思い出

2018年5月23日 (水)

あさ爺の徒然日記(883) 5月23日(水) I君の思い出

今月、急死したI君を悼む声が途切れない。我々が57年前に卒業した高校は四国の玄関口と云われた高松市にある。宇高連絡船もなくなり玄関口として役目は終えた感じだが、今でも人口40万を超える中核市として存在している。そこにある創立110年を超える学校が母校だ。

高校時代はクラスが違い会釈程度の仲だったが、約10年前から始めた鎌倉と横浜の年2回の散策会で親しくなった。彼は常連メンバーとして参加し、その折に彼がリーダーを務める山の会にも誘われた。実は多くの同期生が、このような形で彼を知り、彼の魅力に惹かれていったのだ。霞が関の高級官僚、実業家、ノンフィクションライター、画家、地元の市長等々、我々の仲間は良く云えば粒揃い、別の言い方をすれば玉石混淆の進学校だったが、60代を超えて第一線を退いてから急速に団結を強めた。その要の役割を果たした一人がI君であった。彼の不機嫌な顔を我々は知らない。鉄人、冒険家であると同時に人格者でもあった。月末に親しい友人が横浜の野毛に集まり、感謝を込めて酒を酌み交わすことになっている。合掌

2018年5月 6日 (日)

あさ爺の徒然日記(867) 5月6日(日) S氏の思い出

ゴールデンウイーク、今年も結局どこへも出かけることなく終わった。人混みが苦手と強がりを言いたいところだが、つまりは単なるヒマ老人なのだ。加えて今年に関する限りは、ぎっくり腰を発症。出かけたくとも無理になった。でも好天が続いたのは、世の人々には良かった。ただし、全国的には雨や嵐の所もあったらしい。

昨日は、学生時代からの知人であるS氏が亡くなって1ヶ月の月命日だった。S氏とは学生時代に4年間を同じ寮で生活した。高校の先輩だが、1浪されたので入寮は同期となり、4年間の内、1年間同室となり思い出も多い。親分肌で他人の悪口を言わない方で、名門C大法科を出たが法曹への道には進まず郷里の銀行に入った。最後は頭取にまで上り詰めた逸材でもあった。

1昨年、肺に腫瘍が見つかり翌年手術で除去し、順調に恢復。ゴルフをしたり京都へ旅行するまでに元気になられたが、今年再入院し4月5日に息を引き取られた。後から連絡を受けて知った。喜寿の77歳の誕生日を2日後に控えた最期であった。でも、彼は功成り名を遂げて、いい人生だったのではと思う。生涯の友となった寮仲間が、又、一人世を去った。合掌

2018年5月 2日 (水)

あさ爺の徒然日記(862) 5月1日(火) 恐ろしい記憶

この日を迎えると、子どもの時に体験した恐怖がよみがえる。昭和27年(1952)の「血のメーデー事件」と同じ日に、四国の田舎でも全国ニュースになる事件が起こり、こともあろうに我が家が巻き込まれたのである。高松市で発生したH病院事件だ。共産党員が県庁におしかけ、当時厚生課長だった父が応対。押し問答となり業を煮やした党員らが、父を拉致し某所に監禁した。

行方不明が何日か続き、全国紙にも大きく報じられたが、皇居前で大変な事件が起こったこともあり、紙面の大半はそれで持ちきりだった筈だ。H病院が共産党の拠点だったことから、県警が病院周辺を警戒。放射線室に監禁されていた父が、煙草の箱に救助を求めるメモを入れて警官に投げた。その日のうちに警官隊が突入し、父は救出された。それから1ヶ月間は自宅に火炎瓶が投げ込まれるのを恐れて、道路に面した部屋で寝ることはできなかった。

これが事件の顛末。当時の共産党は武闘派(今とは違って)だったが、以来、あの党を心から応援する気にはなれないでいる。父を含め、当時の関係者で生存者はもう少ないだろう。66年前の話。

2018年4月 7日 (土)

あさ爺の徒然日記(841) 4月7日(土) 朴正煕の記憶

朴槿恵前大統領に懲役24年の判決。歴代大統領が最後はオカシクなってしまうのが、彼の国の「慣例」だから「あ~、今度もか」位の感想しか覚えない。それにしても死刑判決が出たり、自殺したり、暗殺されたりと一体この国はどうなってんだろう。民主国家の南でこうなのだ。北はもっとひどかろう。政敵は身内と言えども銃殺刑にしたり、何も知らない女を雇って暗殺するくらい平気な国だ。

中国も似たようなものだ。文化大革命での政敵抹殺はモチロン、その後の4人組逮捕や江青夫人の獄中自決等々。いみじくも朴槿恵が言ってるように政治報復の連鎖だ。フジモリさんもそうだが、発展途上国に見られる政治の未熟さが招いたことだろうか?ニクソンや角栄も事件は起こしたが、そこまで悲劇的な最期は迎えていない。

ところで朴槿恵の両親も悲劇的最期だった。時期は多少ずれたが共に暗殺された。あさ爺は父親の朴正煕大統領(当時)を、学生時代に目撃している。芝白金の迎賓館(当時)に向かう車中で、厳重警備の沿道から。国賓として来日中だったのかもしれない。今となっては記憶に残る夜の出来事だった。

2018年4月 5日 (木)

あさ爺の徒然日記(837) 4月2日(月) 想い出の街々

テレビの番組で世界の街を巡るのが好きだ。知らない街、行ってみたかった街、そして懐かしい街々・・・。ただタレントさんが案内するのは、好きではない。グルメ中心なので趣味が合わない。純粋に街並みを見るのが好きだ。

同時にいつボケ始めるかワカラナイ(もう始まっている、時間との競争だ)ので、自分なりに廻った街や登った山(低くて少ないけど)、訪ね歩いた城跡、手を合わせてきた神社やお寺等々を記憶を辿りながら記録しておきたいと。誰に読んで欲しいわけでもなく、あくまでも自分自身の自己満足の為。

バンコク、香港、マカオ、台北、ホノルル、パリ、ロンドン、ローマ、ナポリ、フィレンチェ、ベルン、ジュネーブ、マドリード、マルセイユ、ツーロン、アムステルダム、フランクフルト、アテネ、バンクーバー、カルガリー、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントン、ボルチモア、オーランド、メキシコシティー、シドニー、メルボルン、ブリスベーン、オークランド、シンガポール、ハノイ、ホーチミン、広州、深圳、南昌、上海、杭州、景徳鎮、北京、ソウル、プサン、台中、台南、基隆、ハバロフスク等々・・・。今でも瞼に街の風景が目に浮かぶ。

2017年12月 6日 (水)

あさ爺の徒然日記(729) 12月4日(月) 京都の秋は永観堂

「永観堂行ってエエ感動」「足が比叡山(冷え~ざん)」、いずれもmamataroおでかけ日記のブログの中で見つけたギャグ。関西人のユーモアを感じさせて、思わず笑ってしまった。京都大ベテランのmamataroさんも、意外と永観堂は初めてだったらしい。東福寺の通天橋にも足を運んでのモミジ三昧のようだったが、いずれも大変な混雑の様子。

あさ爺が永観堂へ行ったのは、そんなに昔ではなかった筈だが、もうすぐには思い出せない。見返り阿弥陀はよく覚えているけど。鎌倉とは比較にならぬ京都の紅葉。鮮やかさもそうだし、名所の数も数えきれない位。そうだ!皇居、乾通りにも行かなくっちゃ・・・。

冬の厳しい寒さを控えて、最後の輝きを放つ紅葉黄葉の美しさをこよなく愛した民族である、我々は。寺社の紅葉の美しさは云うに及ばないが、大雪山旭岳、八甲田、八幡平、磐梯吾妻の雄大な秋の美しさも心に刻まれている。ただ、これらはいずれも仕事中に見たもので家族と共有が出来てないのが残念。

明日は鎌倉の紅葉を歩く予定だ。

2017年9月 2日 (土)

あさ爺の徒然日記(647) 9月2日(土) 裕次郎記念館閉館

小樽の石原裕次郎記念館が26年の歴史に幕を閉じた。映画スターの記念館は珍しい存在だった。時代が変わると、往年の名優も知名度が下がってしまう。追っかけフアンも高齢化してしまうか、この世を去ってしまう。一代のスーパースター裕次郎も例外ではなく、入館者が減ってしまったらしい。

ミーハーのあさ爺は、特に裕次郎シンパではなかったが、1999年(平成11)7月3日の鶴見総持寺での裕次郎13回忌法要には参列した。長蛇の行列で4時間くらい待って漸く焼香した。

何のことはない、ほとんどの参列者は記念のワインがお目当てだったが、最初の2千本で在庫が底を尽き、残り4千人には当たらなかった。モチロン、あさ爺にも。炎天下で、帰宅後血尿が出て仰天した。ご苦労なことだった。

9年後、カミさんと娘の3人で小樽の記念館を見学。2008年(平成20)8月のことだが、もう混雑はしていなかった。総持寺の墓地にも2度ばかり参拝。逗子の旧宅跡地を数回ガイドした経験も。やはり、稀代のスターだったわけだ。

2017年8月27日 (日)

あさ爺の徒然日記(638) 8月24日(木) 地蔵盆の思い出

今日は京都の地蔵ぼん。この風習は各地にあると思われるが、かつて住んだ京都での地蔵ぼんが懐かしい。町内にあるお地蔵様に着飾った子どもたちが集まって、お供えをしたりお遊びをして楽しく過ごすのである。

転勤で各地を渡り歩いたが、京都のように各地域で盛んに行われているのをあまり見た記憶がない。スマホゲーム全盛で、しかも夜の子どもの外出が物騒な時代になってきたが、今でもこの古き良きニッポンの風習は続いているだろうか?

「新日本風土記」と云う長寿番組がある。今ハヤリの旅番組ではなく、その地に根付いている様々な行事や風習を映像に捉えている番組だ。モチロン、それを見て旅心をそそられることもある。戦前、或いは昭和30年代まではそうした伝統行事が各地に当たり前のように存在していた。

しかしながら、高度成長期からバブルへと移り、やがてそれがはじけて急速に進んだ過疎化、少子高齢化でニホンは様変わりしてしまった。それを掘り起こしたり、昔の映像を見せてくれるのがこの番組の持ち味で、対象は広く各地に及んでいる。

大規模で有名なお祭りもいいが、こうした地域の小さな風習もナントか後世につないでいって貰いたいものだ。

2017年8月 9日 (水)

あさ爺の徒然日記(621) 8月7日(月) 真夏に雪が降った?

先月17日には藤沢でヒョウが降った。それは雷と共にやってきた真夏の異変。しかし、あさ爺は40年前の今日8月7日、札幌の街に「大量の雪」が降ったことを記憶しているのだ。

しかし、それは残業で眼が疲れていたことによる慌て者の勘違いだった。まるで、「雪の降る街を」の歌の情景そのままに時計台通りのオフィス街に、しんしんと降り積もっていたのは火山灰だった。一瞬にして我に返ったあさ爺青年?は、それが有珠山の大噴火によるものではと察知した。

実は1週間位前から、有珠山周辺で火山性地震が頻発しているとのニュースが流れていた。距離は離れているが、桜島の大正噴火や磐梯山の例もあるし、江戸に火山灰を降らせた富士山の宝永噴火のこともある。果たして、カーラジオは道央に大量の火山灰が降っていると伝えていた。

洞爺湖温泉街はポンペイのように壊滅したのではないかと恐れた。知己となっていた多くの温泉旅館のご主人や女将さんの、助けを求める顔が脳裏に浮かんだ。結果は幸いにして人的被害は免れたが、夏の稼ぎ時の洞爺湖温泉は1年ほどの休業を余儀なくされたのであった。

2017年8月 8日 (火)

あさ爺の徒然日記(617) 8月3日(木) 東北の夏祭り

昨日の青森ねぶた祭に続いて、今日は秋田の竿灯まつり、6日は仙台の七夕まつりと東北の熱い夏が始まった。相前後して盛岡のさんさ踊り、弘前のねぷた祭り、山形の花笠まつりを加えて、東北は北から南まで祭り一色となる。あさ爺は残念ながら、花笠まつりを見る機会は持てなかったが、それぞれに特色があって興味深い。

個人的に好きだったのは、家族と暮らした盛岡での思い出。その家族の方は生まれたばかりの幼子もいて、祭り見物どころではなかったかもしれないし、あさ爺も八幡平のホテルに勤務していて、夏場の繁忙期でなかなか見物するチャンスはなかった。

その中で、1度だけ職場の仲間と街に繰り出し、太鼓のリズムを楽しんだ。若い男女の仲間が飛び入りで踊りに加わり、それが結構、絵になってウマいなあと感心した。だから今でもよく覚えている。引っ込み思案のあさ爺には勇気がなかったが、短い夏を精一杯謳歌する北国の人たちのエネルギッシュな激しい踊りと、太鼓のリズムがいつまでも耳に残っている。

詩情豊かな岩手路、市内を流れる北上川や中津川の水面、城下町盛岡の美しい思い出だ。

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