国内旅行

2016年8月20日 (土)

asataroおでかけ日記(156) 7月21日(木) 奥津温泉

今回の西国巡礼を終えたasataro達一行3人は、姫路を出て岡山県の北部にある奥津温泉を目指します。車から平成の大修理を終えた姫路城を眺めながら、「屋根まで白く塗りたくって、何よあのお城は!」「う~ん、前の方が良かったよな~」とカミさんたちと世界遺産に向かって、毒舌を吐きます。

因みに以前の落ち着いた姫路城をご覧になりたい方は、時代劇専門チャンネルで夕方に放映されている「暴れん坊将軍」を見てください。番組の冒頭に江戸城天守閣(実は姫路城)の雄姿がご覧いただけます。全身真っ白に厚化粧したおいらん姿ではありません。

いろんなことをほざきながら、車は中国山地奥深く分け入ってゆきます。やがて吉井川の上流に沿って走ると、ほどなくして奥津温泉に到着です。湯原(ゆばら)、湯郷(ゆのごう)と合わせて美作(みまさか)三湯。

asataroにとっては子供の頃に、叔父に連れられて映画館で観た「秋津温泉」が深く印象に残っています。岡田茉利子が自身100本目の出演作の記念に自らがプロデュースし、吉田喜重監督がメガホンをとった名作。戦後間もない時代に発表された藤原審爾の原作。

あの映画の中で旅館の女将役だった岡田茉利子はとても美しかった(過去形でゴメンナサイ)。自殺するつもりで山奥の温泉場にやってきた青年長門裕之が忘れられなくなる。結論から言えば、命を救った岡田茉利子の方が最後は自ら命を絶ち、純粋の愛を貫くと云うなんともやるせない悲劇なのだ。

長門には妻子があり、結ばれ得ぬ恋と知った岡田はそれでも愛を貫き通した。息絶えた岡田茉利子を、渓流沿いで発見。まだ温かい体を抱えて長門が号泣しながら土手を歩くラストシーンが脳裏を離れない。

まだ小学生だったasataro。元陸軍騎兵将校だった憧れの叔父(母の兄)は、どうせこの甥っ子には男女の色事はわかるまいと、鍵っ子で寂しい思いをしていた小学生を連れ出してくれた。しかし、この小学生はナント終生この映画を忘れることはなかった。あろうことか卑怯な長門裕之を許せなかった。

話が横道にそれて奥津の渓流に落ちそうになってしまったが、その忘れられない秋津温泉(実は奥津温泉)なのです。泊まった宿は老舗の「名泉鍵湯  奥津荘」。ロビーにはゆかりの棟方志功の大作が飾られていました。肌に柔らかい奥津の湯は同行のご婦人たちにも好評でした。

ここでは川沿いの露天風呂で乙女たち(実はおばさん)が足踏みで洗濯をする昔からの風習があり、それを温泉の名物にした洗濯ダンスが観光客の目を楽しませる。観光シーズンの週末に行われるこのイベントが、たまたまテレビの旅番組のロケに遭遇。翌朝、橋の上から見物させてもらった。俗っぽい音楽に乗せての三人娘?がたすき掛けで足踏み洗濯をする。

岡田茉利子の演じた山奥の湯治場とは、60年の歳月が無残に過ぎて、当時とはかけ離れたいで湯の風景となってしまったようである。

2015年10月 5日 (月)

asataroおでかけ日記(151) 9月11日(金) 河口湖観光②

7月に忍野八海へ行った折、猿回しの芸に興じた(特にカミさんが・・・)ことがありました。そのお猿さんは河口湖の猿回し劇場で勤務していますと、自己紹介がありました(本人いや本猿が喋るわけないか)。

そこで、今日は猿回しを見物することもスケジュールに入れてあり、早速入場しました。あの時のお猿さんではありませんでしたが、2匹が芸を見せてくれます。こんな広い劇場でお客さんが入るのだろうかと余計な心配もしてあげましたが、団体さんも入ってそれなりに座席が埋まり、なんだかホッとしました。主役はQ太郎クンで、もう1匹はまだ若い猿。今は修行中らしい。それなりに楽しめたが、忍野村では無料で見物できたけど、ここでは結構いい値段の料金なので感激は今一つだったらしい。ま、そんなもんでしょう。

バス乗り換えの為、河口湖ハーブ館で下車。暑いこともあってソフトクリームをほおばります。ここで西湖周遊バスに乗り換えて河口湖ミューズ館に向かいます。この乗り換えはマップを貰っていてもナンカわかりづらくてややこしい。外国人もウロウロしていたから、もっと改善の余地がありそう。

このミューズ館は7月にラベンダーを見た八木崎公園の一角にあり、前回時間不足で見られなかった場所。なにしろその時は旅館の送迎バスがサービスとトイレ休憩を兼ねて30分だけ立ち寄ってくれた場所なので、土台無理な話。それでも同行のご婦人方は心残りだったようです。

彼女らのお目当ては創作人形作家の「与勇輝館」(あたえゆうき)が常設展示されていることです。asataroは認識不足でしたが、結構有名な人なんだそうである。確かにリアルだけどほのぼのとしたいい感じ。見ていて微笑ましく鑑賞させていただいた。河口湖周辺には、こうしたこぶりの美術館が点在している。箱根もそうだが、それぞれ運営はタイヘンだと思うけど、日本の観光地が誇っていいことだと思う。長野や群馬・栃木にもそうした個性的なミュージアムが多くあり、旅のもう一つの楽しみにもなっている。いつも駆け足見物だけど。

今日の最大の目玉は夕方に行なわれるオペラ鑑賞です。帰りの足は直通バスが出た後なので、富士急の電車で大月に出て藤沢まで帰る予定です。その辺りのことは鉄道好きのあさ鉄が報告させていただきます。

2015年10月 4日 (日)

asataroおでかけ日記(150) 9月11日(金) 河口湖観光①

先月、asataroの地元辻堂から河口湖への直通バスが運行を始めました。このルートの始発は藤沢駅で本厚木駅を経由して、富士急ハイランド・河口湖駅を約2時間で結んでいます。早朝出発ですが一日1往復ですから、結局このバスに乗った方が電車を乗り継ぐよりも早く、安く着きます。

昨日にするかどうか迷ったのですが、天気予報の仰せに従って今日にしました。出発の辻堂駅で今から向かう富士山がキレイに見えます。昨日の雨がすっかり晴れ上がり、絶好の行楽日和になりました。開通したばかりの圏央道を通って厚木でいったん高速道路から下り、本厚木駅の乗客を拾って中央道に入ります。

富士急ハイランドで大半の乗客が下車しました。ここの入場券とセットになった往復乗車券が安く販売されていますので、車で往復するよりも格段に楽でしょう。我々は終点の河口湖駅で降ります。

駅の窓口で乗り降り自由の周遊バスフリークーポンを求めました。一人1200円で2日間有効。但し、asataro夫婦は日帰りです。今年は7月の初めに河口湖畔にある八木崎公園のラベンダーを見物していましたので、思いがけずも2度目の訪問となりました。

その時に時間の関係で見物出来なかった場所も、今日の予定に組み込みました。最初に訪れたのは「久保田一竹美術館」。染色家久保田一竹の作品「一竹辻が花」を常設展示しています。高級過ぎてお目にかかる機会のない作者の代表作品が並んでいます。庭の散策路も赤松の自然林の中に作られ、富士山の展望を楽しめるようになっていました。しかし、辻堂駅を出発する時は見えていた富士山が皮肉なことにここでは雲に隠れて見えません。湖のせいらしく日中は水蒸気で見えなくなることも多いとか。

美術館を出た後、バスには乗らずに湖畔を歩いてみました。途中で出会った地元のオジサンにいろいろ教えていただき、途中に美味しいベーカリーレストランがあると聞いて、迷わず立ち寄りました。平日にもかかわらずお店は混んでいましたが、景色のいいテラス席でランチします。

そこから大石公園に向かい、「大石紬伝統工芸館」に入りました。町営の施設で入場無料です。伝統の大石シルクと布を展示したり販売・体験もできるようになっていました。お土産にここの製品を購入します。近くの河口湖自然生活館も見学。ここは大石公園の中心施設のようで、多くの中国人観光客で溢れかえっていました。

河口湖や西湖を周遊するバスでは感心させられました。富士急山梨バスが運行していますが、各観光地を頻繁に結んでいますのでたいそう便利です。それ以上にたまたま乗り合わせた女性乗務員、つまり若い(と云っても30~40代??)女性の運転士さんが、英語、中国語、韓国語で案内しながら、それもなかなか流暢な発音なのです。帰国子女みたいな堪能ぶりですっかり感心しました。

毎日、同じ場所を走るのでと云ってしまえばそれまでですが、asataroが感心したのは乗ろうとして質問してくる中国人や韓国人にそこの言葉で丁寧に返事を返しているのです。ヒアリングも出来て、それに間髪を入れずに答えられる。これはプロ意識満点で「アッパレ!」と心の中で叫んでしまいました。

鎌倉で当日ガイドをしていた仲間のあさ爺がやりたくてもマネ出来なかったことを、彼女はバスを運転しながら難なくやっているのですから。鎌倉にこんなバスのサービスはありませんし、もちろんこんな素晴らしい乗務員はいない筈です。駅の案内所の彼女たちにしても英語のみの応答です。富士山が東アジアの人たちの人気を集めている原因を垣間見た想いでした。

この日は更に観光を続けましたので、又、改めてレポートさせていただきます。

2015年8月 8日 (土)

あさ鉄の車窓日記(38) 7月4日(土) 忍野八海

温泉宿の楽しみは大浴場で、朝の陽光を浴びながら湯に浸かること。まさに至福のひと時でありますな。今朝も朝食を挟んで2つの浴場をハシゴします。

チェックアウトの後、すぐには出発せずこのホテルの売りでもある庭園を4家族7人で歩きます。富士の裾野から流れ出す桂川の清流、その名に似合わないスゴイ水量です。紫陽花が満開です。自然の地形を巧みに生かした和風庭園、紅葉の季節も素晴らしいでしょう。

甥夫婦の車で忍野八海に向かいます。どこか行きたいところは?と聞かれて、迷わずに指名した場所です。しかし、素朴な美しさをイメージしていましたが大きく当てが外れました。中国人観光客で溢れかえっています。建ち並ぶお店も、俗っぽい土産物屋ばかりです。

白銀の富士が湖面に映り茅葺の農家が点在するいつもの写真で見た風景を、勝手に更にイメージを膨らませていたあさ鉄です。でもこれが現実と気を取り直して、池と呼ばれている小さな湖を巡ります。一番から八番までの霊場巡りも出来るようになっていました。

カミさんは猿回しに大喜びです。元々、大道芸に興味を持っている彼女ですが、中でも一押しは猿回しのようです。

一つだけ離れていて観光客もホトンド訪れない出口池へは、道に迷いながらようやく辿り着きました。カワセミが飛んでいました。ここでやっと静かな湖面を眺めますが、降ったりやんだりのあいにくの空模様。

古民家風のお蕎麦屋さんを見つけて、お昼にします。蕎麦処「琵琶」です。しかし、今朝のホテルの朝食がご馳走過ぎて、まだお腹がふくれたままで食欲がありません。

ここからタクシーを呼んで北口本宮富士浅間神社に向かいました。日本武尊東征の途次立ち寄った場所と伝えられています。大鳥居は日本最大の木造鳥居で、本殿や境内の東宮、西宮は国重文。鬱蒼とした杉木立の中にあって、富士登山道の吉田口ともなっているそうです。ご朱印をいただいてホテルに戻りました。

また、泊まるわけではありません。午後3時過ぎに出る送迎バスを予約してあります。昨日はアクシデントで立ち寄ることができなかった御殿場駅に向かいます。夕方の電車で国府津に向かいます。1時間足らずで到着。遠いように感じても意外と近いものです。丹那トンネルが開通するまでは、これが東海道本線だったことは、よく知られている通りです。

国府津からは20分で辻堂。短い1泊旅行ではありましたが、甥っ子のお祝いで豪華なホテルにも泊めていただき、いつまでも想い出に残る旅となりました。

2015年7月30日 (木)

あさ鉄の車窓日記(37) 7月3日(金) 富士吉田へ

山梨県富士吉田市のホテル「鐘山苑」(かねやまえん)で行なわれる慶事に出席する為、あいにくの雨の中を出発しました。車で出かけることも考えましたが、途中の山越えは霧が多くて危ないと言われました。お祝い事でもあり、着いてからの着替えのことを考えると車の方が荷物も積めて便利かなと思ったのですが、元々長距離運転が下手で嫌いなことも身内には広く知れ渡っていたので、誰も賛成してくれません。

結局、JRでのお出かけになりました。確かに今日のような強い雨だと、山道はガスもかかって難儀でしょう。自信のない運転手も、それに付き合わせられる哀れな同乗者もビクビクしなければなりません。電車に変更しておいて、内心ホッとしました。

ところがその電車の旅もタイヘンでした。国府津で乗り換えようとした御殿場線が大雨の影響で松田で運転打ち切りとの駅のアナウンス。御殿場方面へ向かう人は沼津からなら大丈夫なので、今の電車にそのままお乗りください・・・と。慌てて3人は再び辻堂から乗って来た東海道線の普通電車に戻ります。

実は辻堂~御殿場間はJRが別の会社またがりになるため、わざわざICカードではなく切符を購入していたのですが、結局この御殿場行きの切符で向かわざるるを得なくなりました。予約していた御殿場駅からのホテルの送迎バスは、始発が三島駅で時間も間に合うことがわかり急遽変更の連絡を入れます。おかげで無事雨の中、沼津まで行くこともなく手前の三島駅からのバスに乗ることができました。

ここからホテルまでは約2時間余り。途中、休憩を兼ねて河口湖にほど近い木崎公園で30分停まります。残念ながら、雲が低く垂れ込めて富士山を仰ぎ見ることは出来ませんでしたが、その代わり見事なラベンダー園を堪能することができました。雨でも多くのバスがやってきます。半分くらいは中国人観光客でした。富士山人気はやはり高いものがあります。

ラベンダーと云えば富良野ですが、北海道にいた頃にはその季節に訪れる機会がありませんでした。今日もバスの休憩場所であることは乗ってから知りました。おかげでこの歳になって初めてラベンダー色に染まったような気がしました。

ホテルに到着後、まずは展望風呂を目指します。最上階にガラス張りの大浴場があるのかと思いきや、ナント素っ裸になって屋上まで階段を登り、そこにある露天風呂に入るのでありました。外は雨です。どうせ濡れれば一緒とのんびり構えるわけにもゆかず、冷たい雨に閉口しながら早々に退散です。

今度は1階にある大浴場に入り直しました。ようやく、温泉好きのあさ鉄は一息も二息もつくことができました。この後、空腹と温泉ののぼせであさ鉄は大事な会食の前に貧血を起こすと云う哀れな後刻談があるのですが、これは本人の名誉のために省かせていただきます。ま、列席者の前で倒れなかっただけでも上出来と自分を褒めたいところです。

甥のY君と彼の伴侶となった美人のT子さん。Y君は典型的なイケメン青年であり、今度のように見事に美男美女のカップルが誕生したことには70年以上生きてきたあさ鉄も新鮮なオドロキと同時に感慨深いものがありました。

若い2人を祝福する宴は富士の裾野で延々と続きます。冷たいビールとご馳走が体内に吸収されて危機を脱したあさ鉄は、もういつものペースに戻りました。メデタシメデタシです。

2013年11月26日 (火)

asataroおでかけ日記(124) 11月8日(金) 紅葉の岡城址

岡城は名城と言われています。中川秀成が六万六千石で入封して13代277年間世襲して明治を迎えています。その石高の割に、この堅固な山城は一体何?と思わせる城構えです。

瀧廉太郎記念館を見学した後は、いよいよ岡城址に向かいます。記念館の近くにステキな和菓子屋さんがありました。「但馬屋老舗」です。文化元年(1804)創業で大分県では最古の歴史を誇り、岡藩主中川公に召されて御用菓子司となったそうで、屋号は初代但馬屋幸助の生国に因むとか。店の構えも素晴らしいが、若い女性店員の親切で洗練された応対ぶりには、同行のご婦人たちも感激。

歴史の足音が止まったような竹田の町には、多くの古い家並も残っていますが、時間の都合もあり臥牛山(標高325m)の稜線に累々たる城郭を誇った岡城を巡ることにします。折から全山紅葉に染まり、遠く九重の山並みも見えます。

建造物は明治初年にすべて取り払われましたが、城地と土木構築物たる石垣等はそっくりそのまま残ることになります。お城と城下町が離れていることが幸いしました。竹田の町の発展とは無縁の状態に置かれたわけです。全国的にも山城の代表的な史跡として知られることになりました。

本丸跡まで登るのは容易ではありませんでしたが、登っただけの価値は十分にあったようで、あまり気乗りしていなかったご婦人たちも、想像を超える城郭跡に驚いています。二の丸跡には瀧廉太郎の銅像があります。「荒城の月」の作曲のイメージはこの古城から生まれたもので、像の作者は同じ竹田の出身である彫刻家朝倉文夫です。

山上の石塁を去り難い思いで眺めます。念願を果たした2度目の訪問。付き合ってくれた彼女たちに感謝です。臼杵の港からフェリーで思い出の詰まった九州を後にしました。

asataroおでかけ日記(123) 11月8日(金) 荒城の月・竹田

阿蘇の外輪山を抜けて大分県に入りました。今回の旅行で特別な想いを抱いていた豊後竹田(たけた)の街に向かいます。

ナント言っても、この山の中にある小さな町は滝(地元では元々の瀧と表示)廉太郎の「荒城の月」で知られています。その名曲が生まれる所以となったのが「岡城」。以前に一度だけ、早朝に駆け足で見学したことがありますが、是非機会があればもう一度と思っていました。

明治12年に東京・芝で生まれた廉太郎。官吏だった父親の転勤の為、富山・大分・竹田と移り住みます。富山・大分ではいずれも師範学校の附属小学校で学んでいますから、優秀な子どもだったのでしょう。

竹田で暮らしたのは2年半の短い期間だったようです。当時から音楽に非凡な才能を見せていた彼は、上京して東京高等師範学校付属音楽学校予科(後の東京音楽学校・現在の東京藝術大学音楽学部)に進みます。父親が当時としては先進的な考えの持ち主で、既に家庭にヴァイオリン等があったそうです。でも、廉太郎が将来は音楽家になりたいと言った時、さすがの父親も音楽では飯が食えないと戸惑ったそうです。この逸話は、実の妹が後に語ったことで、これらは展示を含めて瀧廉太郎記念館で知ることができました。

20歳で「花」、21歳で「荒城の月」「箱根八里」や唱歌「雀」「お正月」を作曲。ドイツに留学しますが、肺結核を発病し翌年失意の内に帰国。23歳の若さで療養先の大分市で亡くなりました。この若さで、数々の不朽の名作を残した廉太郎は後に楽聖と讃えられます。短い人生ではあったけれども、この世に大きな足跡を残し得たので、死の淵にあってもそれはそれで充実した満足感があったのではと思います。

20歳で洗礼を受けた廉太郎は、既に己の残された限りある命を感じていたのかも知れません。天国で更に多くの名曲を、得意のピアノで生み出し奏でているように思えてなりません。

2013年11月24日 (日)

asataroおでかけ日記(122) 11月8日(金) 阿蘇神社参拝

山鹿・平山温泉で一夜を過ごしました。朝食後、例によって近くを散策します。もっと山深い所と想像していましたが、それほどのこともなく谷あいに田園地帯も広がる山里でした。湯の郷らしく湯煙りが立ち昇ります。

再び山鹿の市内を抜けて、紅葉の名所として知られる菊池渓谷を目指します。阿蘇の外輪山に源を発する菊池川の上流にあります。紅葉は樹木によって色の度合いが異なります。日射しの有無が影響するのでしょう。見事に真っ赤になったモミジもあれば、漸く色づき始めた樹もあります。渓流の両岸に遊歩道があり、大勢の紅葉狩りの観光客がモミジ色に染まって見えます。

外輪山の展望台に到着しました。雄大な阿蘇五岳を眺めます。「みほとけの寝てる姿や阿蘇五岳」と句はうろ覚えですが、お釈迦さまが寝てる姿に見えると例えられた山です。中岳の噴煙もよく見えます。曲がりくねった急坂を下って内牧温泉を抜けます。以前に何度か泊まったことのある老舗の旅館は健在でした。

しばらく走ると阿蘇神社に着きました。肥後一の宮として肥後の国の総鎮守と崇められた古い神社です。ここの宮司さんは確かお名前も阿蘇さんで、この阿蘇家は天皇家と並ぶ程の古い家系だと言われています。度々の火災に見舞われ、現在の社殿は江戸時代末期に建てられたもので、中でも楼門は神社建築には珍しい二層の屋根になった大規模なもの。十二脚唐門・上層両妻づくりで二層楼山門式と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。高さは21m。正面に「阿蘇神社」と書かれた大きな扁額は有栖川親王の御染筆だそうです。こちらでもご朱印をいただくことができました。

奥満願寺温泉・平山温泉と2泊お世話になった熊本県とお別れして、再び大分県に入りました。今度の九州旅行の最後の訪問地、豊後竹田(たけた)に向かいます。

asataroおでかけ日記(121) 11月7日(木) 山鹿を訪ねる

満願寺を後にして山鹿へ向かいます。途中の小国町にある坂本善三美術館に立ち寄ります。地元出身の抽象画家坂本善三の功績を讃えて平成7年に開館したそうです。畳敷きの展示室は珍しいもので、建物も地元の古民家を移設したものです。隣接する鉾納社と言う名前の神社にも参拝しました。

山中にある「せせらぎの郷かみつえ」と言う道の駅でお昼にします。菊池温泉を過ぎた辺りから、前方に緑のお椀形のドームが見えてきました。ガスタンクにしては少しおかしいなと思いましたら、それはメロンをかたどったものと判明。この付近はメロンの産地だそうです。七城メロンドームでここにも立ち寄って地元産品を買い求めます。

山鹿市に入り、お目当ての「山鹿灯篭民芸館」を見学します。夏の夜、若い女性たちが頭に灯籠を乗せて優雅に踊る山鹿灯篭祭は有名です。頭に乗せて重くないのかな?と心配してましたが、実は和紙で作られていてとても軽いものでした。灯籠製作の実演も見学します。

肥後・熊本と豊前・小倉を結ぶ豊前街道。山鹿は名湯の宿場町として栄え、大名行列も足を止めて、ゆるりと温泉を楽しんだとか。当時の面影が寺社や古い町家・商家に色濃く残っています。

asataroは初めて訪れた街ですが、親友だったM村くんからよく山鹿の話を聞いていましたので一度行ってみたいなと思っていました。何度か自宅にも遊びに来たり、結婚式にも参列してくれた男です。彼は高校の校長先生をしていた父親の転勤に伴い、熊本県内を転々としていましたが、入学したのが山鹿高校だったそうです。1年上の上級生に、後の宝塚男役スターの上月晃(こうづきのぼる)がいました。体操部で活躍し、しかも美人でしたから目立つ存在で、テニス部の彼も横目でチラチラ眺めていたのでしょう。当時、宝塚に通っていたasataroに話してくれたものです。その体操部の女生徒も、テニス部の男子生徒も今は共に鬼籍に入りました。山鹿と聞くと思い出すエピソードです。

明治時代に建てられた芝居小屋で重要文化財の「八千代座」も見学します。当時としては高価なシャンデリアが吊り下げられ、地下の奈落・廻り舞台も見学できるようになっていました。

山鹿の街並みを散策した後、郊外の山あいにある平山温泉に向かいます。隠れ宿として知られた「やまと旅館」が今夜のお宿です。ヒノキと岩の露天風呂が有名ですが、夕食は豆腐尽くし。今も豆腐屋さんをしているので、豆腐料理がここのウリなのだそうです。

火の国・熊本はどこも豊富なお湯が沸いています。心身ともに癒される山鹿の夜でした。

2013年11月16日 (土)

asataroおでかけ日記(119) 11月6日(水) 天領日田の街

耶馬日田英彦山国定公園は、大分県の北西部に広がる山と盆地と温泉が点在する風光明媚な地域です。ここの中心地が天領だった日田(ひた)。

ここにも城址がありますが、天領でしたからこの城のアルジはお代官さまです。普通だと代官屋敷は少し大きめの武家屋敷と言った感じで、街の中にあるのが一般的ですが、ここは本丸跡もある立派なお城風で月隈公園と呼ばれています。

石垣を見上げるasataroに悪い予感を察知したか、ご婦人たちは「私らは登らないわよ」と機先を制します。制止をはねのけてasataro1人、老いのカラダに鞭打って駆けあがります。息も絶え絶えに頂上に着いて日田盆地を眺めます。ここも紅葉が見頃でした。

日田の見どころポイントは豆田町です。明治から昭和初期にかけて建てられたであろう町家が続きます。asataroが日田に関心を持ったのは、寅さんの映画を観てからです。祇園祭の山鉾が賑やかに練っている日田の街を寅さんが歩いていました。男はつらいよのロケ地には観光客が押しかけるそうですが、asataroたちもその内の1人に違いありません。

例によってご婦人たちは瀟洒な和菓子屋さんをみつけて、ご主人のお話を聞きながら目移りしそうな和菓子を品定めしています。

廣瀬資料館に入ります。代々掛屋(藩の公金の出納・管理を行なう業)を営んでいた廣瀬家の建物が資料館になっていて、一般公開されています。廣瀬家の中で、病身の為に家業を弟に譲り学問の道に進んだのが儒者として有名な廣瀬淡窓。門人は三千人を超えたと言う。

日田(大分県)から熊本県側に入り、山間のいで湯奥満願寺温泉の「旅館藤もと」が今夜の宿です。ナビも迷うような秘境ですが、これは新しいバイパスをナビくんが知らなかっただけ・・・。

別府や湯布院、或いは黒川温泉のような知名度はないけれど、とても素晴らしい宿でした。料理は大満足、温泉は掛け流しでツルツル、露天風呂には真っ赤なモミジが散り落ちます。共同浴場の他に4種類の家族湯、温泉のハシゴができそうですが、これは明日の朝の楽しみにしておきます(*^-^)。

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