家族・親戚

2017年6月 1日 (木)

あさ爺の徒然日記(567) 5月20日(土) 孫の体操教室見学

東京北区に住む娘の家族に会うため、王子に向かう。家族にと云ってもジジイの目的は末っ子のG君のお守り。お兄ちゃんのH君が体操教室に出かけている間の留守番を、Gと爺がやることになっていた。

2人が先に出かけた後、Gを連れて王子駅でカミさん、つまりGのおばあちゃんと待ち合わせ。都電荒川線で池袋四丁目下車。チンチン、ガタゴトと云うちんちん電車特有のBGMでGは爺の腕の中で熟睡。

メトロに乗り換えて小竹向原へ。駅から徒歩15分くらいの所に目指す体操教室はあった。ネットで探したらしいが、通うのは楽ではなさそう。アクロバットスタジオとやらの看板が出ていて、それだけで運動オンチの爺は尻込みする。

勉強は苦手だが、運動は更にダメ、と云うのが自慢じゃないがあさ爺の小さい時からの姿でありました。初心者クラスの中でも、目立ってチビちゃんのHが飛んだり跳ねたりして、お~可哀そうに・・・と思うのがジジババの感想。至って意気軒高の母親は、両親に似ることがなくて幸せだったのかも。

2017年5月 5日 (金)

あさ爺の徒然日記(559) 5月5日(金) 一族の話題は「お墓」

昨日の一族が揃ったお話の続き。大人たちの会話は、老い始めた両親つまりあさ爺夫婦の話題。介護は飛び越えて、お墓をどうするか?と云う、タブーもそっちのけのあけっぴろげで遠慮のない話が飛び交う。さすがに婿さんと嫁さんは進んで議論には入り辛いのか、上目遣いで様子伺い。

こんな話が「議題」に上るのも、あさ爺の怠慢でまだお墓を建てていないことにある。息子や娘にすれば、お墓位は自分たちで決めておいてくれと云うのがホンネなんだろう。余計なお金を出したくないと云うことか。あさ爺は次男坊なので、親の墓には入れない。しかし、その両親は郷里四国の風光明媚な公園墓地で眠っている。

あさ爺の本音は、そこの墓地の一角でも悪くはないなと。郷里に縁者が生存中は、未亡人となったカミさんも、彼女の親戚と一緒に墓参りも可能だ。しかし、首都圏に住む子供たちは誰も来ないのだろう。それにふるさとは遠きにありて思うものと、郷里をはるか昔に去った人間が、お墓だけを建てるのもいかがなものか?

と云うわけで、今住んでる町の公営墓地を希望しているが、これは遺骨を保持していることと、年1回程度の公募による抽選が条件。あさ爺は更にロッカー式の納骨堂よりも、芝生墓地に憧れている。つまり、死後はマンションではなく平屋でも戸建ちがいいと思っている。しかしながら、そもそもカミさんは海への散骨を希望してる。ロッカーはともかく海は苦手だ。残された遺族がお詣りのしようがないではないか。

昨日は結論がでないまま、つまり議論はハカバカしいものではなかった。これを機会にマジメに考えてみよう。ボチボチと・・・。

あさ爺の徒然日記(558) 5月4日(木) 孫、全員集合!

昨日の午後に到着した都内在住の娘夫婦は、子ども2人を親に預けてテラスモールへ出かけた。育児に追われて夫婦でお酒を飲みに出かけることもままならず、実家へ帰った時は羽根を伸ばす貴重なチャンスなんだろう。孫2人も心得たもので、祖父母にべったり甘えて過ごす。まだ2人とも、保育園児だ。

一夜明けて3連休の中日の今日は、横浜に住む息子一家が到着。しかし、その前に朝、食べたパンにアレルギー性物質が含まれていたらしく、5歳半の兄のHくんが急に具合が悪くなり、嘔吐を始めたりしてゲンナリしてしまった。爺はオロオロするばかりだし、婆やも食べさせた責任感もあって孫の背中をさすったりして懸命に看病?する。

彼が横になっている間に、気をきかして息子の家族のお姉ちゃんであるMちゃんと弟のMくんは両親に連れられて、近くの公園に出かけた。2人は小学生(3年と1年)だ。ここの滑り台が変わっていて面白いらしい。後からやってきた娘一家の弟Gくんもハマってしまった。まだ3歳未満なのだが・・・。

大人は尻込みしそうな急で短い滑り台、見ていても子どもと滑った父親が地面にしたたかにしりもちをついて顔をしかめていた。最初の内は少し遠慮がちだった子どもたちも漸く本来の遊び好きな少年少女になって、家に戻る。すっかり吐いてしまって、元気を取り戻したHくんも交えて、家の中はいつもの大騒ぎとなった。

あさ爺夫婦の一族10人が揃うのも、首都圏で暮らしながら、なかなか難しい。子どもたちも元気になったところで、婆や自慢の手料理でランチを楽しむこととあいなった。今日のメインはさまざまなオハギがテーブルいっぱいに並んだ。一日早い端午の節句を祝う。

2016年3月11日 (金)

あさ吉の思い出日記(44) 3月11日(金) 5年前のあの日

被災地では各地で追悼の行事が行なわれた。東京では政府主催の追悼式が両陛下ご臨席のもとで開催されたし、鎌倉の雪ノ下カトリック教会では宗教・宗派を超えての合同慰霊祭も行なわれた。テレビでは各局が朝から晩まで関連番組を流している。

政府主催では安倍首相の白じらしい挨拶で文字通り白けた感じだったが、天皇陛下の誠実なお言葉がその後にあり、救われる思いであった。それにしても首相の言葉の誠意の無さは何としたことか?保育園に落ちたママの叫びではないが、一晩でも避難所で寝てみたらどーか!閣僚全員が仮設でもいいから1週間寝泊まりしてみろ!!と・・・。

大体ナンデ追悼式に君が代を演奏するのか?あさ吉は君が代肯定派だけど、今日ばかりは違和感があった。まだ「花は咲く」でも全員で合唱した方が良かった。開式宣言をナンデ官房長官のS氏がやるのか?東北の民放の女子アナにでもやって貰ったらもっと良かった。

でも鎮魂の日にグダグダ言っても犠牲者や被災者の心は鎮まらないだろうし、あさ吉も血圧が上がるだけ。復興は道半ばで、5年前のことを「想い出」にすることには抵抗があるが、敢えてあの日のあさ吉一家はどうしてたか・・・。

老夫婦2人とも幸い在宅していた。翌日に控えた我が家にとっての一大イベントに落ち着かない時間を過ごしていた筈だ。少なくともカミさんは明日着てゆく衣装をどれにするか最後の準備に余念がなかった筈だ。ま、平和な午後を過ごしていたことは確かだ。

そして、突然襲ってきた激しい揺れに、食器棚の上から瀬戸物が床に落下。木端微塵に砕け散った。あさ吉は倒れそうな書棚を必死に押さえ続けた。お互いに怪我はなかった。しかし、我々夫婦は揺れがおさまってから茫然自失となる。被害のことではない。「明日」のことを心配したのである。心配を通り越して、予定は白紙になると覚悟したのである。

それからの2日間、我が家族は親戚を巻き込んで混乱するハメになる。何があったか、何を予定していたのか・・・。娘のハレの結婚式だったのである。

内の受験祈願で有名なY神社が式場だった。娘が小学生からお参りを続けて、大きなご利益を得て本人が挙式に選んだ神社。披露宴は御茶ノ水にある老舗ホテルだった。結果的に神社もホテルも被害はなく、「予定通り」に事は進んだ。

しかし、我々が自分たちのことばかりを心配していた間に、東北沿岸を中心に大きな悲劇が進行していたのである。モチロン知らなかったわけではなかったが、余裕がなかった。段取りしていたスケジュールはすべてご破算となり、会場にたどり着くまで本人を含めて親族も皆大変な苦労を強いられたことは云うまでもない。

前日に四国から駆けつけた新婦の伯母は、彼女の息子つまり新婦の親しい従兄と恵比寿にいたところで地震に遭遇。すべての交通機関がストップした中で、息子の住んでた調布まで歩いたそうである。同じく大手電機メーカーに勤務していた別のいとこは、その後福島の事故で不眠不休の事故対応に当たることとなる。

そしてなにより新婦側の招待客が激減してしまった。同僚はほとんど災害対応の現場に飛び込んだのである。総員出動の指令が出て関東や東北に散ったのである。娘は外してくれたが、その後の生活が一変したことは確かだった。

あれから5年経った。つまり、明日は娘夫婦の5年目の結婚記念日。2人の子どもにも恵まれ、ジジババは孫の遊び相手になっている。我が家にとっての3・11は複雑な思い出となって、記憶に残り続けているのである。

2014年7月28日 (月)

asajiroの湘南日記(109) 6月27日(木) 孫の絵

梅雨空の一日でしたが、asajiro一族には明るい話題が飛び込んできました。横浜に住む孫のMちゃんの描いた絵がテレビに出たのです。

NHK・Eテレの「おかあさんといっしょ」に投稿した絵が放映されたのです。全国放送ですから北は北海道から南は九州・沖縄まで・・・。と云うわけで爺バカのasajiroは目じりを下げています。

この番組、爺さんも一度出たことがあります。ナゼか、鎌倉のガイドさんと云うことで「にほんごであそぼ」というコーナーで早口言葉に挑戦。ロケは鎌倉駅にほど近い本覚寺の境内で行なわれました。舌がもつれて、しどろもどろになった哀れな姿が、全国に流れました。

その後、各地の知り合いから電話が「殺到」(大げさです)したのです。誰も見てないだろうと思っていたのですが、孫とテレビの前に座っていたお知り合いの方々から「見ました~!」との悲鳴に近いコールが・・・。考えてみればasajiroの世代は孫とテレビを見ながら、赤ちゃんがえりしている年頃なのでした(笑)。

きっと、Mちゃんの絵も彼女(そ、初孫でカワイイ女の子なのです)を知る人たちの間で大騒ぎになっていることでしょう。まずは、幼稚園の同級生の保護者やセンセイが見ていたかもしれません。もう一組のジジババが暮らす大阪でも話題沸騰。番組はたしか『やぎさん ゆうびん』というコーナーでした。子ども達から届いた絵や手紙をやぎさんがスタジオで司会のお兄さん、お姉さんに渡して披露する趣向。

かくして、Mちゃんは彼女の両親より早くテレビデビュー(顔は出なかったけど)したことになりました。今日は、ジジばかの話題を湘南のスタジオから全国の皆さまにお届けしました。

2014年6月 7日 (土)

asajiroの湘南日記(108) 5月22日(木) 4人目の孫

asajiroにとって4人目の孫が誕生しました。すっかりベテランの祖父(じい)さんとなったasajiroは目じりが下がり放しです。

初孫のお姉ちゃんだけが女の子で、後に続く精鋭の孫部隊は勇ましいオトコの子です。どうやら我々一族は男系のようです。4人目の孫ちゃん、仮にGくんとしましょう。そのGくんは15時58分に生を受けました。

母親が入院したのは12時頃でしたから、ほぼ4時間後に無事誕生したわけです。彼の父親が急遽仕事を切り上げて車を飛ばして駆けつけ、それを待ってたかのように5分後に産まれたそうです。ちょうどその頃はこの地方一帯に雷が鳴り響いていました。昔流に云えば天地鳴動していました。

こうして連綿とイノチが受け継がれてゆくことに深い感動を覚えます。asajiroもはるか昔のご先祖さまからイノチをいただいてきています。お目にかかっていないどころかお名前もわからないご先祖ですから、手を合わせて感謝の祈りを捧げるしかできません。

生後間もない赤子はまだ目が見えないそうです。見えるようになるまでには個人差もあるでしょうが約1週間くらいかかるとか。17時ちょうどに祖父さんはGくんに初対面のご挨拶をしました。両親と医院の関係者以外では初めて会った人物と言うことになります。看護師さんの腕の中に抱かれているGくんはモミジのような可愛い手を動かしていました。ジジばかでしょうか?じいじを見つめてにっこり笑ったように見えました。(見えてる筈はないのに・・・)

Gくんはどのような子に育ってゆくのでしょうか?そして凛々しい青年になってくれるのでしょうか?残念ながらasajiro祖父さんは、この子の結婚式でお相手のお嬢さんに会うことはできません。約30年後であれば、それは仕方のないことです。

しかし、しかしです!今の総理大臣が熱心に進めている集団的自衛権がもし実現すれば、憲法の保障する基本的人権も解釈変更が可能になります。少子高齢化社会で、自衛隊も兵士確保が困難となります。つまり、今のニッポンではあり得ないと思っていた徴兵制が復活・・・。

孫たちをあの暗い時代に戻しては絶対になりません。これだけは無心にスヤスヤと眠り続ける孫の寝顔に誓うasajiroでした。心配性のじいさんの杞憂に終わることを念じて、ココロの中で「お誕生、おめでとう!」。

2013年12月23日 (月)

あさ坊のぶらりハマ歩き(58) 12月21日(土) Xmas & Birthday

今日は「終い弘法」の日。京都の東寺では広い境内一杯に骨董市が開かれている筈です。京都に住んでいた頃に、一度覗いたことがありますが、古都の歳末の風物詩として親しまれているものです。

まだ、子どもが生まれる前のことでしたし、今のように古寺巡礼に関心を持っていませんでしたから、21日がお大師さんの日であることを余り意識はしていなかったものです。しかし、その後この日が長男の誕生日になりました。

今日、その長男の家族の元へ車を走らせました。夜に一足早いクリスマスパーティと孫たちのお父さんのバースデイパーティを兼ねた大祝宴が計画されました。お姉ちゃんは幼稚園でも踊りの名手として名声を博し(親ばか・爺ばかもいいところ・・・)、弟は今年難病で入退院を繰り返し大変な1年でしたが、すっかり元気を取り戻してくれて、来春はねーねの通う幼稚園に入り、姉弟が仲良く通うことになりました。

夕方の時間帯に車で出かけたのですが、三連休の初日で案の定、大渋滞です。藤沢バイパスから一国(国道一号線)とそれに続く横浜新道(有料道路)、早い時は30分余りで到着できますが、今日は往路1時間40分かかりました。孫たちが待ちくたびれていました。

祖母ちゃんが腕を奮った、鶏のローストチキン等のご馳走を運び込みます。豪華な?クリスマスプレゼントはサンタ祖父さん達が手渡しします。ご馳走が並ぶまで、ユカダン(床暖房)のリビングで孫と祖父母の運動会が繰り広げられました。背中に孫を乗せてお馬の稽古をしたジイサンは多分翌朝は腰を痛めているでしょう。毎度、同じアヤマチを繰り返しています。

何はともあれ、下の男の子が元気を取り戻してくれたのが大きい。クリスマスもお正月も病院のベッドで過ごすのは、本人もだが周囲も辛い。しかし、世の中にはそうした子どもたちがたくさんいることも忘れてはならず、我が家のささやかで小さな幸せを神様に感謝しなければ・・・と。

母親の作った手作りのケーキ、スポンジは堅めにしてクリームは程良い甘さに抑えた絶品です。サスガはケーキ作りの名人です。ローソクを孫たちが立て、明かりを消した中、Xmas & Birthday party は盛大に行なわれました。ジジは30数年前、雪が降り続く札幌のホテルの1室で、当時我が家の恒例だったホワイトクリスマス & Birthday を祝ったことを思い出しました。

そのおとなしい息子も不惑の歳、ジジババも歳をとるわけです。

2013年10月15日 (火)

asataroおでかけ日記(116) 10月12日(土) 保育園の運動会

日々、身辺の出来事を思いつくままに綴って参りましたこのブログも、今日で650回となりました。いつまで経ってもパソコンは初心者のままで、自己流で覚えてゆくことの限界も感じてはいますが・・・。

先日は横浜在住の孫娘の運動会で幼稚園に出かけましたが、今日は東京にいる孫の運動会で保育園に行きました。保育園の園庭が狭いので、「大運動会」は近くの小学校の運動場を借りて行なわれました。

抜けるような青空ですが、気温はグングン上昇して真夏日になりました。10月も半ばというのに熱中症の心配をしなくてはなりません(;´д`)トホホ…。

幼い園児たちには可哀そうな気がしましたが、年寄りの心配をよそにちびっこたちは元気いっぱい走り廻っています。保育園にはゼロ歳児からいます。どうやって走るのかしら・・・と心配してましたが、トーゼンのことながら親が抱っこして走ります。見てて微笑ましいのですが、それでも親はモチロン園児ちゃんたちも必死です。

我が孫である少年Hもガンバリマシタ。走るのが待ち切れずに順番を無視しょうとしたり、走るレーンを右はヤダーと左に移ったりと、小さいくせに自己主張だけは一人前で若い父親を手こずらせていました。

このHくんに応援で駆けつけたのは、父方のジジババに加えていとこのお姉ちゃん、母方のジジババに父親の勤務先のオエライさんと総勢6人の大応援団です。初めての運動会で緊張している(筈)彼にとって更に大きなプレッシャーを与えることになったのでは・・・と、爺さんは心配します。

幼稚園では若いオンナの先生方が凛々しく動いていましたが、保育園でも若い保母さん(保育士さんと言うのかな?)たちが一生懸命に動いていて、そのキビキビした動きにasataro爺さん,すっかり感心して眺めています。つい見とれていたら、Hくんに早く抱っこして・・・と、両手を広げてせがまれてしまいました( ^ω^ )。

2013年10月 7日 (月)

あさ坊のぶらりハマ歩き(54) 10月6日(日) じゃんけん列車

雨で順延となった、横浜に住む孫の運動会が1日遅れで行なわれました。9時開始ですが、早い家族は真っ暗な午前5時前から正門前に並ぶと言う。開門は8時らしく正直、バカじゃないの?と言う気持ち。

よく1番乗りを目指したり、チケットNo.第1番をゲットする為に2・3日前から並ぶと言うニュースが流れる度に、世の中ヒマでおめでたい人もいるもんだと呆れるのだが、それでもその場合はその人のコダワリがきっとあるんだろな・・・と、納得してしまう。

しかし、狭い幼稚園の園庭での場所取り、どこに座ってもたいして変わらないし、写真を撮るためには結局動き回るわけだから、どこに腰を下ろそうが余り意味はないように思える。大半の親たちはレジャーシートを広げて荷物を置いて、そのエリアの占有を内外に広く宣言するだけでとりあえず家に戻るのだろうが、息子の話では前の年に確保していた場所が勝手に移動させられたか、取り除かれていたらしい。と言うわけで番人は必要なんだそうだ。弁当づくりに忙しい若い母親に代わって、きっとヒマなジジババあたりが後からやってきて、目ぼしい場所の奪取をするのだろう。若いパパママではそこまでアクドイことはやれないに違いない。

「前置き」のくだらない話が長引いたが、その運動会。孫娘は年中組。生まれが3月と言うこともあるが、母親のDNAをしっかり受け継いでおちびちゃん。背の高さ順で並ばされるから常に先頭!走るのも一番最初の組!・・・とまことにわかりやすく見つけやすいヽ(´▽`)/。

走るのは遅いがこれも母親ゆずりで、もしかしたらあさ坊じいちゃんの遺伝子も何分の一かは受け継いでいる筈。しかし、遊戯はたいしたもので将来はダンスや舞踊で名を成すかもしれない。母親が関西出身なので宝塚音楽学校へやらせるのもいい。でも、身長が足りない、運動神経もないでは無理かなあ・・・。

ジジババは下の弟の相手をしたりして、姉ちゃんの応援をしてあげる。父親はカメラマンで忙しい。そのジジババも出場できる「じゃんけん列車」と言う演目があり、尻込みするじいちゃんも引っ張り出された。保護者同士がじゃんけんをして負けたら勝った人の後ろにつくと言うゲーム。列が長くなりそれはあたかも列車のようになり、くねくねと運動場の中をじゃんけん相手を捜しながら最後の一人が勝ち残るまで続けるもの。因みにその栄えある勝者には、ナント小学生の女の子(彼女も立派な保護者なんだろう)が・・・。

ババは最初のじゃんけんで負けてしまったらしいが、ジジは孫の男の子を片手で抱いて、ナント4・5回も勝ってしまった。孫や子どもを抱いて参加した人は他にはいないので、目立った筈。相手も小さな子を抱っこしたお爺さんが長い列の先頭に立ち、それが相手ではやりにくかったに違いない。きっと、負けてくれたのだろう。勝つたびに孫が手をたたいて喜ぶか、「おじいちゃん、すごいね!」とはしゃいだ筈だ。しかし、まだ言葉はカタコトだけど・・・。

この時の後遺症が肩痛・腰痛となって翌日から現れるだろう。そしてババさんからはきっと笑われるだろう(;´д`)トホホ…。

2013年8月22日 (木)

asajiroの湘南日記(82) 8月18日(日) 孫の美術館デビュー

4日前のことになるが外出先の仕事場で体調を崩し、自宅で寝たり起きたりの生活をしていました。徐々に恢復はしてきたと思いますが、まだ体の一部にマヒが残り暫くは静養を続けねばなりません。

しかし、昨日は車の運転を再開し、セルフの給油や洗車もこなすことができました。そして今日は電車に乗って平塚まで出かけるほどに体調も戻ってきました。息子の家族と平塚美術館で合流します。2人の孫にとっては生まれて初めての美術館です。つまり、彼女・彼にとっては美術館デビューです。まだヨタヨタ歩きのジジ(マゴではない!)と元気いっぱいのババが孫たちと再会します。

「はじめての美術 絵本原画の世界2013」展を3世代の家族で見学します。小さな子どもたちを呼び込めれば、祖父母も入館しやすいだろうと3世代割引と言う制度もあり、モチロンそれを利用しました。

「おおきなかぶ」「ぐりとぐら」「おしゃべりなたまごやき」等々のよく知られた絵本の原画が並びます。孫も、これ知ってる・・・等とはしゃいでいます。静粛が基本の美術館ですが、夏休みの家族連れで賑わってる館内は、多少のおしゃべりも大目に見てくれています。

洒落た館内のレストランでランチします。値段が高めなのはともかくとして、子ども向けのメニューがないのは、この時期イカガナものかと思いましたが…。

この後、ジジババの家に移動して子どもたちは爆睡のヒルネです。目覚めてからは賑やかな笑いに包まれた、3世代交流の家族図が展開します。体調のすぐれないジジも、孫と戯れている間はカラダの痛みを忘れています。

外は相変わらずの真夏の日照りがそそぐ一日でした。

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