京都・奈良

2017年8月16日 (水)

あさ爺の徒然日記(630) 8月16日(水) 五山の送り火

テレビの中継映像ではあるが、京都五山の送り火を見る。昨年は大雨にたたられてご先祖様も極楽浄土へ戻るのに苦労されたらしいが、今宵は好天に恵まれて美しい送り火が見られた。

古い話で恐縮だが、あさ爺20代最後の年の今夜、京都鴨川の川床で東山如意が岳の大文字送り火を見物した。鴨川べりの老舗旅館のご主人や女将さんたちも交えての、記憶に残る一夜だった。45年前の話だ。

この年は戦後の日本にとって大きな政治的出来事が相次いだ節目の年でもあった。沖縄返還が実現し、中国との国交正常化も実現した。前者は佐藤栄作、後者は田中角栄と云う傑出した首相が主導したものだった。世は空前の列島改造ブームに沸いた年であり、上野公園に到着したパンダ見たさの大行列も記憶に残る出来事。

とりわけ沖縄戦で多大の犠牲を強いられた島民やひめゆり学徒隊らの悲劇、日米双方の夥しい戦死者の魂を鎮魂する五山の炎でもあった。沖縄が戻らない内は、まだ日本の戦後は終わらないと云われていた。この年にグアムから元日本兵の横井庄一さんが生還したが、小野田少尉が帰還したのはその2年後。中韓やロシアとの戦後処理は、いまだに揉めている。

まだまだ戦後は終わっていないのだ。

2016年6月17日 (金)

asataroおでかけ日記(153) 6月9日(木) 京都下鴨神社

西国巡礼の旅の最終章です。

5月24日、出発前の計画では今日に清水寺を予定していましたが、順調に日程を消化し過ぎてポッカリ空白が生まれました。京都駅で荷物をロッカーに預ける予定が、サミット警備のためすべて閉鎖。これは想定外。長蛇の行列で、地下の一時預かりに並びました。

地下鉄で松ヶ崎に向かい、なんの変哲もない住宅街を歩きます。カミさんがその昔に下宿していたと云う界隈の、ノスタルジアウオークです。半世紀も経つと、さすがに街の様子が変わってしまったようです。

下鴨神社に参拝。この有名な神社をasataroは一度も訪れていなかった筈で、前から気になっていました。京都には数多の神社仏閣があります。当然のことながら、あまり廻ってはいません。

こんな機会に、少しでもお参りできればと、相国寺にも入ります。同志社の裏手にある大きなお寺さんですが、境内の記憶もありませんから、多分今回が初めてなのでしょう。記憶が薄れてきている年寄りの哀れな京見物です。その後、堀川下立売にある街中の小さな美術館で書の展示を鑑賞。

3日連続の真夏日でいささかグロッキー気味に。新幹線を早めて帰宅することになりました。今も昔も京都は、夏はより暑く冬はより寒いタイヘンな場所なのです。一昨日の山登りもこたえました。しかし、これで西国巡礼の旅も、まだ先は長いもののナントか生存中に結願したいものと、次の計画に入ろうとしているasataroです。

2013年8月 6日 (火)

あさ彦の爺(じじ)放談(41) 7月29日(月) シンク ローカル

暑さに加えて大気の不安定な状態が続いています。今日も、雨が降り始めるとざあざあと本格的ですが、やむとたちまちカンカン照りです。夕立タイプの雨ですが、濡れても風邪をひくまでの冷たさがないのが救いです。

評論家で同志社大学院教授の浜矩子(のりこ)さんが「アイデンティティー危機 苦悶する魂」と言う難しいタイトルで京都の街について書いています。京都のあり方は、このグローバル時代を生きる心意気「シンク ローカル」と限りなく一致しているのだそうです。

前文を省略しましたから、なんのことやらとわかりにくい話ですが、要するに普段我々京都以外の人間が京都を見る目、京都に対する一種のひるみと現在の京都の街のあり方にギャップが生じていると・・・。

京都は東京のように世界の都市と肩を並べたいわけでもなく、京都はあくまで京都として誇り高く今も生きている。物事は千年単位で考え、ヨソモノは受け入れない、お世辞を信じてはいけない・・・等の神話に翻弄されているが、しかし、今の京都の街のあり方はオカシイと感じられると。

あさ彦も以前から、烏丸通りの両側に8階建ての高層マンションが建ち並ぶのをよく市は認可しているなあと苦々しく思っているが、そのような事例が溢れているらしい。あのドデカイ京都駅しかり、大型の電器量販店が町中にあったりすると外国人はショックと幻滅を覚えるのだそうです。

東京生まれの筆者はそれを京都が苦悶している姿としてとらえている。ヨーロッパの都市に見られるニュータウンとオールドタウンが京都に存在していないことを、京都はアイデンティティーの危機に陥ってると・・・。

そう言えば鎌倉が世界遺産候補から外された大きな理由に、武家の古都の都市化現象であると、指摘されていました。旧鎌倉地区が美しいオールドタウンであったなら、文句なしに選ばれたに違いありません。

2013年6月19日 (水)

asataroおでかけ日記(102) 6月15日(土) 宇治平等院

三室戸寺から宇治平等院まで約30分。緑陰の散策ルートを歩きます。途中の宇治上神社(世界遺産・拝殿と本殿は国宝)、宇治神社(本殿は重文)にも立ち寄ります。

宇治川の中州にかかる2つの橋を渡ると、平等院に到着です。門前のおそば屋さんでお昼にします。現在、平等院の鳳凰堂は平成の大修理中です。まだ訪れた経験のない寺院ですので、承知の上で参拝に来ました。近くまで来たので、せっかくだから寄り道(頼道)しょうと・・・。

そう、ここは関白藤原頼道の邸宅でした。鳳凰堂(阿弥陀堂)・本尊阿弥陀如来像・鳳凰1対・梵鐘・雲中供養菩薩像等々、国宝がめじろ押しです。鳳凰堂と大き過ぎて移せない阿弥陀さまを除いて、他は隣接のミュージアム(鳳翔館)で展示されています。

特に鳳凰などは屋根の上におられたわけですが、ガラス越しとは言え、目の前で拝見できたことは、得難い経験になりました。今回の旅で、予定していた寺社はすべて廻り終えることができました。暑さを除けば、天気に恵まれた神戸・大阪・奈良・京都の言わば大人の修学旅行。定番のコースではない魅力がありました。

京阪宇治から中書島で特急に乗り換えて祇園四条で下車。その頃から雨が降り始めました。予報通りでした。用意した傘が役に立ちました。最後は、錦市場でショッピングです。

雨になったことで、ホテルのクロークで荷物を引き取り、予定の新幹線を早めて京都を後にしました。西国巡礼は現在13ヶ所、まだまだ先の長い旅が続きそうです。

asataroおでかけ日記(101) 6月15日(土) アジサイの三室戸寺

昨日、チェックインした時は西日がまぶしい部屋だなと思いましたが、今朝になって窓のカーテンを開けると、広大な二条城の緑が眼下に広がり、左大文字がくっきりと山肌に見えます。二条城前がこのホテルの売りですから、一番眺めのいい部屋だったのかもしれません。

あの「大の字」の山の北側が鷹峯、南側が衣笠で金閣寺があります。asataroが独身時代にデートを重ねたのが、あの金閣寺周辺でした。当時、彼女は衣笠に住んでいました。モチロン、今、一緒に外の景色を見ている女(ひと)です。あれから、40年以上の歳月が経ちました。

荷物をクロークに預けて身軽になり、地下鉄東西線の終点六地蔵に向かいます。昔は京都に市営の地下鉄はなく、阪急京都線が四条通りの地下を走っていただけでした。現在は、烏丸線に続いて東西線が走り、宇治の近くの六地蔵まで開通しています。ここで京阪宇治線に乗り換え、三室戸に着きました。

今回の旅の京都での目的地は、三室戸寺(みむろとじ)と決めていました。今まで、何度か予定しながら実現できずに気になっていたお寺さんです。決して観光寺院ではありませんが、今では花の寺としても人気があるそうです。asataroにとっては、西国三十三ヵ所第十番札所・・・。

今はアジサイの名所としても知られ、駅から徒歩15分の道にはアジサイ観光の人々が続きます。境内は広く、見頃の紫陽花が緩やかな斜面全体に広がっています。鎌倉の明月院や長谷寺・成就院と比較しても甲乙つけ難く、全体を見渡せるロケーションの良さでは、三室戸寺に分がありそうです。

山門を入ったところで、asataroは西国巡礼の白衣に着替えます。60段の石段をあがり、本堂の中でご朱印をいただきました。他にも白衣の巡礼さんはおられますが、今は紫陽花目当ての観光客が詰めかけています。

創建は770年、本堂は重層入母屋造り。三重塔は江戸時代中期のものですが、明治時代末期に兵庫県から移築されたものです。宝物館には重文の仏像5体が安置されているそうですが、毎月17日だけ一般公開されます。

境内には「浮舟之古蹟」と刻まれた石碑が・・・。源氏物語宇治十帖に登場するヒロインです。理性的な薫大将とプレイボーイ?の匂宮に愛され、三角関係に悩むことになります。石碑はひっそりと建っていました。

5,000坪の大庭園に一万株のあじさい。ツツジ・シャクナゲ・ハス・萩・紅葉と四季折々に花が楽しめるようですが、中でもアジサイが有名とのこと。夜はライトアップもされ、あじさい園が夜間特別公開されるそうで、参道には竹筒に似た行燈が並んでいました。

出口付近の広場では、地元の団体などが出店したフリーマーケットが賑わっていました。冷やかしのつもりがついつい手を出して、いくつかのお土産を買い求めることとなりました。これも、旅先での楽しみの一つでしょう。

asataroおでかけ日記(100) 6月14日(金) 舞妓の舞と古都浪漫

室生口大野から近鉄急行で大和八木まで戻ります。ここで京都までは特急を利用しました。東寺の五重塔が右手に見えてくるとまもなく終点です。すぐに地下鉄で烏丸御池へ。東西線に乗り換えて二条城前で下車しました。今夜のお宿は二条城の前にあります。

asataroが京都に勤務していたのは、昭和40~43年。新入社員の頃です。京都国際ホテルはその頃にオープンしたような記憶があります。よく言えば老舗ですが、斬新な最新設備のホテルが次々と完成していますから、昔のような高級ホテルとはもう言えない感じです。外国人が多いのは昔と同じですが、台湾・ベトナム・タイ・インドネシア等のお客さんが目立ちます。

今夜の宿を決めた理由は、このホテルのレストランイベント「舞妓の舞と古都浪漫」に申し込んだからです。舞妓おどり鑑賞・お茶屋遊び体験・記念撮影・フランス料理のフルコースがセットになっています。ナント言ってもasataroには、舞妓さんとのふれあいは大いなる魅力ですヽ(´▽`)/。

祇園小唄などの舞妓おどりで古都の宵を堪能します。お茶屋遊び(芸者遊びとは違います)では、各テーブルから奥さん方が手を上げます。asataroも含めて、ほとんどのダンナさんはしり込みしています。決して、過去に十分体験しているから、奥さんに譲ったと言うわけではありません。どこも勇ましいのは女性です。「金毘羅船々」の伴奏で、ゲームが進行します。そしてナント!ナント!、asataro夫人が唯一舞妓さんを破り、優勝しました。運動神経と言うよりも音楽のリズム感と反射神経が求められるお遊びでした。

舞妓さんとのふれあいを楽しんだ後は、やはり足は祇園に向かいます。八坂神社で御神楽奉納奉告祭を見物します。赤々と提灯が灯された神楽殿で、神職による御神楽が舞われます。幽玄の世界ですが、夜の行事のせいか見物席には空席が目立ちます。外国人は熱心にカメラを覗いています。鎌倉の八幡宮でも夜の行事は人出が少ない気がしますので、モッタイナイ感じです。

祇園の裏通りを探索します。黒のスーツを着たお兄さん達が各お店の前に立っています。見慣れない目には異様な光景ですが、東京の吉原の夜も同じ雰囲気でした。客引きをしているわけではありませんから、危険なことはなく、ここでも何人かの舞妓さんたちと出会いました。

鴨川には川床が建ち並び、賑やかな嬌声が川面を渡って聞こえてきます。昔は京阪電車が走っていましたが、今は地下化されて跡地は川沿いの遊歩道になっています。元の勤務場所に近い河原町三条界隈もすっかり様変わりしました。以前から賑やかでしたが、今や歓楽街になっています。昔はなかったコンビニが至る所にありますから、街全体が遅くまで営業していると言った感じでしょうか?

今朝は大阪の街を歩きましたが、今は京都の夜を楽しんでいます。8階の客室からの夜景は、眼下に黒々とした森が広がっています。二条城です。

2013年6月18日 (火)

asataroおでかけ日記(99) 6月14日(金) 女人高野・室生寺

近鉄電車で藤井寺から古市へ、急行に乗り換えます。橿原神宮前で更に乗り換えて大和八木へ。ここから宇治山田方面の急行に乗って室生口大野に着きました。何度も乗り換えますが、すべて近鉄電車です。考えようによっては、乗り換えさえ厭わなければ、目的地の近くまで電車で行けるわけですから、とても便利です。

今回の奈良への旅では、始めから迷わず室生寺と決めていました。実はasataro、今まで室生寺へは出かける機会がありませんでした。まだまだ奈良で行ってない寺社は数えきれないくらいありますが、その中でも特に気になっていたお寺です。台風で被害を受けた五重塔も復旧し、早くお参りしたいと思っていました。

1時間に1本のバスにはまだまだ時間の余裕があります。室生寺の「西の大門」と呼ばれる大野寺へは駅から徒歩5分。早速、目指します。ここでは、宇陀川を挟んだ対岸の断崖に、巨大な磨崖仏が線刻で彫られています。高さ13.8mの弥勒磨崖仏で鎌倉時代に造立されたとか。

大野寺から室生川の渓流に沿って、山あいの道をバスで進みます。シャクナゲの季節が終わったせいか、満員かと想像していたバスはガラガラで拍子抜けしました。帰りのバスダイヤを確認してから、境内に入ります。お昼前なので食事をしてからと心づもりしていましたが、ほとんどのお店が休業です(´・ω・`)ショボーン。

しかもガイドブックにお薦めと出ていたお店は廃業していました。何年も前から愛用しているガイド本(2005年・昭文社・「にっぽんの旅・奈良大和路」)では、最新情報は間に合わないようです。寺社の情報は拝観料に変化がある程度なので、お店については現地で確認!これしかないようです。結局、名物「よもぎ餅」を買い求め、境内でお昼代わりにいただきます。

室生寺では金堂・本堂・五重塔、いずれも国宝です。鎌倉では円覚寺舎利殿が神奈川県下唯一の国宝ですが、さすがは奈良です。これだけ見ても、世界遺産はやはり無理だったかな?と考えてしまいました。釈迦如来立像や十一面観音菩薩像などの国宝級の仏像もお傍で拝観できました。

念願の五重塔は、こぶりだとは聞いていましたが、予想以上に小さく感じました。写真だけ見ていると、その大きさが実感できていませんでした。しかし、ようやく拝観できたと感慨無量な思いです。もう二度と訪れることはないだろうからと、450段の石段を登り奥の院に向かいました。asataroは息が切れましたが、カミさんは元気です。ここで、室生寺3ヶ所目のご朱印をいただきます。

深山幽谷の趣で、ウグイスが鳴き山肌には天然記念物のシダが生い茂っています。花はすっかり終わりましたが、シャクナゲが多くの檀信徒の手で植栽されていました。平成10年の台風被害でしょうか?杉の大木が何本も倒れたままになっています。

女人高野らしく、お寺の中では女性の方々が多く働いていて、それぞれのお堂を守っておられます。どこまでも優しい室生寺でした。

2011年12月15日 (木)

asataroおでかけ日記(41) 12月13日(火)ー(4) 平安神宮・神苑

平安神宮は明治時代に京都で開かれた、勧業博覧会のメインパビリオンとして建てられたものです。平安京遷都1100年を機に、この建物は平安神宮として平安遷都を行なった桓武天皇をおまつりします。更に、京都で最後の天皇となられた孝明天皇を祭神にお迎えして、今日に至っています。

一連の建物は、平安京大内裏の建物を復元したものであることは、よく知られています。明治に建てられたものですが、多くの建物が重要文化財に指定されているようです。

応天門や大極殿など、平安のいにしえを伝える建物なので、観光の一大スポットとして人気があります。今日も、観光バスが並び、中国人観光団がひしめいていました。

asataroは、神苑にまだ入ったことがありません。京都には多くの名園があります。修学院離宮、桂離宮、仙洞御所と言った宮内庁の京都事務所に予約を申し込まなければ入園できない所にも、京都に住んでいた折に入らせていただきましたが、ここの神苑は未経験です。

枝垂れ桜が美しいことでも知られています。季節は初冬ですが、満開の景色を思い浮かべてみます。池の中にかかる泰平閣は、この名園のシンボルでもあり、よく写真で見たことがありました。一組の新郎新婦が、撮影に応じています。花嫁さんは白無垢姿で、まるで一輪の美しい花が咲いているようです。

拝殿は大極殿を八分の五の大きさで復元したそうです。朱塗りの柱が、平安の昔に想いを馳せます。雅楽の調べが聞こえてきました。楽隊を先頭に、先程の新郎新婦の皆さんが、回廊をしずしずと歩いてきます。中国人観光団の一行が我先にと駆け寄ります。日本の結婚式を見ることが出来て、いい思い出になることでしょう。

青空ですが、京都の冬の寒さは格別です。午後も、3時を廻ると底冷えがしてきました。asataroの京都散策は、これにて終了・・・、駅へ向かいます。ライトアップされた京都タワーが目印です。奇抜な風景に思えたタワーも、今やすっかり京都の街並みに溶け込んでいました。

asataroおでかけ日記(40) 12月13日(火)ー(3) 紅葉の永観堂

名残のモミジと「みかえり阿弥陀」を拝みに、永観堂を訪ねます。京都で3年半勤務していても、永観堂は初めてです。紅葉で有名な「お堂」なので、そんなに大きなお寺ではないだろうと、予習もせずに出かけましたが、トンデモナイ、大きなお寺でした。

浄土宗西山禅林寺派総本山 永観堂 禅林寺が正式なお名前。こんな浅い知識では京都検定なんてお呼びじゃないです。モチロン受ける気も受かる気もありませんが・・・。鎌倉へ来られる観光客の方に、予備知識ほとんどゼロの方が結構多いのですが、とても笑ってはおれません。同じです(;ω;)。

境内も広いのですが、堂内の拝観に時間がかかりました。それも、階段を上がったり下がったり・・・。足の不自由な方向けに、エレベーターも設置されていますから驚きです。12月の平日ですが、大勢の拝観者で賑わっています。

方丈でもある釈迦堂は室町時代の建立。本格的な書院造りで、華やかな襖絵が圧巻です。みかえり阿弥陀はご本尊で阿弥陀堂(慶長年間に大阪から移築)に安置されています。NHKの特集番組で、この阿弥陀さまについて採りあげられていました。以来、一度お目にかかりたいもの・・・と。

「現代の私たちが、みかえり阿弥陀のお姿に教えられるもの、それは、遅れる者を待つ姿勢、思いやり深くまわりをみつめる姿勢、そして自分自身をかえりみ、人々とともに正しく前へ進む姿勢、それはまた、阿弥陀さまの私たちへの想いなのです。」(永観堂のパンフレットより引用)

本来の言い伝えによる由来はあるのですが、現代に生きる私たちには、このお寺さんの解説が、すーっと心の中に入り込んできます。

境内を散策します。名残のモミジがまだまだ十分に目を楽しませてくれます。全山真っ赤と言っても、決して言いすぎではありません。鎌倉では、消化不良気味だったモミジ狩り、これでasataro、京都まで来た甲斐がありました。

山の中腹に建つ多宝塔が、もみじの間から見え隠れして、見事な借景になっています。阿弥陀さまが振り返って、見送って下さったような気がしました。

2011年12月14日 (水)

asataroおでかけ日記(39) 12月13日(火)-(2) 瑞龍山南禅寺

晩秋(もう初冬ですね)の京都に行きたくて、やってきました。もう何十年振りかで、南禅寺を訪ねます。お寺さんよりも湯豆腐への関心が強かったのか、並んだお店の印象は記憶にあっても、境内の風景はほとんど忘れていました。

今回、南禅寺が気になったのは京都五山のさらに上位に位置づけされている、別格の禅寺だからです。鎌倉で臨済宗寺院や鎌倉五山の話が出る時に、決まって京都五山の話も出ます。南禅寺はやはり気になる存在です。

まず山門の巨大さに圧倒されます。五右衛門でも名高い山門の楼閣ですが、今日は時間が限られていますので、拝観はしません。上に登ってる人たちが、なるほど、絶景かな~と手をかざして周囲の景色を見渡しています。

境内のモミジは見頃は過ぎていますが、地面が降り積もった赤い落ち葉で敷き詰められていて、季節のうつろいを感じさせてくれます。しかし、そんな感傷をあざ笑うかのように、お寺さんではさっさと片っ端から掃き清めています。

創建は1291年(正応4)、開山は無関普門(大明国師)。本尊の釈迦如来を拝みます。広いのは円覚寺や建長寺の方かな?と思いますが、建物は見応えがあります。方丈には狩野探幽の虎の図がありますが、先を急ぎますので、パスします。

ただ、明治の文明開化の象徴とも言うべき水路閣には足を延ばします。ローマ時代の水道橋のような立派な赤レンガの水道橋です。アーチが続く、京都の名所でもあります。琵琶湖の水を引く為に、日本人の手により完成させました。

駆け足で回った南禅寺、モチロン湯豆腐はおあずけです。そうか、南禅寺はこんなお寺だったか・・・と、納得しながら次の目的地永観堂に向かいます。

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