湘南

2017年7月13日 (木)

あさ爺の徒然日記(596) 7月10日(月) 烏帽子岩遊覧

Y会の例会で、茅ヶ崎海岸の沖合にある烏帽子岩を周遊船に乗って見物した。自宅療養中の身なので最後まで参加に迷ったが、薬の効果もあって症状が安定してきているので思い切って出かける。

烏帽子岩は茅ヶ崎サザンビーチの沖合1.4kmに点在する大小30以上の岩礁群。形が昔の烏帽子に似ていることから、そのように呼ばれてきた。長い砂浜が特徴の湘南海岸にあって、江の島と共に目立つ存在でもある。

戦後は米軍の砲術訓練の標的にされて、形状が崩れる等の受難の歴史も刻んでいる。あさ爺も海岸から眺めて楽しむものと思っていたが、幹事の計らいで周遊船に乗って岩礁を一周する40分の遊覧が実現した。

普段は釣り客を運ぶ小型船なので、波をかぶったり上下に大きく揺れる中、島を廻る。なかなか得難い体験であった。正式名称は姥島(うばじま)。昔は神社の鳥居もあって、姥母神社と云う海の神様も祀られていたようだ。釣り客以外は原則として上陸はできないので、岩礁に生息する生き物などを観察することはできないが、資料によると様々な生物がいるらしい。

梅雨の合間の炎天下、楽しい体験であった。

2017年7月 7日 (金)

あさ爺の徒然日記(594) 7月7日(金) 平塚七夕祭り

今日は「小暑」。そろそろ暑さが厳しくなる頃とされているが、イヤハヤもう十分に暑い。九州北部の豪雨は、北九州市に移動して更なる被害が懸念されている。

鶴岡八幡宮では七夕祭が行われている筈だが、今年はしばらくご無沙汰していた平塚の七夕祭りを見物することに。暑さが厳しくなる前に、しかも一番空いている初日の午前中を狙って一人で出かけた。それでも駅の構内は臨戦態勢で、七夕飾りの商店街は多くの人で混雑していた。

中心部で約500本、市内全域では約2,000本と云われる七夕飾り。今年は稀勢の里に高安、藤井聡太四段も登場している。曇ってる方がいいとは思ったが、青空の炎天下。自称半病人のあさ爺は、倒れても織姫さんが助けに来てくれる保証はないので早々に引き揚げる。それでもアーケード街の中心部の飾りは堪能でき、雰囲気は十分に味わえた。

今まで、仕事が入ったりして出かける機会のなかった地元の行事やイベントに、無理のない程度に行ってみたいと・・・。生きている間に見られるものは見ておきたい。遠方であれば諦めるが、せめて近くなら・・・。

2016年9月24日 (土)

asajiroの湘南日記(137) 8月31日(水) 真夏の仕事

7月から8月にかけて今夏も猛暑が続いた。その暑さの中で連日のように仕事が入り、asajiroはいささかバテ気味である。この老いた身に暑い中での仕事はコタエルが、その年寄りを雇ってくれていることには大いに感謝しているのも確か。

ほぼ2日に1回の割で招集がかかり、いそいそと出かける。出かける先は様々だが、それが又楽しい。この夏は海に面した現場が多かったことも、真夏の輝きが感じられて満足している。横須賀、湘南台、逗子、藤沢、鵠沼海岸と云った風光明媚な場所が多い。

仕事の合間には自治会の仕事で、担当の防災訓練が繰り返し実施される。熊本地震が起こってからは、参加者にも緊張の色が現れている。asajiroは歳でもあり、若い人と同じようには動けない。それが防災の責任者なのである。高齢化社会のひずみでもある。そのうえ、これから先長い避難生活を続けてまで、長生きをしょうとも思わない。あのストレス100%の避難所生活に耐えられる自信はハナからない。

その前に建物の下敷きになるやも知れず、生きるも死ぬるも運次第。こんな無責任な考えの持ち主が、自治会の防災を担当している。そのasajiroも多くの子どもたちだけは絶対に助けたいと思っている。未来ある人生を災害ごときで落とさせてはならないと。

仕事現場の眼前に広がる海岸には、多くの海水浴客が見える。サーフィンを楽しむ若者の褐色に焼けた肌も見てとれる。湘南の夏だとつくづく思う。夏の暑さとヒマのなさで、特に8月はあっと云う間に終わろうとしている。リオでやっているオリンピックもほとんど見る機会がなかった。asajiroの今年の夏は終わった。

2016年7月16日 (土)

asajiroの湘南日記(136) 7月13日(水) 高齢者講習

この1ヶ月はお梅雨さんと過ごしている。前回のasajiroのリポート以後、世の中は激しく動いているが、まずは平穏且つ小市民的なわが生活を振り返ってみると・・・。

6月8日は歯科の6ケ月点検で、痛くも痒くもない歯のあちこちを削りまくられて気の弱いasajiroは、大口を開けたまま号泣した。お掃除しましょうねと、優しいお姉さんによだれかけをかけて貰って、ニヤニヤしながら目じりを下げて座った途端に、優しげだった姉さんは奪衣婆(だつえば:地獄の入り口で出迎えてくれる婆さん)に変身、もう恐ろしくて目の開けられない状況に陥ってしまったのです。考えてみれば6月8日は、「無茶な日」とも読める最悪デーだったのです。ハイ。

11日は地元にあるお寺さんを所用で訪ねました。寺庭(じてい:ご住職の奥様)さんにお目にかかっていろいろお願いをして参りました。この日は11日と云うことで、とても感じの「いい」ご婦人でした。

13日は小田急の六会日大前駅に所用で人と待ち合わせをしていましたら、旧知の小学校の先生であるNさんとバッタリ出会いました。鎌倉のS小学校におられた時に何度かお会いしましたが、そこを退職されてこの近くの小学校に移られていました。彼はタイ語に堪能で、以前、八幡宮でオレンジ色の僧衣を身に纏ったタイの僧侶10人位と出会った折、Nさんはそのリーダー格とおぼしき方と親しく会話をされました。鎌倉でタイ語を話せる市民と出会ったことで、感激したのはタイのお坊さんたち。たちまち取り囲まれて、いろいろ会話が弾んでいました。草の根国際交流でしたが、ニホン語しかしゃべれないasajiroは、ただただ感心するだけ・・・。

22日は茅ヶ崎の史跡巡りに参加。大岡越前守の菩提寺として名高い浄見寺や高座郡衙(たかくらぐんが)跡の下寺尾遺跡群などを見て回りました。

6月23日、26日、30日、7月1日と藤沢市内藤が岡の現場で仕事、5日、6日、7日は3日連続で逗子市小坪の現場に通い、更に8日、11日は横須賀市久留和の現場通いと梅雨の雨やら、真夏の日照りの中を仕事にも励むasajiroでした。10日は、カミさんと参院選の投票に。12日にもカミさんを誘って、所用で慶応湘南藤沢キャンパスに。当然のことながら、教室には真面目に授業を受けている学生たちが見られます。女子学生が多いのが特徴でしょうか?福沢諭吉さんはasajiroの財布の中にはいませんが、キャンパスの中で胸像となって目を光らせています。

そして今日13日、初めて高齢者講習を自動車学校に出かけて受講しました。教室内にはハンドルと画面がセットになった装置が並んでいます。ゲームコーナーでよく見かける奴に似ています。asajiroは失敗ばかりしましたが、ナントか通してくれました。代わりに孫を連れてくれば良かったと後悔します。チビの方がはるかにウマい。

眼の検査装置も並んでいて、下手な眼科やメガネや顔負けです。ここでも目をパチクリしながらもナントかパス。最後は難関の実車です。自動車学校は免許を取って以来半世紀ぶりですから、そこの車で学校内のコースを走るのも当然のことながら半世紀ぶり。昔とほとんど変わっていません。チョコチョコ走っては停まり、左右を見てはまた走り出す。後輪が2度も縁石に乗り上げるど派手な事故も起こしながら、これもナントかお慈悲で合格です。

無事、終了証をいただきましたが、とても疲れました。週に何度か運転していてもこの体たらく。そうそう、認知症の検査は次回にはありそうです。問題例を教えてくれましたが、もう覚えていません・・・。

そして、世の中、参院選の後は都知事選。恒例の人気投票が始まります。

2016年6月15日 (水)

asajiroの湘南日記(135) 6月7日(火) アジサイ見頃

紫陽花が見頃になった。アジサイに限らず、今年はどの花も例年より開花が早い気がする。しばらくご無沙汰していたasajiroの最近の不審な行動の告白です。

4月17日、今朝未明に再び熊本で震度7、マグニチュード7・3の大地震。気象庁は今回が本震で先日のは前震と発表。後付けもいいところ。でも、地震の予知は不可能なんだな。今の緊急地震速報だって、実際には避難も間に合わない代物。

28日、藤澤宿交流館の内覧会に出席。宿場町兼門前町の拠点になりそうだ。街並みには昔の面影が少ないのが残念。

29日、ゴールデンウイークがスタートするが、asajiroは藤沢市内で日雇い仕事。5日も市内善行の現場へ。10日は逗子の小坪にある現場でいずれも日雇い仕事。

12日はクラブの例会に出席。話題の映画「ロクヨン」を観る。前宣伝の割に内容は・・・。主演級の役者を動員しているので、莫大な経費がかかってるんだろう。大勢入場して貰わねばならない事情ありとみた。

15日、藤沢市の藤が岡での日雇いの仕事。17日は歯医者で治療。19日、再び藤が岡の現場へ。31日も同じ現場での仕事。

この日、夕闇が迫ってからホタル見物に出かける。久しぶりに蛍の乱舞を見た。子供の頃は当たり前にホタルと戯れていたのだが、今はボランティア団体が蛍の保護育成に努めてくれている。

6月3日、駒ヶ岳の山麓で親からしつけと称して置き去りにされていた男の子がナント6日ぶりに無事発見、保護された。これはとてつもなく明るいニュース。本当に良かった。それにしても、捜索のやり方の検証はきちんとされるのだろうか?男の子はひたすら山道を歩き続けたと云うではないか。結果論だが、その先にある演習場がノーマークと云うのは解せない。結果良ければすべて良しで済ませられるものではない気がする。捜索隊の皆さんに対してではない。捜索本部の指揮官に対してである。両親については、非難することはたやすいが、こんな取り返しのつかないことになるとは想像もできなかったであろうから、今はただ祝福してあげるのみ。それにしても大和君はエライ。

今日7日も雨のち曇りの一日だった。まだまだホタルの乱舞が見られるかもしれない。

2015年12月 5日 (土)

asajiroの湘南日記(129) 10月22日(木) 秦野へドライブ

秦野(はだの)市にある田原ふるさと公園へ向けて車を走らせます。後期高齢者への仲間入りが近づいた現在、やはりと云うべきか車を運転するのが億劫になってきた。市内を走る分にはナントモないのだが、少し距離が伸びると以前のような鼻歌気分でのドライブとはいかなくなった。

運転操作と運動神経の協力体制が整わないのである。よく年寄りがアクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしているのを見聴きするにつれ、他人事とは思えなくなった自分がいる。

加えて遠くの標識が見えづらいのである。自分の行こうとしている目的地は直進なのか右折するのかが、よく確かめられない。つまりasajiroのトヨタビスタには、ナビがついていない。初めてのコースを走る時には、普段の数倍のエネルギーが必要となる。あれやこれやで、結局以前に走ったことのある場所を選ぶことが多い。

今日の公園もそうだが、あそこはお食事処もあれば実朝首塚と云った史跡もある。更に周辺の田園地帯の散策も楽しめるので、既に何度か訪れることとなった。カミさんのお気に入りの場所でもある。地元の農産物直売所もあって、いつも何がしかのお土産を持ち帰る。

丹沢の山麓で日本の原風景が広がる農山村地帯。柿の実がたわわに実り、コスモスが風に揺れる。野焼きの煙がたなびいて、山から流れ落ちる豊富な水量の川。心が洗われる秋の風景である。公園には水車小屋まである。

東田原神社ではギンナンを拾い、金剛寺ではほんわかとした小僧さんの石像にココロが温かくなる。このお寺さんは確か建物を再建したりして見違えるようになった途端に、尽力されたご住職が急逝された悲運に見舞われたと聞いている。今はどなたが後を継がれたのか・・・。

手頃なドライブと散策を楽しんだ秋の一日でありました。

2015年7月 2日 (木)

asajiroの湘南日記(125) 5月2日(土) 大岡越前祭を見物

茅ヶ崎市の浄見寺で行なわれる「大岡越前祭」の見物に出かけます。車やバスではなくカミさんとウオーキングです。asajiroの住んでる藤沢北部から茅ヶ崎の北部にある浄見寺へは多少汗はかきますが、里山や田んぼの広がるのどかな田園地帯の中を歩きますので、空気は美味しいしバス通り以外は走るクルマもしれています。

途中、江戸時代(の衣装を身に着けた)の娘さんの一団にお会いしましたので、茶店・・・じゃなかった、コンビニがこの近くにないか尋ねました。腰元とおぼしきキレイなお姐さんが親切に教えてくれました。asajiro衛門も「かたじけない」と謝意を述べます。皆さん、祭りの会場である浄見寺の方向へ向われました。

近くの公園には既に大勢の見物客が詰めかけています。好天の週末土曜日と云うことで家族連れや子どもたち同士のグループも目立ちます。中高生の男女のグループは集団デートにいいのでしょう。仲間内で嬌声をあげて何がおかしいのか笑い転げたりしています。コンビニで仕入れたおにぎりをほおばりながら、越前行列が出発するのを待ちました。

馬上のお殿様が大岡越前守(実は市長さん?)のようです。先ほどの腰元さんたちも行列に花を添えていました。代々江戸南町奉行を務めた大岡越前守、特に大岡裁きで知られるお殿様は大岡忠相(ただすけ)。asajiroはテレビ「暴れん坊将軍」の忠相さんがすぐに目に浮かびますし、いろんな番組でもこの名奉行さんは活躍してますから、見る人それぞれにいろんな俳優さんがインプットされていることでしょう。

行列が出発した後は浄見寺の本堂に参拝し、石段を登って大岡家の墓所にもお参りしました。やはり名君と謳われた忠相さんのお墓にはたくさんの花が手向けられています。移築された古民家の三橋家や和田家の建物も見物、元々はこの近くの村の名主さんか素封家のお宅だったのでしょう。

ゴールデンウイークの茅ヶ崎の一大イベントですが、この菩提寺の他に翌日には市内中心部で賑やかなパレードや記念イベントが目白押しです。姉妹都市のホノルルにちなんだフラダンスやサンバの行列もありますから越前さんもビックリでしょう。

今日の行列の中程に品のある初老のご夫妻が加わっておられました。今日はお寺の周辺を行列するだけですが、明日はこの方々はオープンカーに乗られる筈です。大岡家の現当主さまです。大岡家は徳川家に仕えた三河の譜代大名で、ゆかりの地愛知県岡崎市からも観光大使が馬上・・・、いやオープンカーに乗られるそうで毎年賑やかな祭りになります。

幸い、明日もいい天気のようでなによりです。

2015年6月29日 (月)

asajiroの湘南日記(123) 4月29日(水) 昭和の日雑感

「昭和の日」です。昭和が去って27年、当時生まれた子どもが立派な青年になっているわけです。昭和も遠くなりにけり・・・。

asajiroは昭和17年に生を受けました。考えてみれば(別に考えなくても当たり前のことなのですが)、大正から昭和に移ってまだ17年しかたっていなかったわけです。小学生の頃、大人たちは殆どが明治生まれ。大正生まれの人たちは若者でした。しかし、戦争で多くの大正生まれの青年たちは命を落とした云わば犠牲の半生を過ごされたのですが、幼い子どもにはそのようなことに思いが至らなかった日々を過ごしていました。

両親も明治生まれでした。手元にある今年の年齢早見表を見ると、親父の生まれた年はもう消えています。かろうじてオフクロの年は表の中では「生き残って」います。しかし、その年齢は106歳。超高齢化社会を迎えたために掲載が「認められた」のでしょう。存命なら106歳か・・・。

子どもの時に頼りになる存在だった村の青年団の人たちも、今は90歳から103歳の超老人。特に男たちはほとんどが旅立っている筈です。そして今年からはいよいよ戦後生まれの人たちが70歳に到達し、古稀を迎えます。厳密には数え歳でカウントしますから、もう古来稀なる年齢に達している人も多いでしょう。

こうして、ジタバタしても歳月は容赦なく過ぎ去ります。「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり・・・」。今、終活がいろいろ云われています。少子高齢化社会になりましたから、至るところで終活は文字通り活発のようです。しかし、asajiroの終活は一向に進みませんが。終活どころか、この期に及んでまだ生きる望みを託して健康の為と称して、ウオーキングに励んでいます。若い世代には迷惑な話でしょう。

この地に住み始めて25年経ちましたが、近くにまだ行ったことのない公園がありました。しかも、立派な長い藤棚もあるとか、カミさんと出かけました。住宅街の中の高台にあったためにどこからも見つけられなかったわけで、何か新発見したような気持ち。しかも恥ずかしいことに、この公園の存在を知ったのは市が発行するパンフレットでした。公園の名は「石川なかむら公園」。意外と大きな公園で眼下に六会(むつあい)の街並みや日大のキャンパスが望めました。

身近にもまだまだ知らないことがたくさん・・・。asajiroの終活は成り行き任せになりそうです。

2015年6月21日 (日)

asajiroの湘南日記(121) 4月7日(火) パイロット蒔絵万年筆館

あいにくの春雨になりました。元の同僚仲間と7人で平塚の桜を見物します。

最初に訪れたのはパイロット工場の中にある蒔絵万年筆の資料館です。まだオープンしてから3ヶ月も経っていません。元々は旧海軍火薬廠だった場所に戦後パイロット万年筆が工場を開設。万年筆は今でも根強い人気があるそうで、とっくにasajiroの手から離れた身にとっては意外と云うか、認識不足のようです。中でも高級品の目玉として漆を使った蒔絵万年筆なんて触ったこともなかった筈です。ここではそれらの珍しい超高級万年筆約50点が常設展示されています。

そこから雨の中を歩いて総合公園に入りました。今日は雨天と云うことで郊外の川沿いを歩く桜見物は中止し、代わりにこの公園と美術館、博物館を巡ります。これなら雨でも大丈夫。幹事のKさんにはご苦労をおかけします。園内では芝生一面に散り敷かれたようなピンクの花びらが絵のように美しい。川面に浮かぶ「花筏」とは又違って、地面を埋め尽くし雨に濡れている桜花はなんと言えば良いのだろうか?勝手に花絨毯と呼んでみました。

平塚市は決して大きな街ではありませんが、それでも市立の美術館や博物館を備えている文化都市です。お隣の茅ヶ崎市もそうですが、asajiroの住んでいる藤沢市はどちらもなく、残念ながらタイヘン見劣りがします。

平塚市美術館では「気になる!大好き!これなあに!」と云う赤ちゃん向けの企画展をやってました。孫を連れたじいちゃんの気持ちになって展示を見ました。平塚市博物館では「天変地異」(平塚周辺の自然災害)を見ます。こちらは真剣に勉強です。

打ち上げの飲み会は駅近くの「安兵衛」。前回までほとんど毎回欠かさず出席されていたHさんが2月に急逝。彼を偲んで献杯で始まりました。asajiroは昨年12月に府中の病院で彼と一緒にアルバイトをしたのが最後になりました。その時、風邪気味だがなかなか治らないとボヤイテいたのが、結果的に命取りになりました。数日後に緊急入院され、年末年始を病院の集中治療室で過ごし、そのまま2月の初旬に帰らぬ人となりました。下された診断は「肺炎」。享年74歳。いまだに信じられない気持でいます。合掌・・・

2015年1月30日 (金)

asajiroの湘南日記(119) 1月30日(金) 湘南にも雪が・・・

この冬、初めての積雪になりました。去年の冬は続けさまに2回、大雪に見舞われました。最初の大雪は2月8日でしたが、この日はあいにく仕事の日とぶつかってしまいました。そして2度目の大雪が降り続いたのが2月14日。その翌朝も同じ現場での仕事があり、交通機関がマヒしたために、散々な目に遭ってしまいました。

その時の苦労が蘇ってきた今朝の雪でした。幸い、バスは動いていましたので、どうにか遅刻せずに仕事に出ることは出来ました。北国で暮らした経験もありますが、今では気候温暖の地、湘南での生活にどっぷり浸かっています。朝、雪が積もってるいるとウンザリです。

先日、鎌倉のお寺で紅梅と白梅が揃い踏みで咲いているのを見ました。まだ、真冬ですが確実に春は近づいているのを実感できました。最近は鎌倉へ出かける機会も、以前にくらべ格段に減りました。そのため、梅の花を見た時は感動と同時に、アレ?もうそんな季節だったのかと迂闊にもオドロイテしまいました。

今は雪が降ってもニホンの春は、着実にすぐそこまで来ていると思いたいのですが、今、世間はイスラム国による日本人人質事件で緊張しています。asajiroは、この事件について一言云いたいこともありますが、現在進行形で先行きの見通せない事件である以上、それは控えるべきと自制します。

ただ、第二次世界大戦が終結して70年の今年、世界各地できな臭い火種がくすぶっているのを危惧します。米ソの対立が続いた冷戦が、ソ連の崩壊で終わったと安心したら、必ずしもそうではなかったと思える昨今のロシアの動き。中東、ロシア、中国がこれからの50年、世界の不安要素になるような気がしてなりません。いずれも日本とは価値観が大きくかけ離れている国であり地域でもあります。そしていずれもが先の大戦の結果を引きずっている気がします。

asajiroは、今年から、つまり元旦から日記の中にその日の新聞一面のトップニュースの見出しと社説を記録することにしました。別に時事検定やニュース検定に挑戦するわけではありません。ただのボケ防止ですが、特に今まであまり読みもしなかった社説がこんなに面白いものとは、これも迂闊にも気づきませんでした。ただ、文章が硬いので気楽には読めないのも事実。でも、世界の、日本の現在がよく判ります。もう1ヶ月近く続いてますから、三日坊主の危機は脱しました。但し、これで認知症が遠のいたことにはならないようですが・・・。

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