだけの安全投資ができているのか?

将来は当然札幌への延伸となるが、小樽廻りと云うのも不安材料だ。札幌への最短ルートとなるとこうなるのだろうが、洞爺・登別や室蘭・苫小牧・千歳空港を通らない新幹線は、魅力半減に違いない。前途多難と云う気がする。その昔、国会で北海道の高速道路建設が野党から熊しか歩かないハイウエイを作ってどーする?と噛みつかれたことがあった。それに対して与党の道選出議員(とても有名なM・S氏)がむきになって反論したことを思い出す。

そんなことも危惧されるが、しかし、それでも北海道新幹線は北の大地にとって希望の星だ。東北新幹線のE5系(JR東日本)と新しくデビューする予定のH5系(JR北海道)のよく似た兄弟が青函トンネルを疾走する。室蘭と札幌で5年間暮らしたあさ鉄は青函トンネル未経験だが、いつの日にか津軽海峡を新幹線で通り抜けてみたいものと思っている(影の声:残り少ない余生で間に合うのか?)。

2015年10月15日 (木)

あさ鉄の車窓日記(40) 9月11日(金) 富士急に乗る

河口湖ステラシアターで行なわれた「フジバレエ2015」で、メルビッシュ湖上音楽祭「こうもり」を3時間近く鑑賞しました。本格的なオペラ鑑賞はこの歳になって初めてです。ここの劇場は古代ローマの円形劇場のような造りになっています。屋根は開閉式ですが、夜の公演で冷え込んでもいますので閉じられていました。昼間は姿を見せなかった富士山が舞台背後に見ることができました。

門外不出、世界最高峰のオペレッタの祭典と謳っています。このような都心を離れた場所で、しかもかなり高額なチケット料金で果たして大きな劇場が埋まるのだろうかと、猿回しの時と同じように心配しました。熱心なオペラフアンも多いと見えて客席は7割ほど埋まっていますし、バレエ教室の生徒さん達やその親たちも詰めかけてなかなか華やかです。

今夜の公演では日本のバレエ少女達も特別出演していますので、その親たちも詰めかけるわけです。あさ鉄たちは日本語の字幕と舞台の双方を見つめますので、それなりに忙しい。舞台のあらすじを披露していたら夜が明けてしまいますので、省略しまして終演と同時にシャトルバスへ急ぎました。

でも終わらぬ内に乗り込んだお客さんも多いようで、既にバスは満席でした。9時近い富士急の電車で大月に向かいます。陽はとっぷりと暮れて闇の中を登山電車は下って行きます。学生時代に乗った気がする程度ではっきりとは覚えていません。でも一度は乗ってみたい電車でした。車窓を楽しむことはかないませんでしたが、約50分で大月に到着。

ここからはあさ鉄が本領発揮と云いたいところでしたが、昔のように時刻表と首っ引きとはなりません。もう近視に老眼が重なって、時刻表の小さな数字は読み取れません。今の時代に合わせて、ネット検索に頼ります。

まず、中央本線を走って高尾で乗り換え、続いて八王子で横浜線に乗り換えます。ここから町田へ向かいました。河口湖駅で切符を八王子まで購入、町田駅でJRの改札を出ますのでここで精算しました。

町田駅で小田急に乗り換えるにはいったん建物の外へ出ますが、今では街の中を歩くことなくビルとビルがデッキで繋がっています。時間は夜の11時を過ぎていますが、大勢の通行人で賑わっています。今日は「花金」と云うわけでサラリーマンやOLたちがほろ酔い加減で家路を急いでいます。

町田からは小田急の快速急行で藤沢へ。普段なら途中の湘南台が最寄駅ですが、駅からのバスがもうありません。タクシー代を節約して藤沢駅で再びJRに乗って一駅の辻堂で下車。ここから深夜バスを利用して午前0時25分に帰宅しました。

河口湖からの直通バスは終わった後ですが、レールがつながっている有難さで乗り換えを繰り返して約3時間半の鉄路の旅でした。直通バスに比べかなりの割高ではありますが、今日一日は楽しい小さな旅となりました。

2015年9月 7日 (月)

あさ鉄の車窓日記(39) 8月27日(木) 首都圏のローカル線

本来はガイドをしているあさ爺が報告すべき内容ですが、鉄道の小さな旅ということであさ鉄にオハチが廻ってきました。ガイド研修で県内の各クラブから、約80余名が鶴見駅に集まりました。地元のクラブである「鶴見みどころガイドの会」の皆さんが案内やお世話をしてくれます。

「都会のローカル線鶴見の探検」と銘打って、あさ鉄もいまだ足を踏み入れたことのないJR鶴見線を探検します。総延長はわずかに9.7km。駅間距離は約1km。昭和46年(1971)に始発駅の鶴見以外はすべて無人化されてしまいました。

平成8年(1996)までは鉄道マニアに人気があったチョコレート色の電車(クモハ12)も走っていました。あさ鉄は今頃ノコノコお邪魔していますので、当然この鉄道フアン推奨のこの電車の乗客となることはできませんでした。しかし、通勤の電車内から鶴見駅通過の際に高架上でホームに入るべく徐行しているクモハを何度か目撃しています。そう言えば、いつのまにか姿を消していたわけです。

まず4番線ホームで説明があり、過去の歴史を学びます。ホームの壁に年表が掲示されていました。何度か途中下車するために、スイカの利用を勧められます。各駅前での見学時間がとても短いので、切符を買ってると乗り遅れの恐れがあるとか・・・。

京浜工業地帯の中を走ってることは、JRの車内路線図にも出ていますので承知はしていました。しかし、どのような走り方をするのかはわからず興味がありました。時刻表で調べればわかることではありますが、あさ鉄はそこまで勉強家ではないのです。

幾つかのグループに分けられて出発。あさ鉄は第1班。最初に向かったのは「海芝浦」駅。東芝の工場内に駅があります。今や、不正会計で超有名になりましたが、元の社名芝浦製作所が海に面していて名づけられたそうです。出口は工場へ向かう社員専用と東芝が設けた海芝公園入口の出口???の2ヶ所のみ。でも、ここからはベイブリッジや鶴見つばさ橋がよく見えますし、日本一海に近い駅だそうです。

次は「弁天橋」駅で下車。ここは駅前が多少街らしい雰囲気がありました。駅名の由来は漁師の守護神「弁天神」から。ホッとする名前ですが、なんだか大阪に似たような名前の駅があったなあと。

次は「扇町」駅。ナントここでは終点で折り返し、降りた電車に再び乗ります。それもわずか3分。それでも不正乗車になってはいけないので、全員無人の自動改札機にスイカをタッチさせます。研修ですからマジメなもんです。駅名の由来は浅野家の家紋の扇から。ここは浅野財閥により埋め立てられた場所なんだそうです。

最後は「国道」駅。昔の国道1号線(現在の15号線)と交わる場所だから名づけられた由。鶴見線の駅名の多くは功労者の名前だったり会社の名前からつけられたりと、ユニークな歴史を持っています。鉄道好きで1人旅なら、各駅停車を楽しみたいところではありますが、朝夕以外は1~2時間に1本程度。しかも工場以外はほとんど何もない所なのです。どうやら今日のように駆け足見物しかダメのようです。

以前から興味のあった路線でしたので、今回の研修は得難い経験になりました。お昼前に鶴見駅にほど近い本山前桜公園で解散となりました。ここから先は、我々EFGのメンバーによるオプショナルツアー。線路を隔てた鶴見の総持寺と生麦のキリン麦酒工場見学が組まれています。ここから先は、あさ爺にバトンタッチと云うか、バトンをお返しします。

2014年9月27日 (土)

あさ鉄の車窓日記(33) 8月22日(金) 瀬戸の夕陽

午後から高松に出かけます。もう両親共他界していますし実家もありませんから、故郷であっても帰省するとは言えません。今回は義母の七回忌法要のためのお出かけです。

JR東日本の辻堂駅から小田原駅までは、真夏の相模湾を眺めながら湘南を走り抜けます。ここで在来線からJR東海の東海道新幹線に乗り換えます。いつものように小田原停車の「ひかり」に乗り込みました。終点の新大阪駅で「こだま」に乗り換えます。ここから先はJR西日本の山陽新幹線ですが、今日のこだまの車両は初めてです。何系か確認していませんが、新型車両のようです。ただ、あさ鉄が初めてだけなのかもしれませんが。

姫路では平成の大修理をほぼ終えた姫路城の天守群が見えました。昔は山陽本線の車窓からも眺められましたが、今は高層のビルやマンションに遮られて、高架の新幹線から漸くかろうじて眺めることができる状況です。せっかくの世界遺産が車窓からは見えにくくなっているのは惜しいことです。因みに天守閣の一般公開はまだ先のようですが、俗に白鷺(しらさぎ)城と呼ばれているのは厳密に云えば間違いで、白鷺(はくろ)城が正しい言い方だそうです。

岡山駅で新幹線を降りて瀬戸大橋線に乗り換えます。快速マリンライナーに乗り込むと、岡山弁や讃岐弁が聞こえてきて懐かしさがこみ上げてきます。児島駅から車内アナウンスはJR四国に変わりました。「運転士は何野誰夫、客室乗務員は何山誰子・・・」と「車掌」ではなく「客室乗務員」と誇らしくアナウンスしていました。その内、運転士から機長か操縦士に変わるかも・・・。

トンネルを抜けると、瀬戸大橋の長い長い鉄橋を渡ります。18時50分近く、ちょうど日没の時間です。瀬戸内海に夕陽が落ちています。こんなに見事な夕陽はあまり記憶にありません。真っ赤な太陽が西の海の彼方へ沈もうとしています。線香花火が消える寸前に、先っちょが小さな赤い火の玉になっている、そんな形容がぴったりの瀬戸の夕陽でした。

♪瀬戸は日暮れて 夕波小波♪ 太陽が見えなくなった頃に、列車は瀬戸大橋を渡り終えて黄昏迫る四国の地に入りました。今日の午後からの半日で、4つのJR会社を渡り歩いた計算になりました。

19時6分、定刻に高松駅に到着。駅前広場で義妹が手を振っていました。

2014年9月19日 (金)

あさ鉄の車窓日記(32) 8月9日(土) 台風に追われて予定変更

2泊3日お世話になった「かんぽの宿 富田林」。今までの「かんぽ」に比べて、最寄駅から随分離れていました。それも山の上・・・、旅の楽しみにしている温泉街の散策やら街歩きは出来ませんでした。

予定では、最終日も鈍行列車ののんびり旅の筈でしたが、台風11号がいよいよ接近してきましたので、急遽、内容を変更することにしました。青春きっぷの使用は一旦中止します。新幹線に切り替えて、台風に巻き込まれない内に家まで辿り着く、これが至上命題となりました。堺に立ち寄る計画はオジャンになりましたが、止むを得ません。

荷物の大半は宅急便で宿から送って貰うことにして、身軽になりました。富田林から近鉄準急で阿部野橋へ出ます。この沿線は昨年の西国巡礼で通ったところです。終点で下車して地下街を通り抜け、JR天王寺駅へ。新幹線の切符は、新大阪駅での混雑を見越して、ここ天王寺駅のみどりの窓口で買い求めました。これは大正解でした。後で目撃したのは、新大阪駅での長蛇の行列・・・。

天王寺から新大阪までは環状線経由大阪駅乗り換えで向かいます。地下鉄御堂筋線なら1本で行けることはわかっていましたが、乗車券は大阪市内区間が使えますので、無駄にはしたくありません。大阪駅がガラっと変わっていたのにはビックリです。ホントは構内や高層の駅ビルも見学したいところでしたが、とにかく台風と競走しています。切符のみならず、時間もむだにはできません。

「ひかり520号」14号車に無事乗り込みました。外はもう嵐です。車窓を楽しむどころか大粒の雨が真横に窓ガラスを流れます。流れると云うよりかは吹き飛ばされている感じです。「ひかり」も台風に追われているように走り続けました。定刻に小田原駅に到着。

東海道線に乗り継いで、15時半辻堂着。朝9時半に宿を出て、6時間後に辻堂ですから、早いものです。現在の新幹線でこの早さ、しかも「のぞみ」に乗ったわけではありません。あさ鉄にはリニアの必要性は感じませんし、生きてる間に開通するわけでもありません。「神奈川駅」(仮称)は相模原に出来ますから、そこからの時間が相当かかりそうで、恩恵はあまりなさそうです。

リニアはともかく、台風には巻き込まれずにセーフでした。残った青春きっぷ2日分は後日使うことに決めました。鈍行だと23時過ぎに着く予定でしたから、マラソンで途中からバイクに乗せて貰って、ゴール手前で下ろした貰ったような気分の旅になりましたが、5泊6日の伊勢神宮と西国三十三ヶ所巡りの旅は、めでたく、とにかくゴールとなりました。

2014年8月28日 (木)

あさ鉄の車窓日記(22) 8月4日(月) 青春18で伊勢神宮参拝

生まれて初めて「青春18きっぷ」を手にしました。古稀前後の夫婦(めおと)がお伊勢さんにお参りし、更に西国三十三ヶ所の巡礼に旅立ちます。旅好きだけど、さほど信心深くは見えない老いた二人連れです。

早朝6時12分の電車で辻堂を発ちました。通勤ラッシュとは逆方向の下り電車で、一気に沼津へ向かいます。南方海上で発生した熱帯低気圧が台風11号、12号に発達したとの嬉しくも有難くもないニュースに送られての旅立ちです。

7時31分沼津発の電車に乗り換えます。ここで通勤通学の混雑に遭遇。最後まで立ちどおしです。終点の静岡で8時30分発の浜松行きに乗り換え。青春18を利用するにあたり、ネットで勉強してみました。上手な使い方や感想などを参考にしましたが、その中に静岡県は「魔の区間」と云うのがありました。ボックスシートがないのが不評の最たるもので、ロングシートでは長い区間は疲れますし、お弁当も食べられません。ナルホドです。

JR東海は新幹線とこれからのリニア建設に重点を置いていますから、「東海道線」と云ったローカル線にまで手が回らないようです。通勤客の為の快速電車もほとんどありません。その代わり、静岡県内には実に6ヶ所も新幹線の駅があります。青春18は在来線の普通電車か快速電車に限られます。新幹線はモチロン、特急や急行もダメです。各駅停車でもグリーン車があれば乗りたいところですが、ホトンドありません。最初の沼津まではちょっぴり贅沢にグリーン車に乗りましたが・・・。

8時44分浜松発の新快速で名古屋に着きました。東海道線とはお別れして、11時37分発の「快速みえ7号」に乗り込み、伊勢路に入りました。松阪で下車、駅前の「ホテル東横イン」に入り荷物を預けて身軽になります。松阪で降りたのは初めてです。エキナカのカフェレストランでお昼にします。駅前のビルに「祝・甲子園出場 三重高等学校」の垂れ幕が下がっています。三重高が松坂にあることをこの垂れ幕で初めて知りました。

朝早く出たこともあり、鈍行の旅(快速も利用しましたが・・・)にもかかわらず、まだお昼過ぎです。午後は伊勢神宮に向かいます。

2014年6月28日 (土)

あさ鉄の車窓日記(21)  6月9日(月) 孫の小さな旅

娘の里帰り出産に伴って、2歳半になる孫が我が家にやってきて45日が経ちました。可愛い盛りですが、これまで十分に意思の疎通ができずにお互いに困惑していました。しかし、アッと云う間に言葉を覚え始め、もう今では「日本語」で会話が成り立っています。

今度はお互いの言いたいことが理解出来る為に生じた葛藤や苛立ちに、それぞれが困惑するようになりました。生まれたばかりの赤子に母親の愛情を取られたと思い、赤ちゃん返りをして甘えてみたり、母親恋しと泣き叫んだりの日々が続きます。そんな時はジジババも手を焼く以外に他に手だてがありません。しかし、時間と共に自分の置かれた状況も見えて来るようです。

さて、今日はその孫Hくんを鉄道の旅に誘い出しました。男の子であれば、鉄道は好きな筈との勝手なじいじの解釈によるものです。東海道線の辻堂駅からJRで一駅の藤沢駅へ。そこで小田急江ノ島線に乗せます。小田急は生まれて初めての筈。終点の片瀬江ノ島駅に降り立ち、弁天橋から江の島を見せます。海は初めてではないけれど珍しいに違いなく、とりわけ橋の下に係留されているヨットに興味津々です。江の島にはあまり目をやっていません。

商店街のベンチで一休みしてアンパンマンジュースを飲ませます。今度は江ノ電です。Hくんの住んでる街には都営荒川線と言う人気の路面電車が走っています。その江ノ電で再び藤沢駅に降り立ち、JRで辻堂へ。一駅だけですが、空いていましたので、ボックス席に座らせ、お靴を脱いで外の景色に見入ります。向かい側に座っていた初老のご婦人が「いいわねえ、おじいちゃんと二人で」とニコニコ顔で話しかけてくれます。ところがもう降りるとなって目を丸くしていました。Hくんは元気よくバイバイとご挨拶。

こうしてHくんの小さな旅は終わりました。大人がマネしても楽しいこの環状ルート。小さな子どもには結構大きな旅だったかもしれません。でも大きくなってから、じいちゃんに電車に乗せて貰ったなんて思い出はまだ本人の記憶装置にはインプットされるまでにはなってないでしょうなあ。

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