講座・座学・実習

2016年9月26日 (月)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(282) 9月14日(水) 夏場のガイド

夏場は予約のガイドも少ない。募集案内は元々催行しないか、しても暑さを考慮して半日コースが主体となる。又、研修もこの時期に行われることが多い。

いささか古い話だが、6月22日には隣町茅ヶ崎の史跡を巡った。かの有名な南町奉行大岡越前守の知行地で菩提寺の浄見寺に代々の墓が並ぶ。

6月27日には小田原の研修があった。戦国時代、小田原北条氏の城郭は極めて広大で堅固だった。その外周を歩いた。景色の良い所もあったが、アップダウンが多くて汗をかいた。希望者は天守閣へも是非と案内されたが、誰もくたびれ果てて入ろうとしなかった。

7月28日には下見で藤沢市の遠藤地区を廻った。本番は9月で彼岸花の時期に合わせて実施する。その担当となっているので、しばらくは夢にも出てきそうだ。

8月2日にそのコースの本格的な下見をガイド仲間7名で行った。これは半日コースで解散後に慶応SFCの学食で昼食をとってもらう予定だ。ここの学食はガイド仲間にも評判だ。

9月1日、長後から大和へのガイド実習に参加。大和では引地川の源流域である泉の森公園を歩く。21名が参加したが、カンカン照りの暑い日だった。市街地では難儀したが、森の中は森林浴もできて涼しい。

9月6日にはあさ爺が担当しているコースの実習を行い、ガイドを務めた。18名が参加。今日はいい天気だったが本番ではどうか?また、彼岸花はちゃんと咲いてくれるか?悩みが多い。

9月8日にはクラブの勉強会で辻堂にオープンして日が浅い「藤澤市浮世絵館」を見学。遊行寺の近くには「藤沢宿交流館」もすでに開館していて共に江戸時代の藤沢や江の島を伝えている。

そして今日、9月14日には鎌倉での実習のガイドを務めた。大仏と長谷寺を巡り、最後は新しく改修された段葛で解散。本番は10月の初旬である。お客様は約60名で県下各地から集まって来られる。

いつも思うが、天気次第で内容は変わることが多い。それもすべて受け入れてのガイド稼業である。

2016年5月 5日 (木)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(277) 4月8日(金) 花祭り

今日は嬉しいひな祭り、ではなくて「花祭り」。EFGでもお客様をご案内する本番と、実習生を案内するガイド実習が同時並行で開催された。毎年人気の花祭りコース、今年も約100名のお客さまが江ノ電極楽寺駅にお集まりになられた。

いつもは比較的静かな極楽寺の境内も、今日ばかりは華やいだ雰囲気に包まれている。天気も昨日とはうって変わっての好天。お釈迦さまのおかげか。甘茶もいただいたし、お釈迦さまにもかけさせていただいた。鎌倉で活躍されておられる旧知のWさん、Eさん、Iさん達のにこやかなお顔も。皆さん、極楽寺の半纏を着てお手伝いされておられる。今風に云えばボランティア。

普段は非公開の忍性塔も拝観。バカでかいお墓である。いや、言葉が適切ではなかったが、それにしても大きいのが特徴。鎌倉には扇ヶ谷に覚賢塔と云う巨大なお墓もあるが、果たしてどちらが上回っているのか?

江ノ電で江ノ島駅下車、龍口寺の五重塔も特別公開で拝観させていただいた。五重塔の内部を見る機会は滅多にない。ここでも本堂でお釈迦さまに甘茶を。極楽寺は真言律宗で、龍口寺は日蓮宗。忍性と日蓮はことごとに対立し、いがみ合ってきた仲だが、甘茶の風習はなかよく受け継がれてきている。なかなか、いい風習である。

2015年12月 5日 (土)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(272) 10月21日(水) 帆船見学

EFGの実習で江の島を歩きました。今日は弁天さまの江の島神社には向かわず、ヨットハーバーを目指します。2020年の東京オリンピックで江の島は再びヨット競技の会場になります。

なんで今さら、又、東京でオリンピックをやるのか疑問ですが、旧国立競技場も壊して更地になってしまった現在、蒸し返しても意味のないこと。あさ爺はやるなら大阪でと今でも思っている。ハシモトくんもよくワカラナイ大阪都構想にこだわるよりも、オリンピックを大阪に!と叫び続けた方が良かった。一度招致合戦で負けてるからと云う負け犬根性では、大阪の「再生」は期待できない。

いや、話が横道に外れてしまいました(いつものことだけど)。ここで木造の大型帆船「やまゆり号」を見学しました。現在、保存運動が行なわれていますが、現役を引退したわけではなさそうです。今でも太平洋を横断できる設備は備えています。ただ、今のエンジンのままでは無理とか。狭い船内を覗きました。モチロン、キッチンもベッドも備えていて、快適にクルージングが楽しめそうです。

ただ、あさ爺は昔からヨットにはホトンド興味なしの人生でした。船酔いの苦しさは想像したくもないし・・・。まだ、地面に足をつけて走るキャンピングカーの方が楽しそうだと。あれで全国一周すると楽しいだろうなあ・・・。高倉健最後の遺作で妻の遺骨を乗せて九州までキャンピングカーで走り続ける場面があった。

若い頃、アメリカで多くのキャンピングカーを目撃した時に、これはいずれ日本でも大流行するだろうと思った。ナンデモアメリカの後追いをするのが戦後の風潮でもあったから。しかし、この予想は大外れとなりました。高倉健のクルマも方々で好奇の目で見られていたから。

日露戦争の英雄児玉源太郎を祀る児玉神社を久々に訪問。中国人が大挙押し寄せている江の島でも、中国「侵略」の歴史に登場する彼に由来するこの神社はかやの外です。逆に台湾の人には慕われている。でも、日本人も含めてお参りする人は少ない。たとえ名将でも軍人は人気がない。

今日の実習も18人が参加。講師はカタさん。同期の中ではおとなしく地味に見えた彼だが、ナカナカどうして堂々たるガイドぶりで、先輩連中も感心していました。ご苦労さまでした。

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(271) 10月19日(月) まんだら堂を歩く

EFGスキルアップ講座で名越の妙法寺からまんだら堂へと向かいます。いい天気で快適な山歩きと言いたいところですが・・・。あさ爺は痛めている下半身(?)をかばってストックを携行。低い山なので気恥ずかしいのですが、特に下る時のショックを幾分かでも和らげる為です。歳を重ねて老いると云うことはこういうことなのでしょう。

まんだら堂を訪ねるのは数年ぶりです。かっての荒れ果てた姿から一変していました。まるで公園のようです。遊歩道やベンチも置かれていました。まるでマンションのようなやぐら群、この中世の横穴式墳墓はこの辺りがかっては葬送の地であったことを物語っています。それだけに今の整備された風景には違和感を覚えますね。

古墳や城跡でもそうですが、あまりにキレイにされると「つわものどもが夢の跡」と云ったいにしえの雰囲気には程遠くなる。一昔前、ここは鎌倉(正確には逗子であるけれども)有数の紫陽花の名所と云われた。そして浮世を離れた老人が庵を構えて住んでいたそうだ。その人が花を増やしたのかも知れないが、あさ爺は知らない。

今風に云えばホームレスに近い存在だったようだが、そのような人たちは戦後の住宅難の時代に家族も住む家も失った人たちには珍しいことではなかった。あさ爺の近くにある大庭城址公園も整備する前には、どこにも届けることなく一人の老人がすみついて畑を耕していたそうだ。人呼んで「大庭の殿様」と・・・。似たような話は各地にあって、世相の裏面史を飾るにふさわしい。あさ爺も天涯孤独になれば、そのような暮らしに憧れる別の自分がいる。

この後、我々18人は山を下って法性寺(ほっしょうじ)、岩殿寺(がんでんじ)と廻った。最後は駅に近い「鎌倉パスタ」でランチ兼打ち上げを行なったのでありました。今日の講師はヒトシさんでした。勉強といい運動になりました。下半身不随のあさ爺はアルコールを控えて、無事の下山にオヒヤで乾杯しました。

2015年10月18日 (日)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(269) 9月18日(金) 中止になった面掛行列

鎌倉坂ノ下にある御霊神社の祭礼の日です。今日、この例祭に合わせて神奈川県の無形民俗文化財に指定されている面掛行列が行なわれる筈でした。ところが、残念ながら雨天中止となってしまいました。数年前にも中止になったことがあり、天気予報を見て心配はしていました。

神輿渡御であれば簡単に雨で取りやめはしない筈ですが、ここの行列では面掛十人衆と呼ばれる人たちが文化財にも指定されているお面をつけて練り歩きます。普段は宝物館に納められているお面です。濡れてはタイヘンと云うわけです。

我々のクラブではこの行事の見学を目玉にして鎌倉三十三観音を巡り、かつ秋の花を愛でる研修を予定していました。若手で主催しているスキルアップ講座ですが、これも中止となりました。行列はなくなりましたが、湯立神楽や関連の神事は行なわれましたので、それでも雰囲気を味わいたいと云うメンバーが5人集まりました。

コースを午後からの半日コースに改めて、担当のM氏の案内で長谷や極楽寺界隈を歩きました。雨天中止と云っても時折陽がさしています。やれないことはなかったのではないかと空を恨めしげに見上げます。主催者側の神社関係者はもっと複雑な気持ちでしょう。いっそ本降りにでもなってくれればいいのにと思ってるのでは?

長谷駅から収玄寺へ。続いて長谷寺に入ります。今日は観音さまの日でもあります。ほとんどの人が昼抜きで集まってますので境内のお食事処「海光庵」へ。寺カレーをオーダーします。

秋の花々を愛でて御霊神社へ。やはり人出はいつもの3割程度。神楽も本殿の中で行なわれていました。例年ですと境内で多くの見物人の人垣の中で執り行なわれます。集まった人たちも残念がっていました。旧知のE氏も顔を見せていました。

成就院、上杉憲方墓、極楽寺と廻って再び江ノ電に乗り込み、今日の史跡巡りは終わりました。5人の内、女性メンバーが3人。中止にもめげず駆けつけた人たちですから、さすがに皆さん熱心に勉強していました。鎌倉ではややマンネリ気味のあさ爺、反省することしきりです。

2015年10月17日 (土)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(267) 9月14日(月) 再びSSTを廻る

先日、クラブの下見で廻った藤沢市内の新しい街「S・S・T」を、今日は改めて実習で見学しました。略語の意味は舌を噛みそうでナカナカ覚えられないのだが、サスティナブル・スマート・タウン。新しい街と云ったのは、ここでの先駆的な試みが新しいと云うことで、環境への負荷が少ない街づくりだそうである。

最初に本番と同じようにヤクルト化粧品工場に向かい、中には入らずに道順のみを確認。空乗寺、首塚、万福寺と史跡を巡り、引地川親水広場へ。ここまで来るとSSTはもう隣接している。JR東海道線に沿っているので、この親水広場も隣り合わせの新しい街並み(まだ完成していないが・・・)も車窓から眺めることができる。

長久保公園は本番の時にはハーブ園に入る予定で、スタッフの方の解説も。あさ爺は体調が思わしくない為、午後の打ち合わせには欠席して辻堂駅へ徒歩で向かった。辻堂へ向かうバス便がないのが、不便でこれからの課題なんだろう。歩いて30分近くかかって、体調不良の身には負荷が大きかった。

実は今回の本番ではガイドを務める予定であったが、午後に診てもらった医師の判断から手術が必要となり、この募集企画のガイドを辞退するハメになってしまった。人生何が起きるかわからない。政界ならずとも一寸先は闇夜の世界となってしまいました。

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(266) 9月13日(日) 彼岸花の実習

EFGの実習で藤沢市北部の内戻地区を歩きました。毎年の定番となった小出川の彼岸花鑑賞が最大目的の企画です。来週の日曜日が本番なのでちょうど一週間前の花の咲き具合を確認することができます。かなり咲き始めていましたので、ちょうど良くなりそうな予感がします。

本番当日は更にこの地区の氏神様でもある宇都母知(うつもち)神社の秋の祭礼にもあたり、その祭り見物も。加えて地元の有志で運営されている竹炭くらぶによる炭飾り作りも楽しめることになっています。今日の講師は同期のI氏。ここからさほど遠くない用田に住んでおられますから、云わば勝手知ったる縄張りのようです。

彼岸花に関する植物学上のウンチクを披露してくれます。毎年決まったように秋のお彼岸前後に咲く理由もちゃんとあるようです。あさ爺もガイドクラブに入ってから、植物とりわけよく見かける花や樹木について、付け焼き刃で勉強しています。図書館で本を借りるのですが、なかなか覚えられない。サスガに彼岸花はわかりますが、あとはナカナカ・・・。これでも鎌倉で経験を重ねたせいか、他の新人さんに比べるとまだ知ってる部類に属しています。すぐ追い抜かれるでしょうが、いろんな花のウンチクを垂れると感心されて得意になっています。

今日の実習では高座豚の生産直売をやっているお店に立ち寄ったり、竹炭くらぶで説明を聴いたり、慶応のキャンパス内にある縄文早期炉穴跡や神社を廻ったりと勉強を重ねました。時折、小雨のパラツクあいにくの空模様でしたが、一週間後は神社のお祭りもあるので、秋晴れとなって欲しいものです。

2015年10月 1日 (木)

あさ坊のぶらりハマ歩き(81) 8月27日(木) 総持寺からビール工場へ

あさ爺の指示で鶴見線の研修報告をさせていただいのはあさ鉄でした。その研修の後半部分は当然あさ爺がと思っていましたが・・・。ナント、今度はあさ坊に振ってきました。確かに鶴見は横浜市であり、総持寺から生麦のビール工場にブラブラ歩いて行ったレポートですから、間違いとは言えません。そこで遅ればせながらのご報告。

小さな公園で解散した後は、線路(JRと京急のレールが何本も走ってます)をまたいで反対側に移動。曹洞宗大本山総持寺の境内に入りました。EFGメンバーのオプショナルツアーですが、地元のガイドさんが付き添ってくれて広い境内を案内してくれました。

お寺の正式な名前は「總持寺」ですが、ここでは一般的な字で報告します。今年はこのお寺の基礎を築いたと云われる二祖峨山(がさん)禅師650回大遠忌の年に当たります。元々は能登半島にありましたが、明治31年(1898)に焼失。

それをきっかけに横浜の鶴見に移転しました。本山の移転とは思い切った大事業だったことでしょう。因みに総本山は福井の永平寺です。能登では不便な事情があったのと、海外布教も視野に入れて開港して賑わう横浜に白羽の矢が当たったようです。

その広い境内を駆け足で巡ります。時間に余裕があればガイド研修としては石原裕次郎のお墓にも詣でたいところでしたが、生麦のビール工場の見学時間が迫っています。しかも昼抜き・・・。

京急花月園駅からわずか一駅ですが、生麦駅へ急ぎます。歩けない距離ではありませんが、ペコペコ状態の高齢者集団です。生麦駅から最後の力を振り絞って徒歩10分。お待ち兼ねのキリンビール横浜工場に到着。お楽しみの見学ツアーに参加します。

詳しくは企業秘密のため割愛しまして・・・、皆さん、これが最大目的の「試飲コーナー」に。ジョッキ3杯分の試飲が出来ると云う嬉しくてマジメなサービスに、参加者はおなかの空いた胃袋の中に様々なビールを流し込みます。あさ坊は「一番搾り」と黒ビール、更にハーフ&ハーフをお願いしました。ジョッキは小ですから酔っぱらうほどではありませんが、女性陣もガンバって挑戦していました。

その後は工場の境内、じゃあなかった敷地内にあるビアレストラン「スプリングバレーブルワリー」でランチ(モチロン、ビールもつけて・・・)。楽しく食事をした後は、16名のEFGメンバーほろ酔い気分でJR新子安駅に向かった次第です。

2015年8月27日 (木)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(264) 8月20日(木) 辻堂を歩く

EFGの実習で藤沢市辻堂地域を歩きました。辻堂駅周辺は最近大きく発展し、大型のショッピングモールや商業ビル、マンションが建ち並び、少なくとも5年前に比べると様変わりしています。

今日の実習はそんな駅前付近から一歩離れて、昔ながらの古社寺が点在する地区の史跡を巡ります。JR東海道線以南は住宅街が広がっていますが、更に江戸の昔に遡ればホトンドが砂丘地帯でした。その痕跡は今でも至るところで目にすることができます。

古東海道や鎌倉みちも走っていました。東海道53次が整備されたのは、家康以降の近世です。それ以前は古東海道と呼ばれる道がありました。中世に京から東下りをした人たちは、砂山と松林が広がるこの付近を歩いたわけです。

宝珠寺(ほうしゅうじ)、日枝神社、八幡社、八森稲荷、白山神社、宝泉寺、諏訪神社、社宮神、八松稲荷と名前を聞くだけで、いかにも古めかしい寺社であることが想像されます。辻堂と云う地名は全国にありますが、ここも辻の所にあったお堂が地名の由来になったことはまず間違いありません。しかし、具体的にどのお堂を指したのかは、今となってはもうわかりませんし、幾つかのお堂を総称して指したことも考えられます。

講師のM氏が説明をしてくれます。来月の本番では、湘南工科大学のキャンパスも見学が予定されていますが、今日は残念ながら夏休み中でもあり入りませんでした。

お昼は県立辻堂海浜公園のベンチでいただきます。あさ爺にとっては、子どもたちが成長してからはもう何年も入園していません。立派な公園でもあり、今度は孫を連れて来たいもの・・・と。午後は辻堂浄化センターを見学します。ここは初めてです。43万藤沢市民の汚水処理の仕組みを学びます。

最後は松下政経塾です。松下幸之助が私財を投じて、昭和54年(1979)に設立した政治塾です。例年200名前後が出願し、合格者は10名未満とまことに狭き門となっています。現在の塾生は4期合わせてわずか18名。塾と云えば賑やかな雰囲気を思い浮かべますが、マッタク静かなものです。

260名の卒塾生の内、約半数が政治家になったとか。残りは財界、教育、マスコミ分野に人材を輩出している。昔風に「末は博士か大臣か」で云えば、立身出世の旗頭は野田元首相だろうか。原、玄葉、前原、松原元大臣の顔も浮かぶし、現総務大臣で勇ましい高市女史も数少ない女子の塾生だった。

彼女は自民の保守の固まりみたいな人であるが、総じて民主党に目立つのには理由があるそうだ。ここの教育方針は松下幸之助が日本も欧米並みに二大政党が競い合う必要があると説いたこと、基本的には保守路線の教育をしていること、今も昔も自民党は世襲議員が多くナカナカ自民党の国会議員になるにはそれこそ狭き門であること等が理由になっているそうだ。

民主党の中でも保守的な言動をする議員が目立つのは、それらの理由による。ここは辻堂に隣接する茅ヶ崎市の区域である。敷居が高い印象なので、このような機会にしか中を覗くことができない。モチロン、あさ爺も初めての見学でした。

この街が多様な面を併せ持つ地域であることが改めて理解できました。そして目の前を走る国道は箱根駅伝でも知られています。あさ爺も今年の正月に、この付近で声援をおくったものです。

私ごとでありますが、今は2児の父親となった息子の母校ならぬ母園であるS幼稚園がすぐ目と鼻の先にあります。考えてみれば私立の幼稚園ですが、ここも長い歴史の間に幾多の人材を輩出したに違いありません。

2015年8月23日 (日)

あさ爺の湘南・鎌倉ガイド(263) 7月10日(金) 江ノ電いまむかし

EFGの実習で江ノ電沿線を巡りました。乗り降り自由の切符で、その名も「のりおりくん」を買い求めます。料金は600円ですから、3回以上乗り降りすれば採算がとれる筈です。観光客の場合は、その切符を提示することによって土産物や飲食代の割引も受けられますので、お得感は十分にありそうです。

104年の古い歴史を持つ江ノ電ですが、廃業の危機もあり紆余曲折を経て、今現在に至っています。大都市通勤圏を支える大手の私鉄を除いて、路面電車のようなローカル鉄道が生き残ってきたことは奇跡と言えるでしょう。

モチロン、江の島と鎌倉と云う観光地に支えられてきたのが理由ですが、「観光」ほど永続性の観点からみて不安定なものはありません。特に時代の変遷で、人気観光地は浮き沈みが激しいからです。

今は人気が少し復活しつつありますが、出雲大社がいい例です。旧国鉄の大社線終着駅は大社駅ですが、豪壮な建物は駅舎としては珍しく国の重要文化財に指定されています。

かってはこの駅に毎週のように団体の臨時列車が発着していました。しかし、大社詣での激減により大社線は廃線となり、駅舎だけが取り残されています。文化財として余生を過ごしているだけでも恵まれてはいますが・・・。

この大社参詣者輸送の一翼を担った一畑電鉄や金毘羅詣での琴電は細々と命脈を保ってはいますが、江ノ電と同じような路面電車タイプの琴平参宮電鉄(コトサン)は経営不振で廃線となりました。

伊勢神宮や善光寺と云った名だたる名所にも明治以降に鉄道が通じていますが、現在はバス輸送が大半となっています。江ノ電の生き残りには企業努力や小田急傘下に入ったこと、小さな鉄道を逆手に取った魅力をPRしていること、加えて沿線に多くの学校を誘致したこと等も理由になりそうです。

そんな江ノ電が地域に溶け込んで今も走り続けている理由を、温故知新の立場で訪ね歩くのが今回の企画でした。セピア色に変色した昭和の写真を見ながら、昔と変わった風景や逆に変わらない風景も確認しながら、電車に乗ったり沿線を歩いたりしました。

35人の老人(9割以上が65歳以上の高齢者)が小さな無人駅からドヤドヤと乗り込んできたかと思えば、わずか1駅の次の無人駅で一斉に降りてしまったりするものですから、乗り合わせた観光客は目を丸くしています。せっかく席を譲った若い人は、アレレと云った顔をしていました。

最後は極楽寺検車区を見学。今に残る「タンコロ108号」は動態保存されています。それを外観から見学して、今日の実習は終わりました。江の島や鎌倉が今後も人気の観光地として続くのかどうか気になるところですし、江の島は既に往年の賑わいはありません。むしろ、七里ヶ浜の海岸線が多くの若者に支持され、そこにあるグルメスポットが人気を集めています。

その若い人たちや家族連れで、今や電車自体が観光スポットになっている江ノ電です。今回は夏休み向けの企画なので、チビッ子たちも大勢参加してくれることでしょう。

後は、予想される暑さ対策です。鎌倉高校前駅から七里ヶ浜駅の間は海岸線を走る国道を歩くのですが、日陰がありません。子どもたちにはいささか問題がありそうな区間でした。

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