江戸・東京

2017年10月10日 (火)

あさ爺の徒然日記(680) 10月9日(月) 秋の舎人公園

8党首による討論会で意見が戦わされている。自公で過半数を割れば、安倍首相は退陣を約束している。だから争点はそれに尽きる。

ただ、平気でウソをつく二枚舌の彼のことだから、その時は維新を抱き込んで総理の座にしがみつく可能性も捨てきれない。松井くんも百合ちゃんが大好きなわけではなさそうだから、大阪都実現をちらつかされたらひとたまりもないだろう。

今日は、爽やか秋空に誘われて都電荒川線と日暮里舎人(とねり)ライナーを乗り継いで、足立区の舎人公園に出かけた。まだ新交通システムのライナーが着工前に、川口からこの舎人公園を横断して竹ノ塚駅までウオーキングしたことがある。しかし、ほとんど覚えていないので、ライナーともども初体験に近い。当時はまだ全面オープンはしていなかった筈だ。今もまだ工事中のようでもあるが、とても広くて木陰も多い。連休を楽しむ家族連れが芝生にたくさんのテントを張っていた。

TDLやUSJとは対極的な健康的大公園と云える。モチロン、入場無料だ。

2017年8月30日 (水)

あさ爺の徒然日記(644) 8月30日(水) 平和祈念展示資料館

昨日のことだが、新宿住友ビルの48階にある、平和祈念展示資料館を初めて見学した。企画展で「漫画でたどる引揚げ展」が開催されている。朝鮮半島からの引揚者70余万(軍人軍属を除く)の一人であるあさ爺としては、是非とも見ておきたかったものだ。

3歳未満だった為に、引揚げの過酷な記憶はない。それだけに親も余り語ろうとしなかった引揚げが、実際はどんなものだったか・・・と。内地生まれのカミさんにも、一緒に見てもらった。

親はもう亡いが、離れて暮らす姉や兄が健在の内に、更に詳しく聴いておきたいとも思った。館内のビデオシアターでは満州から引揚げた語り部たちの記録映画もあった。

ここは総務省の運営になるが、まず史実に忠実で、変な政府寄りの印象はなかった。ま、美化できるような話でもないし・・・。又、機会を見つけて再訪したいと思っている。

2017年6月29日 (木)

あさ爺の徒然日記(584) 6月24日(土) 上中里駅周辺

孫の住んでる目の前に、大きなホームセンターが開業した。以前は工場があった場所だが、おかげで街の雰囲気がガラッと変わった。工業都市から商業都市への180度転換。夜は淋しかったので、明るくなったのは良かったが少々うるさくもなるのだろう。

以前から近くを走る明治通りの車の音は途切れることがないし、都電荒川線の電車の音は風情も感じられて悪くない。そして京浜東北線や高崎線、加えて東北、上越、北陸、山形、秋田各新幹線が色様々に走り抜ける。

今日は、王子から一駅の上中里駅で下車して周辺を孫たちと歩いた。お兄ちゃんのH君の太鼓の練習に合わせてのお散歩だ。弟のGちゃんは3歳になったばかりだが元気そのもので、ばあちゃんの手を引っ張って近くを歩き回っている。半病人のじいちゃんは、図書館の児童室の中で一人絵本を読んで時間つぶしをしている。

目の前の旧古河庭園は紫陽花がきれいだろうと思うが、あの傾斜のある庭園を歩く元気は今のところない。平塚神社や城官寺などの古い寺社もあって、下町と山手の境のような街だ。飛鳥山公園も近い。この子たちが小学生になったら、歩くスピードも早まるだろうから、爺はついてゆけるかどうか・・・。

2017年5月21日 (日)

あさ爺の徒然日記(564) 5月12日(金) 三毛子(ひとり芝居)

三越劇場で今日が千秋楽の、源川瑠々子(みながわるるこ)によるひとり文芸ミュージカルを、カミさんと観に出かける。この劇場は過去に2度ばかり入った記憶があるが若い頃の話で、最近は縁がなかった。三越本店に入ったのも久しぶりだ。時間があれば、今、話題のギンザシックスにも行きたいところであったが・・・。

歌もあるからミュージカルには違いないが、要するにひとり芝居だ。あまり馴染みのない分野なので、どのように演じられるのか興味もあった。漱石生誕150周年記念公演で、「吾輩は猫である」をモチーフにしたオリジナル作品だ。主人公は三毛子と云う名前の三毛猫(だろうと思う)。三毛どころか、華やかな着物をまとったきれいな猫ちゃんだ。飼い主の二弦琴のお師匠さんと、下女つまりお手伝いさんの三役をこなしている。

漱石は「坊ちゃん」やこの吾輩の時代には軽妙洒脱なユーモア作品が中心だった。明治前半の時代風景を皮肉を交えて書き上げた。しかし、後半生の作品は一見暗く重い印象になる。同じ作家とは思えないが、どちらも夏目漱石だ。あさ爺が暮らした松山では、坊ちゃんはいまだに英雄だ。田舎町とこき下ろされても、松山人はニコニコとして受け入れている。

今日のお芝居、ベテランの女優さんによる円熟した演技が光った。思わず、漱石に思いを寄せた一日でもあった。

2016年12月22日 (木)

asataroおでかけ日記(159-995) 12月17日(土) 表参道

9月17日、昨日の大相撲観戦の余韻に浸ってはいたが、浅草橋のホテルを早めに出立。王子に立ち寄り、赤羽経由で幼い孫たちを引き連れて自宅に戻る。翌18日には横浜の長男一家も来訪。孫4人が揃っての敬老の日記念祝賀パーティーが「盛大」に開かれた。

9月28日、今度はasataro爺さん夫婦の誕生日祝いを娘が表参道で催してくれた。表参道や青山を歩くのは何年ぶりだろうか?10月15日、王子で保育園の運動会が行われ、出かける。両親が仕事に追われているため、孫兄弟は幼い内から保育園のお世話になっている。祖父母としては不憫にも思うが、幼子たちは一段とたくましくなってきている。

たくましいとは云え、やはり幼い子は病気にもなりやすい。熱が出ると保育園を休まざるを得ず、その都度SOSがくる。交通機関が発達していて助かるのだが、それでも片道2時間は楽ではない。朝は通勤ラッシュの満員電車で駆けつけることになるが、それもだんだんきつくなってきた。10月は2回、SOS出動があった。それだけに元気であって欲しいと心から願うことになる。

12月6日、上野の国立博物館に出かけた。上野の森の紅葉が素晴らしかった。特に銀杏の黄葉は絵に描いたような美しさ。外国人も感嘆の声をあげて写真を撮りまくっている。滋賀県甲賀にあるお寺の平安仏が展示公開されている。asataroは同じ県内の草津市に住んでいたこともあるが、甲賀には行く機会がなかった。と云うより若い頃には仏像にさほどの関心も持たなかった。仕事に追われる毎日で、心に平安を求めるすべも知らなかった。

今日はEFGの仲間たち12名で出かけ、構内の法隆寺宝物館も併せて見学。以前は、国立博物館友の会にも加入していたが、定期券の使えない身分に落ちぶれてからは、とても通える距離ではなく自然退会となった。

同じように新宿での「興福寺友の会」も、毎年律儀にご案内いただくが2年近くご無沙汰している。貫主さまのお話や座禅も捨てがたいのだが、今のasataroには鎌倉で精一杯となっている。老いの辛さで、お江戸も遠くなりつつある。

2015年6月18日 (木)

asataroおでかけ日記(148) 4月2日(木) 馬込文士村

JR大森駅で集合。昔の仕事仲間のサークルです。地域の歴史を学びながら散策し、後で美味しいビールを飲む会です。

前回(3ヶ月前)は大田区の馬込文士村を歩いて蒲田で中華を楽しみ、今回は横浜の大岡川の桜並木を散策して弘明寺で一献かたむける予定でしたが・・・。前回が雨の為、夕方の食事会だけに変更。今回はそのリベンジで、2回分を1度で済ませようと少し欲張りな計画を幹事が考えた次第。

集合時間もいつもより早くなり、地元のガイドさんに案内していただきました。鎌倉も文士が多く住みついていましたが、この馬込や田端にも文士村が生まれました。類は友を呼ぶのでしょう。文士と呼ばれる人には、何か住みやすい環境があったようです。

駅前には文士の顔が浮き彫りされたレリーフがあり、そこからスタートしてアップダウンの多い街を歩きます。天祖神社で街並みを展望し、射的場跡、ジャーマン通り、尾崎士郎記念館と廻ります。尾崎士郎と云えば「人生劇場」。宇野千代と離婚した後、別の女性と再婚。亡くなるまで暮らした場所に建っています。

山王草堂記念公園は徳富蘇峰が暮らした邸宅趾。大正13年に新居が完成。一家がここに住み始めたのが現在の山王草堂。4男6女と昔の人は子だくさんが多かった。ジャーナリストで評論家、しかし、asataroには右翼とは云わないまでも、右寄りの思想で国民をリードした言論人と云うイメージが強い。従って、戦後民主主義の教育を受けて育った世代では、あまり彼のことを知る機会も少なかった。

教科書には弟の徳冨蘆花は出てきても、アニさんは登場していなかったように思う。しかし、最近はメディアでも採り上げられる機会が増えてきた。先年の大河ドラマ「八重の桜」では熊本バンドから同志社に移ってきた青年達のリーダー徳富猪一郎として、何度か主人公を演じる綾瀬はるかとやり合っていた。

更に歩を進めて山本周五郎旧居跡、万福寺、室生犀星旧居跡、小林古径(日本画家)旧居跡と廻り、満開の馬込桜並木を歩く。花見客で賑わっていて、文士が暮らしていた頃にもこの桜はあったのだろうか等と考えながら、案内して下さったサチコさんとナオコさんの2人のガイドさんとお別れ。

次なる桜の名所、横浜の大岡川へいそいそと移動させていただきました。

2014年9月20日 (土)

asataroおでかけ日記(141) 8月15日(金) 白馬の反省会

午後、逗子で開かれている写真家のK氏の個展に出かけました。氏のライフワークとなっている水中生物の写真展で、毎年夏のこの時期に逗子プラザのギャラリーで開催されています。奥様にも再会のご挨拶をしました。お元気そうでなによりです。生物でもジャンルは広いのですが、魚類はあまり対象とはしていないようで、レンズの先に見えるのはイソギンチャクとかサンゴ・貝類で、撮影は沖縄の海であったり、三浦半島の磯であったりします。asataroは、ほとんど名前はわかりません。K氏が懇切に説明をして下さいました。

夕方その足で、渋谷に向かいます。新逗子から京浜急行で横浜に出て、そこで東横線に乗り換えます。渋谷はいつものことながら、すさまじい雑踏の中にありました。昨年と同じ会場だったにもかかわらず、なかなかお店が見つかりません。昨日のことさえ忘れる昨今、去年のことを覚えられる筈もありません。

それでも、時間までには11名全員が揃いました。白馬八方登山に参加した東京組のメンバーですが、お盆の時期と重なって全員が顔を揃えるのは難しかったようで、今日も2人が欠席となりました。田舎育ちのジイサン・バアサンですが、半生を都会で揉まれたせいか、雑踏をくぐり抜けて会場に無事到着したのは、これはこれで感動ものです。

今から69年前のこの日、日本は戦争に敗れました。当時、今夜のメンバーは3歳前後の幼児です。天皇の玉音放送の記憶はマッタクありません。ちょうど、asataroの孫の歳ですから、記憶がないのはやむを得ないかなと思います。天下のT大を卒業したメンバーも何人かいましたが、戦争を思わせる記憶はホトンドないようで、安心?しました。秀才はキチンと覚えていたならショックですが、それでもエジソンは2歳の時の記憶を鮮明に覚えていたと云う例もあるそうで、人様々なんですね。

山登りの反省会でしたが、話は山越え谷越え、あらゆる方向に飛び回ります。戦争の話や、戦後の苦しい記憶はあまり大きな話題にはなりません。年寄りらしく、手術した話は出てきますが、それでも前向きの話が多いのには感心します。海外経験が多い人たちなので、駐在時代や最近の冒険話も飛び出します。このグループの隊長のI氏は明日からラオスへ出かけるとか。密林の中でターザンのような生活を体験するらしく、半信半疑ですが、皆さんにこにこしながら聞き入っています。

貴様も俺も、そして貴女も同期の桜。高校を卒業して53年余。渋谷のネオンの海に潜む水中生物のような人たち、酔いしれながらも結束を確認したひと時でした。

2014年5月 5日 (月)

asataroおでかけ日記(135) 4月9日(水) 帰朝報告会

ネオンが輝き始めた渋谷の街に降ります。東横線と副都心線が繋がった新しい渋谷駅で下車するのは初めてです。深い地下から最寄りの出口を探し歩きます。

学生時代にはよく乗り換えに利用した駅でした。50年以上昔の話ですから風景は様変わりしていますが、東京のターミナルでは一番馴染みのある駅であることに変わりはありません。

今夜はこの街の一角にあるレストラン(パンダと言う名前)において、高校OBの今の山仲間が集まりました。昔ではなく、今一緒に山歩きしていると言う意味です。その仲間の1人が中国での日本語講師の仕事を終えて無事帰国。その帰朝報告会が行なわれました。

中国帰りのお客さんが主賓なので「パンダ」にしたのでしょう。しかし、出て来る料理は笹づくしと言うわけではありません。美味しい料理と生ビールで今日の主役、T田氏の土産話を楽しく聴かせていただきました。

彼は故郷の街の姉妹都市交流事業として南昌市に派遣されていました。パソコンを持ち込んで滞在中の様子を見せてくれます。現在の日中関係が厳しい逆境の中での滞在、さぞ苦労があったろうと想像していました。しかし、画面の中の中国の若者は皆明るい笑顔です。彼の話も、楽しかったと何度も繰り返します。

彼の話の中で何度も出てきたのは、日中の学生の違い。中国の学生たちはみんな目がきらきらと輝いていたと言います。しかも、授業中に私語する者は皆無で、とても真剣だったと・・・。また、混んだバスや地下鉄の中ではすぐに若者が席を譲ってくれたそうです。日本ではご存知の通り、平気で優先席に座り、老人が乗り込んで来れば寝たふりをする光景をよく見ます。

授業中や公共の場で見せる中国の青年の態度を見るにつけ、ニッポンは明らかに負けていると思ったそうです。やはり成長期の国の強さが印象的だったようです。

男子6人・女子3人の昔の高校生、この夏も信州への山行きが計画されています。山仲間の中では新人ですが、もう飲む時だけは一人前みたいな顔をしているasataroでした。

2014年2月 5日 (水)

asataroおでかけ日記(130) 2月3日(月) 巣鴨地蔵通り

健診が終わった後、Kクリニックを出て白山通りを歩きます。この辺りは小石川1丁目で、通りを隔てた向こう側が本郷更に西片、白山と続きます。樋口一葉が明治29年(1896)に24歳の若さで肺結核のため亡くなったのが、現在の西片1丁目でした。「にごりえ」「十三夜」と秀作を次々に世に出し、代表作「たけくらべ」を発表した年に、この世を去りました。asataroは、瀧廉太郎と言い、この樋口一葉と言い、神様が明治の日本に寄こした天才ではなかったかと思っています。

幾つかの寺院を通り過ぎます。江戸から明治・大正にかけて活躍した文人や著名人のお墓も多くあるようですが、これからasataroの原宿、いや「おばあちゃんの原宿」こと巣鴨地蔵通りを目指します。小石川植物園とか六義園など見どころも多い地区ですが、娘は仕事と育児に追われ、どこも行ってないと・・・。職場の近くにあっても、のんびり出かけるヒマはないようです。

巣鴨も久し振りです。この街はまるで時代を先取りしたように、かなり昔からお年寄りの人気スポットでした。asataroの学生時代には「高齢者」と言う奥歯に物がはさまったような言い方はあまりしませんでした。ずばり「年寄り」「老人」であり、親しみを込めて「じいちゃん」「ばあちゃん」・・・。その頃から、巣鴨=お年寄りのイメージがありました。これは病気平癒にご利益のある「とげぬき地蔵」が発信源でしょう。

蕎麦屋さんに入り、ゆうべからの空腹を満たします。塩大福など名物を買い求めながら、高岩寺の境内に入りました。今日は夕方に豆まきがあると言うことで、いつになく(いつも混んでる?)賑わっているようです。ゆるキャラの「すがもん」が子どもたちとカメラにおさまっています。本堂にお参りした後、観音さまを洗う為の行列に並びます。昔はたわしで洗っていましたが、今はタオルで洗います。治したい場所を念入りに洗うと、病のトゲが抜けるそうです。

お地蔵さんではなく、観音さまがトゲを抜く・・・。娘がハテな?と不思議顔していましたが、何かいわれとか理由はあるのでしょう。なにしろ、現役の女医さんも並ぶと言うウワサもあるくらいですから、ご利益の効果はお墨付きです。高岩寺までは混雑していましたが、それから先は人も少なく却って風情のあるお店が何軒かあります。

レトロな雰囲気の喫茶店がありましたので、お茶します。asataroが学生時代の頃(半世紀前の大昔の話です)に都内各地で多く見られた、しっとりと落ち着いた重厚感のある黒を基調とし、木目調でムード音楽の流れるお店です。現在のマックや少しばかり上級のスタバ等の白っぽくて安っぽいお店とは対極の存在。常連さんと初老のママさんが織りなすお店の雰囲気・・・。絵になる風景です。それでいて、料金が安いのは有難いことです。因みにお店は「貴族」と言う名前だったと思います。

庚申塚電停から都電に乗り込み、王子駅前で下車。娘とここで別れて、早朝からの長い一日が漸く終りを迎えました。

2014年1月25日 (土)

asataroおでかけ日記(128) 1月18日(土) 高校同期新年会

高校時代の同期の集まりが銀座でありました。以前、新年会を夜に行なっていましたが、女性の参加率が悪くて飲み会としては中断されていました。その代わりに女性軍の人気を集めてきたのが、鎌倉と横浜の春秋2回の散策会です。

ところが今度は散策には余り参加しないメンバー(要するに飲みたい人たち)から、新年会の中断を惜しむ声が出て来ました。その妥協の産物として生まれたのが、今年の新年会。1月の土曜日のお昼に都内で開催、と言うのが今回の企画で、たまたま学年幹事のT田氏が中国へ長期出張のため、A原氏が代行して募集。結果は上々で、31名が会場となった銀座に集まりました。

心配された女性は12名。男女とも当初はもっと多くがノミネートしていたようですが、体調が悪くなったり、伴侶や孫の具合が悪くなったりで当日もドタキャンが何人か出ました。幹事泣かせですが、それも織り込まないとこの種の会合はできなくなります。

仲間のあさ爺が鎌倉散策の専任ガイド?を引き受けていますが、問題は食事場所なのです。キャパシティもさることながら、ドタキャンが発生した場合にお店が協力してくれるかどうかです。杓子定規に規定のキャンセル料を取られたのでは、赤字が出ます。従って、どうしても親しいお店で融通を効かしてくれる所を手配することが多くなります。

70歳を過ぎてしまった高齢者の集まりですから、いろんなことを考えなければ企画は難しい面があることを今回も教えてくれました。今日の目玉は、昔の写真を持参させたことです。asataroもセピア色に変色した古写真を数枚見つけ出して用意しました。1年生の時はイガグリ頭ですが、3年生では黒髪フサフサです。

男女のグループでハイキングやサイクリングをした時の写真を持ってきたメンバーもいます。女子との写真なんぞを1枚も用意できなかったasataroは、口惜しい思いをします。勉強一筋に見えた級友連中がオトコはモチロン、オンナの子達もそれなりに楽しんでいたとは・・・。

この歳になって、知らなかった世界を覗き見たような、時効になってしまったプライバシーを知ったような、ナントモ複雑な心境になってしまった新年会でもありました。

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