古寺巡礼

2017年6月10日 (土)

あさ爺の徒然日記(573) 5月24日(水) 有馬温泉

その昔、江戸市民の大山詣ででの楽しみは、麓の温泉や江の島での精進落としと云われていた。それに倣ってあさ爺たちも旅の最後は、有馬のいで湯に浸かることになる。

花山院から下って、三田の駅前をぶらついて、神戸電鉄の電車で有馬温泉に向かう。有馬は初めてではなかったが、実は湯に入るのはお初。カミさんは有馬自体が初体験。到着が早かったので荷物を預けて、チェックインまでの時間を湯の町散歩に充てる。

坂が多い街で、途中の源泉が湧いている公園でおにぎりをほおばり、風情のある温泉街を散策。とにかく日本三古湯の一つ。歴史がある。途中の温泉寺と念仏寺に参拝。ここでもご朱印をいただいた。巡礼の時には、必ず納経帳を2冊携行し、札所以外のお寺さんでもご朱印がいただけるよう心掛けている。今回も最後になって役に立った。

名物の炭酸せんべいを売る土産店が多い。何軒かをのぞき、お土産に買い求めた。実は今朝あたりから少し風邪気味。巡礼の旅で体調を崩すなんて、信心が足りない証でもある。本来なら、温泉では最低3回はお湯に浸かるのだが、この日は1回だけにとどめた。前日までの2泊がホテルのベッドだったので、やはり和室はいいなぁと年寄りたちは天井の木目模様を眺めながら、眠りにつくのでした。

あさ爺の徒然日記(572) 5月24日(水) 西国番外札所 花山院

今回の巡礼で最難関の番外札所「花山院」に向かう。JR福知山線の三田駅で下車。この地の訪問も初めて。本数の少ないバスは出た後で、結局タクシーを拾う。ま、想定の範囲内。ただ、帰りもこのタクシーを利用するかどうかは、降りそうな空模様や疲れ具合と相談して決めるつもりであったが、運転手さんの勧めであっさりと往復利用に。

実は山の中にあるお寺さんまでが急坂の道なので、下りもタイヘンだし、少ないバスの時間に合わせるのも一苦労とは思っていた。ナルホド、車がひっくり返りそうな急な山道(参道)である。この日の登山に合わせてわざわざストックを持参したが、つまりは無駄になった。

真言宗花山院派の本山。花山法皇が27歳頃から41歳で亡くなるまでの14年間、隠棲生活を送られたと云う。玉垣を巡らした質素な廟所には苔むした宝篋印塔が立つ。展望台からは有馬富士が見え、遠く瀬戸内海も見えるらしい。この日は曇っててはっきりとは見えなかった。

境内は山中と云うこともあり、さほど広いわけではなかったが、それでも本堂でもある花山法皇殿の他に薬師堂、不動堂、荒神堂、鐘楼、庫裡などがあり、薬師堂も本堂とされている。今度の巡礼では最後となるご朱印を有り難くいただいて、待たせておいたタクシーで山を下った。

2017年6月 8日 (木)

あさ爺の徒然日記(571) 5月24日(水) 西国第二十四番 中山寺

出発前の予報から前倒しになって、今日は雲の多い空模様。雨は降らないと思っていたので、傘は持参しておらず途中のコンビニで買い求めるハメに。

大阪駅が新しくなってからは初めて。夫婦共に余りの壮大さに目をパチクリ。ここから福知山線で中山寺駅へ。この駅もロッカーがなかったが、幸いにもまだ雨は降っていなかった。

中山寺も大きなお寺だった。場所は兵庫県宝塚市。真言宗中山寺派の大本山で開基は聖徳太子。創建は推古天皇の御代と云うから凡そ1400年余の昔。参道に塔頭寺院が建ち並ぶ。境内の建物も多い。しかも石段に並行してエスカレーターが動いている。江の島のように有料ではない。古希を過ぎた老夫婦巡礼には有難い。

十二支のそれぞれの守り本尊が独立したお堂として存在。午年の夫は勢至菩薩の寿老神堂、酉年の妻は不動明王の総持院をねんごろにお詣りさせていただく。時間があればゆっくりしてみたいお寺さんであった。

昔むかしの若かりし頃、宝塚歌劇に通ったことがあり、中山寺のお名前だけは存じ上げていたが、当時は観音菩薩様よりも男役の甲にしきに憧れていた。結婚前の話である。再び、JRの駅に向かう。

2017年6月 4日 (日)

あさ爺の徒然日記(570) 5月23日(火) 西国第二十三番 勝尾寺

再び、総持寺駅から阪急電車に乗り、南方で下車。すぐ近くの地下鉄御堂筋線の駅の名前は西中島南方。ここから千里中央へ向かう。地元の人は縮めてカッコよく「センチュウ」と云う。

一日3本しかないバスには乗れなくて、タクシーを奮発。平地ならともかく山深く分け入るので、老夫婦で歩いて登るのは辛い。種田山頭火のマネはできない。

勝尾寺(かつおうじ)は家族にとっても思い出のお寺だ。23年前の元旦早朝に車で参拝した。また、あさ爺自身は会社の宿泊研修で何度か、ここの宿坊で寝泊まりした経験がある。

ここも高野山真言宗のお寺で、西国霊場のみならず、受験などの勝負事、厄除け、子育て、水子供養などでも知られ、境内には「○○時から○○のご供養があります。ご予約の方は本堂にお集り下さい」とデパート並みのアナウンスが響く。

勝ちダルマが境内の至る所に奉納されており、それにも増して春の桜と秋の紅葉で知られる。繁盛したせいか昔と違って、更に建物も参道や遊歩道も整備された。峠は過ぎたが、シャクナゲも美しかった。下山は本数の少ないバスの時間に合わせて退出。

拝観受付で荷物を無料で預かってくれたのには、境内が広く石段が多いので大変有難かった。

あさ爺の徒然日記(569) 5月23日(火) 西国第二十二番 総持寺

夫婦共に独身時代から京都で暮らしたり、勤務したりした経験があるが、この亀岡は初めてだった。カミさんは学生時代も含めて、10年ほど住んでいたにもかかわらずである。車窓から保津川下りの船を眺めながら京都へ。

山陰線は田舎と云うイメージがあったが、今や京都市内は高架化され、電車もスマート。意外と近かった。地下鉄と阪急を乗り継いで、大阪府茨木市にある総持寺を訪ねる。駅でロッカーを探したが見当たらず、結局炎天下荷物を背負うハメに。しかし、駅から徒歩10分足らずで到着。

穴太寺は天台宗だったが、ここは真言宗。境内に四国霊場八十八ヶ所のお堂もあったが、もう既に結願しているのでパス。納経所は立派な建物で、山門も本堂も朱色が鮮やかで壮大。参拝客が多いことが窺える。山蔭流包丁式の開祖とかで、料理関係者の信仰も篤いそうだ。高台にあるが周囲は市街地に取り囲まれているので、およそ鄙びた風情はない。ここを訪れた白洲正子も、このお寺の印象は薄かったようだ。札所巡礼だけでなく大勢の参詣者を集めているせいもあるのだろう。

あさ爺たちも次の札所目指して駅へ向かう。

2017年6月 2日 (金)

あさ爺の徒然日記(568) 5月22日(月) 西国第二十一番穴太寺

京都から山陰線に乗って昼過ぎに亀岡に到着。今日から3泊4日の日程で西国三十三観音霊場巡礼の旅に出る。駅近くのホテルに荷物を預け、駅前からバスで穴太口へ。のどかな田園風景の中を歩き、巡礼スタイルに変身して穴太寺(あなおうじ)の山門をくぐる。

境内はそれほど広いわけではないが、正面の本堂と左側の庫裡は大きい。拝観料を払って本堂内と庭園を拝観する。札所本尊は33年毎のご開帳で4年前に拝めたらしい。ご本尊は薬師如来でこちらは完全に秘仏だそうだ。更に札所の御前立観世音菩薩像もご本尊に数えられ、計三体のご本尊が並んでおられる。

本堂右奥に釈迦涅槃像が横たわっておられる。明治時代に住職が屋根裏で発見したと云う。お布団がかけられていて、撫で仏としても崇められているとかで、あさ爺は肩と腰を撫でる。庭園は府指定名勝。多宝塔を借景に、こぶりながらサツキの花とよく合っている。

近くに円山応挙生誕のお寺があり、足を伸ばした。金剛寺であるが、案内板はあるものの、特に内部を公開している風ではなかった。好天に恵まれた巡礼初日であった。モチロン、カミさんとの二人旅であります。

2016年8月23日 (火)

asataroおでかけ日記(157) 7月21日(木) 版画の寺と備中国分寺

中国山地の山奥に湧くいで湯の里奥津温泉では、吉井川の渓流に沿って「歌の小径」があります。この温泉に逗留した歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻がここで詠んだ歌の数々が歌碑に刻まれ、心安らぐ散策の道となっています。

asataroは奥津に泊まったのは初めてでしたが、イメージとはかなり違っていました。意外と川幅も広く景色に広がりがあり、温泉街も往年に比べさびれたようです。このことは途中で立ち寄った資料館の展示で知りました。文人が多くやってきたことは、宿に飾られていた棟方志功の作品からもわかりました。昔は交通も不便だったので秘境のイメージが強かったのかもしれません。

この近くにウランで知られた人形峠があります。鳥取県と岡山県の県境ですが、そのウランを原料としたガラスを展示即売している「妖精の森ガラス美術館」に立ち寄り、見学しました。

更に車を走らせて毎来寺を訪ねます。知る人ぞ知る版画のお寺です。無住のお寺だったこのお寺に鳥取県のお寺の次男坊だったお坊さんがやってきて、趣味の版画を制作。それがいつしか人々に知られるようになって、今では観光バスもやってきます。堂内に入って驚きました。文字通りの「版画寺」です。壁や襖、天井に至るまで、ぎっしりと版画で埋め尽くされています。

版画と云っても浮世絵風のものではなく、棟方風と云うか民芸調の作品です。ギャラリーもあり、絵葉書、しおり、手拭いの小物から本格的なものまで販売もしています。団体客などには格好のいいお土産にいいのかも知れません。asataroも何点か買い求めました。素朴ですが力強い生命のエネルギーを感じさせてくれる毎来寺の版画です。

他にお客さんもおられなかったので、ご住職のお話をお茶をご馳走になりながらじっくり拝聴することができました。ご朱印は独自の作品とでも呼べるようなもので、いい記念にもなりました。因みにご住職は独身だそうで、檀家回りはモチロンですが電話番もすべてご自分で。従って、堂内での版画を拝観したい場合は、必ず予約しなければなりません。個展で不在となることも多いそうです。芸術家のお坊さんらしいお話です。

最後に高速道路を南下して吉備路を訪ねました。目指すは備中国分寺。やはりasataroも同行のご婦人たちも初めてです。聖武天皇の御代、各地に置かれた国分寺の一つで、五重塔がランドマークになっています。吉備の国は古代に栄えた地で、わが国を代表する前方後円墳や多くの史跡が田園の中に点在しています。その国分寺でもご朱印をいただきました。

こうして西国巡礼の旅に始まった兵庫県(播磨)から岡山県(美作・備中)に至る旅を終え、まだ夕暮れには早い瀬戸大橋から瀬戸内海国立公園の風景を堪能しながら、香川県(讃岐)に戻って参りました。

2016年8月16日 (火)

asataroおでかけ日記(155) 7月20日(水) 西国巡礼の旅(続き)

朝光寺で国宝を満喫した後、第26番札所法華山一乗寺(兵庫県加西市)を訪ねました。やはり天台宗でご本尊は聖観世音菩薩。創建はこちらも古く651年。一乗寺にも国宝があります。三重塔です。

鎌倉には国宝建築物が舎利殿だけ、仏像は高徳院大仏だけと云うことに慣れてしまったせいか、この兵庫県における古寺巡礼で次から次へと現れる国宝や重文クラスのオンパレードに目が眩みそうです。戦乱が続いて自滅した格好の鎌倉と違って、山の中の霊場として信仰心の篤い人たちに大事に守られてきたことが窺えます。

本堂は舞台形式の重厚な建物で国重文。この廻廊から三重塔を見下ろすことが出来ます。塔は長い石段の途中にあります。日曜日にはこの門前にまで路線バスが運行されるとかで、それなりに参拝客が多いのでしょう。

続いて有名な第27番札所書写山円教寺(兵庫県姫路市)へ向かいます。標高371mの書写山の山頂近くにある巨刹です。車ではなくロープウエイに乗り、そこから更に約800mの山道(参詣道)を歩くことになります。

この寺院も天台宗で如意輪観世音菩薩がご本尊。比叡山延暦寺を思わせる広大な伽藍配置。山の上にこのような大寺院を建てることに、まず感嘆します。今の姿に完成するまでに何世紀もの歳月を要したとは言え、やはり日本人の信仰心の篤さには感動もします。物見遊山的にご朱印帖をかかえてお参りするasataroは恥じ入る次第でございます。

円教寺の本堂は広壮な舞台造りで有名。落雷などの度重なる火災で焼失し、現在の建物は昭和初年の再建。更に登ると大講堂、食堂(じきどう)、常行堂(じょうぎょうどう)の大きな建物がありました。俗に三つ堂と呼ばれ、室町期の建物で国重文。残念だったのは、本堂で西国のご朱印はいただけたものの、大講堂でのご朱印が時間切れでもらえなかったこと。いつものように17時と思い込んでいたが、こちらは16時10分と云う半端な時間。どうやら堂内の蔀(しとみ)戸をすべて下して回る時間を逆算して決めてるようで、営業時間イコール勤務時間とはならないみたい。

ま、大事な観音様のご朱印がいただけたので、残念ではありますが諦めもつきました。今回の西国巡礼の旅はこれで終わりました。南無観世音菩薩・・・

asataroおでかけ日記(154) 7月20日(水) 再び西国巡礼の旅へ

今年2度目の西国三十三観音霊場巡礼の旅へ出かけました。毎年出かけてる札所巡りですが、去年は諸事情でパスしてました。それもあって、今年は5月に次いでのお遍路さんです。

第25番札所御嶽山清水寺は兵庫県にあります。西国には同じ名前の寺院が京都東山にあります。あちらはとても有名なお寺ですが、こちらは篠山の近く、500mを超える山の中にあります。5月は電車を乗り継いで山には歩いて登ったasataroたちですが、今回は車で廻りました。

天台宗で創建は627年の古刹です。こんな山の中に、こんな大きなお寺があることにも驚きました。四国の八十八ヶ所札所はこじんまりしたお寺さんも多いですが、西国は大きな寺院が目立ちます。歴史を積み重ねてきた重みを境内の雰囲気から感じます。

ここから少し寄り道をしました。「国宝」の看板に惹かれて、朝光寺を訪ねます。ここの本堂が国宝なのです。しかも拝観は無料、と云うより正確には無住のお寺。従って、本堂にも自由に出入りができるのです。国重文の鐘楼や多宝塔、山門など多くの建物もあります。

とても不用心とよそ事ながら心配になりますが、すぐ近くに2軒の塔頭寺院(総持院と吉祥院)があり、そこが管理しているとのこと。道理で無住といいながら、本堂は掃除が行き届いていました。古い建物ですが磨きあげられた床、我々3人のお遍路さんたちは床に大の字になって寝ころびます。国宝建築物にですよ!

怖いお坊さんに睨まれるわけでもなく、うるさい寺男が飛んでくるでもなし、モチロン警備員のおじさんもいません。このおおらかな古刹にすっかり魅了されてしまいました。有り難いことに塔頭寺院の吉祥院さんで朝光寺のご朱印もいただけました。

高野山真言宗ですが、古い時代のことは伝説や伝承が多く正確なことはわからないそうです。本堂は棟札から室町時代に建てられた真言密教の建物で、禅宗風の要素も入っている貴重なものとか。ただ、それにしても塀もなく夜間でも勝手に出入りできそうな感じで、なんだか心配です。

近隣の外国人に仏像も盗まれるご時世、ま、手は打たれてると思いますが、用心して欲しいなと思いました。ブログにアップすること自体、まずかったかなあ?でもホントにいいお寺さんでした。西国の続きは後ほど・・・。

2016年6月16日 (木)

asataroおでかけ日記(152) 6月8日(水) 西国巡礼の旅

asataroがこの1ヶ月余りを、心静かに振り返ります。

八十八夜を迎えた5月1日、久しぶりに王子の飛鳥山公園を歩きました。世はゴールデンウイークのただ中。家族連れで大賑わいです。

18日、新橋へ出ました。現役時代最後の10年余りはこのサラリーマンの街新橋界隈を彷徨したものです。昼も夜も・・・です。町名が銀座から新橋に変わるだけで街の雰囲気がガラッと変わります。その落差がなんとも云えない面白さを感じたものです。会社の同期生が10人集まりました。

21日、この日からカミさんと西国巡礼の旅に出ました。お寺にお参りする前に、大阪市立美術館の「王羲之から空海へ」の書の特別展を鑑賞します。明日で閉幕と云う駆け込み入館でした。館内は長蛇の行列とむせ返る混雑。場所は天王寺公園。日本一のアベノミクスではない、アベノハルカスが街を見下ろしています。

近鉄電車で明日香にある岡寺へ向かいました。ナント、明日香の里も中国人であふれかえっています。岡寺は第7番札所龍蓋寺が正式なお名前。「かんぽの宿大和平群(へぐり)」に泊まります。満月が大和の山々から上がってくる幻想的な月の出が、とても心に残りました。

22日、奈良から京都へ移動します。訪ねたのは第11番札所上醍醐寺。何年か前に山の上にある観音堂が火災に遭い、今は下の醍醐寺の観音堂でご朱印がいただけました。登山を覚悟してプランを練りましたが、その段階でこの事実を初めて知りました。お寺さんには申し訳ないけど、asataro達は助かった思いです。境内の「壽庵」でそば会席を賞味します。

地下鉄で御陵(みささぎ)駅に降り立ちましたが、番外札所の元慶寺は道順が分かり辛い。この町では何組かの親切なご婦人たちに助けられました。2組目のご婦人には別のお寺にも案内していただく嬉しいこともありました。華山寺です。非公開の開祖堂にもお参りさせていただきました。ほとけさまのお導きかと感激。浜大津のホテルに泊まりました。

23日、この日はホントの山登り。覚悟と身支度を整え、石山から第12番札所正法寺へ。一般的には岩間寺と呼ばれる有名なお寺さん。asataroは若い頃、近くの草津に住んでいて名前は当時から知っていましたが、こんな山の上にあると云うことまでは知りません。信仰とは無縁の青春時代でしたから。片道1時間余りの登りでした。

最後は第16番の清水寺。かの有名なお寺です。いつも大混雑におののいて足が向いていませんでしたが、今回ようやく念願を果たします。京都に住んでいた頃にも何度か足は運びましたが、西国のご朱印は初めていただきました。それにしても中国人観光客のおびただしいこと。鎌倉の比ではなさそうです。そして着物姿の人たちも大半が中国人と知って、腰を抜かしそうになりました。

五条大宮にあるホテルでこの旅の最後の夜を過ごしました。後は次のブログに譲ります。

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